1『幼馴染がやってきた』
この世の中は不条理だ。
幸せを願い、平穏を祈る。
しかし、それらを得られる人間は極わずか。
何よりも、幸せや平穏を手に入れた人間たちは今手にしている状況を当たり前だと思い、感謝をしなくなる。
それどころか、強欲になってしまう。
そして失った時に、当たり前が当たり前でなかったこと、手に入れたくても手に入れることのできない尊いものであったことに気付き、悲しみに明け暮れる。
不幸から幸福へと成り上がったものは皆、幸せを噛みしめる。
しかし、最初から幸せを与えられた人間は噛みしめることすら知らない。
無知は罪とは良く言ったものだ。
終わってから気付いたとしても後の祭りだ。
その幸せは二度と戻ってこないのだから。
だから改めて言おう。
この世の中は不条理であると。
◇◇◇
ベランダに跳ねる雨音が寝室にまで響き渡る。
重いまぶたを開けるが部屋は真っ暗だ。
まだ朝とも言えない時間なのかもしれない。
雨音に紛れて、リビングの方から騒がしい音が聞こえる。
何をしているのだろうか。
そう思いながら、暗い部屋で、手探りながら昨夜充電器に挿したスマートフォンを探る。
コツンと指に衝撃が走った。
同時に暗闇の中で燦然とスマートフォンは輝く。
そこに表示されるのは『3:32』という数字。
やはり、まだ夜だ。世間一般的に黎明とは五時ちょっと前をさす。
こんな時間に両親は何をしているのだろうか。
まぁ俺があれこれ考えたって致し方ない。
もしかしたら、急な仕事が入ってしまった可能性もある。
海外へまた行かなきゃならないのならこの時間に出発してもなんらおかしくない。
せめて息子の顔くらい見て行けば良いのにと思うが。
高校生の息子の顔なんて見たくもないのかな。
「ふぁぁぁぁ……」
まだ夜だ。睡眠時間は約三時間。
とてもじゃないが寝足りない。
俺は豪快な欠伸をしてから、スマートフォンの明かりを消して、ゆっくりとまぶたを閉じる。
起きて両親に何があったのか尋ねるのが正解なような気もするが、眠気に勝つことはできない。
眠い! 寝たい! この欲求に勝るものなどないだろう。
俺はさっさと意識を手放した。
次に意識が覚醒した時には雨音が一つとして耳に入ってこなかった。
代わりに入ってくるのは近所のちびっ子たちの楽しそうな笑い声。
そして上空から聞こえてくる鳥のさえずり。
カーテンからは日差しが差し込み、晴れたんだなぁと悠長なことを考える。
「じゃないわ」
欠伸をしながらまぶたを擦り、重たい上体をゆっくりと起こす。ベッドからカーテンを開け、太陽光を直接浴びる。
ふぇぇぇぇ、浄化されちゃうよ。
眉をひそめながら、ベッドから降りて、回らぬ脳みそを精一杯活性化させながらリビングへと向かう。
三時頃に両親が何をしていたのか。
答えがリビングにあるはずだ。
スマートフォンアプリのメッセージ機能を使って、伝言をしているかもとも考えたが、それなら寝る前に気付くはずだ。
気付かなかったということは、メッセージは来ていないということ。
大体俺のメッセージアプリは公式からしかメッセージが来ない。
そういう仕様だ。
「眠い……」
リビングに差し掛かったタイミングで小さな欠伸が出てくる。
目からは涙が出てきて、引き返してもう一回寝てしまおうかとさえ思ってしまう。
そんな睡眠欲を心の奥に閉じ込めて、俺はリビングへやってくる。
メモらしきものはないかなと辺りをキョロキョロ見渡すと、ダイニングテーブルの上にピンク色の可愛らしいメモ用紙が残されていた。
そうそう、これこれ。
俺はメモ用紙を取り、目線を落とす。
ボールペンでスラスラと書かれた文字。
『奏斗へ。お母さんとお父さん朝から少しだけ出掛けています。帰るのは夜になると思うのでカウンターに五千円置いてあるので三食分を買ってください。冷蔵庫の中にある余り物でも良いですよ。連絡されてもすぐ反応出来ないと思います』
というものだった。
連絡すぐに反応できない辺り、仕事関係で呼び出されたのだろう。
五千円もあれば豪遊できる。一食千五百円だったとしても五百円余る。
なんとなく得したなという気分に陥る。
