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風がざわめく



暗闇の中に力なくただ漂っている。

この中でなら安らぎを感じられる。そう、ふと感じた。

遮るものも干渉するものもない。ただ自分一人だけになれる場所。

そう言えば、と思い出したことがあった。

以前この空間を作り出している原因を教えてもらったことがある。自分が闇を求めているからだと。

(違う、よ──)

求めてなんかいない。求めているのは闇ではなく、安らぎなのだ。だって現実は考えなければならないことが多いから。

ぼんやりと虚空を見つめる。今、現実のことを引き合いに出したせいで一瞬で思い出してしまった。そしてそれに呼応するように胸に刺すような痛みが走る。

「っ……──」

こんなこと望んでいなかった。自分のせいで誰かが傷つくことなどあってはならないのに。

危険に巻き込んでしまった。怪我を負わせてしまった。苦痛と恐怖を味わわせてしまった。守れなかった。助けられなかった。自分は、何も出来なかった。

(こんな────)

守る力ならあるはずだ。それなのにそれを十分に発揮出来ていない。もどかしく煩わしい。何のために今まで戦ってきたのかと。

(……何のために?)

ふと疑問を掘り返す。自分が鍵の守護者になったのは大切な人を守るためで。対象者を救うためで。引いてはいずれ現れるための鍵の所有者を守るためだった。

(鍵の所有者──)

それは自分だった。自分こそが闇の鍵を所有しているのだと知らされた。ならば今後は己の身は己で守ればいい。守護者なのだから。もう関係の無い人間を巻き込むこともなくなる、とそう思っていたのに。どうして、また。

「──…………」

心のカケラが取り出されるときの苦痛は、身を以て味わった。もう二度と経験させてはならないものだ。自分の中から核となるものが強制的に具現化される。声を抑えることが出来ない程の恐怖と苦痛。そしてその後に待っているものは仮死──謂わば短い死に近い。他の人間にあんな苦しい思いをさせて良いはずがない。

(怖かったよね)

経験したからこそ理解出来る。宿り魔という得体の知れない化け物。反転された空間。待ち受ける苦痛と短い死。その恐怖は味わった者しかわからない。

だから対象者は確実に守らなければならないのだ。そして鍵も。それは守護者としての務めだ。ただし。

(──”美都”は違う)

鍵はただ”美都という人間”の心のカケラの中にあるだけだ。鍵さえ守られれば良い。自分の身などはそれ程大したことでは無い。そのはずだ。それでも彼らは身を挺して自分を守ろうとしてくれる。それが当たり前であるかのように。

(そんなの嫌──)

自分のせいで誰かが傷つく姿など見たくない。自分など守られるべき人間ではない。鍵の器としてそうなっているのであればそれは本意ではない。ならばどうするべきか。決まっている。

(鍵は、守る)

それが所有者であり守護者である者の務めだ。責務である限りこれは絶対だろう。だからここからは自分の意志だ。自分にも譲れないものがある。守りたいものがあるのだ。大切なものが何なのか。その大切なものを守るためにはどうするべきか。

(……わかってたつもりだったんだけどな)

目を細めて己の短絡さに呆れの息を吐く。

今自分で考えた通りだ。”つもり”だからダメだった。確実にわかっていなかった。否──油断していたのだ。身を置いている環境に慣れすぎてしまっていた。己の甘えが招いた結果だ。

(もう一度、ちゃんと考えなきゃ)

『守りたいもの』と『守らなければならないもの』を。自分がすべきことは何なのかを。

──────冷たいな。

ここには光がない。温もりもない。暗闇の中に佇む空気は、どこか冷んやりとしている気がする。

暗闇は好きだ。しかしこの冷たさは求めていない。身体が固まっていくようで。夢の中なのに動作が鈍くなってきた。末端から感じる冷えを確かめるため手を見つめようと顔の高さまであげる。その時指の間から覗いた空間に影が見えた気がした。

「──……?」

その影を確かめるように目を細める。それは人のようだった。ぼんやりと不鮮明に揺らいでいるようにも見える。

既視感、とでもいうのだろうか。はっきりとは見えない中でもなぜだかその雰囲気は知っている。

(なんだっけ……)

見たことがある。見覚えがある。そうだ、あの人は、彼女は────。



フッと目が冴えた。部屋の冷たい空気ですっかり顔面は冷えている。間も無く立冬を迎えるためこれからまだ寒くなるのだろう。

(夢を……)

