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足音が近付く



夕陽が部屋の窓から差し込む。もう陽が傾くのがだいぶ早くなった。

まだ安定しない体調を整えるため、美都はまたベッドに横になっていた。

「──……」

ぼんやりと虚空を見つめる。思い出されるのは今日この時までしてきた会話の数々だった。

『それは充分に良く考え、出した結論なの?』

円佳からの問いに肯定した。自分で考え選択したのだ。今後のことを。紛れもなく自分の意志で。これが正しいのか間違っているのかなんて分からない。それでもこれだけは決して譲れないものなのだ。

『納得、しないわ……!』

正直自分がした選択の後の事を考えたときに、一番迷惑をかけるのは弥生だと感じている。彼女自身、自分の考えを耳にして動揺しながら必死に止めようとしていた。だがこればかりは誰かに頼む他ない。自分ではどうしようもないことなのだ。自分から手放すのだから。

夢の中で、空を切った手。何も掴めない。掴んではいけない。知っていた、わかっていたのに。

(いつから、こんな)

他人との付き合い方を間違えてしまっていたのか。ちゃんと線を引いておいたはずなのに。

(わたしは……)

胸は苦しい。自分で選択したことに、自分自身が責めているのか。責めることも甚だしい。

(…………大丈夫)

どれだけ苦しくとも、この決意だけは揺らぐことはない。これが最良なのだ。

窓の外から時報を知らせる「遠き山に日は落ちて」のメロディが聞こえてくる。時が近づいてくるにつれ、だんだんと鼓動も早くなってくるようだ。

「わたしの、幸せは──……」

ポツリと口に出した。夢の中で問われたことに対する回答。ずっと考えている。

みんなが笑ってくれていること。誰も傷つくことなく、等しく平和であって欲しい。

これが自分の回答にあたる。これが”正しい”はずだ。良い子でいるために。

(そうだよ)

良い子でいなければならない。忘れてはならないことだ。誰にも迷惑をかけず、我儘を言わない。ずっとそう思ってきたじゃないか。どうして今ここで迷う必要があるのか。

────良い子で、待てるわよね……?

「……っ!」

新見に記憶を覗かれたせいなのか、昨日からずっとあの時の映像が繰り返し思い出される。その度に胸が締め付けられた。

「はっ、……」

浅い呼吸が続く。横になっていると空気の軌道の確保が難しいように感じ、足を床につける形でベッドに腰掛けた。

まもなく彼らが帰ってくる。それまでに呼吸を落ち着けなければ。自分が冷静にならなければ話すことは困難だ。彼らに話すと決めたのだから、しっかりしなければならない。円佳とも約束した。ちゃんと自分の言葉で伝えるのだと。

ぎゅっと目を瞑る。夢とは違うが、束の間の暗闇でも心は落ち着けるから。

(これが……わたしが闇を求めているということなの──?)

以前、夢の中で言われたのだ。天から響いてくる声に、度々暗闇の夢を見るのは闇を求めているからだと。不安なことがあるからだと。

(……間違ってないな)

あの時はよく分からなかったが、今ならはっきりとわかる。心が揺らぐ度にあの暗闇の空間がやってくる。あの空間にいる時だけは、身体が軽くなるのだ。あの声の主は、暗闇を求めることと《闇の鍵》の所有者であることは関係ないと言っていた。しかし。

(そんなわけないよね)

闇の鍵は、破壊の力を宿している。それも強大な力だ。その鍵が自分の中に眠っている。鍵に選ばれた、ということは少なからず自分が抱いている闇の部分と繋がるからだろう。責任感が強いというだけでは片付けられない理由が。

不意に胸元に手を当てる。自分の中に眠る、《闇の鍵》に触れるように。

(鍵は、守らなきゃいけないものなんだ)