朝は何食べようかなぁ。そんなことを考えていた。
その辺の洋服を適当に摘んで着替え、五千円札を握り、自転車に跨り、坂道を一漕ぎもせず下る。
三分も走れば見えてくるコンビニ。
建屋の隣に設置されている申し訳程度の駐輪場に停めて入店する。
テロテロテロテロンと聞き慣れた入店音が俺を迎え入れてくれる。
迷うわずにパンコーナーへ向かう。どうやら納品したばかりのようで、種類も量も豊富だ。
何個か適当に回収し、お弁当コーナーへ向かう。
こちらも納品したばかりのようでかなりの種類がある。
また適当に選んでレジへ持っていく。
握りしめた五千円が崩される。
「お釣りレジ袋の中に入れちゃってください」
「かしこまりました〜」
店員は気にする様子もなく、レシートとお釣りをレジ袋に入れる。
「あざしたー」
これだけあれば三食分を賄えるだろう。
そうだな、あとは全部財布の中に入れておこう。
ここで贅沢するよりも、臨時収入として遊びに使った方が絶対良い。目先のご褒美よりも、後のことを考えるべきだ。
俺は朝昼夜と全ての飯をコンビニ飯で完結させた。時折食しながら虚しくなるが、後悔はしていない。そう、していないのだ。
◇◇◇
ソファーで気持ち良くうたた寝をしていると、鍵を捻り、扉を開ける音が聞こえた。
バラエティ番組の録音笑い声を掻き消すような激しい音。一瞬強盗でも来たかと思ったが、チロリと窓を見ると駐車場に車が停まっているので両親が帰宅しただけであると理解出来た。
俺はゆっくりと起き上がり、玄関へ出向く。
そのまま二度寝しても良かったのだが邪魔者扱いされるのが目に見えたので声だけ掛けて自室へ行こうとしていた。
リビングから玄関の方へ顔だけ出す。
「ただいま」
そう声をかけるが誰もいない。
玄関には荷物だけが置かれていた。どうやら激しい音は家を出入りする音だったらしい。
なんで何度も何度も音が鳴っているのだろうかと不思議に思ったが、これなら納得だ。
それなら今のうちに自室へ戻ってしまおうと階段へ向かうと玄関の扉がまた開かれる。
「お、ただいま」
声をかけると、そこにはリュックを背負った母親でない女性が立っていた。スラッと腰あたりまで伸びる黒髪。白い肌に、ブラックホールのように吸い込まれそうな真っ黒な瞳。繊細な人形のようで、指一本でも触れば簡単に崩れてしまいそうだ。
「桜……?」
階段の一段目に片足を乗せながら、思わぬ訪問者に俺は動きを止めてしまう。彼女のことをジーッと見つめる。今にも泣きそうな表情。俺は困惑しながら、でも、かける言葉も見つからずオロオロしてしまう。
「えーっと、とりあえず上がったら?」
何をしに来たのかすら分からないので家に上げることすら正解なのかどうか分からない。でも、彼女は見知らぬ赤の他人って訳でもない。
お隣さんで幼馴染のお姉さん。むしろ、俺の中では関係値の高い方だし、何度も家に来ている。
玄関でそのまま立ちっぱなしって訳にもいかないからね。
「じゃあお言葉に甘えて」
彼女は彼女で遠慮気味に上がる。自ら来ておいてなんでそんな余所余所しいのか。もっと堂々としていれば良いのに。
来ざるを得なかった。って考えるのであれば家出とかが考えられるか。
うーん、でも、けんかして家出するほど仲悪いようには見えなかったしな。
やはり、何かが引っ掛かる。でも、何があったのか聞けるような空気でもない。多分聞いたら泣き出してしまう。泣き出されたとして慰められる自信がない。
だから、この引っ掛かる気持ちはそのまま心に秘めておく。
「とりあえずリビングに……むぎ茶とコーヒーどっちが良い? 夜遅いからコーヒーじゃない方が良いか」
自己完結して、むぎ茶をコップに注ぎ、ダイニングテーブルに出す。
「ありがとう」
彼女はそう端的にお礼を口にすると、グイッと呷る。四分の一くらい減ったコップをもう一度ダイニングテーブルに置いて、椅子に座る。
「楓と柊も来るからよろしくね」
「え」
「だから、楓と柊も来るからよろしくねって」
桜は俺が聞き逃したと思っているのか、同じことを口にする。
別にそれはしっかりと聞こえていたんだよな。聞いた上で意味が分からなかったんだけど。
