交錯する想い
笑い声が聞こえた。内容までは聞こえないがその声に思わず俯く。
自分でもこの感情がわからない。柄にもなく卑屈になっているのだろうか。
(……いや、そうじゃないな)
たぶん、美都の笑顔をしばらく見ていないからだ。
屈託なく笑う彼女を最後に見たのはいつだったか。否、いつから自然に笑わなくなったのか。毎日顔を合わせているのに、彼女の感情が量りきれない。そんな自分が情けなく感じる。
使命を同じくする守護者としても、恋人としても、どこかすれ違ってしまっている。
その現実がもどかしい。なんとかしたいと焦ってしまった。結果がこれだ。
だからこれは戒めなんだろうと思う。不甲斐ない自分に突き付けられたどうしようもない己への劣等感。
四季はその事に対して大きく息を吐いた。
トレーの上に乗せられた食事に視線を落としながら、美都の部屋の扉の前で一人佇んでいると不意に扉に近付く人の気配がした。半ば慌てて顔を上げると開いた扉の先にいた水唯と目が合った。
自分を見た彼が一つ息を吐いてこちらへ向かってくる。
「しっかりしろよ」
すれ違いざまにそう言って肩を叩かれた。反応する間も無く、水唯はリビングの方へ歩いて行く。その後ろ姿を見送った。
彼が開けたままにした扉から部屋の中へ進む。
瞬間真直ぐに自分を見つめる彼女の大きな瞳が目に入った。少しだけ緊張気味のその顔はまだ熱を帯びているようで赤らんでいる。体調は戻りきっていなくても、ただ動いているという事実に安堵する。
片手で扉を閉めるとトレーを携えて美都の方へゆっくり歩を進めた。彼女は何も言わず、ただじっと自分の所作を見るだけだ。
「……何か、食べられそうか?」
「あ……、うん……」
沈黙に耐えかねて四季が声を発すると、美都はハッとしたようにその言葉に応じた。
あくまで平静を装ってはいるが、互いのやり取りがぎこちなく感じるのは恐らく気のせいではない。今日のことがあるまで丸一日会話をしていないのだ。こんなことは今までなかった。それにその会話も言い合いで終わっている。だから互いに気まずさが残っているのはやむを得ないのかもしれない。
四季は作ってきた食事を一旦美都の勉強机の上に置くと空になった手で傍にあった椅子に腰かける。その間も美都はずっと四季のことを見つめていたが、彼が座った瞬間に目を逸らすと屈めていた足も布団の中で伸ばしたようだった。
「────……ごめん」
一時の沈黙を破ったのは四季だった。その重く響いた声に美都は不意に顔をあげる。四季は美都の方を見ることはせず視線は下がったままだ。
美都は首を傾げながら息を吐くと、彼を見つめて疑問を口にした。
「……なんの、『ごめん』?」
意地悪な訊き方だ、と思った。せっかく四季の方から沈黙を崩してくれたのに、それをせっつくような真似をして。それでも内容如何によって対応が変わってくるのは美都自身良くわかっていた。
「守れ、なくて──……」
歯切れ悪く、四季が喉から絞り出すような声で呟く。その手は己の膝をぐっと掴んだままだった。
そんな苦々しい表情をした彼を見て、ふっと息を吐いて首を横に振る。
「その言葉は受け取れない。だってわたし、守って欲しいなんて言ってないもん」
「でも……!」
「わたしが一人でも平気だって言ったでしょ。だから……自業自得なの」
懺悔か言い訳か。何か口にしようと顔を上げた四季の言葉を遮った。そして彼の顔を見ながら肩を竦めて苦笑いを浮かべる。
天邪鬼のような受け答えだと思う。それでも四季に責任を感じてほしくなかった。守れなかったのは己の弱さだ。だから彼が負い目を感じる事は決してない。
美都の返答を上手く咀嚼することが出来なかったのか、四季は苦虫を噛み潰したような顔で立ち上がる。
無言のまま美都の方へ寄るとその手を彼女の頬へ添わせた。
大きくて少しだけ温かい手は、美都の頬に触れながら現実を確かめているようにも思えた。
「……そんな顔、させたくなかったのにな」
見上げる四季の顔がずっと苦しそうで、思わず声が漏れる。
どんな事を言っても、やはり彼は自分に責任を感じてしまっているようだった。そんな顔を見るのが辛い。
美都は片方の手を、そっと自分の頬に触れている彼の手に重ねた。
