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記憶の呪縛



身体中の力が、宿り魔の蔦を経由して奪われていく。

『なるほど──これは素晴らしい』

宿り魔が不気味な笑みを浮かべたまま感嘆する。

必死に抵抗するが、手足はおろか全身を拘束されているため身動きが取れない。だんだんと自分の中から力が失くなっていく。その感覚に耐えられなかった。

(だめ、だ……。力が……抜けてく……)

その様を見ていた新見は愉しげに笑いながら呟いた。

「やっぱりね……あなたの力はすごいわ。他の子と比べようがない程にね」

「……っ、あ……!」

心のカケラを取り出される時の苦痛とはまた違う感覚だった。抉られるような苦しみではない。全身の力が強制的に奪われていく。指先から徐々に感覚がなくなり始めていた。

宿り魔の身体には複数の蕾が出現している。美都から得た力をそこへ蓄えているのだ。蕾は開花しそうになると別の蕾を作り、次から次へと数を増やしていく。

新見は興味深そうにそれを見つめては感嘆した。そして顔を背けている美都におもむろに語りかける。

「教えてあげるわ。あなたの力は、あなたが所有者と判明してから鍵の影響なのか覚醒したかのようにその強さを現し始めたのよ」

尚も苦しみを堪える美都を見つめ、話を続ける。

「でもあなた自身はそれに気づいていない。使い方もわからないでしょう? ならばこちらのものにしてしまおうと考えたの」

重くなっていく身体に必死に耐えながら、新見の話を耳に流す。彼女はまた笑みを浮かべ、これまでのことを思い出すように人差し指を立てた。

「そこで私はひとつの仮説を立てたの。もしかしたらその力はもっと強くなるんじゃないかってね。予想通りだったわ。宿り魔を倒す度にあなたの力は増していった──まぁ途中はあの子たちに邪魔されてしまったけど」

これまでの過程を思い出したのか、新見は頬に手をあて一旦息を吐いた。あの子たち、と指すのは四季たちだろう。しばらくは彼らが前線に立ってくれていたのだ。

「あなたの”守りたい”という気持ちが強い力に変換されたのね。あなた以外の子を狙って正解だったわ」

「……っ! そのために……関係の無い子を巻き込んだの──⁉︎」

「あら、実験には必要だったのよ? おかげで想像以上のものが収穫できているもの」

「っ──ぅああ……!」

悪びれる様子も無く、新見はおどけるように笑顔で答えた。

このままでは思うツボだ。しかし熱による倦怠感と相まって身体は既に限界直前まで来ている。ギリギリのところで意識だけは保っている状態だ。自分の力がじわじわと搾り取られていく苦痛。

それでも美都は無意識のうちに抵抗を続けた。

「抗わずに意識を手放してしまえば楽でしょうに……。それが守護者であり所有者である責任なのかしら? ……──!」

腕を組みながらその様子を見ていた新見が独り言のように呟くと、彼女は後方にある扉へ顔を向けた。何かの異変を感じ取り口を噤む。しかしすぐに余裕そうな表情に戻り、目を瞑りながらふっと口角をあげた。

「まぁ──気付いたご褒美をあげようかしら」

そう言うと組んでいた腕を解き、右手で結界の印を結び直す。

次の瞬間には扉が勢いよく開き、スポットの内部に二人分の人影が姿を現した。

「美都!」

「……っ、しき……──す、い……っ……!」

不鮮明なその視界でなんとか目に入った情報をか細い声で呟くと、美都は苦痛に抗うように小さな悲鳴を漏らした。

「───っ……!」

状況を把握するより先に、今にも倒れそうな美都とその手前に見える宿り魔の姿を確認し、四季は持っていた銃を構え魔性のモノに向かって思いきり発砲する。しかしそれは宿り魔へ届くずっと手前で見えない壁の様なものによって阻まれた。

「⁉︎」

「ダメじゃない授業を抜け出してきちゃ」

「っ新見──!」

宿り魔の横で不敵な笑みを浮かべる人物──この騒動の首謀者である新見香織は極めて愉しそうな声色で四季と水唯を窘めた。

するとおもむろに彼女が宿り魔に指で合図を送る。その号令で美都から力を吸収していた宿り魔は一旦動きを止め、巻き付けていた蔦を緩めた。

複数の蔦の束縛から解放された美都は、それでも尚壁に手足を固定されたままだ。項垂れるように上半身を前のめりに倒し、苦しそうに肩で息を繰り返す。

「はっ……、っぁ……──」

「美都! くそ!」

その後も何発か発砲するがいずれも当たることはなかった。何が起こっているのかわからない苛立ちが少年の顔に現れる。

その横で立ち尽くしている水唯はこの状況を瞬時に分析する。彼の表情はもちろん晴れやかなものではない。

水唯の反応にいち早く気づいた新見がおもむろに鋭く話を突きつけた。

「水唯……あなたはこうなることが予測できたんじゃないのかしら?」

「っ──!」

名指しに返事はせず、口惜しげに唇を噛み締める。新見はかつての同胞だ。互いのことを良く知っている。だからこそ新見がいま美都に対して何を行っているのかすぐに分かった。新見もそれを察したから問いかけたのだ。

