コミュニケーションエラーが発生しました
『コミュニケーションエラーが発生しました。コミュニケーションエラーが発生しました。直ちに修復に向けた行動をお取りください。直ちに修復に向けた行動をお取りください』
私の頭の中でアラームが鳴り響く。あーあ、まただよ。今日でもう何回目? 私が歯を食いしばりながら、頭をそっと手で押さえると、椅子をこっちに向けて話しかけていた福永さんがどうしたの? と呑気に尋ねてくる。おめーのせいだよという言葉を飲み込んで、私はなんでもないよと笑顔を取り繕って答える。頭の中に鳴り響くアラームがさらに音量を上げる。
「ごめん。もしかして私の話がつまんなかった?」
うん、つまんないよって正直にそんなことを言えるわけないだろ、馬鹿。福永さんが疑わしげな表情を浮かべながらも、私の答えに納得したのかしょうもない話を再開する。私はガンガンと鳴り響くアラームを必死に無視しながら、福永さんのその話を聞き続ける。
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「りっちゃんってすごいよね、みんなと仲良くできて。今日もさ、福永さんと一緒にすっごく仲良く話してたじゃん。私なんかコミュ障だから、絶対に無理だもん」
「まあ、美緒と比べたらね」
「ひどーい」
放課後の帰り道、私の返事に同じクラスの美緒がそう笑う。男子ウケしそうな黒髪ロングヘアにパッチリした二重。気持ち悪いほどに白い肌は近くで見ると肌理が細やかで、ニキビ一つ見つからないことが余計に腹ただしい。異性には好かれて、同性からは嫌われる典型的なタイプ。その上、というかだからこそ、美緒はコミュ障だった。私も人付き合いな苦手だけど、そんなん気にならないくらいのひどいコミュ障。だけど、無駄に容姿が整ってるから、クラスの男子からちょっかいを出されやすい。入学してすぐのある日、美緒が悪絡みをされているところを私が余計な口出しをして助けたことがきっかけで、それからべったりと依存されるようになった。
正直人付き合いが苦手っていうところが似てるってだけで、性格が合うわけでもない。美緒の話はクソつまんないし、同じ話を何回も聞かされる。だけど、私も学校生活で一人になるのは嫌だし、それに私が放っておいたら美緒はまた一人ぼっちになって、またキモい男子にちょっかいを出されるだろうなって思うと可哀想だって感じちゃって、ずるずると今のままの関係を引きずっている。
「そういえばさ、来週からグループでの活動じゃん。私と美緒とあともう一人誰を誘う?」
「りっちゃんと一緒だったら誰でもいいよ」
私に丸投げかよ。美緒の受け身な態度にイラッとしつつも、私はわかったと答える。今更美緒に期待しても仕方のないことだしね。じゃあ、あんまり話したことはないけど、橋池さんはどう? あの人もクラスで一緒のグループになってくれるような人もいなさそうだし、それに生徒会役員でしっかりしてそうだしさ。いいと思うよ、と美緒が枝毛を弄りながら返事を返した。ありがとうの一つでも言えないわけ? 私はぐっと言葉を飲み込み、二人で中身のない会話をしながら帰り道を歩いた。
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「芦北さんは今日お休みだけど、時間もないしテーマだけでも先に二人で決めよっか」
グループワークの初日。同じグループになった橋池さんは嫌味のない笑顔でそう言った。美緒は体調不良で学校をお休み。ということはつまり、私と橋池さんの二人だけのグループワーク。うっわ、気まずと心の中でつぶやきながら、私は机をくっつける。
「あんまり話したことない同士だし、気まずいね? 中井さんもそう思わない?」
「え? う、うん」
橋池さんが笑いながら私に話しかけてきて、不意をつかれた私は思わずその言葉に同意してしまう。気楽にいこっかと橋池さんが茶化し混じりに言ったので、何それと私もつられて笑ってしまった。
なんか、めちゃくちゃ良い人じゃん。私は心のなかでそうつぶやく。なんていうか、他の女子とは全然違って、大人びてるっていう感じ。グループワークを二人で進めながら、堅苦しい会話だけではなく、ちょっとした雑談も交えながら、私たちは和気藹々とした雰囲気でグループワークを勧めた。他の女子たちと話した時のように苛立つことはなかったし、いつも私の頭を悩ませる警告アラートが出ることなかった。無事に初めてのグループワークは終わり、最後の方では冗談を言い合える仲になっていた。
