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第二章 三幕 『決戦前日』

 ――五日が経った。


 雨が降る。

 窓の外枠に鳩が降り立ち、コツ、コツとクチバシでガラスを叩いた。

 小さな物音に気付き、マナ・ライはそっと窓を開けた。水飛沫を払いながら鳩の足に括り付けられた金属製の封緘を手に取り、中の封書を広げた瞬間――ピタリとその手の動きが止まった。

「…トンペイにも光の柱が立ちおったわ。これで、現在まで襲撃を受けていないのは防衛線を敷いているド・ゴールを残すのみ。…エレミア市街は未だ脅威に曝されておる。ラキシア大陸全域に紫の霧が立ち込め、目に見えぬ魔物が各地を蹂躙しておるそうじゃ。ここも最早、安心してはいられまいて。」

「一刻の猶予も無いダスな。奴らの目的は唯一つ。クラメシア侵攻に伴って、世界をもう一度戦乱の時へと引き戻す事に他ならない。今や巷には死の恐怖…それと南ラキシア同盟に対する不平、不満など負の感情が満ち溢れているダス。先だっての強襲を止められなかったのは痛かったダスな。これで南ラキシア同盟には、奴等を止める手段が無いと印象付けてしまった。悪意を吸収せんと、黒い雲が世界を覆っているようダスよ。」

 そこまで言うと、人の気配を感じたのかコウテツロウはふと後ろを振り返った。

 合図だったかのように、ノックの音がした。ゆっくりとドアが開くと、そこには疲れた顔の男――ジョージが立っていた。

 窓を閉め、伝書鳩を飛び去らせた後、マナ・ライもまた振り返る。

「聞いておったか。ならば、話が早いのぅ。」

「…大体は。しかし、マナ・ライ様…勝ち目はあるんですか? 星見の結果は…! あ、あんな奴等に勝てるんですか…!?」

 顰めた眉。不安そうな顔。表情。今まで押さえていた感情が、ここにきて再び芽を出してしまったかのようだった。

「運命が負けると判断すれば、戦わぬと?」

 マナ・ライはその場でズバリと言い放った。

 それは正しく図星であった。ジョージにとって、あまりにも常軌を逸した状況。少しばかり心変わりしたとて、到底追い付けぬ程の脅威に他ならなかった。

 絶句し、二の句を継ごうとするも、言葉は空気となり声に出すことすら叶わない。

 やはりな、とばかりにマナ・ライは鼻で息を吐く。そして、徐に訊いた。

「仮に星が最悪を伝えたとしても…ワシ自身の命が危ういとしても、最早ワシは運命改変を行わぬ。故に、不安定な未来は伝えることが出来ぬ。それとも、未だ命が惜しいままに戦っとるのかね?」

 その言葉に少し躊躇った様子を見せたものの、すぐにジョージは首を振って否定した。

 祖国の為に。そして父を救い出すが為に。それは間違う方無き真実だった。怖くないと言えば嘘になる。しかしここで逃げたならば、生きていてもそれ以上に苦しいだけという事を今のジョージは知っていた。

 顔を上げ、ジョージはマナ・ライを見つめ返した。すると、後ろから尖り声がした。

「…そうは言うがよ、解っている事ぐらい教えてくれたっていいんじゃねぇのか?」

 三人がそれぞれ振り返った。いつの間にか、イリューンがそこに立っていた。

「い、イリューン……!」

「ジョージは普通の人間だ。俺のような竜族や、テメェみたいな理力使いと違ってな。前線に立つ兵士の不安を払拭できねぇで何が最高責任者だ? 責任を取るってぇなら最後まで取れよジジィ!」