「大丈夫だよ四季。わたし、大丈夫だから」
やっぱり自分は我儘だ。この手の温もりを愛しいと感じてしまう。四季と話せなかったこの一日がすごく長く感じた。今こうして彼に触れられることが出来る安心感。
求めては、ダメなのに。
自分の中で生じる矛盾に胸が絞め付けられる。そのまま目線を逸らすと四季も手を離し再び椅子へ腰を下ろした。また少しの沈黙の後四季が深い息を吐く。
「……怒鳴ったりしてごめん」
「ううん。わたしの方こそ、ごめん」
今の謝罪は昨日のことだ。互いの意見が噛みあわず言い合いになってしまった。
冷静に事を為そうとする美都に対して、四季は感情的にぶつかってきた。それこそ水唯が止めてくれなければどうなっていたかわからない程だ。
あの時はそうするしかなかった。それぞれ考えていることを譲ることが出来なかったのだ。
「……怖かったんだ、俺は」
ポツリと呟いた四季の声に反応するように美都が彼の方を見る。
「お前の考えてることがわからなくて、焦って。このまま、……俺の元から離れていってしまうんじゃないかって」
その言葉に何も回答できず、不意に四季から瞳を逸らした。
事実、自分は周囲の人間と距離を置こうとしていた。今も出来るなら近づいてほしくないと思っている。なんとかそれを悟られない様に自然体を装っていたつもりだったが、四季も水唯も気付いていたようだ。
「近くにいるはずなのに、遠くに感じて。子どもみたいにお前に八つ当たりした。お前が一番辛いはずなのに自分のことばっかり考えて」
どうして何も言ってくれないのかと。何も相談されないままなのが苦しかった。寄り添いたいのに突き放されているように感じて。だから語気が強くなった。
昨日のことを思い出すと胸が締め付けられる。子ども染みた自分の言動にも、それを受けた彼女の表情にも。
四季は尚も俯いたまま、考えていたことを口にする。
「……今日のことがあって、本当に自分に嫌気がさしたんだ。守れるなんて驕りだった。結果、お前を苦しめただけだ」
己を責める四季の述懐を否定するように美都はゆっくり首を横に振った。
「四季のせいじゃない。誰にも、……どうすることも出来なかったよ」
先程水唯にも同じ事を言った。圧倒的な力の前で、それぞれが無力だった。
美都は目の前の布団に目を落とした。
どうすることもできなかった、のが事実だ。様々な要素が重なってしまった不運とはいえ、事実に目を背けることは出来ない。無論どうにかしようと画策はした。それでも自分たちの力では通用しなかったのだ。
水唯と言葉を交わした時からずっと考えている。ならばあの時、どうすれば良かったのかと。これから、どうすれば良いのかと。
「……違う。それじゃダメなんだ」
先程とは微かに異なる四季のトーンに気づき、美都はふと顔を上げる。
四季は苦しげに己の膝を掴んで肩を震わせた。
知っていたはずなのに。気付いていなかった。彼女の口癖を。『なんでもない』『大丈夫』『気にしないで』。そう言う事で彼女は責任を一人で抱えていたのだ。そしてそれは、他人を自分の領域に踏み込ませないための呪文だ。
意識か無意識かはわからない。その言葉がいつから彼女に染みついていたのかも。
今もまた、責任から逃してくれようとしている。ならその宙に浮いた責任は、一体誰が負うのか。考えずとも直ぐに答えは出る。
今それを口にした人物だ。
「俺は、お前を失いたくない──」
ずっと耳に残っている。彼女の、苦痛に抗う悲鳴。人形のように、一切の四肢を動かさなくなった姿。土気色をした顔面。
その姿が、目に焼き付いて離れない。悪夢のような現実だった。
顔を上げて美都を見るとその大きな瞳に自分の情けない姿が映った。
それでも。そんなことよりも。今目の前で息をしている。その姿が。
「失いたくないんだ……!」
失って初めて知る怖さだった。守れなかったものの結果。守護者としての責任。
なぜ今まで気付かなかったのだろう。否、気付いていてもどこか現実でなかった。何度でもやり直せると、どこかでそう思っていた。
己の弱さ、甘え、過信。それが招いた結果だ。
美都の苦しみがどれほどのものか量りしれない。彼女自身にしかわからない、誰にも共有できない苦しみと痛み。それを抱えてまで、生きる事を望むのかと新見は説いた。
