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外側からの立場



生徒達がほとんど帰宅した放課後の一時。羽鳥はベランダに出て、所定の位置で煙草に火を付ける。世間的には禁煙が促されているがもはや癖のようなものだ。柵に持たれながら、一口咥えた後上を向いて煙を吐き出す。

(あの様子じゃ、本当に何も聞かされてなかったんだな)

休み時間にした会話の一部を思い出す。担任を受け持つ男子生徒──向陽四季との会話だ。

(まぁ無理もないか)

使命を同じくしているとは言え、あの少女の家庭環境はそう易々と立ち入れるものではない。昨晩半ば強制的に聞き出した彼女の伯母の話からそう感じ取った。

それに彼こそまだこの学校に来て日が短い。ましてや恋仲となった少年に、己が家庭事情を説明するのは難しいとも言える。今日話を聞くと言っていたが、果たしてどのような反応を示すのか気が気ではない。

「……──」

徐にポケットからスマートフォンを取り出した。あの少女の保護者にかけるか否か悩む。だが行き過ぎた関心はお節介になることを心得ているため迂闊にかける事も出来ない。液晶画面の時刻表示をぼんやりと見つめたまま、羽鳥は昨日の出来事を脳裏に浮かべた。あの少女を家まで送り届けた際の話だ。

気を失ったままの少女を背に負ぶったまま、彼女の自宅マンションのエントランスに到着した。そこで待っていたのは、一人の若い女性だった。負ぶわれている少女の姿を見つけると真っ直ぐに自分の元に駆けて来た。

『えっと……櫻さん、でしょうか?』

予め緊急連絡先に書かれていた電話に連絡はしてある。確認すべく該当の名前をなぞるとその女性は『はい』と短く返事をした。電話口から予想は出来ていたが随分若いな、と言うのが正直な感想だった。

『担任の羽鳥です』

『ありがとうございます、ここまでお送り頂いて……』

恐縮気味に、女性が頭を下げる。見るからに自分より華奢だったためこのまま部屋まで負ぶっていくと申し出た。すると再び礼が伝えられ、彼女が案内する形で先を歩く。この少女には兄弟はいないはずだ。それに苗字も違う。好奇心に負けてつい訊ねてしまった。

『この子とはどういうご関係なんですか?』

と。4月、緊急連絡先の確認で聞いたときは親戚だと説明された。無論見ず知らずの他人を緊急連絡先に据えはしないだろう。だから気になったのだ。

その問いを耳にした瞬間、女性の顔が強張った。意識のない少女を一瞥した後目を逸らし、まるで独り言にも似たような声色でポツリと呟いた。

『……──叔母、です。この子の母方の』

目を伏せながら彼女はそう言った。多くを語る事なく。その表情が印象に残っている。

羽鳥は息を吐いて再び煙草を咥えた。

どう考えても、他人に関係性を説明するときにする顔では無い。

(何か後ろめたさを感じているような……)

実のところ、叔母と言われて驚いたのだ。少女の保護者である円佳もそう言った関係に当たるのでは無いのか、と。この時はまだ関係性を知らなかったため混乱するのも当たり前だった。その日の夜だ。円佳に問い詰めたのは。

(複雑……)

つまり、円佳は父方の伯母。あの若い女性は母方の叔母、ということになるらしい。立場を同じくして円佳が少女の保護者になったのは恐らく年齢のためだろう。あの女性では若すぎる。

「……──」

少女との関係性ははっきりとしたが、やはり疑問は山積している。何故彼女らが保護者や緊急連絡先になっているか、だ。それについては聞くのが憚られてしまった。それよりも円佳には守護者のことについて聞くことを優先したからだ。

