CASE.1 こっくりさん (5)
やっとホラー要素出てきます…(それでもチラッと)
扉を押すと、古く錆び付いたギギギ……という耳障りな音が響くと同時に、重たそうな扉が開いた。
吹き込んできた季節外れの生温い風が真白の赤毛を舞い上がらせ、ゾクリと彼女の背中を撫でる。
「……まだ春なのに、やな感じ……」
『そういうもんだろ?心霊スポットってやつは』
一歩が踏み出せずにドアから外をのぞき込むしかできない真白をよそに、シャードは何ともない様子で外に出る。
「ち、違うんですよ、前に来た時より不気味に見えるって言うか……」
『……前と違って、"出る"って分かってるからだろ?』
「そう、なんですかねぇ……」
兎にも角にも、動かない事には始まらない。
真白は覚悟を決めて、それでも恐る恐ると言った様子で外に出る。
きょろきょろと辺りを見渡すと……空に広がる暗闇が、その下に広がっているであろう光景すらも呑み込んで、どこか分からぬ場所に繋がっているのではないかと、そんな嫌な想像をしてしまう。
「……うぅ……」
『大空、手伝え』
己の身を抱いてぶるりと震えた真白に、屋上の中央でしゃがみ込んだシャードが声を掛けた。
彼はカバンの中から幾つかものを取り出すと、それらを地面に置く。
「て、手伝うって?」
『暗いから、スマホかなんかで手元を照らしてくれ』
シャードはそう言うとノートを開き、何かを書き込み始めた。それを見た真白は慌ててスマホのライトを起動させると、彼の手元を照らしながらノートを覗き込む。
五十音と数字、はいといいえの文字に、鳥居の絵……
書いていたのは、こっくりさんに必要な例の紙だった。
『…………あ、忘れてた』
ふと、途中でシャードが思い出したように声を上げる。
『悪いんだけど、カバンの前ポケットの中にあるやつ取ってくれ』
「? はい」
真白が言われた通りにシャードのカバンの前ポケットを開いてみると、緑色の布切れが視界に入る。
どうやらこのポケットにはそれしか他には入っていないようで、真白は恐る恐るその布を引っ張りあげた。
「…………はちまき?」
びろんと長い緑色の布、少しヨレていて随分と使い込まれているのがひと目で分かった。
なぜこんなものが?と首を傾げていると、『早く』とシャードの急かす声が聞こえて、慌てて手渡す。
「センパイ、それなんですか?」
『あ?見りゃわかるだろ……鉢巻だよ』
シャードはそう言うと、おもむろにその鉢巻を額に巻いた。後ろに回してギュッと縛り上げても、余った布は彼の腰辺りまでの長さがある。
「いや、それは分かりますよ……そうじゃなくて、なんで緑色なんですか?普通鉢巻って、赤とか白なんじゃ」
『……いや、これ貰い物だから理由は知らない』
「貰い物……ですか?」
『小さい時からこれ付けてると、集中できるんだよ。こう、身が引き締まるって言うか……
大体、今はそんなこと別にどうだっていいだろ』
話を強制的に終わらせたシャードは、額の鉢巻をそっと撫でると、よしと呟いて周囲を見渡した。
────集中すると、いつもよりも〈負の感情〉がよく見える。
スポーツ選手などに限らず、人には何かしら意識を切り替えて集中する為のスイッチのようなもの……ルーティンだったり行動があったりする。
シャードにとっては、この"鉢巻"がそうだった。
元々は意識を集中させてこの力をコントロールする事が目的だったのに、その成果は今のところ全く出ておらずむしろよりハッキリと、鮮明に見えるようになってしまったので笑えない。
……だから今回はそれを逆手にとって、こうして集中してよく見てみればきっと、例の〈こっくりさん〉から出ているであろう悪意を辿れるはず……
『(────······なにも視えない?)』
頭で理解した瞬間に、背筋にぞわりと悪寒が走った。
シャードがどれだけ目を凝らしても……夜の屋上には"何も無い"。ただ空に抜けるどこまでも暗い夜が広がっているだけで、ここにあると確信していた〈こっくりさんからの悪意〉がどこにも視えないのだ。
『なんで……』
「センパイ?」
呆然としているシャードを心配してか、真白が顔を覗き込む。
「どうかしたんですか?」
『……いや……』
────······落ち着け。
自分たちはまだこっくりさんを呼んでいない。
今はまだ視えないだけで、こっくりさんの儀式を行ってみれば……こっくりさんがこの場に来れば、そこから〈浅野 香織〉に対して悪意が伸びているのか確認出来るはずだ。
本人が登場すれば……そこから悪意が発生しているのなら、視えないなんてことはまずないだろう。
『……こっくりさんをするぞ』
「……や、やっぱりしなきゃダメですか」
『あぁ、ここに来ただけだとダメだった。こっくりさんが本当に浅野って奴を憎んでいるのか全くわからん』