だからこれはエゴだ。彼女を失いたくない自分の、生きていて欲しいと願う我儘に過ぎない。
四季の苦しげな表情に、美都も眉を潜ませ顔を伏せた。
「わたし、は──……」
求めてはいけない。自分のせいでそんな顔、させたくなかったのに。
だから、離れたかった。もう傷つけることのないように。
なのにこの気持ちがわからない。嬉しいのか、苦しいのか、それさえも自分の中で整理出来ない。
決めたはずだ。巻き込まないと。
だから、ダメだ。だめだ。求めては、踏み込ませてはいけない。
「……っ!」
こめかみに鈍痛が走る。思わず片手で頭をおさえた。
またこの痛みだ。自分の考えを責めているかのように、不意に訪れる。それが本当に正しいのかと真意を問われているかのように。
瞬間呼吸が浅くなるのを四季に気付かれない様に、大きく深呼吸する。
夢の中で聞いた自分の考えに対する問いかけ。
自分の幸せについて。答えは出ていない。
それでも、自分のせいで誰かが傷つく事はさせたくない。それだけは嫌だ。だから。
「四季……わたしは、大丈夫だよ」
そう言いながら美都は苦しそうに口角をあげた。
果たして、彼の想いに応じる言葉になっているかはわからない。しかし尚も顔を歪ませているということは納得できていないのだろう。
四季はまた自分の足元を見るように視線を落とした。
そう言うと思っていた。彼女はやはり自分たちと一画引いている。きっとこれは警鐘なのだ。これ以上踏み込むなという。
それでも決めたんだ。
四季は一つ深呼吸をすると、まるで懇願にも似た形で声を発した。
「美都──お前が抱えているものを教えてくれ」
「──!」
その言葉に驚いて目を見開き、美都は思わず四季の方を向いた。
しかし次の瞬間には何かを察したかのように目を細め、彼女は冷静に考察を口にする。
「……あの人に、何か言われたの?」
一人称を出さなくてもそれが誰を指しているのかわかる質問だった。
特に美都の場合、余所余所しく「あの人」という使い方をする場合はほとんどない。それもいつもより語気が強く感じるのは恐らく気のせいではないのだろう。新見の行いは、それほどまでに美都にとって不快なことだったに違いない。
「……確かにそれはある。でもそれだけじゃない。俺は……こんなにお前の近くにいながらお前のことについて知らないことが多い」
少し怯みながら、美都の質問を否定することなく応じた。
新見から彼女の話を聞けと言われたのは確かだ。その時に改めて自覚したのも。だがそれ以前に、彼女から自身の話を聞いたことがないと感じていたことがあった。
体調不良の美都に付き添っていった春香が教室へ戻ってきた際にした会話の一部を思い出す。美都自身が「迎えにきてくれる人なんていない」と口走ったという。その真意が解らないのだ。
恐らく自分と言い合いになったからとはいえ、そんな言葉は出ないだろう。だとしたらそれは、彼女のこれまでの環境にも関わってくるものなのではないか。
しかしそう考えられるものの、四季自身どこまで踏み込んで良いか量りきれずにいた。
思い起こせば美都の誕生日の時もそうだった。和真から「美都のパーソナルな部分についてどれだけ知っているのか」という質問に答えられなかったのだ。
知らないから答えられない。当たり前だ。それのなんと不甲斐ないことか。
しかし今まで美都から話さなかったということは、きっと彼女にとって明るい話ばかりではない。だからこそ彼女は他人と線を引いているのかもしれないと考えることも出来る。
「……──わたしも、四季について知らないことあるでしょ?」
「なら話す……! お前が訊きたいこと、全部話すから……!」
話をはぐらかそうとする美都の言葉を強く遮る。
そういうことではないとは解っている。それでもこのまま食い下がるわけにはいかない。
「──美都にとって、その抱えているものが話しづらい……話したくないことだっていうのは解ってる。でも俺はそれを知りたい……解りたいんだ……!」
どうすれば解ってもらえる? どうすればこの少女が向き合ってくれるのだろう。
そんなことを考えたのは一瞬だった。
半ば無意識に立ち上がると、強引に彼女の手をとり自身の方へ抱き寄せた。