 苛付いた口調。だが、ジョージは悪い気はしていなかった。自分の為にイリューンが動いてくれたのだと思うと、感動すら覚えていた。

 長い溜息を一つ。後、マナ・ライは言った。

「…心配するな。その為に、旧き友と要人を呼んでおいたわ。どうやら、少しばかり到着が早ぅなったようじゃがの。」

 小さなノック音が響く。木の扉が再びゆっくりと開け放たれ――やがて、二人の男が姿を見せた。見覚えのある、懐かしい顔がそこに立っていた。

「お久しぶりです、イリューンさん。…覚えていますか?」

 黄土色のローブを翻し、ウェーブ掛かった茶髪を掻き上げると男は笑った。一瞬眉根を寄せた後、イリューンは驚いた声を上げた。

「う、うぉぉっ!? て、テメェは…画家じゃねぇか!?」

「あ…あなたは…っ!」

 かつて武闘大会でイリューンと死闘を繰り広げた男。華奢な体付きに醤油顔の二枚目。理力を込めた特殊な塗料で戦う魔術師――ペイント・サバランその人だった。

 続いて後ろから、またも聞き覚えのある嗄れ声が響き渡った。

「やれやれ。わざわざ呼び出しおってからに。今更ワシに武具を用意しろとはな。」

「そ、その声は…オヤジっ!?」

 呼ばれて前に出たのは、赤毛が特徴的なドワーフの老人。アンクル・ナノグリム。イリューンの育ての親であり、かつてマナ・ライと共に戦った四聖人が一人である。

 ここで好機とばかりにコウテツロウは切り出した。

「奴らに立ち向かうには普通の武器や防具では到底敵わぬ。常日頃、鍛え上げた武器と防具、ワシ等が心魂込めたその全てを魔術師ペイントの理力塗料で強化し、全軍に配給する。まずはそれが第一手。二手目はすぐに打つ事になろうダスな。」

 それは画期的な手法だった。

 王宮鍛冶師コウテツロウが武器を。ミスリル鋳造のスペシャリストであるアンクルが防具を。そして、それらに魔術師ペイントが理力を込めて強化する。

 通常では一国家ですら出せぬ程の軍備。その規模にジョージは、この戦いが世界の命運を決めるといっても過言ではないと今更ながらに思った。

 イリューンはそっとマナ・ライを見やった。マナ・ライは黙ってそれに頷いた。

「…口は出さねぇが金は出す、ってか。」

「これぐらいしか、できぬでな。」

「ま、まぁ、皮肉はそのぐらいでいいだろイリューン。まさか、これ程まで……!」

 ミスリル鎧の防御力は、今までの旅で実証済みである。ジョージ自身がそれを一番良く知っていた。理力の力も、その凄さも。だからこそ、この三人の協力は何よりも強力な手助けであるとすぐに理解できたのだ。

「…行くならば、置いて行かれるのはごめんじゃぞい。」

 掠れた声。その方向を向けば、片手に包帯を巻き、首にも腰にも白い布が当てられた痛々しい老騎士の姿。ジェイムズだった。

「じ、ジィさん…無事だったのか。」

 頷き、ジェイムズは言った。

「…先だっては不覚を取りおったが、今度はそうはいかぬ。傷を負った部下の為にも、ワシはあの悪魔を倒さねばならぬ。それは皆も同じであろう?」

 ぐっ、と胸元で拳を握り締め、同意を求める。イリューンはふっと笑みを浮かべ、ジョージをちらと一瞥した。ジョージもまた、大きくそれに頷いた。

 ペイントが鼻で笑う。アンクルが溜息を吐く。コウテツロウとマナ・ライはただ黙ってその様子を見つめるばかりだった。

「出立は明日早朝。そう皆に伝えて欲しいダス。計算上なら、あの飛行船の航路に先回りできる筈。竜騎士団にも協力してもらうダスからな。これは……聖戦ダス!」

 コウテツロウがそう言って拳を突き出した。イリューン、ジョージ、そしてジェイムズは「おう!」と勇ましく返事をし、揃って部屋の外へ出た。

 ふと、ジョージは強い視線を感じた。そちらを見やると、そこには――。

 待ち切れなかったのか。ディアーダとユミコが、スノーとフレイムが、ギルドの魔術師と衛兵達が。そして竜騎士団の面子が、固唾を飲んで集まっていた。

 ジェイムズが水を漏らすかのように言った。

「お前ら……!」

「隊長。あの襲撃で竜騎士隊の半数近くが負傷し、数人が亡くなりました。確かに、戦いにおいて犠牲は付き物。我らが未熟だったのかもしれません。ですが…! ですが、あの元凶だけは許しておけない。…絶対に、絶対に許せません!」

「ペガサス隊もほぼ壊滅状況です。…必ずや、仇を取ります!」

「マナ・ライ様より許可は出ていますからね。南ラキシア同盟軍、結成ですね。」

「目にモノ見せてやろうぜ…! 舐められッぱなしってワケにいくかッ!」

「エレミア魔術師隊、及び衛兵隊の犠牲者が最多数に上ります。全軍を持って遊撃隊に協力致します。スノー副官、フレイム士官以下、全軍ド・ゴール竜騎士団に偏性されることを承知致します。――どうか、…どうかご命令をッ!」