「⁉︎ どういう、ことだ──?」

横でやり取りを聞いていた四季が、突然白羽の矢を向けられた水唯と彼女を交互に見遣る。すると水唯は図星を突かれて言いづらそうに口を開いた。

「──新見の目的は……美都からその生命力を回収することだ」

「ご名答よ」

苦しそうな美都を背後にし、新見は彼の回答を讃えた。

「気付いていながらそれをこの子に伝えなかったのは、あなたの弱さね。まあ伝えたところでこの状況は回避できなかったかもしれないけれど」

その言葉に水唯は歯を食いしばった。新見の示唆する事は当たっている。伝えていたら身構える事は出来たかもしれない。だが対処のしようがない。そう思って伝えなかったのだ。

「可哀想にねぇ。38度の熱があるのに、さらに苦しまなきゃいけないなんて」

まるで発した台詞とは裏腹な表情を見せると、身体を半分捻り横目で美都を見つめた。

四季は苦い顔で再び銃を構える。その気配を察知したかのように高らかに話を続けた。

「無理よ。あなたたちじゃこの結界は破れないわ。──あなたに結界術を教えたのは誰だったかしら? 水唯」

「───っ……!」

新見は水唯の挙動にも気づいていた。印を結ぶために動かした手を封じるように言葉を重ねる。

彼女の問いかけこそ真実だった。水唯に結界術を教えたのは他でもない新見である。

先程四季が発砲しても、彼女が張った結界はびくともしなかった。守護者の力を以てしても強固なものなのだ。時間をかければあるいは破れるかもしれない。だが、そんな時間は当然無い。目の前には苦しんでいる美都がいるのに。

水唯は手を強く握りしめるとグッと喉を引き絞り新見を見据えた。

「……──香織さん、もうやめてください! こんなことは……!」

四季は咄嗟に水唯を見た。自分たちの間では名字で呼んでいた新見の名前を叫んだからだ。それだけで以前の二人の関係性がどれほどの距離感だったかわかる。だから水唯は度々悔しそうに顔を歪ませていたのか、と。今も苦々しい表情のまま彼女を見つめている。

その視線を感じたのか、新見は一瞬何かを考えるように目を閉じた。しかしすぐに瞼を開き、再びその顔に笑みを戻した。

「悪いわね、これが私の()()なのよ。──そこでおとなしく見ていなさい」

隙のない返答に、水唯は息を呑む他なかった。

止められない。そう理解したのと同時に彼女の言う”契約”の意味も把握してしまったからだ。

新見は美都の方へ向き直る。尚も肩で息をする少女に、保健室で聞いた美都の言葉を含ませて語りかけた。

「よかったわね。”迎えに来てくれる人”がちゃんといるじゃない」

瞬間、その言葉に反応するように美都の手がピクリと動いた。

身体を拘束され呼吸すらしづらそうな中、呻くように小さく声を発する。

「……──で……」

微かに聞こえた声にすかさず新見が気付く。しかし何を言っているかまでは聞き取れず怪訝な顔で少女に目を向けた。すると美都は手を強く握りしめ、力を振り絞り俯いたまま叫んだ。

「勝手なこと言わないで‼︎」

教室内に一際大きい声が響く。荒々しく呼吸を繰り返しながら、首をもたげて新見を睨みつけた。

「……っなにも──、知らないで……!」

突然発せられた美都の挙動にその場の空気が止まった。

四季も水唯も、彼女が声を荒げる姿を見たことが無いわけではない。ただ今のそれは、触れてはいけない何かに触れ怒りを表したような、そんな声色だった。

声を発した本人はバツが悪そうに再び俯く。握りしめた手のひらを力無く緩めた。

(こんなの……わたしらしくない)

いつもの自分ならきっと聞き流すことが出来たはずだ。それなのにどうして噛み付いてしまったのか。どうして。

────わたしらしいってなんだっけ。

朧げな視界のまま、自問自答をする。

そもそも自分らしさが何なのかわからないのだ。それでも新見の揶揄うような言い方を聞き流すことは出来なかった。

(……美都──……?)