口腔内に溜まった煙を一旦外に出す。するとこのベランダに続く外階段の方から足音が聞こえた。

「一服ですか?」

現れたのは保健教諭の内山だった。保健室は職員室の真下にあたる為、そこから登ってきたのだろう。

「えぇ、まあ」

「そろそろ肌寒くないですか? ……って言っても恐らく喫煙者は意地でも吸うんですよねー」

やれやれ、と呆れ気味に内山が息を吐く。その通りなので反論も出来ず苦笑いを浮かべた。教師とて人間なので、ストレス発散や業務効率化のために一服は必要だ。特に喫煙に関しては吸える時間と場所が限られている。その機を逃すのは喫煙者にとって地獄とも言えよう。

「本当に変わりませんね。もう二十年近く吸ってるんじゃないですか?」

「良く覚えてますねぇ」

周りにはあまり話していないことだが、内山は自分が新任の頃の教え子でもある。教師になりたてで今のようには上手く行かず、ストレス軽減のために喫煙を始めたのだ。殊、嗅覚に敏感だった内山は残り香で自分が喫煙者だと判断したらしい。

「身体に悪いですよ。禁煙をおすすめします」

「肝に銘じておきますよ」

このやりとりも、何度か繰り返されたことだ。もちろん内山の保健教諭としての気遣いもあるのだがもはや挨拶の一部のようなものでもある。

「そういえば、昨日はありがとうございました。月代を家まで送って頂いて」

「あぁ、いえいえ。担任の仕事でもありますから」

結局午後になってからも保健室は満床のままで、内山のところにはひっきりなしに病人と怪我人が交互に訪れていた。目を覚さない少女を送り届ける役を買って出たのだ。それに関しては特に礼を言われることではない。半ば義務のようなものだ。

「……そのことで今ちょっと、お話しても良いですか?」

灰が落ちる直前、灰皿へと手を動かした時。先程と打って変わって内山は神妙な顔付きでそう投げかけて来た。そのこと、と抽象的に指すのは無論今話に出てきた少女の話だろうと容易に察する。

「──何か、気になることでも?」

質問に質問で返すと、短く「はい」と答え続け様に内山から概要が話される。

「……昨日初めて認識したんです。月代は”声をあげられない子”だったんだ、って。部活してた時はしょっちゅう怪我の手当てで話すこともあったんですけど、そんな片鱗見せたことはありませんでしたから」

保健室には個人情報のデータがパソコン内に置いてある。怪我や病気等で保護者を呼ぶ際に使用するからだ。内山もそれを見て感じたことを話しているのだろう。少女の特記事項の欄には家庭環境が簡潔に記されているはずだ。