楓と柊。彼女たちは桜の妹たちだ。名前からも分かる通り、楓は秋に生まれ、柊は冬生まれである。夏にどっちか生まれていたら向日葵って名前だったのかなとか適当なことを考える。それでも「なんで来るんだよ」という抱いて当然の疑問が頭の中に湧いてくる。湧いてきたところで聞ける雰囲気じゃない。だから、見て見ぬふりをするが、一度出てきて、意識し始めると歯止めが効かない。
「お、おう」
自分の気持ちをごまかすように味気ない返答をする。
その返事を後に沈黙が続く。お互いに何かを喋ろうという意識すらないのだろう。本来の桜であればこの沈黙も心地良いものとなっているのだが、今はただただ居心地が悪く、言葉を選ばないのであれば気持ち悪い。
モヤモヤした気持ちを自分の中で抱え込んだ。
コップのむぎ茶を呷る。それと同時に玄関の開閉音が聞こえた。
「来たんじゃない?」
桜はそう目線を玄関の方を向けて呟くように口にする。無論、この位置からは玄関など見えない。目線を動かした所で見えるのは白い壁くらいだ。その目線に「おまえ出迎えてこいよ」という意図が見え隠れしているような気がした。
申し訳ないが、面倒だなという気持ちが芽生える。
でも、三姉妹が家に来る理由が分かるかもしれない。そう考えると出迎えない理由もないんだよなぁ。
重い腰を上げ、玄関の方へゆっくりと歩く。
「おう、ようこそ」
二人の少女。っても、同級生と一個下なんだけどさ。
桜の面影を残しつつも、それぞれ個性もある。共通しているのはとてつもない程に可愛いってことだろうか。幼馴染という贔屓フィルターを外したとしても同じ感想を抱いていたはずだ。実際、告白されている回数はあの三姉妹合計で三十はこえているはず。
楓も柊も不安気にこちらを見つめる。これじゃあなんで家に来たのか聞ける雰囲気ではない。とんでもない大喧嘩でもしたのだろうか。二人ともリュックを背負っている。あぁ泊まる気だな。そうなるとやっぱり家出だろうか。モヤモヤだけが残ってしまう。
「お邪魔して良い……ですか?」
柊は少し申し訳なさそうな表情でこちらを見つめると、すぐに俯く。やはり覇気がない。こちらの調子も狂うので、いつもみたいに元気にしていてほしい……って、無理だからこうなっているんだろうけどさ。
「構わないよ。ほら、桜も先に来てるし、とりあえずリビングおいで。楓もおいで」
とりあえず話す気になってくれるまで、変に突っ込まず、好きなようにさせておけば良い。そのうち喋りたくなったら自ら何があったのか教えてくれるはずだ。
二人を引き連れてリビングへ案内する。案内する必要ないくらい彼女たちも俺の家に来ているはずだが、出迎えた者の義務としてね。
「むぎ茶で良いか? コーヒーくらいなら出せるけど」
一応聞いておく。全員揃うってなるとカフェインを摂取したくなる人が居てもおかしくない。
「私はむぎ茶で良いよ。お気遣いなく」
「私も楓と同じので大丈夫です」
お気遣いしちゃうんですけど……。
「じゃあむぎ茶で。ちょっと待ってろよ」
すぐに注ぎ、さっきのようにダイニングテーブルへ並べる。
「ありがとうございます」
柊は明らかな作り笑いを浮かべ、むぎ茶を貰う。一方で楓はペコリと一瞥するだけで声には出さない。まぁ、それくらいで怒るようなことはないしな。
「ってか、柊。ここでは敬語じゃなくて良いんだぞ。そのー、なんていうかさ、家の中でまで敬語だとむず痒いし」
このなんとも言えない雰囲気を壊す気持ち半分、本心半分で苦笑気味に伝える。
「いや、私も慣れちゃいましたし」
「ほら、俺は桜にタメ口だし。な? 桜」
「奏斗はもっと気遣ってよ。一応これでも私歳上なんだからね?」
桜はむくぅと頬を丸める。重々しく、声を掛けることすらはばかられるような雰囲気だったが、若干柔らかくなる。それでも和やかとは程遠いが。
「泊まるのか?」
念の為に聞いておく。ここまで勝手に決めつけておいて違ったら恥ずかしい。というは、恥ずかしいとかの次元ではない。穴があったら入りたくなる。
「泊まるつもりだけど」
桜はリュックを持ち上げると、チャックを開け、中身をほれと見せてくる。そこにはパジャマと普段着、あとはなんか下着っぽいのもある。普段使っているであろう化粧品類もジッパー付きの袋にまとめられている。