普段冷静な美都が初めて見せた表情に、少年二人も驚きを隠せなかった。

もちろんそれはダイレクトに感情をぶつけられた新見も同様である。しかし彼女は驚きながらも次の瞬間には顎に手を当て、心底楽しそうに割れんばかりの高笑いを響かせた。

「そう──そうね。確かにその通りだわ。なら、教えてもらおうかしら」

ひとしきり笑えると、普段の冷静さを取り戻しその瞳に冷酷な影を落とす。そして更に冷たい声で言い放った。

「────あなたの、記憶に」

「! っ──香織さん!!」

新見の目的に気付いた水唯は制止の意味も込めて再び彼女の名を叫ぶ。呼びかける声を背中で受け止めながら、彼女はふっと息を吐くとふっと笑んだ。

「でもその前に」

彼女が手を挙げるのと同時にそれまで動きを止めていた宿り魔が、示し合わせたように動きだす。

俊敏な動作でなんの躊躇いもなく自身の腕を変化させると、その蔦を再び美都の身体へ巻きつけた。

「──……っ⁉︎ ああぁっ!」

「美都っ!」

その叫び声に四季が前のめりに声を荒げる。

再び悲鳴が響き渡り、美都はその苦痛に抗うように顔を背けた。宿り魔が先程と同じように勢いよく彼女から力を奪い始めたのだ。

「残っている力を極限まで奪い尽くしなさい」

『かしこまりました』

新見の命令に、容赦なく宿り魔が美都から残りの生命力を吸収する。

ついに美都も抗う力が失われてきたのかだんだんと悲鳴も小さくなっていった。先ほどまで握りしめていた手も、今は動かすことさえ出来ない。

「やめろ! ──くそっ!」

「待て四季!」

その様子を目の当たりにした四季は力技で結界を破壊しようと体当たりを試みた。だが神通力であるはずの弾丸さえ効かないものが、当然人力でどうにかなる代物ではない。水唯の制止も虚しく、四季は強い結界の電磁波を受け後ろに仰け反った。

新見は始終を横目で見ながらクスクスと笑い、呟いた。

「そうそう。それくらい力ずくじゃないとね。お姫様は助けられないわよ」

「……ぅ、っ……あ……」

命令により極限まで美都から力を奪い尽くした宿り魔は、蔦をゆっくりと彼女の身体から引き離した。宿り魔の身体には先程よりも倍近く増えた蕾が並んでいる。

美都は自身の身体をぐったりとさせながらも辛うじて呼吸を続ける。しかしその速さは格段に遅く、今にも止まるのではないかという程であった。意識があることが極めて不思議な状態だ。

「その力を多少使っても構わないわ。遊んであげなさい」

『はい』

新見は一仕事終えたばかりの宿り魔へ再び指示を出す。今度の対象は美都ではなく四季たちだった。宿り魔は何事もなく新見が施した結界をすり抜ける。

仰け反った四季を庇うように水唯が彼の前に立つ。しかし水唯は自分の力が不利になることを感じとっていた。この宿り魔の憑代は植物だ。水の攻撃は逆に力を与えてしまう可能性がある。新見はもしかしたらそこまで考えていたのかもしれない。そう思うと悔しさで唇を噛み締める他無かった。

