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第一章 二幕 『枝葉』

 カモメが舞う。巨大な入道雲が空を覆い、青と白のコントラストを創り上げる。

 風が出ているのか。高波が幾度と無く押し寄せ、波間を走る一隻の船が大きく傾いた。

 遠く、情けない悲鳴が甲板上から上がった。

「――う、うぉおい! た、助けてくれダスうぅうっ!」

「うっせぇぞオッサン! 勝手に付いてきてそりゃねぇだろうが!」

 這々の体で欄干にしがみつく小太りの中年男。そんな彼に向かい、銀髪の大男が怒鳴り声を上げた。押し寄せる波に翻弄され、甲板を転がるばかりの彼をガシッと掴み上げ、銀髪の大男は船底に続くドアの間近目掛けて彼を思い切りぶん投げた。

 激しい音。床板にぶつかる激突音。同時に、ズカズカと歩み寄りながら、銀髪の大男は中年男に苛立った様子で言い放った。

「全くよ……いい加減にしろよな、オッサン。」

「お…オッサンじゃないダスよ! コウテツロウという名前があるダス!」

「わぁった、わぁった、オッサン。いいから黙って船の下にいろよ。」

「アンタは船に慣れているからいいダスが…酔うんダスよ。」

 顔を片手で覆い、銀髪の大男は溜息を吐いた。正直、呆れ返って何も言えなかった。


 東国トンペイを出発した武装商船団は一路、魔法大国エレミアへと向かっていた。人員は相談して決めた通り、ギルド長と面識のある魔術師ディアーダか、この銀髪の大男――イリューンのどちらかが行く手筈だった。

 だが、ディアーダは船旅が出来るような状況ではなかった。顔面蒼白、ともすればその場に崩れ落ちてしまうのではと思える程に憔悴仕切っており、とても無理だった。

 そこで、イリューンはその場でディアーダを竜騎士団に預けるよう提言。自らエレミア行きを買って出たのである。勿論、それには彼なりの理由があったのだが――


「…元はと言やオッサン、テメェにしか出来ねぇ事があるってぇから連れて来たんだぞ。あんまり手間ぁ掛けやがると、マジで海に叩き落とすからな?」

 諭すように語り掛けるイリューンの言葉に嘘は無い。コウテツロウはぶるる、と冷や水を被せられたかのように震え上がると、

「わ、解ったダスよ。エレミアに着くまでジッとしてるダス…」

 そう言い、バタバタと太った腹を揺らしながら、船底へと続く階段を駆け降りていった。

 やっと面倒事が片付いた、と一息を吐く。そんなイリューンに突然話し掛ける男の声。

「相変わらず、手荒いわねぇ。」

「う、うわぁああッ! あ、アドン!? い、いつの間に居やがった!?」

「…さっきからよ。思ったよりも波が荒いから、ちょっと方位を確かめに上がったんだけど。全く、駄目じゃない。あんまり苛めちゃ可哀想よ? ウフ」

 ナヨナヨとした動きでシナを作り、アドンと呼ばれた褐色の禿頭はそう言ってウィンクをしてみせた。船酔いだろうか? イリューンは一瞬強い吐き気を催した。

「と、ところで…エレミアまではあとどれぐらいだ?」

「そうね、順調に来ているからあと数時間といった所ね。すぐに見えて来る筈よ。」

 アドンがそう口にする。

 高波がぶつかり、飛沫を上げて砕け散った。進む船体を前に、穏やかな風が吹いていた。

「……ねぇ、イリューン。あなた本当にあんなのと戦うつもり?」

 突然、アドンがそんな事を訊いてきた。アドンは続けた。

「アタシはトンペイ港から見ていただけだったけど…寒気がしたわ。よくは解らないけど、昨今の国際情勢が乱れているのは…ひょっとしてアレが原因なんじゃないの? イリューン、あなた一体何と戦ってるのよ?」