荷物的に一日か二日だろう。多分、何日も居座るつもりはなさそうだ。まぁ、長期休みでもないし、仕方ないのかな。
「ネカフェとか行くぐらいならずっと居れば良いのに。この後どうするのか分からないけどさ」
とりあえず、親子喧嘩で家出したという体で話を進める。正直それ以外答えなさそうだし。
「……?」
桜は不思議そうに首を捻る。そして、妹たちに目線を送り、彼女たちは首を横に振る。
「いや、俺たち家族みたいなもんだろ。ちっこい頃からずっと一緒だった訳だし、泊まったって何も問題ないだろ。母さんも父さんも何も言わないだろうしな」
むしろ歓迎すると思う。
今、両親がどちらも居ないのは桜の両親に話を通しているとかそんなところだと思う。俺たちは小さい頃からずっと一緒だった。中学からは絡みこそ少なくなったが、疎遠になった訳ではない。俺の両親と桜の両親もかなり仲が良い。ママ友とかそういう域を軽くこえている。昔から仲良かったんじゃないかと思ってしまうほどだ。
「家族……」
楓は顔をしかめる。俺と家族ってのは気持ち悪かったのだろうか。こっちが気遣って受け入れてやったのに酷いな。
「まあ、嫌なら全然良いんだけど」
一応逃げ道は作ってあげる。俺が思うほど彼女たちからの好感度が高くない可能性も考えなければならない。
「そういうわけじゃないから」
楓はぶんぶんと激しく首を横に振る。と思えば、桜と顔を見合せた。
「あのさ」
桜は様子を見るように口を開く。
「なんだよ」
「浩二さんから話聞いてない? もしかして」
「父さんから話? なんにも聞いてないけど」
父さんの名前が出てきて困惑する。
「え、本当に? 別に配慮したりしなくて良いんだよ。知らないなら知らないで説明しなきゃいけないから」
あまり話したくないことなのだろう。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら、躊躇うような口調だ。それでも、先陣を切るのはやはり長女の意地なのだろう。
「マジで聞いてない。本当になんにも」
彼女の意地に俺も答える。こっちが気遣って変な反応をするのはむしろ失礼だろう。
「そっか。あのね――」
桜が説明しようとしたその時、玄関の扉が開く音が聞こえた。桜は開いた口を閉じ、立ち上がる。背筋が伸び、緊張しているのがこちらにも伝わってくる。
「おじゃましてます」
桜はリビングに入ってきた俺の両親に向かってペコリと頭を下げる。
「良いの良いの。気にしないでね。私たちがやりたくてやっているのだから。たしかに、お願いされたってのもあるけど。私たちの本心よ」
「そうだぞ。自分の家のように寛いでくれ」
母さんと父さんはそれぞれ桜に声をかける。
「ありがとうございます」
桜はまた頭を下げる。
「そんな気にしないでくれ。俺たちのことも本当の親のように接してくれて構わないからな。陽子さん。部屋案内してくれても良いかな?」
「そうね。それじゃあ三人とも部屋案内するわね。一部屋しか渡せないのは申し訳ないけれど、大丈夫かしら」
「構いません。むしろありがとうございます」
桜はまたまた頭を下げ、母さんに案内される。リビングには父さんと俺だけが残る。父さんはふぅとため息を吐き、脇腹に手を当て、天井を見つめる。
「疲れたぁ」
父さんは疲弊という言葉が似合うような表情を浮かべる。
「何してたの。朝から居なかったけど」
「あぁ、バタバタしてて奏斗に伝えてなかったな。病院行ってたんだよ。福島の病院」
「福島ってあの福島? 福島県?」
「そうだよ」
ケロっとした顔で首肯する。さも当然みたいな顔だ。混乱している俺がおかしいのではと思うほど当たり前みたいな顔しているので、なおさら混乱を極める。
「デカイ病気にでもなったの? でも、それだったら都内の病院に案内状出されるよな。なんで福島なんだ」
「これ見てみろ」
父さんはスマートフォンをササッと操作し、俺に手渡してくる。画面に表示されているのはとある高速道路上の事故を報じたニュースだった。