その様子を傍らに、新見は右手に嵌めていた黒いグローブを外しながらゆっくりと美都の元へ歩を進める。外したグローブが美都の足元へパサりと落ちた。

「驚いたわ。あんな表情も出来るのね。ますますあなたのことが気になっちゃった」

尚も壁に張り付けられたまま項垂れる美都の頬に触れた。瞬間顔を歪ませるが新見はそれに気付かず話を続ける。

「普通の子ならとっくに意識を失くしてるわよ。その強さがどこから来てるのか……確かめさせてもらうわ」

耳元で囁きながら彼女の華奢な顎を持ち上げた。

「……っ、──……!」

「私が知りたいのはあなたの記憶。所有者にしろ守護者にしろ、あなたの力は強すぎるわ。記憶を辿ればその力の源がわかるのかもと思ってね」

虚ろになりながらもしっかりと眼で反抗的な態度をとる少女に新見は己の目的を告げる。

無理やり顔をあげされられ呼吸をするのもやっとだったが、一つの単語が美都の頭に強く響いた。

「き……おく……」

「そう。ずっと興味があったの、あなたの記憶に。ようやく垣間見えるわね」

新見は嬉しそうに笑みを浮かべる。ぼんやりとした視界でも分かる程の彼女の妖艶な表情に、背筋に戦慄が走った。

「───っ……ぃや……」

「あら、拒絶は初めてね。見られたくないこと? 思い出したくない過去? それとも……両方かしら」

やっと絞り出した声は掠れる。しかし新見は美都の拒絶をものともせず、朗朗と言葉を並べた。

「大丈夫よ。私はカウンセラーだもの。あなたの心の痛みを和らげてあげる」

そう言うと新見は自身の右手をゆっくりと更に上へ運んだ。

身体は全力で拒否しているものの、既に抗う力は残っていない。

────いやだ。いやだ。

怖い。記憶(それ)が。

唇が震える。呼吸も鼓動も早くなっていくのがわかる。

熱と相まってまたこめかみに激痛が走った。まるで緊急信号(エマージェンシー)のように。

意識の端で、四季と水唯の叫ぶ声が聞こえる。

美都の額に新見の右手が触れた。目まで覆いかぶせるような形だ。

大胆な行動とは正反対に、新見の手のひらにある紋様が控えめに光を発する。

「さあ───カウンセリングを始めましょう」

「っや……めて──! い……や……っ!」

────思い出したくない。見られたくない。

しかし新見は、美都の思いに汲みすることはせず容赦なく記憶を手繰り始めた。ビデオフィルムの様にコマ送りになって、記憶から生成される映像が脳内に浮かび上がる。

「あら、ケンカしてたのね。だからあんなこと言ったのかしら」

「──っ……、ぅ……あ……!」

新見が早速見ているのは昨日の出来事だ。思わず奥歯を噛みしめる。

だがこれは手始めにすぎなかった。そこからとてつもないスピードで記憶を遡る。

昨年、中学校入学、そして小学生。

10歳の誕生日。悲しそうな顔で俯く少女(じぶん)。顔を伏せた際に見えた足元。

──『……まだダメなの?』

やめて。思い出したくない。

「全て預けてしまいなさい。あなたの過去を。縛りつけるものを。それから解き放ってあげるわ」

深く、深く。記憶が掘り返されていく。

──『凛ちゃんって言うの? 可愛い名前!』

──『ねぇ円佳さん。わたしどこか変なのかな』

やめて。お願い。もう見たくない。

記憶は更に巻き戻る。遂には憶えていないところまで。

──『美都ちゃん、今日は何して遊ぼうか?』

「…………っ……!」

浅い呼吸のまま息を呑んだ。

知らない。こんな記憶、覚えてない。だけどこの人は──この人は確かに。

()()のいつもの笑顔がぼんやりと脳裏に浮かんだ。

違う。忘れてただけだ。わたしが──。わたしは、彼女に昔会ってる。会ってたのに。どうして気付かなかったんだろう。

新見はだんだんと無口になる。普段見せている笑みもいつの間にか彼女の口元から消えていた。

今度は幼い少女の目線から見える女性と、向き合って何かを話している姿が映し出される。

──『……いい子で──』

──『うん! まてるよ! だから……』

「っ……──! いや……!」

その記憶は。いやだ。忘れていたい。忘れなきゃ。

だってそうしなきゃ。良い子でいなきゃ。だから、──でしょう?

わたし良い子でいるよ。ちゃんと待ってるよ。

なのにどうして。まだダメなの? いつまで?

少女はただ俯く。手のひらを強く握りしめたまま。

──『ねぇ、円佳さん。わたしが……』

巻き戻しの巻き戻しが起こる。新見は見逃した箇所を確認しているようだ。

少女のその言葉を最後まで聞いた女性は少女を強く抱きしめて泣いているようだった。

そうだ。気付いてしまったのだ。他人とはどこか違うことに。

女性は少女に語りかける。少女はその人の言葉を聞くと、戸惑った後強く頷いて笑みをこぼした。

────そうだ。ここからだ。変わり始めたのは。

新見は一気に最近の記憶に戻す。2ヵ月前の誕生日前日。

髪を切った。あの頃の自分に近づけるように。10年ちょうど。それでも。ねぇ。

少年に、なんでもないと首を振って笑顔で応える。その姿を。

「────は……ぁっ……」

美都の呼吸は浅い。恐らくはそれに気づいていながらも新見は無言のまま更に深奥へ潜ろうとした。

先程止めていた場所まで。その更に奥に真実があるのではないかと思ったのだ。しかし。

────────ダメよ。

「……──っ!」

バチッという静電気のような音と共に、唐突に映像が遮断される。

新見は思わず、美都から手を離し後退した。そして美都も同じように再び上半身を前のめりに傾ける。

朦朧とする意識の中、遮られた瞬間の映像を思い返した。それは、巴によく似た黒髪の女性。

(──いまの、は……)

「……っ──!」

身体が、痛い。重い。全身に絡みつく蔦が制服越しでも皮膚に食い込む。

頭の中は整理しきれない情報で山積している。考えることも今はしたくない。倒れてしまえれば楽なのに。

それでも。だめだ。守らなきゃ。

────何の為に? だれの、為に?

美都は項垂れた先の足元を、ぼやけた視界のまま見つめた。

(……この子は……)

弾かれた右手を押さえながら、新見は苦しそうに俯いている美都を見つめる。

先刻、保健室で交わした内山との会話を思い出した。

美都に関する情報シートを見ながら内山の意見に流れるように同意したが彼女はそんな生半可なものではない。

全てとは言い切れないが粗方この少女の記憶を覗いて知ってしまった今、考えざるをえない状況になった。自分の知識欲をこれほど恨んだことは無い。

たった15歳の少女が背負うには重すぎるものだ。ただでさえ守護者と所有者を兼ねながら、その責任を負わされているのに。

なぜこの弱い少女はここまで立っていられるのか不思議だった。何が彼女をそこまで奮い立たせるのか。それに興味があったのだ。だがようやくわかった。

(……この子自身が、よくわかっていないのね)