「………」

 イリューンは答えなかった。ただ黙り込んだまま、アドンの言葉に相槌を打つばかりだった。


 ――長い、長い沈黙。


 しばらくイリューンの様子を見つめていたアドンだったが、やがて溜息を一つ。そして、

「…解ったわ。でも、これだけは言わせて。同じガルガライズ出身同士。あなたは一人じゃない。いつだって助けに来るわ。……ね?」

 アドンはそう言って小さく首を傾げた。ようやくそれに微笑み返し、イリューンはそっと呟いた。

「……すまねぇな、アドン。」

 それは、心からの言葉だった。アドンもまた、茶化す事無くただ黙って聞いていた。

 二人の間に、解り合えた者同士の柔らかい空気が漂った。同時に、船舶上のマストから勇ましい声が響いた。


『陸が見えたぞ―――ッ!』


 真剣な顔をし、イリューンはそれに振り返った。視線の先には緑と白に彩られた街の姿。それは懐かしいエレミアの大地だった。

(…やっと、帰って来やがった、か…)

 ひとりごちながら、イリューンは遠く広がる大都市を見つめた。湾が近く、濃い潮の香りがツンと鼻を突いた。

 やがて、船はゆっくりと接岸された。三度エレミアの大地を踏みしめ、イリューンはもう一度武装商船を振り返ると諸手を上げて大声を出した。

「アド――ンッ! 助かったぜェ―――ッ!」

 船上で荷卸をしながら、それに気付いたアドンが爽やかな笑みを浮かべる。誘われてか、続いてその後ろから三人の男達が次々に顔を出し、こぞって声を張り上げた。

「イリューンさんッ! 次に会う時は俺も出世してるっすよ!」

「おい、メッキー! 俺だって負けてねぇぞ!?」

「バぁカ、タキ如きに出来るモンかよ。このジワラ様こそが、次の出世頭だぜ?」

 三人の船員は、いずれも俺だ俺だと譲らない。見かねたアドンがドレミの音階でゲンコツを落とすと、思わずイリューンは吹き出した。

「ぷっはっはっは! わぁった、わぁった! メッキー、タキ、ジワラ! テメェらみんな、次に会う時にゃ出世してろよぉッ!」


『――押ゥ忍ッ!』


 それから遅れること数分。ようやくコウテツロウがふらつく足取りで降りてきた。それを合図にイリューンは船団に背を向け、一路古巣、魔術師ギルドを目指して歩き出した。

 既に、笑顔は消えていた。隠された真実に怒りを抑えきれなかった。それを確かめるべく、彼はこの地に戻って来たのである。


 長く遠い坂道の向こうに高い尖塔が見えてくる。特徴的なその建物は周りから見ても異質で、それが向かうべき目的地なのだとすぐに知れた。

 大股で歩を進めるイリューン。後を必死で追うコウテツロウを完全無視し、遂に彼は魔術師ギルドの正門へと辿り着いた。

 大きく息を吸い、ゆっくりと時間を掛けて吐き出す。

 そして徐に、イリューンは正面の扉を蹴り開けた。木板が砕け散る音が響き渡った。続け様、叫ぶようにイリューンは空気も震えん程の怒声を張り上げた。

