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第一章 一幕 『騎士を継ぐ者』

 剣が風を斬る。上から、下から、斜めに、横薙に。

 流れる汗を拭う事なく、ただひたすらに剣を振るう青年の姿。散切り髪が揺れる度に飛沫が舞う。身に付けた鎧には獅子の紋章。磨かれた刄には青空が写り込んでいた。

「精が出るのう。若いというのはいいものじゃ。」

 青年が振り返った。爽やかな笑顔の老騎士が立っていた。

 白髪に白髭。細面には歴戦を物語るかのような深い皺。身に着けた銀の鎧には、青年と同じく獅子の紋章が刻まれている。

「ジェイムズ…さん。」

「なんじゃなんじゃ、湿気た顔しとるのう。もうすぐ謁見じゃぞ。今の窮状は我が騎士団も動員せねば収まるまいて。気合いを入れんとならんぞ、ジョージ殿。」

 ジェイムズと呼ばれた老騎士はそう言いながら身に着けた手甲越しに白髪を掻き揚げ、ニッと笑みを浮かべると返答を促した。

 少し考えた素振りを見せ、ジョージと呼ばれた青年は言った。

「…ディアーダは、どうでしたか?」

「余程ショックだったんじゃろう。部屋で塞ぎ込んでおるよ。まさか自分の捜し求めていた姉が、邪教の首領だったとはのう。」

「………」

 それを聞き、ジョージは黙り込んだ。家族と戦う羽目になったのは彼だけではない。自分も同じと思えば、その心の痛みは容易に想像できる。出来るものならば今すぐこの場から逃げ出し、毛布を頭から被って全てが終わるまで寝ていたい気分だった。