ただ、守れと言われたから。守護者という役割の、使命の為に。そこにある理由などは知らず。

だから意識を手放せないのだとしたら。

(────あまりにも酷だわ)

新見は苦い顔をしたまま深く溜め息を吐き、足元に落としたグローブを拾い上げる。それを再び自身の手に嵌めながら美都に近づいた。

「ごめんなさい。最初に言った事……破るわ」

そう言うと、項垂れたまま小さく呼吸をする美都の制服のリボンを解いた。

解放するつもりだった。契約を果たし、知識欲が満たされれば。だがこの状況では仕方がない。

新見は使用していなかったもう一つの宿り魔の胚を取り出して、リボンを憑代に溶け込ませる。

「────……っ」

(宿り魔の……、気配……)

戦わなければ。その意識から、もう動かないはずの右手の神経が働く。動かしたところでその手には剣を持つことも出来ないのに。

新見はその仕種に気づき、更に顔をしかめた。

『お呼びでしょうか』

「えぇ」

出現した宿り魔が、新見の指示を仰いだ。一旦宿り魔を制止させ、彼女は美都の耳に顔を近づける。

「──体調が戻ったらまたいらっしゃい。その時は何もしないから。記憶と鍵のことについて……わかる範囲で教えてあげる」

敢えて耳元で囁いたのは、既に彼女の意識は混濁としているはずだと予測したからだ。

落としてしまった剣のことを、もう覚えていないのだろう。恐らくその責任感から来る仕種だと悟った。

用件を伝えた後、美都に背を向けて距離を取る。

これが善い方法だとは決して言えない。出来るならばこれ以上苦しめる事をしたくない。だが、このままにしておくと逆に危険だ。高熱に浮かされながら満身創痍の状態で耐えていたことを知っている。どのみち負荷がかかるのならば、長く続く苦しみよりも一時の方がまだマシなはずだ。

新見は宿り魔の後ろへ回ると振り返って重い息を吐き、目線を落とした。

結界の向こうでは尚も少年二人がもう一体の宿り魔と交戦している。美都から回収した力はやはり並大抵のものではないらしい。記憶を覗いている間もこちらに呼びかける声が聞こえてはいたが、遂には邪魔されることはなかった。

自身の手前にいる宿り魔は今か今かと指示を待っている。

何かを思うように深い息を一つ吐くと、新見はゆっくりと顔をあげ美都を見据えた。

「──その娘から心のカケラを取り出しなさい」

新見の指示に宿り魔はニタリと不気味な笑みを浮かべる。それが宿り魔の本能なのだろう。

およそ1メートル程の距離を開け、仁王立ちで美都の前に立つ。

そして宿り魔の左の顔面に刻印が浮かび上がった。

『可哀想に……いま楽にしてやろう──!』

「っ! ぅああぁ……!」

妖艶な光を放つと刻印が宙へ浮かび、躊躇いなく美都の胸元に食らいついた。

異変に気づきながらも顔を上げることすら出来なかった美都は、その急襲に悲鳴をあげる。

もはや声をあげるのも精一杯なのだろう。彼女の指はその苦痛に耐えるように握りしめようとする神経で硬直している。

その様子を見つめながら、新見は思考を巡らせる。

心のカケラは、人を動かす核のようなものだと聞いた。本来ならばそれは神の領域だ。人間が侵すことは許されない。身体から魂を引き剥がすという行為に近い。だからこそ無理矢理心のカケラを取り出すことは相当な苦痛を伴うのだと。

目の前で苦痛の声をあげる1人の少女。この少女の心のカケラに、世界の命運を揺るがす鍵が封じてあるのだ。

恐らく《彼》は知っているはずだ。どれほどこの少女が苦しんでいて、それに必死に耐えているか。だがこの少女を犠牲にしても、《彼》には鍵が必要なのだ。

新見は思わず唇を噛んだ。

「美都! くそっ……! やめろ!」

背後から響く、必死に制止しようとする少年の声。ただ叫ぶだけしか出来ないその行為に苛立ちを覚える。眉間にしわを寄せ、ゆっくりと振り返った。

「あら……何も知らないのに、勝手なこと言わない方がいいわよ?」

「……──っ!」

それは、先程の美都の台詞だった。新見が美都の言葉を繰り返したのは、彼女が知ってしまったからだ。為す術もない少年たちは絶句するしか無かった。

苦痛を堪える美都の声もだんだんと小さく、か細くなっていく。まもなく心のカケラが具現化される。そうすれば少女の苦しみもようやく終わるのだ。

そのとき、苦しみの中呟く美都の言葉が新見の耳に届いた。

「っぁ……──ご、め……、──っ……」

愉悦を味わうかのように宿り魔が笑む。いつもはリボンがあるはずの制服の胸元には、薄明の色をした心のカケラが出現した。その中心にある銀の物質──《闇の鍵》が鈍色に光っている。