「そういうもの……ですか」
渋い顔をしたシャードの様子を察してか、真白はそれ以上反対の声を上げなかった。
二人で紙を挟んで向かい合い、シャードが10円玉を鳥居の絵の上に置く。
『……始める前に行っておく』
「え?」
緊張しているのか、胸の前で手を握っている真白の顔を見て、シャードはゆっくりと口を開く。
『今回は、本当にこっくりさんが浅野を恨んでるのか確認するだけだ。いくつか質問して、答えが返ってくる間に俺が確認する……質問はその為の時間稼ぎだ。
あと、何があっても俺がいいって言うまで手を離すなよ……いいな?』
「……分かりました」
彼女は神妙な面持ちで頷くと、シャードに習って10円玉の上に手を置く。
「始めましょう、センパイ」
そう言って顔を上げた真白は、どこか覚悟を決めたような表情だった。それを見て、シャードは小さく頷く。
タイミングを合わせる声は上がらなかった。
けれども二人は同時に、大きく息を吸い込んでいた。
『「こっくりさん、こっくりさん、おいで下さい」』
二人の声が重なり、一瞬の沈黙。
次に、シャードが慎重に声を上げる。
『……こっくりさん、こっくりさん、いらっしゃいましたら、"はい"へ進んでください』
詠唱は終わった。あとはこっくりさんが来るのを待つだけだ。
1分、2分……もしくはそれ以上か。嫌にゆっくりと時間が静かに過ぎていくのを、二人は感じていた。
10円玉は動かない。
このまま永遠に時間が止まってしまうかと思ったその時、痺れを切らしたシャードが先に声を上げた。
『……なぁ、本当にこの場所でこっくりさんをしたのか?何も起こらねぇんだけど』
眉をひそめるシャードを見て、真白が慌てて声を上げる。
「ほ、本当にここですよ!間違えるわけないじゃないですか!!
……おかしいなぁ、香織ちゃんとやった時はすぐに」
──────その時だった。
突然、どこからかヒュゥ……ッと風邪の吹き抜ける甲高い音と共に生ぬるい風が二人の頬を撫でた。
『「!!」』
次の瞬間、二人が押さえている10円玉が突如としてカタカタと小刻みに震え始める。
「せ、センパ……」
『静かにしろッ……』
二回目でも……いや、一回目を知っているからか。少しだけ怯んだ真白を制止し、シャードは緊張の面持ちで10円玉を見つめる。
ソレはしばらくの間その場から動くことなく小さく震えるだけだったが、次第にゆっくりと鳥居の絵に向かって進み始め……やがて動かなくなった。
ゴクリと静かに息を呑む。
『…………まず、俺が聞くぞ』
シャードが同意を求めるように視線を向ければ、真白は小さく頷く。
「お、お願いします」
『……こっくりさん、明日の天気を教えて下さい』
手始めに、無難な質問からいこう。
そう考えたシャードが一つ質問をすると、その質問に呼応するように、10円玉がカタンと揺れた。
少しの間の後、鳥居の絵の上にあった10円玉がスゥ……と音もなく動き出した。
『!!』
「ひぇっ……!」
悲鳴をあげそうになった真白をシャードが睨み付けると、我に返った真白が慌てて、空いた片方の手で口を押さえる。
その間にも、10円玉は動き続けていた。
とあるひと文字のところで突然止まったかと思えば、三拍ほど置いてから次の文字へと移動していく。
「……"は"…………"れ"」
『晴れ、か……』
「せ、センパイ、何か感じました?」
『へ?』
真白の言葉に、シャードは一瞬何のことを言っているのか分からなかった……が、すぐに今回の目的を思い出し、気まずげに『悪ぃ』と謝る。
『本当に来たことにびっくりして視てなかった……』
「え、えぇ!?も〜〜ちゃんとしてくださいよぉ……!!」
焦りと恐怖からか若干涙目がかってきた真白の表情に罪悪感を覚えたシャードは、もう一度『ごめん』と謝るとなんとか意識を集中させる。
『……鳥居の位置までお戻りください』
シャードがそう言うと、10円玉はほんの少しだけ迷うように……紙の上を行ったり来たりを繰り返した後、鳥居の所まで戻る。
一瞬、断られるかと冷や冷やしたが、ホッと息をつく。
『……じゃあ、大空』
「は、はいッ」
『次はあんたが質問してみてくれ。俺はその間、ちゃんと視てみるから』
「……わかり、ました」
真白はゴクリと生唾を飲み込むと、何を聞こうかと頭を悩ませてウーンウーンと首を傾げる。
「えぇと、えぇと……」
『おい、なんでもいいって。早くしろよ』
「や、やめてください急かさないでください。なんにも思いつかなくなっちゃいますから!」
そんなことを言われては黙っている他ないので、シャードは渋々口を閉じることにする。
その甲斐あってか、少し時間は掛かったが真白の頭にふとひとつの疑問が思い浮かんだ。