 全員の声が重なった。多勢の感情が燃え上がる炎のようだった。

 イリューンはぐっと唇を噛み締めた。操られているとはいえ、ゴードンは既に数多の命をその手にかけている。正気に戻せるかどうか、救えるかどうかは危うい状況。苦しい立場なのは言わずもがなだった。

 先頭に立つディアーダとユミコが近付き、話を切り出した。

「姉さんの行いは…許されざる事です。私は…彼女を止めなくてはなりません。」

「…皆さんの気持ちも解ります。けれど…やっぱり、アレは放ってはおけません…!」

 ディアーダの顔をちらりと見やり、ユミコは付け加えるようにそう言った。

 ジョージは無言のままにディアーダを見つめた。覚悟を決めた顔だった。

 姉であろうとも。例えそれが探し求めた最後の姉弟であろうとも。全てに決着を付けようとしているのが言葉ではなく感情で理解できた。

 イリューンとディアーダを交互に見つめ、ジョージは固唾を呑んだ。何と言ったらいいのか。どう声を掛けていいのか。方や友人と。方や血を分けた姉と。そしてそれは、自らも全く同じ状況だったのだ。

 何事か発しようとするジョージを差し置き、イリューンは真っ先に口火を切った。

「そうだな。例えゴードンがどうであれ、…アイツは止めなくちゃなんねぇ。」

 ちらりとジョージを一瞥するも、それ以上は何も言わない。無言のままに同意を求めているようだった。

 誘われるままに、ジョージは大きく頷いた。それしか、出来なかったのだ。

 次いで、ジェイムズが話を続けた。

「ワシからは何も言うことはない。竜騎士隊、ペガサス隊に伝令じゃ。出立は明日早朝。ケガ人を除く全員、遊撃の準備をせよ。ド・ゴール竜騎士団はおめおめと引き下がってはおらぬ。打って出るからのぅ。」

「し、しかし隊長。隊長ご自身、既にケガ人では…」

「じゃかまっしぃ! ワシはいいんじゃ、ワシは! こんなケガなど…痛っ…!」

 心配げな顔を見せる竜騎士団の一人に力説するが、その折に傷口が開いたか、ジェイムズはその場に小さく蹲った。

 咄嗟にユミコは駆け寄り、手をかざして呪文を唱えた。

「…在りし物の生命を××させ××になりし一部を××よ。…『Pranaria』!」

 瞬く間に光がジェイムズの体を包み込んだ。微粒子が集まり、包帯の下の体を癒していく。戦力外と見ていた少女の力に、全員が口々に驚きの声を上げた。

「み、見ろ…魔術師の理力では限界だった隊長の傷が…!」

「凄い…! こ、これは一体…!」

「回復理力…!? 我々でもここまでのレベルは初見だ…!」

 それはスノーとフレイムにとっても同じだった様子。二人とも呆気にとられた顔を見せつつも、ユミコの治療術から片時も目が離せないようだった。

 やがて光は弱まり、散った。溜息を吐き、ユミコは顔を上げると言った。

「…ある程度は治癒できたと思います。ですが、あまり無理をなさらぬよう…回復術はその人の自己回復力を補佐する理力です。故に、完全ではありません。失われて時間が経ってしまった四肢や、あまりにも損傷の激しい傷には全く効きませんから…」

「珍しいのぅ。ただ者ではないと思っとったが、あんた法術師か。」

 体を押さえつつ、ジェイムズが感心した声で言った。それも無理もなかった。


 法術師はその需要に対して絶対数がまだまだ少ない職業である。故に戦場に出ることは稀で、殆どは非戦闘地域における治療を主としている。現に、魔術師ギルドの膝元であるエレミアでは法術師は一人も存在していない。治療に特化した理力は未熟者の技術と蔑まれるからで、必然的に法術師を育てるには難しい環境が出来上がっているからだった。


「…ユミコ嬢、手助け傷み入る。だが、ここから先は我々兵士達と魔術師の範疇。流石に戦場に民間人の貴女が出立するのは望ましくなかろう。どうか、エレミアで負傷兵の治療に専念して欲しいのじゃが…」

