【三題噺】鬼神 〜ゴム製のマリオネットの秘密〜
三題噺
お題は「輪ゴム」「糸」「パソコン」3000文字以内
俺のマリオネットの糸は輪ゴムでできている。
今度の映画は人形劇を撮る。
人形の躍動感のある動きが撮りたい。
君は素晴らしい役者だ。
人形の扱いには不慣れだろうが、君ならきっとこいつの良さを引き出せると信じている。
君の人形の糸がゴムであることは、スタッフには内緒にしてくれ。
贔屓だと騒がれたらたまらないからと監督は肩を叩いた。
ゴムは一見したところで糸と区別がつかなかった。
人形の動きを制御するのは想像以上に難しかった。
深刻なシーンで弾むように登場し、共演者に睨みつけられることしばしばだ。
役者として人形一つコントロールできない自分が不甲斐なく思えた。
それでも監督は何も言わずカメラを回し続ける。
俺は期待に応える動きを見せられているだろうか。
不安になり、つい人に愚痴をこぼしてしまったこともあった。
愚痴の相手は、失敗続きの俺に慰めの言葉をかけてきた早峰という男だった。
役者とは思えないほど棒読みな役者だ。
早峰に庇われると自分が力ないものに思えて歯がゆくなり、つい魔がさしたのだ。
違う。
本当の俺はこんな演技しかできない男じゃない。
甘く見られているようで不快で、それから全てを打ち明けて見返してやりたいという思いに駆られた。
早峰に大丈夫だと言われると、お前に何がわかる、下手くそなお前と一緒にするな、とはねつける言葉が出かかった。
理解されている、味方だなどとは思えなかった。
八つ当たりなんて情けない。
人形の糸がゴムであることを早峰に打ち明けなかったのは、これ以上惨めになりたくなかったからだ。
撮影の最終日。
フルキャスト出揃いポーズを決めるはずが、人形を静止出来ず周囲にぶつかって間抜けな音を立てた。
共演者の意味深な目配せが飛ぶ。
なんであんな人形の扱いを知らない下手くそが主役なんだとボヤく声が浮かんだ。
くそっ、くそったれが。
動きが制御できないことに苛立ち、本番中にもかかわらず思わず舌を打つ。
監督がカメラをつないだパソコン画面を凝視して、オーケーサインを出した。
緊張がほぐれ、スタッフ間にお疲れ様とねぎらう声が飛び交いはじめる。
ため息。くすくす笑い。これ見よがしな中傷。
形式だけの花束が送られて、すぐに散り散りとなり誰もいなくなった。
この場に残っているのは監督と、俺だけだ。
クランクアップ。
もう明日の撮影はない。
終わったのだ。
「監督。本当にあんな絵でよかったんですか。俺、ポーズ出来てませんでしたよね。音だって立てて、ひどい演技だった。なのに、どうしてオーケーなんか出したんですか」
「音?……ああ、お前の舌打ちの音かな。確かにプロとしては演技中にいただけないだろうな。あれはカットになると想定しての態度か?」
「それは……すみません。でもだったら尚更なぜ?」
人形が思うように動かないから、つい。
言い募ろうとして言葉を飲み込む。
監督の言う通り、あれはいただけない、自分の気の緩みだ。
言い訳など役者としてのプライドが許さない。
「いいんだ。十分いいものが撮れた。俺が撮りたかったのは人形じゃない。君だからな」
「どういうことですか」
覗いたパソコンの画面に写っていたのは人形を操る役者達。
目配せする奴らに、舌打ちする俺。
気の毒そうに眉を寄せる早峰の姿。
「主演は自身の体を思い通りに動かすことができない人間。つまりゴムのマリオネットに苦戦する君自身。役者の苛立ち、共演者の遠慮。蔑み。寄り添おうにもどう振る舞えばいいか戸惑う姿。これまでプライドを持って生きてきた私が、そのままではいられなくなる瞬間。舌打ちなんてすばらしいじゃないか。いい絵が撮れたよ」