「四季……っ!」
「俺は──」
突然の挙動に驚いて声をあげる美都にかまわず、四季は力強くそのまま言葉を続けた。
「お前の手を離す気はないから。何があっても──……!」
肩越しに息を呑む音が聞こえた。美都がどんな表情で今の言葉を受け取ったのかはわからない。
思わず握りしめる手が強くなる。彼女の小さい手はどうしたら良いか迷っているようにも感じた。
こんなに自分が感情のまま動くなんて思わなかった。だけど今は冷静でいられない。自分でも呆れるほど、美都が大切なのだ。
引き寄せた身体は熱を帯びたまま、ただ互いの心音だけが重なった。
「風邪……、伝染っちゃうよ──」
「いい。それでお前が早く快くなるならむしろ伝染してくれ」
肩に乗る小さな顔から、戸惑いの息遣いが耳に聞こえた。
話を逸らそうとしているのか本心なのかはわからないが、風邪が伝染ることくらい今はどうでも良い。むしろ伝染った方が自分の戒めとなって良いのかもしれない。
また何かを考えているのだろう。美都は口を噤んだままだ。心なしか先程よりも伝わる熱が高くなっている気がする。無理をさせるのは良くないとは理解しているが、このまま何の回答も無しに離れることは出来ない。
やがて観念したように、美都は肩越しに息をゆっくりと吐いて四季が強引に取った手を迷いながら握り返した。
「──!」
「……あんまり、──おもしろい話じゃないよ……?」
そう小さい声で呟くと、緊張で強張らせていた身体の力を抜いた。
応じるように四季も力を抜く。そして美都から身体を離しながらゆっくり屈むと床に膝をついた。
尚も彼女との距離を開けないよう肩に手を置いてやや下方から彼女を見る。
ようやくまともに見た彼女の顔からはやはり戸惑いの表情が窺い知れた。
「そんなのわかってるさ……」
この答えに辿り着くまでに相当考えを巡らせてくれたのだろう。否、今もまだ考えているのかもしれない。その証拠に彼女の紫紺の瞳は揺れたままだ。
それでも話すと決めてくれたのだ。ならば自分は何があっても受け止める。
美都は眉を下げ葛藤する表情を浮かべながら一度自分を見ると再び視線を逸らした。
「一日……時間をくれる? 上手く話せるかわからないから──……まとめる時間が欲しいの。明日もわたし、学校行けそうにないし……」
「もちろんだ。明日の夜でいい」
己の今の体調を鑑みて、明日も登校できないことを察したのか四季に請うように呟いた。美都は赤らんだ顔で浅い呼吸を繰り返している。
だいぶ無茶をさせたようだ。自分の行動を省みると当たり前だろう。
肩に置いたままの手を首筋を伝い頬へ移動させる。
その所作に反応するように小さい唇が震えるのがわかった。赤い顔に比例するようにやはり触れた頬も熱くなっている。
だが、それ故に愛しいと思うのだ。
当たり前でないことを目の当たりにしたからなのか、それとも丸一日、目を見て会話していなかったからなのか。さらにその気持ちが強くなった。
もう少し触れていたい気持ちをぐっと抑え、四季は立ち上がる。その動作を美都が目で追う。見上げてくる瞳に応えるように彼女の頭を優しく撫でた。
「お粥、食べられそうなら温め直してくるけどどうする?」
水唯と入れ替わりの際携えた料理はすっかり冷めきっていた。置いたままにしておいた勉強机に向かう。
「そのまま……冷たいままで大丈夫」
「ダメだ。胃に入れるなら温かい方がいい。身体冷ますなら水分で補うんだ」
「……はあい」
栄養士さながらの返しに美都は消沈としつつも納得したようだ。身体が火照っているのを自覚しての発言だろう。調子もいつもの彼女に戻ってきたようだ。
食事と一緒に持ってきた、塩分の入ったスポーツ飲料のペットボトルの蓋を開けて美都に手渡した。四季の手からそれを受け取ると「ありがとう」と短く礼を言い、膝を屈ませて容器を両手で抱える。
「────ねぇ四季」
ペットボトルに小さく口をつけながら、美都がおもむろに声を発した。
トレーを持とうとした手前だったので何も持たずに振り返る。
「さっきの話、水唯と──……凛にも聞いてもらったほうがいいと思うの」
どこか客観的に語る美都の口調は、また何か考えながら話しているようにも聞こえた。