 遥かなるラキシア大陸。伝説では、竜と神と邪神が三つ巴の争いを繰り広げた世界。

 この世界には太古の昔より、邪神を封じたという五本の魔剣があった。

 全てを揃えれば邪神が復活するとも――世界を支配出来るとも云われ、その魔剣を巡り、幾多の戦いが繰り返されてきた。

 表向きは資源戦争であった第一次ラキシア大戦。そして、国境侵略を目的とした第二次ラキシア大戦もまた、魔剣の影が見え隠れするものだった。

 停戦後、魔剣は各国に散らばり、その噂だけが一人歩きする事になる。

 成り行き上、魔剣を求める旅に出ることになったコーラスの騎士ジョージは、その旅の最中、魔剣を求める闇の勢力があることを突き止めた。

 それは邪教信仰者。竜族、邪神、創造神との戦いに始まった魔剣の争奪戦は、今まさに人間同士の争いを経て、邪神復活を企てる者の手に渡ったのである。

 邪教徒は各国の有権者を洗脳し、滅ぼし、殲滅した。

 ラキシア大陸にその名ありと言われたクラメシア帝国を影で牛耳った。

 コーラス、ダバイといった国々を滅ぼした。

 ジョージの父、歴戦の騎士アレス。そして戦士ゴードンさえも意のままに操られていた。

 だが、最も驚くべき事実はその首領こそ、旅を共にしてきた仲間――魔術師ディアーダの実姉という事だった。


 溜息を吐き、ジェイムズは話を続けた。

「…とはいえ、追及の手を緩める訳にもいかん。ここ数日で集めた情報からしても、邪教徒の動きからした破壊活動は数知れず。レミーナとかいうあの娘、恐るべき魔女じゃ。」

「実際に見たからこそ解る…! イリューンの攻撃が退屈凌ぎにすらなっていなかった。あれは普通じゃない。見かけは少女の姿だったが、とんだ化物だ…!」

 ジェイムズは頷いた。数日前の出来事を思い返し、思わずジョージは身震いをした。

 東国トンペイの天守閣上に突如現れた飛行船。そこから舞い降りた漆黒の天使の姿は、忘れようとしても忘れられるものではなかった。

 仲間の一人、竜族の戦士イリューンの攻撃を尽くかわしてのけた少女。

 その華麗なる身のこなし。まるで退屈なダンスを踊っているかのような表情。その全てが、ジョージにとっては恐怖と怒りの対象だった。

「…故郷を。…父上を、あんな目に遭わせたアイツ等は許せない…!」

 歯が軋む。目が燃える。だが、その足元は意志とは関係なく震えていた。ふむ、とジェイムズは鼻で息を吐くと見越したように訊いた。

「…本当は怖いんじゃろう? 無理に隠さんでもええ。」

「そ…! そんな事は…」

「図星、じゃろう?」

 言葉に詰まった。勿論、父の為という大義名分と仲間の為という気持ちに嘘はない。だが、それでも長年培ってきた逃げ癖はそう簡単に払拭できるものではなかった。

 事実、逃げられるものならば逃げたい気持ちも心の何処かにあった。しかし、それを認めてしまっては昔の自分に逆戻りしてしまうのではないか、という恐怖感が先立っていた。

 全てお見通し、とばかりにジェイムズがしたり顔で頷いた。そして、言った。

「…恥じることはない。それが普通じゃ。御主は怖がったり、逃げたいという気持ちを否定しているようじゃが…確かに過ぎれば悪影響を及ぼす。しかし、それが全く無い騎士というのも問題なんじゃぞ?」

「どういう…ことです?」

「騎士というもんはのう。戦士と違うて、我が身だけでなく仲間の身も案じねばならぬ。向こう見ずな行動で全体が危険にさらされては叶わぬからの。だからこそ臆病さ、恐怖の感覚は必要なんじゃ。そういう意味ではワシもまだまだじゃがな。カッカッカッ!」

「恐怖が…必要?」

「御主とて、何度も危機を乗り越えて来たんじゃろう? 生と死を見極める力、それが戦場では最も必要なんじゃ。…解るかのう。いや、解る筈じゃ。」

 ジョージの脳裏に、いつか出会ったドワーフの老人――アンクルの言葉が甦った。


『お前さんには見極める力がある』


 かつて何気なしに聞き流していた言葉が、再び蘇ってくるとは思わなかった。ジョージは馬鹿な、と小さく頭を振ると、

「…買い被りすぎですよ。」

 そう言って視線を逸らすべく俯いた。

 ジェイムズは再び溜息を吐き、空を見上げた。雲一つない、抜けるような青空が広がっていた。

 兵舎前広場に二の刻を告げる鐘が鳴った。

「もうこんな時間かの。そろそろ行かねばな。コーラスが陥落して以来、政治の中枢も今ではここド・ゴールに移ってしまった。これではまるで第二次大戦時の様じゃわい。…次の大戦だけは絶対に避けねばならん。…絶対にな。」

 ジョージは頷いた。全くの同意だった。そして、その為に自分はここにいるのだと、改めて目的を心に刻みつけるのだった。


 先に出たジェイムズを追い、城までの短い路地を歩いていく。

 健脚を見せる老騎士の背中を見つめながら、ジョージは辺りの様子を見回した。

 帝都ド・ゴール。かつて行われた武闘会では魔剣を賞品とし、強者達で賑わったこの街も、今は静けさと張り詰めた空気に支配されている。

 街のあちこちに衛兵の姿があり、侵入者を警戒している。ギルド査察官の証を提示してさえあちこちの検問で手間取る始末。それは、かつての様子とは明らかに一変していた。

「…厳戒体勢ですね。」

「エマの渡し船から密航する不届きな輩がいるようでの。…状況が状況だけに、な。」

 ジェイムズの言葉に思わず頭を掻くジョージ。かつての自分達を顧みると何も言えない。

 やがて王宮正門が見えて来ると、これからの謁見を思いジョージは固唾を呑んだ。

 巨大な門が開く。衛兵が畏まった様子で頭を下げる。

 城内に入り、ジョージは一人赤絨毯の広間へと通された。

 青黒い鎧を身に付けた何十もの衛兵が、槍と盾を手に両脇を固めていた。

 過去の事件の傾向からだろうか。いつ何時、王の身に異変が起ころうともすぐに飛び掛かれるよう、兵士達の緊張が伝わってくる。

 謁見は眼前に見える螺旋階段下で行われるようだった。

 ジェイムズが鋭い眼で「待て」と指示をする。従って小さく頷くと、老騎士は踵の鳴る音を立て、奥の間へと消えていった。

 暫しそこで立ち尽くした。高い天井を見上げれば、豪華な装飾の壁画が目に付いた。コーラス領を示す獅子の紋章と、信仰の象徴であるアーリア神が描かれていた。

 かつては自分もコーラスの騎士だった。アーリアの名の下に戦った。

(…そして、逃げた。…その結果がこれか…はは。)