 しかし、ユミコは首を振った。

「きっと、私の力が必要になる筈です。お父っつぁんは反対するでしょうけど…この戦いにはついて行きます。絶対に……!」

 強い意思を感じた。言い出したら頑として聞かない、そんな決意が滲み出るようだった。

「…ユミコさん。」

「………」

「いいじゃねぇか。行かしてやれよ。こうなっちまったらどこに居たって一緒だろ。」

 顰め面のジョージ、押し黙ったままのディアーダに対し、イリューンはそう言って軽く笑った。そして、それは恐らく正しい選択だった。

 ざわめく全員を手で諫め、ジェイムズは自らの包帯を千切り取りながら言った。

「分かり申した。ならば、治療班に加えるとしましょう。スノー副官殿、フレイム士官殿。…良ろしいですかな?」

 これだけの力を見せられて不許可と言える筈もない。

 やれやれ、とスノーは両掌を上げて降参の合図をする。フレイムは舌打ちをし、小さく首を縦に降った。トップ二人が認めてしまえば、後の者は言わずもがなである。魔術師隊は無言のままにユミコの治療班入りについて肯定せざるを得なかった。

 再びユミコに向き直り、ジェイムズは言った。

「くれぐれも無理はなさらぬようにな。早速、出立の準備をしておくと宜しい。」

「…はい!」

 明るい顔で、ユミコは返した。その勇ましさは、逆に皆が呑まれる程だった。

「――恋する女は強い、ってな。」

 ぼそ、とジョージが呟くも、聞こえたか聞こえていなかったか。ディアーダはそっぽを向いたまま、何も答えようとはしなかった。

 すぅ、とジェイムズは大きく深呼吸する。そして、鼓舞するかの如く胸元を叩き、

「ならば! これ以上、ラキシアを蹂躙させてなるものか! ――これより我が遊撃隊は全軍を持って立ち向かう! 未だド・ゴールを防衛し続けている殿下の為にも、我らは必ずや勝たねばならん! いざ、決戦よ! 各々、今こそ雄叫びを上げよ!」

 そう力強く宣言した。


『うおおおおおぉぉぉッッッ!』


 震動が――律動が伝わった。全員の声が重なった。全ての気持ちが一つになった。

 その時、ふと後ろの扉が開いた。アンクルがのそり、と姿を見せ、訝しげな顔のイリューンに近付くと品定めをするような口調で言った。

「イリューンよ。どうやらワシの鎧、まだ大事に使うておるようじゃな。」

「…オヤジ。あぁ、丈夫だぜ。コイツはよ。」

「じゃが、武器については今まで触れておらなんだ。コイツをやろう。」

 背中からずい、とアンクルが長物を取り出した。太い柄。先端に輝く銀色の刃先。全体から漂う空気――威圧感は、魔剣を除けば今までのどの武器よりも凄まじかった。

「…イリューンよ、貴様が持っていたハルバード。…見覚えがあると思うとったが、かつてワシがゴードンに譲ってやった物じゃったわ。その欠片を拾い集め、手持ちの槍と併せてコウテツロウ殿と鍛え上げた代物よ。鋼とミスリルの合金じゃ。持っていくがよい。即興だが意外と業物じゃぞ?」

「私も、少しばかりお手伝いしましたからね。」

 どこから聞いていたのか。耳聡く、ペイントがアンクルの横から顔を出し、そう付け加えた。イリューンは感嘆しながらもハルバードを手に取り、その出来栄えを見定めた。ズシリとした重量感。強烈な存在感がそこにあった。

「コイツは……スゲぇ……!」

 イリューンの顔色が変わる。今までのハルバードも十分凶器であったが、新しいそれはまさに魔具と言わん程の代物だった。

 物欲しそうな顔をしていたのか、ジョージの顔をちらと見やり、

「勿論、お前さんらにも用意しておるわい。この為に、あの日以来準備を進めておったのじゃからな。何も話さんとは全くライムも人が悪いのぅ。かっかっか!」

 そう言ってアンクルは屈託もなく笑った。

 くす、と誰かが失笑した。それは瞬く間に全体に広がり、爆笑の渦となった。

 シトシトと降り注ぐ雨の音を全員の笑いが塗り潰していく。陰惨な空気が徐々に打ち消されていく。それを見やり、感じながらジョージは漠然と思った。

 勝てるかどうか、ではない。やるか、やらなくてはいけないか、だと。

 全ては自らの腕に掛かっているのだと。


 雨が止み、世界に夜の帳が下りる。恐怖と混乱に満ち溢れた一日が終わる。

 ――そして翌朝。エレミア市街を出発する兵団の姿を見て、後に人々はこう記した。


 その姿、黒き高波の如く。魔術師隊総勢二百。衛兵隊総勢二百。ド・ゴール竜騎士団総勢三十。内竜騎士隊二十、ペガサス隊十。すべからく進軍すること統率の取れた軍勢の如く。獅子の紋章、鷹の旗はためくそれは荘厳この上なし、と。

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