「――ジジィッ! いやがるんだろぉッ! 出てきやがれぇッ!」

「な、な、何してるダスっ!? 喧嘩売りに来たんじゃないダスよ!?」

「…喧嘩、売りに来たんだよ。」

「は、はぁ?!」

 慌てるコウテツロウを完全にスルー。構わずズカズカとイリューンはギルド内に踏み込んでいった。途端、凄まじい数の殺気が周囲からその身を激しく突き刺した。

「ほぉう。…俺も気が立ってるんでな。手加減出来ねぇぞ…?」

 建物内の理力照明が点滅し、次いで目を眩ませる程の白い光が辺りを明るく照らし出した。そこには何十人ものギルドの魔術師達。そして、槍を構えた衛兵達が待ち構えていた。

 が、ニヤリと笑うイリューンは想像以上の化物。魔術師、衛兵達は逆に凄まじい殺気に気圧された。一歩を踏み出すイリューンに、同じだけ全員が後退さる程だった。

 コウテツロウは言葉を失った。傍若無人だと知ってはいたが、ここまでの暴君だとは思わなかった。まさに一触即発、火薬の臭いが鼻を突くかの様な状況が拡がった。

 と、その時だった。

「…戻りおったか、イリューン。」

 嗄れ声。イリューンは顔を上げ、声のした方角を睨め付けた。暗い通路の奥より、長い白髪の老人が姿を現した。それは、この世界の誰もが見知った顔だった。

「ま、まさか――ギルド長マナ・ライ…様?! し、知り合いダスか!?」

 驚くコウテツロウだったが、これもまたイリューンはガン無視である。イリューンはマナ・ライの鼻先三寸まで詰め寄ると、仇にでも出会ったかのように低い声で凄んだ。

「――あぁ、戻ったぜ。だが、そんなこたぁどうでもいい。ジジィ、テメェこうなるこたァ知ってやがったな? ずっと妙だと思ってたぜ…思わせぶりなアイツの態度も、奥歯に物が挟まったようなテメェの物言いにもよ。ディアーダの姉が邪教の首領だと解ってて、アイツを旅に出しやがったな?」

「………」

 マナ・ライは答えない。ただ黙って目を瞑り、イリューンの問いに口を噤むばかり。

 五秒が経ち、十秒を迎えようとしたその刹那、遂にイリューンの堪忍袋が切れた。無言のままに手を伸ばし、首根っこを捉えようとした瞬間だった。

「そうじゃ。…知っておった。」

 イリューンの手が止まった。否やイリューンは目を見開き、感情のままにマナ・ライの胸ぐらを掴み上げた。

 周囲の衛兵が、魔術師達が一瞬で殺気立った。

「ッてンめェぇッ!」

 次の文句を言う前にマナ・ライの目が妖しく輝いた。瞬間、電気のような衝撃が走り、反射的にイリューンはその手を放さざるを得なかった。

「ぐぅッ…! 痛ぁっ…!」

 痺れた手を振るイリューンを前に、マナ・ライは言った。

「…イリューンよ。気持ちは解る。じゃが、運命は変えられぬ。故に、あやつが旅に出るのも止められぬ。哀しいことじゃが、それこそが星見の定めじゃ。その為にどれだけワシが苦しんできたか…御主には到底知り得ぬことよ。」