美都はとうとう意識を失い、身体の重さに身を任せるようにぐったりとしていた。宿り魔の蔦のおかげで支えられていると言ってもおかしくはない。

使命を果たした宿り魔は満足そうな表情に満ちていた。新見の手元に少女の心のカケラが渡る。

(……どこまでも、澄んでいるのね)

心のカケラの光具合は、持ち主の純粋さが関係していると聞いた。美都の心のカケラは、実験のため利用してきた生徒たちと比べても、類を見ない輝きだ。それが例え記憶を覗かれた後でも汚れることはないようだ。

新見は少女の心のカケラを手中に収め、美都に近づく。彼女が最後に呟いた言葉を反芻しながらその頬に触れた。

「……その言葉は、一体誰にあてたのかしらね?」

誰に対して。何に対して。ただ″ごめん″と呟いたのか。

仮死状態のその身体に問いかけても動く事は決して無い。項垂れたまま蒼白としている顔面を見て虚しさを覚える。

何度目かの深い溜め息を吐くと、少年たちと交戦していた宿り魔を呼び戻した。

「戻ってらっしゃい」

号令を聞きピタリと攻撃の手を止めると、宿り魔は再び結界をすり抜け彼女の元に戻った。宿り魔の身体にはまだ複数の蕾が並んでいる。その蕾に宿した力を一つに集約し、ひときわ大きな蕾を作った。

新見は何かを唱え、それに触れる。すると蕾は瞬く間にその場から消えた。

役目を終えた宿り魔たちは新見に一礼する。彼女が労いの言葉をかけると人型だった宿り魔から胚が排出された。無機物だったプランターと美都の制服の胸元に飾られていたリボンに戻り、リボンはヒラヒラと床へ落ちる。壁や床に張り巡らされていた蔦は、宿り魔の魔力を失うと同時に消滅した。

瞬間、倒れてくる美都の身体を新見が咄嗟に支える。意識がない状態の身体は本来の体重よりも重い。だがそれにしても一般的な生徒に比べて幾分華奢な印象を受けた。

壊れ物に触るかのようにゆっくりと美都の身体を床に寝かせる。新見の手には、まだ美都の心のカケラが浮いたままだ。そのまま立ち上がり少年たちを見つめた。

全力で宿り魔と戦ったのだろう。苦戦する声は後ろからよく聞こえていた。しかしその圧倒的な力に、遂には退魔することはできなかったようだ。

全身にいくつも擦り傷を作りながら、四季は膝を着いた状態で悔しそうに顔を上げた。

「どう? 目の前で大切な子を守れなかった気持ちは」

新見の言葉が耳に障ったのか、間髪入れず四季は銃口を彼女に向け発砲した。しかし結果は同じだ。結界が彼女を守っているため当たるはずがない。

「あら、八つ当たり? 格好悪いわね。己の力不足なのに」

「──っ!」

正論が突き刺さり水唯は下を向いた。これが結果だ、守れなかったことに対しての。己の無力さに手を強く握りしめ、唇を噛んだ。

その様子を見て新見は更に追い込むように発言する。

「──水唯。あなたは何の為にあの人の元を離れたの? この子を守る為ではなかったの?」

俯いたまま顔を上げることができない。反論の余地など無いからだ。

自分のしていることが間違っていると気付いた。気付かせてくれた彼女を守る為に、投げ捨ててきたのに。圧倒的な力の差を見せつけられた。

新見は項垂れる少年たちを交互に確認し、やるせなさそうに息を吐く。

「可哀想ね、この子が。この子はずっと一人で戦ってるっていうのに」

床に横たわって微動だにしない少女を見つめた。呼吸をしているかも怪しいほど、美都の身体は動いていない。遠くから見ていても顔は生気を帯びていないことがはっきりと分かる。

「それを返せ──……っ!」

新見の手の上で光りを放つ心のカケラを目に映しながら四季が呟く。まだ睨みつける余裕があるのか、という呆れと苛立ちが不意に声に表れた。

「勘違いしないで欲しいわ。これは救済措置よ。この子の為のね」

「っ救済……?」

何を以てして救済と言うのか意味を計りかね、四季は徐ろに復唱した。散々苦痛を与えておきながら救済とは。矛盾している行為に顔を顰めていると、続けざまにその理由が飛んできた。

「こうでもしないとこの子は意識を手放せなかった。あの状態で全身の痛みに耐え続けるのは酷な話よ」

高熱に浮かされながら、全身の力を奪われ、思い出したくない記憶を覗かれて。とっくに身体は限界値を超えていたはずだ。使命感と責任感の強さがそうさせるのならば、強引な手を使ってでも意識を失わせなければ危険な状態だった。

これが普通の人間であれば、早い段階で気を失っている。それなのに美都は最後まで苦痛に抗い続けた。それは奇しくも、彼女が普通の人間とは違うという証明になってしまったのだ。