見ていたような気がする。だが見ていた、という記憶はあるもののそれが何だったのか内容までは覚えていない。ただ漠然と自分が夢の中でも最近のことを考えていたということだけはわかる。だから脳が休めていないのだ。

────ちゃんとしなきゃ。

自分は守護者なんだから。守る立場にいるのだから。そのための力なのだから。

美都は瞼の上に乗せた手を強く握り締めた。





「美都ー!」

「うん? 何ー?」

友人に呼ばれた方へ、美都は教室内を移動する。

期末考査に向けて日々が進んでいた。とは言えピリピリとした雰囲気はなく、ただ毎日いつも通り授業をこなすだけだった。当然休み時間や放課後は生徒たちも羽を伸ばす。HR後の教室内には他愛ない会話が広げられ、談笑が響いていた。

文化祭が終わり1週間半が過ぎようとしていた。生活は日常に戻りつつある。新見が非常勤になり毎日出現していた宿り魔の頻度は二日に一度となった。ただし負担的には変わってはいない。文化祭当日に起きた出来事がその日だけで終わらなかったからだ。簡潔に言えば、美都が所有者だと判明する以前に戻ったということになる。現れた宿り魔が対象者を狙い、それを討伐する。あの日から新見が直接接触してくることもなかった。

帰り支度をしながら楽しそうに笑うクラスメイトたちの輪の中に美都も混じっている。その様子を少年らは同じ教室内の離れたところから見ていた。しかしその面持ちは決して優しいものではない。むしろその逆だ。

「──……」

四季はただ無言のまま美都を見ている。この光景は珍しいものではなかった。文化祭以降、新見が出勤しない日は離れていることが多くなったのだ。特に何かやり取りがあったわけではない。これまで付かず離れずだったものが、恋人同士としては当たり障りのない距離感になったということだ。だからこそ四季は納得していない。遠くにいる美都を目に映したまま、彼は眉根を顰めた。

「今日も美都は人気だねー」

と、近くにいた春香が人垣にいる美都を見た所感を呟いた。彼女の言う通り美都は人当たりが良く、故に敵を作らない。人見知りをしないのが美都の長所だ。だから今のこの光景も見慣れてはいる。今更嫉妬などはしない。それなのに四季の心の中には靄が溜まっていた。

「……最近、美都と話してるか?」

「え? うん、別に普通に話してるよ。四季だってそうでしょ?」

唐突に訊ねられた質問に春香は目を瞬かせて、ありのままのことを口にした。彼女から見れば対外的に変わったところはないらしい。しかし。

(なんだ──……?)

だとしたらどうしてこんなに靄が広がるのか。どうしてこんなに美都が遠く感じるのか。

文化祭の日の夜、怪我をした自分を見て酷く動揺していた。大した怪我ではない。それなのに彼女はいつも以上に意気消沈とし、ただ小さく「ごめんなさい」と呟いた。上手く動けなかった己を責めていたのかもしれないが「大丈夫だから」と返答すると翌日には既に気持ちを切り替えたかのようにいつも通りの明るい表情を見せていた。その切り替えが出来るのも美都だからこそだと感じていたのだ。

極めていつも通り、だ。退魔に関してもそうだった。自分たちの指示で彼女はなるべく前線に立たせないようにしていた。それよりも対象者の介抱を優先するようにと。美都もそこに異論はないようだった。仮に宿り魔と対峙する時は必ず彼女一人にはさせなかった。

「どうかしたのか?」

「いや……」

隣にいた和真から疑問符が投げかけられる。だがそう問われたところで明確に説明が出来ないことがなんとも歯痒かった。

いつも通りなはずなのになぜこんなにしっくり来ないのか。その答えが自分の中でも出せずにいる。

そんな四季を横目に今しがた彼に訊ねた和真が二人を交互に見遣った。

(あー……)

と、いち早く彼は何かを察知する。それは今四季が胸に抱えていながら上手く口に出来ない靄についてのことだった。やっぱりあの時言っておくべきだったか、と少し後悔する。

(何なら今からでもギリ間に合うか)

二人の間に齟齬が生じる前に、との判断だ。お節介かとも思うがこの状況は芳しくない。口を出すなら美都の方か、と歩を進めようとした瞬間ピクリと彼女の表情が変化した。

「──?」

特に何か大きな音が響いたわけでもないのに、美都は何かに反応して顔を上げたのだ。唐突に変化したことに和真が首を傾げていると、同じく窓際にもたれていた四季が足早に彼女の元へ駆けていった。