「それが…それが、親代わりに孤児を育ててきた男の言葉かッ! 何を知ってやがるクソジジィ! ――嫌だと言っても全部吐いてもらうぞ、この野郎ッ!」

 取り囲む魔術師達は口中で呪文を唱え始め、衛兵は槍襖を立ち構えた。が、マナ・ライはそれらに「下がれ」と皺だらけの手で合図した。

 ざわめき立った。が、最終的には彼等も総責任者の命に従い、引き下がるしかなかった。

 対立する二人のすぐ後ろで、コウテツロウがオロオロと互いの様子を伺っている。口を挟める要素などこれっぽっちもなかったが、それでも言わねばならぬと思ったか。

「じ、事情は解らんダスが…ぼ、暴力は良くないダス。まずは落ち着くダスよ。」

 辛うじてコウテツロウはそれだけを口にした。

 客観的に見ても尤もな意見ではあった。それ故に、舌打ちをしつつもイリューンは吐き捨てるように言った。

「…話せジジィ。何を隠してる。…あのレミーナってぇのは何者だ?」

 唇の端を引き吊らせ、イリューンは訊いた。それは彼にとって最大限の譲歩だった。

 途端、マナ・ライの表情が一変した。皺だらけの額に更に深く皺を寄せ、やがて意を決したかのように彼は静かに語り始めた。

「…機は熟しつつある。ワシが黙っていたとて、いずれは真実に辿り着くであろう。運命は変えられぬが、道を示す事まではルール違反とは言えまいて。」

「ルール…違反?」「………?」

 同時に首を傾げるイリューンとコウテツロウ。二人に背を向け、マナ・ライはゆっくりと歩き出した。

 奥の廊下へと歩を進め、古ぼけた木製の扉を開けると小さな部屋に立ち入った。中央に置かれた揺り椅子に手を掛け、マナ・ライはそっとそれに腰掛けた。

 軋んだ音を立て、揺り椅子が揺れた。

 見れば、隅には煉瓦造りの暖炉。まるで山小屋のような一室。

 何故ギルドにこんな部屋が作られているのか? そんな疑問に答える事無く、マナ・ライは天井を見つめ、記憶に思いを馳せながら一つ一つ言葉を紡ぎ始めた。

「これからワシが話す事は…ワシ自身の懺悔に他ならぬ。責められても仕方のなきこと。故にイリューンよ。主がこの後、ワシを殺めようとも一切申し開きはせぬ。」

 ただならぬ気配だった。何を話そうというのか。

 思わずイリューンは固唾を飲んだ。コウテツロウはオロオロとしながらも両の拳を握り、老魔術師の次の言葉を待った。

 マナ・ライは続けた。

「あれは、まだワシが若く…駆け出しの魔術師だった頃。旧き友と共に、魔獣退治の旅をしていた頃じゃった。」

「…昔、御伽噺で聞いた事があるダスな。第一次ラキシア大戦が始まる遥か前、各地に現れた凶悪な獣を退治して廻った聖人達の話を。確か……斧戦ゴードン、竜槍アレス、双剣アンクル、魔術師ライムの四人……だったダスか?」

「…何だって…?! ゴードンのオヤジとジョージの親父までもが仲間だったってぇのか!? ジジィがアンクルのオヤジと旅していたってのは知っちゃいたが――なんて縁だ。これが運命ってヤツなのか…?」

 頷き、マナ・ライは再び語り始めた。

「ある冬の日の事じゃった。凍えるような寒気の中、斥候を務めたアレスが雪原の向こうに目をやり、慌てた声で叫んだんじゃ。娘が倒れているぞ、とな。」

「…ちょっと待てジジィ。そりゃ一体、何年前の話だ? 第一次ラキシア大戦前なら、最低でも五十年以上経ってるぞ。その娘、どう考えたってレミーナじゃあンめぇ?」

 話の腰を折るイリューンに、マナ・ライは手で口を塞ぐジェスチャーをする。

「…最後まで話を聞くがよい。…アレスは娘を保護すべきじゃと言った。ワシ等にも余裕はなかったが、アンクルはここに娘を一人置き去りにしては必ず後悔すると言った。考えた末、結局ワシ等は娘を連れ帰ったんじゃ。娘の名は――リィナと言った。」

「そのリィナという娘が……何か関係してるんダスな?」

 コウテツロウの言葉にマナ・ライは一瞬深く押し黙った。揺り椅子が再び揺れ、マナ・ライは長く息を吐く。そして、懐かしそうに切り出した。

「…聞けば、リィナは失われた魔法を伝承する小さな村の出身で、街に向かう最中、吹雪に遭い遭難したんじゃと。確かに彼女は、我等が初めて見る理力をも知っておった。溢れんばかりの知的好奇心に、ワシは一人歓喜したものよ。」

「………」

「友と別れ、リィナと過ごす時間は日に日に多くなっていった。始めは理力の深淵を知る為じゃったが、数々の術を見知りするうちに情が移り……やがて夫婦となった。幸せな時間じゃった。そして、ワシは運命を知る究極の術――星見を彼女から授かったんじゃ。」