新見が結界を結びなおす。すると少年たちと隔てていた結界が消えた。

「水唯、その子に力を分けてあげなさい。あなたの力じゃ到底足りないけれどね。そのままにしておくと危ないわ」

指示を受けて、水唯がハッと顔を上げる。即座に立ち上がって美都の元へ駆け寄り、彼女の身体に触れた。肩を抱いて上半身を起こし力を送るためにその手を握りしめる。

握った瞬間伝わってきた彼女の手の冷たさと、生気を帯びていない顔面に声が詰まる。こんな小さな身体で必死に苦痛に耐えていたのかと思うと心が苦しくなった。

新見はその様子を横目に、今度は四季の前に立つ。悔しそうに見上げる四季を見つめ、その手に持っていた美都の心のカケラをふわりと落とした。

「あなたが戻してあげなさい」

手元に落とされた心のカケラを両手で受け取る。新見はその様を確認するとおもむろに言葉を続けた。

「それ自体はとても軽いものよ。けれど……それが持つ重さの意味をちゃんと理解することね。彼女に戻すことが、その子にとって本当に幸せなのかを」

「──っどういう……ことだ」

先程から新見の言葉には引っかかるものが多い。敢えてそういう言い方をしているのだろう。

彼女は空になった手で腕を組む。言葉を探していたのが一瞬目を細め、静かに口を開いた。

「……15歳の女の子が背負うには重すぎるものを、この子は抱えているわ。今まで保っていたのが不思議なくらいにはね」

新見は、美都の記憶を見る前後で明らかに表情が違う。自らの知識欲で少女の記憶を覗いた後悔と責任を反芻しているようだ。

普段とは打って変わった深刻な表情を浮かべる彼女に、少年二人も只事でない雰囲気を察知する。

「鍵の所有者である限り、この先もきっと狙われ続ける。そのときにまた辛い思いをするのはこの子よ。その痛みにずっと耐え続けなければならないの。誰にも共有できない苦しみを、これからも一人で抱えなければいけない。それを考えると……この子は本当に生きる事を望むのかしら」

「……!」

最後に投げられた言葉に二人はそれぞれ息を呑んだ。

生きる事を望むのか。あまりにも重すぎる言葉だ。

新見の言い方は、まるで今の状態が束の間の安らぎであるような口振りだった。それは記憶を見た彼女にしかわからない、彼女自身の解釈なのだろう。

「まあでも、それは彼女に直接訊くのね。あなたたちが出来るのはこの子の話を聞いて受け止めて上げること。でないと──本当に潰れちゃうわよ」

少年たちを見下ろしながら、彼女の考えを述べる。

水唯はその言葉を聞きながら抱きかかえたままの美都を見つめた。昨晩交わした会話を脳裏に思い浮かべる。己の中の不安と必死に闘っている姿を。握りしめている手に無意識に力が入った。

先程まで度々噛みついていた四季も今度ばかりは愕然としているようだった。身体の動きが止まり、目を見開いたまま意気消沈としている。

「……四季」

おもむろに名前をなぞられる。ハッとして意識を戻すと、声のする方向に顔を向けた。すると難しい顔をした水唯が目に入る。

「戻してやってくれ。このままだと……危険だ」

四季の手の上にある、心のカケラを見つめながら告げた。

仮死状態が長く続けば、身体に負荷がかかる。加えて生命力も著しく低下している状況だ。

新見の話を受けてから、心のカケラを彼女に戻すことに躊躇いがないわけではない。それはおそらく四季も水唯も同じだ。だがこれ以上土気色の顔をした美都を見ていられない。これがエゴだとしても、美都から直接話を聞くまでは何も真実ではないのだ。

四季は声を詰まらせた後無言で立ち上がり、二人の元へ歩いた。

水唯に抱えられている美都を見下ろす。その姿はまるで人形のようだった。一切の生気が無く、ぐったりと身体を重力に預けている。現実を突き付けられた気がした。これが守れなかったものの結果だと。その事実に顔が歪む。

「ちゃんと向き合いなさい。己の弱さと。守護者である責任と……ね」

すかさずその様子を横目で見ていた新見が口を挟む。

解っているつもりだった。それでもいざ目の前にすると己の無力さに足元が崩れそうだった。

ゆっくりと美都の元へしゃがみ、胸の前で手を掲げる。心のカケラは身体に溶け込むように光りを放ち、すぅっと消えた。

新見の言うとおりだ。心のカケラは物質的にはとても軽いのに、その意義はとても重い。

カケラが身体に戻った美都の顔は、ようやく再び血が巡り始めたようだった。

「しばらくは起きないと思うわ。────水唯」

心のカケラが美都に戻ったのを確認すると、新見が水唯の名を呼んだ。

その声に顔を顰めるが、現状を鑑みると反抗の余地があるはずもない。四季に美都を託すと彼女の手を離し水唯はゆっくりと立ち上がって新見と向かい合った。

腕を組んだまま息を吐くと新見も少年を見据えて問いかける。

「一応訊いておくわ。──戻ってくるつもりはないわね?」

「……はい」

「──無理矢理にでも連れ戻すと言ったら?」

「!」

四季は美都を抱いたまま心配そうに水唯を見上げる。水唯自身も驚いて一瞬硬直していたようだが、すぐに我に返った。そして新見に言葉を投げる。

「そのつもりがあったのなら最初からそうしているはずです」

「……食い下がるようになったわね」

水唯の返答を受けて溜め息混じりに呟いた。そのつもりでやってきたのではないことを彼は解っているようだ。新見と水唯の間には独特の空気が流れている。四季は二人のやり取りからそう感じた。