『橋池さんだけど、すごくいい人だったよ。初めて喋ったけど、話しやすいし、今日だけですごく仲良くなったの』
その日のLINE。グループワークどうだったと聞いてくる美緒に、私はそんなメッセージを送った。
『りっちゃんは人とすぐ仲良しになれるから大丈夫なのかもしれないけどさ、私はわかんないもん』
はいはい、出た出た。いつもの卑屈モード。美緒のいつものうざったいメッセージを適当にあしらいながら、私は橋池さんのことを考えた。高校に入って仲良くなりたいと思った人は彼女が初めてかもしれない。仲良くなれたら良いな。それに、橋池さんと仲良くなれたら、無理に美緒とつるむ必要もなくなるし。ちらっとそんな打算的なことが頭によぎって、私はちょっとだけ自己嫌悪に陥る。私はそんな考えを振り切るように、次のグループワークまでに調べておく課題に取り掛かることにした。
二回目のグループワーク。冒頭で美緒が、聞こえるギリギリのボソボソっとした声でこの前はごめんなさいと私たちに謝る。それに対して橋池さんも私もしょうがないよとフォローを入れて、早速三人でグループワークを始める。だけど、というか案の定、美緒はいつものようにコミュ障を発揮して、たまに私の方をチラチラ見てくるだけで自分から発言しようとはしない。あーうざったい。そういうところが大嫌いなんだよね。それでも、橋池さんがいる手前、いつもみたいに不機嫌になるわけにもいかない。私が必死に話を振ってようやく、美緒がポツポツと自分の意見を言い出す。それを橋池さんが大人の対応で肯定してくれると、美緒はそこでようやく橋池さんが別に怖い人じゃないということに気がついたのか、少しずつ少しずつエンジンがかかっていった。気がつけば美緒は私と二人っきりでいる時と同じテンションになっていて、打ち解けた口調で橋池さんとも話すようになっていた。
「芦北さんって喋ると面白いね。お人形さんみたいであんまり喋んないイメージだった。だからさ、こうやってたくさん喋ってる芦北さんを見てるとすごい新鮮で、嬉しいな」
橋池さんが笑いながらそう言うと、美緒がさっと頬を赤らめる。その様子がおかしくて、私と橋池さんが思わず笑ってしまう。すると、美緒もつられて笑い出して、その場がなごやかな雰囲気に包まれた。
「りっちゃんの言ってた通り、橋池さんってとてもいい人だったね」
「でしょ? だから言ったじゃん」
帰り道。美緒は興奮混じりに私にそう話しかけてきた。
「りっちゃん以外できちんと喋れた人って今のクラスになってから初めてかもしれない」
「そうだね。美緒は特に他の人とぜんっぜん話せないし」
「嬉しいなぁ。りっちゃん以外にも友達ができて……。後でLINEでたくさんお喋りしよっと」
「え? 連絡先?」
「うん。帰る時LINEのID教えてもらったから。夜にでもしよっかなって」
胸がざわつく。いつの間に聞いたの? と私が尋ねるとりっちゃんが先生に呼ばれて席を外してる時だと教えてくれた。
「え、でも、りっちゃんも知ってるんじゃないの? 一回目のグループワークですっごい仲良くなったって言ってたじゃん」
美緒がきょとんとした表情で聞いてくる。私は唾を飲み込む。なんで私よりも先にそんなに仲良くなってるわけ? それでも私は敗北感と劣等感に蓋をして、できるだけ動揺を見せないように注意しながら、答える。
「うん、知ってるよ。当たり前じゃん」
そうだよねと美緒がうざったい笑顔を浮かべる。私にいつもしてるみたいなうざ絡みをして嫌われたら良いのに。私はその言葉をぐっと飲み込む。そして、そのタイミングで私の頭に警告アラームが鳴り響く。
『コミュニケーションエラーが発生しました。コミュニケーションエラーが発生しました。直ちに修復に向けた行動をお取りください。直ちに修復に向けた行動をお取りください』