「それで一体、どうなったってぇンだ?」

「…元々病弱だった彼女は、ワシに星見を授けた後に還らぬ人となった。最後の瞬間、彼女は言った。知り得た運命は決して変えてはならぬと。それが世界のルールじゃと。」

「世界の……ルール?」

 イリューンの言葉にマナ・ライは再び深く頷いた。

 暫しの沈黙。まるで時間が止まったかのように、空気さえもが固まって感じられた。

 突如、カッと眼を見開き、マナ・ライは強い口調で切り出した。

「しかし、ワシはそれを破ってしもうた…! 事前に全てを知り得るという事は、即ち負けぬという事よ。第一次大戦、そして続く第二次大戦でもワシは友軍を次々と勝利に導き、遂には大魔術師とまで讃えられるようになった。陰から国を動かす実力を得ると共に、独立した組織――魔術師ギルドを創設するまでに昇り詰めた。…じゃが、それから数年が経ち、二人の孤児に巡り会った時、ワシは気付いたんじゃ。星見によって不幸になる人間が居る事を。…リィナの顔が、その言葉が何度も頭にチラつき、どうしても見捨てられんかった。だからこそワシは……贖罪の為、二人をギルドで引き取る事にしたんじゃよ。」

「……ッだとぉ……!」

「なんたることダスか……」

 絶句するイリューン。そして嘆息するコウテツロウ。ギルド長たるマナ・ライが孤児を引き取った記録は、後にも先にもディアーダとレミーナの二人だけ。それはつまり、言葉通りの偽善行為に他ならなかった。

 揺り椅子の動きをギシリと止め、マナ・ライは絞り出すように言った。

「…軽蔑したか。そうじゃろうな。あの夜のレミーナもそうじゃったよ。…星見を続けるワシに彼女は言うたわ。そこから先は……実際に見て来るがよい。」

 否や、マナ・ライの掌から光が溢れ返った。気が付けば、口中で呪文を唱えていた。

「…深遠なる闇の彼方、人の心に潜ることを許したまえ。願わくばその記憶を繋ぎ、眼の裏へと映さんことを――『Tarsius』――!」

 次の瞬間、光の矢がイリューンとコウテツロウの額を貫いた。物凄い衝撃が首から背中へと伝わり、フラッシュする数々の映像に二人は堪らず身悶えた。

「く…ぐ、ぐあぁぁぁっ!?」

「な、なんダスかぁっ!?」


 ――――


 尖塔が鐘を鳴らす。目の前に金髪の美しい少女が立っている。二人は今、マナ・ライの視点に立ち、少女レミーナを見つめていた。

 少女が思い詰めたように口を開いた。その顔は――明らかな怒りに燃えていた。

「想像しなかったのですか――!? 一人の人間が死んだ時とそうでなかった時。未来は二手に別れることになる。死んだ未来も生きた未来も、また別の未来と関わり新たな罪と憎しみを作り続ける。そうして何千何万何億の負の選択が生まれていくのですよ!?」

「…解っておる。じゃが、レミーナよ。それでも主はここにいる。ワシが助けねば二人とも野垂れ死んでいたではないか。…今ここで、主が旅に出て何となる? 主一人で世界の全てを変えられるわけがあるまいて?」

 予測していたのだろう。冷たい言葉に少女は深く溜息を吐いた。襟足を翻し、くるりと後ろを向くと、彼女は表情を見せることなく呟いた。

「…天啓が降りたんです。私はある重大な任務の為、旅に出なくてはなりません。その間…せめて、弟を頼みます。」

 唐突な言葉だった。一体、彼女にどんな天啓が降りたのか? 未来を変える事の愚かしさを知ったとて、彼女一人に何が出来ようか?

 マナ・ライは彼女を侮っていた。気持ちの流れが手に取るように解った。

 少しの間――後、再びレミーナは口を開いた。その口調は驚く程、変わっていた。

「私が何をしようとしているのか…星見で解るでしょう? いや、もう知っているんじゃないですか? 止めてみせますか…? ふふふふ…」

 それは明らかに異質な声だった。本当に目の前の少女が出しているのか、そう疑いたくなるような変化だった。

 凄まじい程の殺気。そして、溢れん程の理力が彼女から立ち上った。

 動揺がすぐに知れた。緊張から喉が渇き、思い出したかのようにゴクリと唾を飲み込んだ。マナ・ライの心の声が二人の脳裏に流れ込んできた。

(……ハルギス!? まさか、ハルギスの魔剣を集めようというのか!? アレの使い方を知っているというのか!? 馬鹿な! 何故、この少女が……!)