 ギルド査察団として動き、戦ってはいるものの故郷は既に無く――臆病な自分が今、ド・ゴールで自国の王子と謁見しようとしているのは、当に皮肉でしかなかった。

 自嘲する。決して取り返せぬ過去を思い、ジョージは奥歯を噛み締めた。

 数分も経っただろうか。奥の間に消えたジェイムズが戻ってきた。

「待たせたのう。…お出ましじゃ。」

 次の瞬間。ガシャン、と衛兵が「気を付け」のポーズを取った。ラッパの音が鳴り響き、続けて兵卒のドラムが打ち鳴らされた。

 上階から一人の少年が姿を現した。年の頃十二、三といった風体。あどけなさの残る顔立ちだが、高貴な雰囲気が漂っている。

 よく見れば、その隣には白髪の老人が兵士に付き添われて立っていた。遠目で良くは判らないが、ド・ゴール君主トマス・ド・ゴールに間違いない。以前見た時に比べ、明らかに憔悴しきっていた。が、現在の情勢を見ればそれも無理はなかった。

 ふと、少年はジョージの姿にハッと息を呑んだ。そして、懐かしいといった声を上げた。

「そなたは…! あの時の自由騎士ではないか! 成る程、そうであったか!」

「…お久しゅうございます。ダリューン殿下。」

 膝を付き、恭しく首を垂れるジョージ。かつてと違い、身分を偽る必要は既にない。

 ダリューンはジョージを見下ろすと一人納得したように頷いた。

「――ならば、話が早い。知っての通り、コーラス、ダバイの両国が邪教の手に落ちている。国境を越えての侵略行為にも関わらず、誰一人防ぐことはおろか、その前兆さえも見つけることが出来なかった。既にギルド長マナ・ライからも報告を受けているが…裏でクラメシア帝国が暗躍しているとの話もある。そなたが見てきたものを有りの侭に報告して欲しい。」

 ダリューンはそう言い、ジョージに向かって視線を落とした。ジョージは顔を上げ、怯むことなく王子に対し、口を開いた。

「クラメシアが影で動いている事は間違いなさそうです。一個師団をも飲み込むであろう程の巨大な空飛ぶ船…あんなものは、ラキシア大陸全土でも類を見ません。どれ程の理力を注ぎ込んだのか…到底、想像する事すら出来ません。」

「空を飛ぶ船、と。…飛行船と申したか。」

「はい。あれは、そう表現するしかないものでした。…エレミアですら見たことのない、理力を使った恐るべき兵器でした。」

 ジョージの言葉に目を閉じ、ダリューンは「うぅむ」と呻った。

「クラメシアは今まで我が領地――同盟国ド・ゴールを越えねば、南へ攻め入る事は叶わなかった。しかし、そのような物があるのでは…状況は明らかに変わっている。現在、我が国の中枢は陥落したコーラスからこの地へと移り、後は僅かばかりの小さな村落を残すのみ。…これは、あまりにも危うい状況だ。」

 言葉の端々に緊迫感が漂った。一拍置き、ダリューンは勿体ぶるように切り出した。

「最早、一刻の猶予もならん! ギルド長マナ・ライの協力を仰ぎ、クラメシアを影で操る邪教を叩かねばならん。私はまだ若輩ではあるが…コーラスを代表する者として宣言しよう。自由騎士ジョージよ…共に戦ってくれるか。」

 時に静かに。時に熱く――ダリューン王子の言葉は、まるで染み渡るかのようにジョージの胸に届いた。誰かがやらねばならない。コーラスを、ラキシア大陸を救うには、今こそが動くべき時だった。

 決意を固めるかのように、ジョージはゆっくりと頷いてみせた。それを見て、ダリューンは満足気に「よし」と息を吐くと、遥か後方に向かって大声を上げた。

「ジェイムズ! ジェイムズは何処か!」

「此処に。」

 衛兵達の端で控えていた老騎士が中央へ歩み出た。ダリューンは右の手を高らかに掲げ、

「勅命である! ド・ゴール竜騎士隊へジョージ一行を編成せよ。直ちに我々はエレミアへ出立し、ここに邪教徒討伐隊を結成する! よいな!」

 そう力強く言い放った。

 勇ましいダリューンの隣で、トマス君主は一言も発そうとしなかった。まるで傀儡の如く、衛兵に肩を貸されたまま力無く俯くばかり。それも考えてみれば当然の事。己の失策によって魔剣を奪われ、今まさに邪教に侵略される切っ掛けを作ってしまったのは、紛れもなく彼なのである。