三回目のグループワーク。再提出は食らわないだけの最低限の完成度を意識しつつ、私たちは和気藹々とグループワークに取り組んでいた。二回目のグループワークの最初みたいに美緒がコミュ障を発揮するわけでもなく、雰囲気は和やかで、すごく打ち解けあっていた。橋池さんと美緒が前よりもずっと距離が縮まってるのに少しだけ腹が立ったけど、空気をぶち壊したら橋池さんに変な目で見られるかもと思って私はぐっと我慢した。だけど、時々美緒が橋池さんにうざ絡みをするのがどうしても気になってしまって、私は耐えきれずに遠回しにそれを注意してしまう。すると橋池さんは、可愛くていいじゃんと答えて、それに対して美緒が嬉しそうに笑う。私と二人の距離感に、私の心が少しだけささくれだつ。
「中井さんと美緒ちゃんってめちゃくちゃ仲良いよね。ほんと、双子みたい」
雑談の中で橋池さんが言った。中井さんと美緒ちゃん。なにそれ。なんで美緒だけ下の名前で呼んで、私はさん付けなの? 私はその言葉に引っかかりつつも、そうだねと答える。
「双子っていうかさ、私がお姉ちゃんやってるみたい。だって、美緒って人見知りで私が間に入ってあげないといけないからさ」
「まー、最初の方も人形かってくらい喋んなかったしねー」
「そうそう、トイレだって一緒に行ってってお願いしてくるしさ、全然一人で行動できないもんね」
「えー。そこまでじゃないよ、りっちゃん」
「そうだって。美緒って本当に駄目人間なんだから。この前の体育の授業だってさ……」
「んー、そのくらいにしといたら? 今はこうしてちゃんと喋れてるんだし、別に良くない?」
橋池さんがノートにペンを走らせながら、こちらの顔を見ないままぽつりと呟いた。会話が一瞬だけ止まる。え、何? ひょっとして私が悪いみたいな流れになってる? 私の頭にちらっとそんな考えが浮かぶ。でも、私たち親友だし、りっちゃんがいなかったら駄目かもー、と美緒が能天気に笑う。何それ、と橋池さんが顔をあげて、愉快そうに笑った。
「まあ、確かに美緒ちゃんはコミュ障だけどさ。一回打ち解けたら一気に仲良くなれるじゃん。それってすっごく良いことだと思うよ。ずっと壁を作ったままで踏み込めないって人よりもさ、ぐいぐい来てもらった方がこっちとしては嬉しいもん」
橋池さんが美緒にフォローを入れる。私は橋池さんのその言葉を頭の中で反復する。ずっと壁を作ったままで踏み込めないって人。私は橋池さんの横顔を見つめる。ひょっとして、それって私を遠回しにディスってる? 言葉にする度胸はもちろんなかったし、自分の被害妄想だってこともわかってる。それなのに。それなのに、私は橋池さんから視線を逸らすことができなかった。
「あれ、中井さん、どうかした?」
私は唾を飲み込む。それから小さく息を吸い込みながら、首を振り、答える。
「ううん、別に」
私の頭の中でアラームが鳴り響く。
『コミュニケーションエラーが発生しました。コミュニケーションエラーが発生しました。直ちに修復に向けた行動をお取りください。直ちに修復に向けた行動をお取りください』
グループワークの課題も無事終わり、私たちは元の日常に戻っていく。前と同じように美緒は昼休みも放課後も私にべったりくっついて、橋池さんは一人で音楽を聞いていて、時折遊びにやってくる他のクラスの子と雑談をする。たまに教室の移動中に会話を交わしたり、体育の授業中に話すようになったけれど、私たちは自然と元の距離感に戻っていった。それは別に珍しいことでもないし、当たり前だと思ってた。少なくとも、私は。
「ねえ、りっちゃん。今度の土曜日空いてる?」
ある日の昼休み。美緒が嬉しそうな表情で私に尋ねてくる。いつものうざったい質問。それなのになぜか、何かを予感して私の胸がざわつく。どうして? とできるだけ平静を装いながら私が尋ね返すと美緒が返事をする。
「さっきの体育の授業中に橋池さんとお喋りしてたんだけどさ、今度の土曜日ね、一緒に市街に買い物に行こうって話になったの。二人で行くって話だったんだけど、りっちゃんもどうかなって……」
「私は行かない」
「え、あ、うん」
私の即答に美緒がたじろいだ。意味もなく鼻を触りながら、何かを伺うように私の目を覗き込む。私に何かフォローなりの言葉を言って欲しいんだろうな。そのことに気がついていたから、私はあえて何も言葉を続けず、きっと美緒を睨み返した。
美緒の言葉が私の頭の中で繰り返し再生されて、そのたびに怒りのボルテージが上がっていくのがわかる。クソコミュ障のくせに、なんで私よりも橋池さんと仲良くなってるわけ? 二人で遊びに行く約束したんだって自慢しに来たわけ?