「ごめん、わたし職員室行かなきゃいけないんだった」

じゃあまた明日ねと、談笑していた友人らに断りを入れて四季とともに教室を後にする。二人が行動をともにするのはクラスメイトらにとっても慣れたことだ。続いて自分の机で日直日誌を書いていた水唯も、気配なく立ち上がりそっと扉から退出した。

(何なんだか)

以前からこういった場面はあった。そこに最近は水唯が加わっているようだ。だが二人が何も言わないならば無駄に干渉すべきではないと弁えている。

(ま、あれ以上こじれなきゃいいんだが)

結局世話を焼いてしまうのは己の性分だ。特に美都に関しては、母からも海外にいる幼馴染みからも気にしておいてくれと言われている。抑、言われずとも気になってしまうのだが。

「あー……ったく」

近頃の美都の様子を思い出す。四季が口をまごつかせるのも頷けた。美都のアレ(・・)は良くない傾向だ。こんな時にもう一人の幼馴染みがいれば彼女に一喝してくれるのだろうが自分では荷が重い。だが放っておけないのも事実だ。

「めんどくせぇー……」

「え? 何? 私なんかした?」

はぁーと深く長い溜め息を吐き和真は頭を抱える。つい口から出たぼやきを春香に拾われてしまったため「ちげぇよ」と否定した。今の言葉は美都に対してではない。自分に対してだ。

(人のこと言えねー)

愛理には妹離れしろなんて言っておきながら。近くにいる分見えてしまうものが多い。だがそれも今だけだ。腐れ縁と言えどそれも今年度までなのだから。否、だからこそか。美都に関しては自分が見ていられるうちに片を付けたい。それが兄貴分である自分の役割なのだ。

一方教室から出て足早に二人は廊下を走っていた。向かう場所はいつも違う。ただ気配の方へ駆けるだけだ。その際四季はチラリと並走する美都を窺った。

(──、っ……?)

やはり、だ。この妙にスッキリとしない感覚は何なのか。二人でいても言葉を交わさない時間があるのは以前からのことなのに、今はそれに違和感が拭えない。不安感とでも言うのだろうか。

(……確かに)

最近会話が少なくなった。学校では元からだったが家でもそうだ。期末考査が近いからか「部屋で勉強する」と言って彼女は部屋からあまり出てこなくなったのだ。話しかけても軽い相槌か当たり障りのない返答が多い。考査前で神経質になっているのかと思っていたがそれも何か違う気がする。

(とにかく終わってからだ)

今はまずやるべきことがある。これは守護者としての務めだ。

スポットの前へ到着し一旦息を整える。するとすぐに水唯が追いついてきた。顔を合わせてそのままスポットへ切り込む。

「きゃあぁ!」

入った途端、少女の悲鳴が耳を劈く。その声の方面には宿り魔が女子生徒に迫り刻印を掲げている姿が見て取れた。

「っ……!」

「ダメだ!」

駆け出そうとした美都をすぐさま四季が制した。一人で立ち向かわせるわけにいかないからだ。今の対象者が彼女ではないにしろ鍵を所有していることには変わりない。いつその身に災難が降りかかってもおかしくないのだ。

美都は悔しげにグッと奥歯を噛み締める。既にその手には剣が握られていた。

「水唯頼む」

「あぁ」

後ろに控えていた水唯にいつも通り美都のことを託し、四季はその手に銃を呼び出す。その間も苦痛を堪える声が耳に届いていた。

「──……して……?」

極めて小さく美都が呟く。偶々その語尾が聞こえ水唯は不意に彼女を見た。内容までは分からなかった。しかし美都の表情は芳しくない。顔を歪ませ苦しそうに前方を見ている。その瞳に映すのは対象者の姿だった。

(あの子は何も関係ないのに……!)

対象者として襲われている女子生徒は、自分と深く話したことは無く接点も少ない。それなのになぜ、と美都は疑問を感じざるを得なかった。剣を握りしめる手に力が入る。

悔しい、悔しい、悔しい。関係の無い子が巻き込まれていることが。それを自分で助けにいけないことが。

(わたしは──守護者なのに)

それなのにどうして。

(所有者だから?)