 すっと、トマス君主は「自分の役目はここまで」とばかりに奥の廊下へと姿を消した。ジェイムズは変わり果てたかつての主に嘆息しつつ、ダリューンへ最敬礼を取った。

「殿下の意のままに。すぐに用意致します。」

 僅かながらの口惜しさが見て取れた。勿論、ダリューンにもそれは伝わっただろうが、まだ若い王子にとってそれを諌めることまでは出来なかった。ただ一言、ダリューンは「任せたぞ」とだけ呟き、トマス君主を追ってその場を後にした。

 ガシャン、と衛兵達が「休め」のポーズを取る。鎧が鳴る音が響き渡る。

 残されたジョージを前に、ジェイムズはそっと近付くと切り出した。

「…聞いての通りじゃ、ジョージ殿。準備が出来次第ワイバーンに騎乗し、早急に我々は一路エレミアを目指すことになろう。…覚悟は出来ておるか?」

「出来ています。父を救う為にも、後悔しない為にも。」

 即答するジョージに、ニヤリ、とジェイムズは笑みを浮かべた。そしてその肩をバン、と強く叩くと、立ち尽くす衛兵達を背にホールを後にした。

 追ってジョージも外へ出れば、そこには多勢の騎士団が待ち構えていた。十人前後だろうか。いずれも重厚そうな鎧を身に付け、手には長槍。顔を隠す程の深い兜を身に着けた彼らは、ジェイムズの部下のようだった。

「隊長! 飛竜隊総勢二十、ペガサス隊総勢三十! 全員、準備出来ております!」

「忘れやしません…トンペイでの屈辱! 奴等に目にもの見せてやりましょう!」

「いつでも出られます! 御命令下さい!」

 次々と声掛ける彼らの目は燃えていた。ジェイムズは二度、三度とそれに頷き、まるで自らをも鼓舞するかのように高らかに言い放った。

「――殿下からのお達しじゃ。以後、此方のジョージ殿を竜騎士団へ編成。出立は明日、目的地は魔法都市エレミア! 良いか、このミッションは勅命である! 一切の失敗は許されんぞ!」

 空気が止まる。そして、震えるかのように歪むや、全員が勇ましい声を上げた。


『イエッサー! 隊長殿!』


 一糸乱れぬ統率とはこの事だろう。かつての自分はどうだったか。無駄に失った部下を省み、過去の自分に歯噛みする。今だからこそ恥じる思いが湧き起こった。

 父はこれを教えようとしたのだろう。教育係のゲオルグは、これを言いたかったのだろう。

 ジョージの喉元に、叫びにも似た感情が込み上げた。今となってはその父は邪教に操られ、ゲオルグの消息は全くの不明。コーラス人民も王も行方知れず。

 だが、まだ自分がいる。ダリューン王子がいる。コーラスは滅んではいない。

 騎士とはどういうものなのか。ジョージは今更ながら認識した。青空の下、大勢の男達に囲まれつつジョージは拳を握り締めた。

 すると思い出したかのように、騎士団の一人が素っ頓狂な声を上げた。

「そういえば隊長。あの男との決着も付けねばならないっすよね?」

「そうっすよ! 負けっぱなしだなんて、…あ。」

 ゴツン、と隣の騎士が失言した騎士の頭を殴る。それを見て失笑しつつ、ジェイムズは部下達にガッツポーズを見せながら言った。

「…勿論じゃ。あやつはワシがきっと倒す。エレミアに着き次第、必ずやあの男――イリューンを地べたに這い蹲らせてやろうぞ!」

 わはは、と笑い声が響いた。空気を読み、ジョージも共に渇いた笑いを上げた。

 仲間の一人、戦士イリューン。彼の御陰で助かったことも、彼の御陰で面倒に巻き込まれたことも、今では全てが懐かしく感じられる。

 話題が出た事で、その姿が胸の内に浮かんだ。

 天を突くように逆立った銀髪。太い眉。黒々と日焼けした逞しい体付き。黒い鎧を身に付け、巨大なハルバードを背負った屈強なる戦士が不敵な笑みを浮かべている。

 船を使い、先にエレミアへと向かった彼等はどうしているだろう? 無事、マナ・ライの協力を取り付けることが出来ただろうか――

 そんな事を考えつつ、ジョージはこれから始まるであろう激しい戦いに思いを馳せた。

 騎士団を継ぐ唯一の者として。そして、世界の命運を双肩に担う者として。

 青空の下、プレッシャーに押し潰されぬよう。気を抜けば震え始める脚に力を込め、ジョージはただその場に立ち尽くすのみだった。


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