『福島・東北道でトラックが追突事故。トラック二台、乗用車が五台絡む事故。五人死亡、八人が重傷』
見出しにされていた写真には見覚えのある車が写っていた。白色のミニバン。ブレーキランプ近くにはどこかで買ったであろうステッカーが貼り付けられている。
「これって……」
「友田さん所の車だな」
父さんは俺が言う前に答えを言う。
「後ろはさほど凹んでないし、大丈夫なんだよね? あぁ、そうか。二人とも入院したから家で預かることになったのか。なるほどな」
不思議な訪問に納得がいく。だが、父さんは首を横に振る。嫌だ、聞きたくない。
「二人とも亡くなったよ。お父さんの方は即死だったって。お母さんの方は病院に運ばれたけどダメだった」
父さんは眉間に指を当て、俯く。
「でも、そんな衝撃あるようには……」
悪い冗談でも言っているんだ。その一筋の可能性にかける。
「前にトラックが居たみたいでさ、車に突っ込まれて、そのままの勢いで前のトラックに突っ込んで前からグシャッて潰れたらしい。だから、後ろは多重事故にしては綺麗だけどね。前は悲惨だってさ」
父さんが詳しい表現をしないってことは、それだけ過激なものなのだろう。
「あの子たちにはな、身寄りがないんだ。あー、正確にはある。だけどな、どの親戚も引き取りたくないそうだ」
「なんで」
「三姉妹全員引き取るって家庭の負担になる。しかも、皆高校生だ。卒業して就職なら経済負担は少ないだろうが、今時は皆進学だ。大学にしろ専門学校にしろな。商業だの工業だの、そういう学校に行ってれば話は別かもしれないけど、お前らは普通科だろ。そうなると、進学させなきゃならない。大学だったら幾らかかると思う?」
「四百万くらい?」
「そうだ。大体四百万だ。普通は子供が小さな頃からコツコツと貯めて、学費として充てるんだよ。でも、突然やってきた彼女らに出せるか? 三人だったら千二百万だ。無理だろ。普通。だから、皆拒否するんだよ」
微かな愁いを帯びている。ため息混じりの声音が、その寂しさをさらに大きくする。
俺と目を合わせているが、その言葉の先はどうも俺以外に向けられていそうで、反応に困る。
「ウチも経済的に余裕ではないでしょ」
ふと、湧いた疑問。経済的に他の身内が引き取るのが厳しいっては理解出来た。でも、それじゃあまるでウチに経済的余裕があるみたいじゃん。車はミニバンの一台持ちだし、居住地は東京都という看板だけ背負った田舎、一軒家だが最寄り駅から徒歩三十分ほど。とてもじゃないが裕福とはいえない。普通に暮らしていく分にはなんら問題ない。実際比較的自由に伸び伸びと養ってもらっている。だが、新しく高校生三人を養う財力があるかと問われれば怪しい。贔屓目に見ても厳しい。
「今はな。でも、稼ごうと思えば稼げるから」
父さんは苦笑いしながら、椅子に座る。そして、ポンポンと机上を優しく叩き、顎で向かいに座れと指示する。俺はコクリと頷き、向かいの椅子に座る。さっきまでサクラが座っていたのでまだ若干の温かさがある。
「どういうこと?」
「どういうこともなにもそのままの意味だよ」
「転職でもするの?」
転職しますってはいはいと転職できるものでもないだろう。昨今は転職のハードルが低いと良く耳にするが、家族三人増えて養えるほど給料増やすって難しいと思う。社会人って俺が思っているよりもうーんと楽なのだろうか。
「しねぇーし、した所で今よりも給料高くなることはないよ。精々休みが増えるくらいだな」
「じゃあどうやって……」
もしかしていけない仕事にでも手を出すつもりなんじゃ。犯罪だったら確かに手っ取り早く大金を稼ぐことが出来る。無論、警察に捕まってしまえば全ては水の泡だ。リスクとリターンが見合っているようには思えない。
「奏斗。お前訳分からんこと考えてるだろ」
ジロリと睨まれる。
「俺と母さんが海外赴任すれば良いんだよ。ウチの会社は海外勤務だと給料かなり高くなるからな」
「行きたいって行けるものなの?」
「行けって言われてるのに『家族が居るので』って断り続けてたからな。行きますって言えば明日にでも手配してくれるだろうよ」
実は父さん有能だったりする? というか、母さんもなの?