美緒はまだ両手を蚊みたいにすり合わせながらもじもじしてる。そういうおどおどした態度してるから、糞みたいな男子にちょっかいかけられるんだよ。しかも、良い子ぶりっ子してんのか知らないけど、そういう奴らに面と向かって物言うことはないくせに、裏ではネチネチ陰口言ってんのも嫌い。結局、いつも私が美緒とクソ男子の間に入ってそいつらにやめろって強く言うからさ、評判が悪くなるのはいつも私じゃん。美緒に対する積もりに積もった不満や鬱憤がどんどん湧き上がっていくのがわかる。今回の件とは関係ないことだって自分ではわかってるし、ガキみたいな対応で美緒を困らせて愉悦に浸ってる自分にも吐き気がする。それでも抑えられなかった。コンプレックスとか、苛立ちとか、そんなもの全部が
「ねえ、りっちゃん? なんか最近あった? というか、私が何かしちゃった?」
美緒が機嫌を伺うように媚びへつらった表情で私に尋ねてくる。私が別にと答えると、嘘だと美緒が食い下がる。
「私が何かしてたら謝るからさ。言ってよ。わかんないよ」
「だから、なんでもないって言ってるじゃん」
「嘘だよ。だって、最近ずっと怒ってるもん。私……りっちゃんと仲直りしたいのに」
私の頭の中で何かの糸が切れる音がした。私はゆっくりと顔を動かし、今にも泣き出しそうな美緒の表情を睨みつける。被害者ぶった彼女に対して、私はあらん限りの悪意を込めて言い返す。
「別に私は仲直りしたいとは思わないけど? そもそもあんたのことなんか大嫌いだし」
美緒がその言葉に固まった。美緒だけじゃない。私たちの口喧嘩に聞き耳を立てていた野次馬どもも私のその言葉で凍りついて、教室全体が呼吸を止めたみたいに静まり返った。美緒が顔を手で覆って、そのまま走って教室から出て行く。私は立ち上がりもせず、美緒が教室の外へと出ていくのを黙って見つめるだけだった。
『コミュニケーションエラーが発生しました。コミュニケーションエラーが発生しました。直ちに修復に向けた行動をお取りください。直ちに修復に向けた行動をお取りください』
私の頭の中に今までに無い大音量のアラームが鳴り響く。だけど、私は唇をかみしめて、なんでもないような表情を浮かべ続ける。後ろの方で椅子から誰かが立ち上がる音が聞こえる。そして、美緒の後を追いかけるように橋池さんが教室を出て行くのが見えた。よかったね、美緒。別に、私がいなくても、利用できる友達がいてさ。
『コミュニケーションエラーが発生しました。コミュニケーションエラーが発生しました。直ちに修復に向けた行動をお取りください。直ちに修復に向けた行動をお取りください』
少しずつ教室に声が戻ってくる。私は耳を塞いでいたかった。なぜなら、みんなが何を話し始めるのか、わかっていたから。友達からひどい言葉を言われた可哀想な美緒と、陰キャで性悪な私。みんな、そう思う。当然だ。みんなは私がどんなに美緒の面倒を見てきたのかも知らないし、どれだけ色んなことを我慢してきたかなんて、知りやしないんだから。
「中井さんっていつもは人畜無害って感じなのに、あんな言葉言うんだね。きっつー」
私はバレないように目を動かし、声のする方へと目を向けると、福永さんがいつもつるんでるメンバーとこそこそ会話している姿が見えた。お前みたいな薄っぺらい人間に私の何がわかるんだよ。私はぐっと言葉を飲み込み、歯を食いしばった。キリキリと奥歯が擦り切れる音がする。
私は悪くない。私は悪くない。私は砕け散ってしまいそうな自分をつなぎとめるため、必死に自分に言い聞かせる。しかし、それでも。私の頭の中のアラームは無情にも鳴り続けた。まるで、私のすべてを否定しているかのような、けたたましい音量で。
『コミュニケーションエラーが発生しました。コミュニケーションエラーが発生しました。直ちに修復に向けた行動をお取りください。直ちに修復に向けた行動をお取りください』