守護者になる時、そう説明された。鍵を守って欲しいと。自分の中にあるこの鍵を、自分が守る。自分で、守る。その力が、わたしにはあるのだと。

「……もう誰も──」

そう独りごちた瞬間、遠くから玄関の開閉音が聞こえた。彼らが帰ってきたのだと思い、ハッとして目を開く。胸に当てたままの手からは、いつもよりも早いリズムで振動が伝わっていた。唇を噛み締める。しっかりしなくては、と。

グッと息を呑んだ際、目線の先に置いてあった通学鞄が目に入った。その鞄についている、キーホルダーに。

碧い液体の中に星型のスパンコールが浮かんでいる。3年前からずっと、自分の手元にある。一時は宿り魔の憑代ともなった。それでも手放すことは決してあり得ない。あの時、二人で選んだものだから。

「っ……──」

唇を強く噛み締める。感傷に浸っている場合ではない。そんなことは自分が一番良く分かっている。

大きく深呼吸をすると、美都は徐に立ち上がった。

覚悟は、決まっている。例えどうなろうとも。





帰宅した瞬間、いつもと違う香水の匂いがした。だがリビングに人の気配は無く、黄昏時を迎えた空間はどこか静まり返っているかのようだった。

(そう言えば、様子を見に来てるって言ってたな)

四季は昼時にした羽鳥との会話を思い出す。美都の保護者──伯母にあたると言う人物が彼女の具合を確認しに来ると。そうなのだとしたら恐らくその人物の残り香だろう。結局顔を合わせることはなかったか、と少しだけ落胆した。しかし会ったところで現状どうということもない。むしろこの状況になったことを責められるべきだろう。どういった人物なのかは定かではないが。すると水唯も同じく怪訝そうな表情をしていることに気がついた。香りが違うからだ。そのことを簡単に説明すると半歩後ろに控えていた凛がポツリと口を開いた。

「円佳おばさんが……」

親しみを込めてそう美都の伯母の名をなぞる。凛は事情を知る数少ない人物だ。当然美都と伯母の関係も知っているのだろう。

「良く知ってるのか?」

「えぇ。小さい頃からずっとお世話になってるもの」

彼女の言い方からして、相当長い期間だと窺える。小学生か或いはそれ以前か。つまりはその時からもう伯母が保護者だったということだ。具体的な期間がわからずとも、逆算すれば10年近くになるだろう。

そうなってくるとやはり問題は肉親のことだ。一体どういう状況になっているのか。なぜこの状況が生み出されているのか。

「……彼女の伯母、という人物の話か?」

それまで相槌を打っていただけだった水唯が徐に声を発した。先程の説明では”保護者”という単語しか用いていない。ならばなぜその回答に行き着いたのかと目を見開いた。

「以前、美都に聞いたんだ。まだ俺が──彼女の力について調べている時」

水唯は目を細めて記憶を呼び起こす。保健室で他愛ない会話をしたのだと説明した。仕切りに自分を気にかけて世話を焼いてくれた美都に、不意に料理についての話を訊ねたのだ。その際に答えたのだと言う。

「──『親とは一緒に暮らしていなかった』と。料理を教えてくれたのは伯母だと……そう言っていた」

淡々とした語りに、四季は思わず口を噤む。水唯からその説明をされたことにも驚いたがなにより言い方的に”過去形”に聞こえるからだ。美都から話を聞く前に最悪の場合を考えておかなければならない、と今一度心を引き締める。ここまで徹底的に肉親の話が出ないのは不可思議極まりない。

「家庭環境が複雑、か──」

「……美都は、ずっとそれを誰にも言わないようにしているの」

殆ど独り言に近い形で出したことに、凛が付け加えるように声を発した。身体を捻り彼女の方を見る。俯いてその表情を曇らせながら静かに言葉を続けた。

「あの子にとってはすごく繊細なことなんだと思うわ。だから……私も聞かなかった──」

そう言うと喉をグッと引き絞った。まるで続くはずだった言葉を飲み込むかのように。

一番近しい友人である凛にも詳細は話されていない。事実を知るのは恐らく幼馴染みと呼べる和真と愛理だけなのだろう。以前愛理が執拗に美都のことを気にかけていた姿が思い出される。あの時は「過保護すぎる」と詰ったが、現状知り得る情報を踏まえても彼女の対応が正しいのだとようやく理解に及んだ。この後の話如何ではより強く思うことになるかもしれない。美都が抱えているものについて。