その真意は彼女にしかわからない。当事者が言うのならばそうなのだろう。
「わかった、伝えておく。でもまあ凛はそろそろ来ると思うぞ」
「え?」
タイミングを見計らったかのように扉越しにインターフォンが鳴った。
噂をすれば影とはまさにこのことだ。凛だと確定したわけではないが。
「お前が倒れて、あいつが来ないわけないだろ」
「……そっか」
そう言う美都の顔は、嬉しいというよりどこか複雑そうな表情だった。
親友の来訪なのに喜ぶ素振りを見せないのは、風邪を伝染してしまうという懸念からだろうか。何にせよこの場は凛と交代になりそうだ。
再びトレーを持ち上げようとしたところ、忘れていたわだかまりのようなものが胸に落ちてきた。瞬間、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。大人げないとは解っているが、自分の中で昇華出来る程大人でもないのだ。
「さっき水唯と……──何話してたんだ?」
「水唯?」
きょとんとした声で美都が質問の中に出てきた一人称を呼んだ。それさえも少し胸が騒つく。
「……笑ってただろ。楽しそうに」
若干口ごもったのは、自分のしたことを棚に上げて良く言えたものだと自覚しているからだ。
本当に大人げない。だが余裕なんてものは無い。自分のこの感情が何なのかは良く解っている。
卑屈なんかじゃない、ただの嫉妬だ。格好悪い。
すぐに反応がなかったため不思議に思って彼女を見るとどうやら声を出さずに笑っているようだった。
「なんだよ」
「ううん、四季と水唯は仲が良いねって話」
「は?」
本当にそんな話をしていたのだろうか。美都の含み笑いが気になる。
しかし水唯に訊くのも気が引けるので彼女の言う事を信じるしかない。なんだか腑に落ちない気もするがあまりせっつく内容でも無いかと無理やり己に落とし込んだ。
それにしても久々に心から微笑む美都の姿を見た気がする。それに何より安心した。
四季は今度こそトレーを持つと、去る前に再び美都に話しかけた。
「他に何か欲しいものはないか?」
「大丈夫。ごめん──……ありがとう、四季」
申し訳なさそうに美都が微笑んだ。
「早く元気になれよ」
四季のその言葉に美都が短く返事を返したのを聞くと、彼は部屋を後にした。
一時、自分しかいない部屋の空気は当たり前のように静まり返る。
(……早く、元気に──……)
正直、この身体の重たさに煩わしさは感じている。いつもより感覚が鈍っているのもわかる。
しかし逆に、これが束の間の休息なのではないかとほっとしているのだ。ずっと無理をしてきたことへのツケが回ってきたのだろう。
抱えたままのペットボトルを握りしめる。中に入っている水分が、手の熱を下げてくれるような気がした。まだ身体に熱が籠っている。それは風邪のせいだけではない。
先程四季に触れられた感覚が残っているのだ。
矛盾している。求めてはダメだと解っているのに反比例して、想いが募っていくなんて。
大切だと決めたのなら彼の想いを撥ねつけるべきだったのかもしれない。それでも恐らく彼の方が覚悟が決まっていた。だから動揺してしまったのだ。
(大丈夫、なのかな……)
勢いに負けて話すと約束した手前、今までの事を話すしかない。
隠してきたわけではない。ただ負担にさせたくなかった。だから話さなかった。
(──……ちょうどいいのかもしれない)
和真からも話した方がいいと諭されていたことを思い出した。きっと彼らの反応が判断材料になる。
話すことに抵抗はある。話しの受け取り方によっては今後の態度が変わるかもしれない。
────だから、譲歩できるのはここまでだ。
話すと決めたことによって、自分にも一つ覚悟が生まれた。これだけは絶対に譲れないというものが。
美都は息を呑んで膝頭に額をくっつけるようにして項垂れた。そして目を閉じ永く深い息を吐く。
守りたいから傷つける。大切だから傍にいちゃいけない。
それだけは確かだ。
「だから、絶対に……──」
美都は小さな声で、しかしその強い意思をグッと抱えたまま呟いた。その感情を胸の奥に落とし込む。
暗闇の外側で聞こえた扉のノック音を合図に、パッと顔を上げて息を整えた。