「それで、これからどうするつもり? あなたたちでは敵わないことが証明されたわけだけれど」

「それは──……」

「口だけならいくらでも言えるわ。でも守るということはそんなに甘いものじゃない。わかったでしょう?」

再び水唯は口を閉ざした。下を向いて手を強く握りしめる。事実と正論には太刀打ちできない。同じように美都を抱きかかえている四季も彼女を見ながら悲痛な面持ちになった。

「……それでも、こんなことは間違っています! このまま見過ごすことはできない……!」

敵として美都と対峙した水唯には、少なからず贖罪の気持ちもある。だがそれ以上に、美都と関わることによって彼自身の中に気持ちの変化があった。

新見は言葉の端々からそれを感じ取る。

以前の水唯には主体性がほとんど感じられなかった。ただひたすらに命令を遂行する。それが彼だった。その顔には感情はなかった。

複雑な表情で同胞であった少年の言い分を耳に流す。そのまま何かを考えるように目を瞑った。しばらくした後、薄眼を開きゆっくりと首をもたげて彼と向き合った。

「──この子には言ったけど、あなたたちにも一応伝えておくわ。この子の体調が良くなって、また来る気があるならここに来なさい」

新見から語られた内容に二人は驚いて目を見開いた。何故敵である新見の元へ赴けと言うのだろうか。真意がわからず困惑していると彼女が言葉を続けた。

「今のままでは正直あなたたちの分が悪いわ。契約が終わったら干渉しない気でいたけれど……この子に免じて私が知り得る情報を教えてあげる」

組んでいた腕を解き、片方の手を顎に当てながら新見は呟いた。その視線の先には美都がいる。

新見なりの美都への配慮なのだろうか。確かに彼女にしか知り得ない情報はいくつかある。

だがそう簡単に信用していいものかと迷っているとすかさず新見が口を挟んだ。

「判断は任せるわ。もしかしたら私は相当嫌われちゃったかもしれないしね」

自虐的に笑うと新見は身体の向きを変えた。壁にかかっている時計を確認すると背後の少年たちに指示を出す。

「ベッドに寝かせてあげなさい。そろそろ体温が戻ってくるはずよ。38度の熱はそう簡単に下がらないわ」

そう言われて、美都の体温が上がって来ていることに気付いた。握りしめている手も汗ばみつつある。しかし尚も意識は戻っておらず、身体はぐったりと重力に引き寄せられたままだ。

四季は体勢を整え、美都を抱えて立ち上がる。美都はこんなに小さかっただろうかとさえ思う程、彼女に触れるのが久しぶりのような気がした。殺風景な部屋にぽつんとあるベッドに彼女を運んだ。

憑代として使われたリボンを新見が拾い上げ、近くにいた水唯に手渡す。

「──あなたは……、これからどうするんですか」

リボンを受け取り、神妙な面持ちで新見に問いかける。

水唯の表情を横目で確認すると出入り口に向かって歩きながら答えた。

「別に。契約は履行するわ。それ以降は私の気分次第ね」

彼女は己の知識欲のために動いている。今回の行動はそれがメインだったはずだ。水唯はそのことを把握している。

かつて結界術を教わった師として、彼女が敵に回るとどれほど厄介なことか十二分に理解した。

だからこそ再びこうなることを防ぐ必要がある。現状話が出来るのは自分だけだ。しかし同時に彼女が小難しい性格であることも承知している。味方にすることは出来なくてもせめて敵に回したくはない。その一心だった。

「香織さん……」

何かを言いたそうにする雰囲気を感じたのか、新見は一度だけ振り返った。

「まずはその子の話を聞きなさい。話はそれからよ」

そう言うのと同時に、授業の終礼を告げるチャイムが鳴り響いた。長い長い50分が終了する合図だ。

それを聞くと二人に背を向け、新見はカウンセリング室から出て行った。

四季は再び美都の顔を見る。微弱に呼吸を繰り返す少女。

知らないことが山ほどある。何を抱えているのか。彼女の過去に何があったのか。今までうやむやにしてきたツケが回ってきたのだと思い知らされた。

強く唇を噛みしめる。向かってくる脅威に歯が立たなかった自分に反吐が出る。

このままではダメだ。気持ちだけではどうしようもない。守る為には力が必要だ。驕っていた。

「…………ごめん」

守れなくて。

四季は、水唯にも聞こえない程に小さく懺悔の言葉を呟いた。







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