ずっと考えてきた。所有者だから守られるのか。確かに所有者は守護者に守られる存在だと聞いた。しかし。

(違う──わたしは……っ!)

自分は違うのだと。なぜなら自分は──。

「美都」

宿り魔は四季の攻撃に怯み既に対象者から手を離していた。水唯が共に対象者の介抱へ向かうようにと誘導する声が届く。そこに異論はなかった。彼に続いて、既に意識を無くしてグッタリと倒れている対象者の元へと向かう。その光景にいつも胸が痛んだ。

(ごめんね……)

苦しかったよね。怖かったよね、と対象者へ心の中でただひたすらに謝った。

関係の無い子を巻き込んでしまう自分にも、助けられない自分にも悔しくて腹が立つ。

ちょうど水唯が対象者の上半身を抱えた時だった。

「──!」

背後から、もう一体宿り魔の気配を察知する。宿り魔が二体出現するのは最近の定石だった。すぐさま四季から援護射撃が飛んでくる。しかし続け様にはいかなかった。なぜなら彼はまだもう一体の宿り魔と交戦しているからだ。

「美都……!」

下方から何かを訴えるような水唯の呼び声が聞こえる。言葉にしていなくとも意味は分かった。自分と位置を交代しろ、と。決して一人で前線には立つなと。水唯はそう言いたいのだ。そんなことは分かっている。()()()()()()()()()()()。それでも。

(わたしは──……!)

振り向いて宿り魔を確認する。尚もすぐ近くから名をなぞる水唯の声が耳に届いていたが既に受け止めてはいなかった。

守りたい。守らなきゃ。それが自分の信念だ。こんなところで自分一人だけ安全な場所にいていいはずがない。

────だってわたしは、守護者なんだから。

剣をグッと握り締め、宿り魔へ鋭い視線を飛ばす。宿り魔はニタリと下卑た笑みを浮かべた。

「待て美都!」

様子がおかしいことに気づいたのか、もう一体の宿り魔と交戦している四季から御する言葉が叫ばれた。

四季はあの場所から動けず、水唯には退魔する力がない。だとしたらこの宿り魔と戦えるのは自分しかいない。

「っ──!」

ただ一目散に駆け出す。宿り魔へ向かって切っ先を振るった。

『その程度か?』

俊敏に攻撃を躱すとまるで煽るように目の前の宿り魔が口を挟む。体勢を立て直し再び宿り魔と向かい合った。その間も少年らの声が自分の名を呼んでいることは分かっていた。それでも引くことは出来ない。この手に剣があり、この力がある限り。

最近一人で戦っていなかったから感覚が鈍っているのか、はたまたこの宿り魔がそうなのかはわからないが相当手強く感じた。小さく息を吐き、目の前に立つ禍つモノをキッと見据える。すると剣の柄に付いている赤い宝珠の光が色味を増した。

力はただ力で。問題は何に使うか、如何に使うかだと菫が言っていた。

(そんなのずっと──!)

守護者になった時からずっと変わらない。大切な人を守るために戦うのだ。だから、守らなきゃ。目の前にいる人たちを。

これ以上巻き込む事も傷付ける事もさせない。自分のせいで、そんな事させてはならない。

「やめろ美都! 待てっ!」

意識の端で四季の声が響く。だがその声に応じる時間は無い。目の前には倒すべき対象がいるのだ。

「──っ、やぁっ!」

全身に流れる力を剣に集中させる。この攻撃は当たると、瞬間に思った。そしてその予感は外れる事無く、今度こそ剣の切っ先が宿り魔へ命中する。

『ギャァ!』

魔物ののたうつような呻き声が耳に障った。そしてすぐさま美都は剣を構え直し再び宿り魔へかかる。

「天浄、清礼──っ!」

退魔の言を結ぶことさえ最近はしていなかった。直後に宿り魔の断末魔が空間に響く。同時に四季が対峙していた宿り魔も消え去ったようだった。

「──っ、……」

呼吸を小さく繰り返し、荒れた息を整える。

なんと言われようとも自分は守護者だ。決めたはずだ。守るために強くなると。今までだってずっと、そう思ってきた。だからこうやって力を使える。

美都は退魔した後、しばらく呆然と宿り魔がいた場所を見つめていた。これが自分の正しい在り方だと己に言い聞かせるように剣を握り締める。

──背後にいる四季の表情も気にする事なく、ただ一人。美都はその場で立ち尽くした。






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