「迎えを呼ぼうとした時に『迎えに来てくれる人なんていない』って言ったんですよ。あの普段は明るい子が、ですよ? 正直、ズシンと来ました」

その会話を思い出すかのようにして、内山は目を伏せる。吸っていない煙草は徐々に炎が滲み短くなっていった。煙だけが秋風に流されていく。

「あの笑顔の裏にあの子はどんなものを抱えているんだろう、って。あんなにやり取りしてたのに気付かなかった自分も恥ずかしいくらいで……」

「あの子はまた特殊ですよ。と言うよりあの子自身が普段は何も考えないようにしている、というか……。だから気付かないのは当たり前です」

明らかに肩を落とす内山にすかさずフォローを入れる。気付くはずがないのだ。彼女の特殊な環境に、それを背にして生きているのに決して表には出さないのだから。

「いえ、だからと言うか──思い出したことがあるんです。むしろ、もっと早くに思い出すべきでした」

内山が不意にこれまでの後悔を吐露する声色とは違った表情を見せたため、思わず眉を顰めた。何を、と問い質す前に彼女から言葉が続く。

「──月代、という名前。珍しい苗字だからたぶん関係者だと思うんですけど……」

横並びになるように、内山は柵に手を掛け校庭を眺めた。その瞳の奥に何かを映し出すかのようにして。

「中学の時、ひとつ上の学年にその苗字の先輩がいたんです。物腰が柔らかくて、栗色の髪の毛が特徴的な──男の先輩でした」

声を詰まらせ、思わず内山の方へ身体を動かした。彼女が口にした内容を踏まえ瞬時に脳内で年齢を計算する。確かにそうだ、と目を見開いた。

「その先輩が卒業した翌年に羽鳥先生は赴任されたので、ご存知ないんじゃないかなと思いまして」

「なるほど……」

続けてなされた説明に納得した。とは言えあの頃は新任として駆け巡っていたので、もし時期が重なっていたのだとしても覚えていないことは十分に有り得る。だが内山の言うように珍しい苗字だ。それに同級生──円佳の身内である。接点がなければ記憶が乏しいのも頷ける。

「人気のある人でした。アイドル的な存在というわけではなく、自然と目を惹くような。春の陽だまりのような微笑みが、遠目から見ていても印象に残っています」

紛れもなく自分が思い描く人物だろう。数回しか顔を合わせたことは無いが同じような印象を抱いていた。抑、その印象もまだ彼がだいぶ幼かった頃のものだが。

「……年齢的に考えれば、確かにその先輩に子どもがいてもおかしく無いんですよね。どことなくあの子と雰囲気も似てますし。それに──……」

ここで”あの子”と指すのは少女のことだ。内山の考察は間違っていない。肯定をしようとした矢先、彼女の言葉が続いたため一旦口を噤む。

「月代──先輩には、当時から付き合っている人がいたんです。下級生の私でも知っているくらい仲睦まじい二人で。その女の先輩も可愛くて愛嬌があって慕われてましたね」

名前は憶えていないんですけど、と当時のことを思い出しているのかその口に笑みを溢す。それだけでその二人の様子が目に浮かぶようだった。まるで今の少女たちのようだな、と感じる程に。

「だから多分──あのままご結婚されたんじゃないかと思いまして。早くに結婚されていれば、あれくらい大きい子がいても不思議では無いですし」

内山の考えを耳に流しながら空を仰ぎ見る。正直相手の話を聞いたのは初めてなので目から鱗だった。自分が知り得る情報は同じ姓を名乗っていた円佳の身内のことだけだ。

恐らく、否、殆どと言って良い程に彼女の考察は正しいはずだ。ここまでは似たようなことを考えもした。問題はこの先のことだ。

「──もしそうであるならばなぜ、今彼らが連絡先に載っていないのか……なんですよね」

あの少女の親であるならば、連絡先に記載されていないのはおかしい。そこに何かがあったとしか考えられないのだ。その詳しい理由を結局は聞けなかった。だからこうして頭を悩ませている。

「先生もご存知ないんですか?」

「えぇ。如何せん生徒のプライバシーにどこまで踏み込むべきか量りかねてまして」

あの少女がひたすらに話そうとしないことをこちらも無理に聞き出すべきではないと弁えている。そこには必ず繊細な理由があるからだ。果たしてこれ以上の進展が望めるのだろうかと息を吐いた際、ポツリと内山の声が耳に届いた。

「ならこれは……あくまで”私の先輩の話”として聞いてください」

声のトーンを一段階落とし、静かにそう前置きをした。回りくどい言い回しを使ったのは、あくまで少女のプライバシーではないと言うことにしておくためだろう。そう考え羽鳥も同意するように頷いた。

「先輩と同じ部活だった同級生に話を聞いてみたんです。そしたらその同級生が更に別の先輩に確認を取ってくれたらしくて。だから又聞きでしかないんですが……」

何重も、これでもかというくらいに保険のような言葉を使い状況を説明していく。その間彼女は顔を上げることはせず、目線が交わることはなかった。目を伏せてどことなくその顔に影を落とすように。

秋風が肌を刺す。木枯らしが胸の隙間にも入り込んでくるかのようだ。

内山は柵に当てている手に力を込め喉を引き絞った。現実を噛み締めるように、眉根を顰めて。その瞼の裏に、少女の笑顔を思い浮かべながら。



「────亡くなったそうです。10年以上も前に」






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