 狼狽えるマナ・ライを前にレミーナが嗤った。それは、明らかな嘲笑だった。

「…お師匠にも、どうやら私の過去は見えないのね。…それもそうか。ふふふふふ…」

 黄色い声が誰もいない中庭に響き渡る。振り返る少女の顔が目に飛び込んできた。あまりにも無表情で冷徹な――爬虫類のような眼。その表情は、かつてイリューンが出会った悪魔の姿に完全に重なった。

 マナ・ライは叫んだ。

「ま…まさか! 主は…もう一人いるな!? 主の中に、もう一人!」

「ふふふ……ははははは! 師匠、次に会う時は――自らの行いを後悔してもらうわ。それまで暫しの別れよ。ふふふふふ…!」

 そこまで言うと、彼女の姿は霧のように消え始めた。音も無く、その場から霧散する彼女に手を伸ばし、マナ・ライは声を荒げて言った。

「待て、待てぃッ! 貴様は…っ!」

 ほぼ同時に、耳の奥で少女の声が響いた。くぐもったそれは、まさしく悪魔の声だった。


『遂に選択肢の外に出る。数多あるもう一つの世界から、現世へと生まれ出るのだ。』


 ――――


 ガツン、と後頭部を殴られるような感覚と共に、イリューンとコウテツロウは一気に現実へと戻された。

 眼前には揺り椅子に座るマナ・ライの姿。イリューンは眼を見開き、激しく訊いた。

「ど、どういうこった!? …あの女、一体!?」

「消えたレミーナを星見しても…その行方は解らなかった。じゃが、世界の崩壊を狙うであろう事は解っていた。ハルギスの魔剣を求める姿だけは見えたからの。」

「なんだって!?」

「…アレは、本来ならば存在しない筈の…数多ある選択肢から派生した彼女自身。ワシが運命を変えたが故に生まれ出た、もう一人の彼女の姿。例えば、彼女の側に友人が居たとする。その者が居たが故に彼女は優しさを覚えられたかも知れない。じゃがその者が死んだ場合、彼女は優しさではなく憎しみを覚えた事じゃろう。人の一生は選択肢じゃ。彼女が生まれ、そこまで成長してきた経過が一つだったならば問題はない。しかし、本来の運命に逆らう事で彼女の中に負の部分が生まれ――自らの運命を呪い、全てを破壊することしか考えない、そんな存在が実現してしまったのじゃ。」

「そ、それじゃ…テメェが…」

「ま、まさかマナ・ライ様が…」

「…そうじゃ。ワシこそが全ての元凶。運命を変え、本来は無かったはずの選択肢を強要させてしまった張本人。彼女を悪魔に創り上げてしまったのは…ワシ自身なんじゃ。だからこそリィナは運命を変えることを禁じておった。それが解ったワシは…遅いと知りつつも星見の中の重要な業――運命改変を封印した。星見自体を止めぬのは、自らの過ちに対する贖罪とリィナを忘れぬ為よ。未来を知れば覚悟を持てる。覚悟があれば人は最大限の努力をする。ワシが予言の結果を暈かすのは、それが所以なんじゃ。」

「…な、なんてこった…」

「こんな事が…こんな事があっていいんダスか!?」

 二人はただ絶句するしかなかった。衝撃的なマナ・ライの告白に、言葉もなかった。

 冷たい煉瓦造りの部屋。ただ二人は怒りとも哀しみとも憐れみとも言えぬ顔で、揺り椅子に座る老人を見つめるしかなかった。


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