「監督、あなたは俺を、みんなを騙したんですか? 俺は、あなたの信頼を期待を背負って黙って耐えてきたんだ。なのに」
俺の問いに監督は震える指で口元を覆った。
「ずっと思ってきた、誰にもわかるものかと。制御できない動きに苛立って、癇癪を起こしてはあやすように宥められる情けなさ。失笑を買うのがわかっていて通じない言葉を懸命に紡ぐ気持ちなど、誰にもわかるものかとな」
「……通じない? 誰にもわからないってなんの話ですか」
監督の手の震えが大きくなる。
眼球が離れ焦点を結ばない。
「監督?」
「すまない。この映像をどうするかは君に任せる。私にはもう、時がないようだ」
「監督。いけません!」
「えっ、早峰?」
扉の向こうからプラケースを小脇に抱えた早峰が飛び込んできて、卒倒しかけた監督をすんでのところで受け止める。
早峰は空いた手でケースを開くと歯で粉薬の口を開けた。
ケースの中には輸液と注射器が緩衝材と一緒に詰め込まれているのが見える。
「もう、いいんら。もう……」
「黙ってください。舌を噛みますよ」
「早峰、これは一体?」
早峰は手慣れた様子で薬液を振り合わせ注射器の先で吸い上げる。
「私は監督の主治医です。近年監督は進行性の神経麻痺に苦しんでいました。震えて立てず、口も回らない。余命僅かだと告げてから、監督は最後にどうしても理解したい、残しておきたい映像があると訴えるようになりました。そこである薬を使うことを承諾したのです。飲めばひと時、完全に麻痺を止めることができる薬。けれど切れれば麻痺は数段早いスピードで進行する。……悪魔の薬です」
「かみさあのくすりら。へんへいはかみさあら」
「主治医? あんた、役者じゃないのか」
頭に早峰の棒読みが浮かんだ。
早峰は飛び跳ねるような動きをする監督をかきいだく。
痙攣し呂律の回らない言葉を発する監督の姿は、意図せず跳ね回る俺のマリオネットそのものだ。
「監督はかつての自分とあなたを重ねたのでしょう。自身の演技にプライドを持ちチャレンジ精神旺盛な、未来への希望に満ちたあなたに、自身の感じたことを実感とともに最期に届けたかった」
早峰が監督の手を握る。
「ちくしょ……くしょう!」
「監督、打ちますよ」
「…やじゃぁ!」
早峰の手を振り払い拳を振り回す監督の腕を、早峰は強い力で固定した。
「またその危険な薬を打つのか?」
「いいえ。これは体を休めるための薬。打つと弛緩してほとんど動けなくなります。あの薬は監督からものすごいパワーを奪ってしまう。回復のためには仕方がないんです」
「や……へんへい、こわ……」
注射を打つと監督は目を開いたまま死んだように動かなくなった。
「私は悪魔でしょうね。二度と薬は打ちません。おそらくもう監督の口から私たちに伝わる言葉は聞けないでしょう。映像はあなたに託します。監督はあなたを対等な存在だと感じていました。私じゃダメなのです。監督はあなたにならきっと思いがわかるはずだと信じています」
「俺に託す……」
本人の言うように、早峰は悪魔だろう。
監督の命と引き換えに願いを叶えた。
カメラはまだ回っていた。
「盛大な愚痴じゃないか。思い通りにならない歯がゆさを同じように感じさせようなんて。そして俺を使ってそれを世間に見せつけようだなんて」
世界には監督のような悔しさを抱えて生きる人間が五万といる。
彼らが何を思うのか、俺は何も知らない。
知らなかった、けれど。
「監督、聞こえますか。この映画は必ず俺が完成させます」
たとえ共演者に訴えられようとも、世間に馬鹿にされようと、早峰のような悪魔……いや、鬼になってでも。
監督は何も答えなかった。