「二人とも居なくなるの?」
「流石に俺一人では稼げないからな。母さんにも着いてきて貰うよ」
「家はどうするのさ」
「お前ら高校生なんだし、大人居なくても暮らしていけるだろ。一人ってのは不安だけど、友田家姉妹も居るから安心だ」
俺はさほど信用されていないらしい。まぁ、信用されるほどの生活力見せてこなかったので致し方ない。料理はしないし、コンビニで朝昼夜を済ませちゃうし。ゴミ人間一歩手前だな。
「何よりも。俺たちが居なくなれば部屋空くからな。今、元々物置部屋だった所使ってもらってるからさ。流石にあそこに三人は手狭だろ?」
一人部屋だったらちょうど良いかなって広さの部屋だ。基本的に使わない洋服だったり、家具だったり、家電が置かれている。クリスマスツリーや鯉のぼりなんかもある。わりとしっかり目な物置部屋だ。
「たしかに」
「お前がな、あの子の誰かと付き合ってたりすれば同部屋に出来たんだけどな」
父さんはとんでもない事を言い出す。この人は一体何を言っているのだろうか。
「馬鹿言え、幼馴染だぞ。そんなのありえん」
「そうかー。父さん的には三人とも可愛いと思うけどな。父さんがお前の立場だったら間違いなく惚れてた。そうだな。三人とも好きになってたかもしれない」
「うわぁ……見境ねぇな」
俺は若干椅子を引く。
こういう話自体は父さんとたまにするので気にならない。この間は「父さんな、今過去に戻れたらもっと女の子にモテてたと思うんだ。顔が……とかじゃなくてさ、女の子にもっと優しくして、扱いも上手かっただろうなって」とか言っていた。息子ながら、何言ってんだコイツは状態だった。
ただ、俺だってあの三人のことは可愛いと思う。血繋がっているなぁ……じゃないのよ。客観的に見たらそうなのよ。
「でも、だからこそ四人で暮らさせようって提案出来るんだけどな。俺みたいな見境のない人間だったら、親がいないことを良いことに三人とも食べるかもしれないし」
「しねぇーよ」
「だろ。お前はアイツらにとっての代わりの父さんなんだ。しっかりとする所はしっかりとしておけよ」
話があっちに行ったり、こっちに行ったりしたが結果的に言いたかったのはこれだろう。
俺にとっての両親は海外に居るだけで、頼ろうと思えばいくらでも頼れる。今なんて電話一本で声を聞くことだって可能だ。でも、彼女たちはどうだろうか。頼れる両親は居ない。一応俺の両親が両親代わりだが、気兼ねなくってのは難しいだろう。仮に逆の立場で、友田家に引き取られたとしてワガママ言えるかって言われたら厳しいと思う。ずっと、遠慮して、自分の感情すら封じ込めて、周囲に作り笑いを浮かべるだけの操り人形になっていたと思う。それできっと、周囲から気味悪がられるんだろうな。
「分かった」
二人揃って海外へ行くのは色んな意味があるのだろう。俺にできることは二人に心配をかけさせないことだけだ。だから、堂々と頷いた。
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