不意に美都の無邪気な笑顔が瞼の奥に浮かんだ。あの笑顔の裏に、一体どんなものを抱えているのか。まるで考えたことがなかった。そんな素振りを一切見せなかったから。

「……勝手に決めつけてたんだな。美都の印象を」

背景など知らないから。ただ見たままの姿で、感じたままの姿で彼女の性格を決めつけていた。

「無邪気で、優しくて、強くて──どんなに苦しいことがあっても絶対に泣かずに凛としてる。それがあいつなんだって……思い込んでた」

これまで同じ時間を共有してきた中で抱いていた美都の印象。間違ってはいないはずだ。全部が全部、偽りなどでは無い。隠すことが上手いのだとしても、普段の性格までは変えられないだろう。明るくて、真っ直ぐで、危なっかしくて──だから放っておけない。周囲の人間が彼女のことを気にかける要因だ。

「……──違う、わ……」

呟きにも似た声量で、甲高い声が耳に届く。突然聞こえた否定の言葉を辿り該当の人物に目を向けた。

「っ……」

顔を俯けたまま唇を噛み締めて、凛は制服のスカートを強く握り締めている。自分がした美都の評価に憤りを感じているのかもしれない。四季はそう考え謝罪を口にしようとした。

すると凛が頭を小さく横に振る。四季の反応に気付いた訳ではない。ただ己で考えていたことを反芻した結果の動作のように見えた。

「違うの……っ、たぶん美都は────」

「──────凛!」

一際大きな声が響き渡り、凛の言葉を遮った。声のした方に一斉に顔を向ける。そこには病み上がりでいつもよりも幾分か華奢に見える美都が佇んでいた。すると彼女の声に反応してようやく顔を上げた凛がハッとして名前を呼び、パタパタと足を動かした。

「もう起き上がって大丈夫なの……? 顔色がまだ──」

薄暗い廊下に立っているせいか表情が見えづらい。心配そうに凛が美都の顔を覗き込んだ。

「大丈夫だよ。ありがとう」

フッといつもの柔らかい笑みを溢した。いつもの、とは言うがそれでもいつもよりも弱々しく見える。彼女が寝巻き姿だということもあるかもしれない。すると美都がゆっくりと歩を進め、三人のいるリビングへ向かってきた。

「……そこから先は、わたしが話すよ。凛も気になってただろうし、それに──」

先程の凛の台詞を遮ったのは、何かを察知したからなのだろう。憶測で語ろうとしていたことを正そうとしていたのかもしれない。紛れもなく当事者本人にしか知り得ないことなのだから。

美都はそう凛に向かって言葉をかけた。そして一旦口を噤むと今度は四季と水唯に視線を動かす。最後にまた凛を見遣って目を伏せた。

「……隠してた訳じゃ、ないしね」

ポツリと、そう呟いた。瞳の奥で、どこかこれまでのことを思い起こすようにしながら。

その場所に静かに立っている美都を三人はそれぞれの想いで見つめる。そこには既に笑顔はなかった。

次いで凛が、美都の体調を気遣って程近いソファーへと誘導する。小さな足音を立てて、促されたソファーへと腰を下ろした。

「……ありがとう」

誘導してくれた凛に礼を伝える。だがその間も目線が交わることはなかった。

腰掛けているソファーに身体が沈みこんでいきそうなほど、美都が小さく見える。彼女はまた何かを考えて反芻するように無言状態になった。三人はそのまま美都が口を開くのを待つ。

しばらくして深呼吸が一つ聞こえた。美都が目を瞑って息を吐く。そしてゆっくりと顔を上げた。

「──……どこから話そうかな……」

そう言うと、美都はこれまでのことをゆっくり、ゆっくり話し始めた────。




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