「……えっと、そう……ですね、ずっと気になってたんですけど」
『うん?』
「あの日、私と香織ちゃんが聞いたあの変な音……あれって、こっくりさんの仕業なんですか?」
真白がそう質問した時、シャードは一瞬何のことを言っているのか分からなかった。けれどすぐさまその"変な音"がなんなのか、思い当たる節を見つける。
しかしシャードがそれを彼女に確かめる前に、紙の上の10円玉が動き始める。
先程の質問よりも動き出すのが早かった。ゆっくりとした、けれども先程よりも少しだけ滑らかな動きに見えたような気がした。
そうして、10円玉が止まったのは〈いいえ〉の文字の上だった。
「…………あれ?」
『音って……浅野が驚いて手を離したっていう、あの音か?』
こっくりさんが豹変するきっかけとなった、〈パンッと何かが弾けるような音〉。状況を鑑みるなら、きっとそれは霊的なものが引き起こすいわゆる"ラップ音"というものなのだろうが……
「はい……てっきり、こっくりさんが私達を驚かせようとしたのかと思ったんですけど……おかしいなぁ」
真白はそう言って不思議そうに首を傾げつつも、こっくりさんを鳥居の位置まで戻す。
「……あ、センパイ。今度こそ何か分かりました?」
怪訝そうな顔でこちらに視線を向ける真白に、シャードは肩を竦めて首を横に振る。
『ん〜、なんて言うんだろうな……近くにそのこっくりさんらしき何かがいるって言うのは分かるんだけど……』
肝心の、悪意が見当たらない。
こっくりさんが浅野香織を憎んでいるのであれば、向けられているであろう悪意が影のように伸びて自宅にいる被害者を蝕んでいるはずなのだ。
大なり小なり、人は他人から悪意を向けられるものだが……浅野香織のあの姿は流石にシャードにとっても異常だ。あんなにはっきりと悪意の道筋が視えたのは初めてだ。
『……あんなに強い怒りなら、こっくりさんに近づいただけで視えると思ったんだけどな……』
「ん?今なんて」
『いや、何でもねぇ。
……うん、もう少し様子を見てみる。次は俺が質問する番だな』
……とは言っても、シャード自身が被害を受けた訳では無いので、関連性のある質問がおいそれと思いつくかと言われると答えはNoだ。
だから今度は、先程の真白がした質問を掘り下げてみることにする。
『そうだな……
あの時聞こえた音の正体は、他の霊の仕業ですか?』
こっくりさんがやっていないのなら、他に犯人がいたのかもしれない。
その場に心霊現象を引き起こす別の"何か"がいたのであれば……初めの予想の斜め上にはなるが、それらが浅野香織に危害を加えたという可能性も出てくる。
シャードの質問の後、それに呼応するように鳥居の位置にあった10円玉がスィ……と動き出す、が。
『んぉ?』
「あれ?」
──────······止まったのは、今度も〈いいえ〉の文字の上。
「????」
『……他の霊の仕業でもない?』
つまり、どういう事だろう?
あの時、二人を驚かせた音の正体がこっくりさんでも、
他の霊でもないとなると……
『(あの時、他に誰かがここに居た……とか?)』
しかし、それなら真白と浅野香織がこっくりさんをして事件が起きるまでの間、その音が聞こえる位置でずっと隠れていたことになる。それはそれで腑に落ちないというか……
シャードは探偵でもなければ警察でもなんでもない。ぐるぐると目を回して思考を巡らせていると、真白が「センパイ」と声をあげる。
「鳥居の位置に戻さないと……」
『ん?あ、あぁ……鳥居の位置にお戻りください』
慌ててそう言うと、10円玉は問題なく鳥居の位置まで戻っていく。
──────こんな時、自分が普通にサトリの能力を使いこなせていたのなら……と思ってしまう。
怒りや悲しみや悪意だけではなく、喜びも慈愛の感情もこの目で全て捉えることが出来ていたのなら、いまこの瞬間にもこっくりさんが何を考えているのか分かっていたはずなのに。
「よーし、次は私ですね!」
想像以上に現状の自分が無力であることに気がついて、シャードは悔しさに顔をしかめる。もっと自分が……このおかしな能力と向き合えていたのなら、もっとまともに使いこなせていたかもしれない。
「えぇと……と言っても、前回の時に色々聞いたからあんまりもう思い浮かばないんですよね……香織ちゃんのことくらいしか……うーん」
気が付いたらこんな目になっていて、普通の人のように他人の感情なんて見えなければと何度も思ったことはあったが、まさかその逆を考える日が来るとは……
紙の上の10円玉を見つめながら、ぐるぐる、ぐるぐると同じ思考を何度も繰り返す。胃の中に何か黒い感情が溜まっていって、吐き出してしまいたくなるような、そんな気持ちになって……
「あーーもーー!!ごちゃごちゃ考えても分かんない!!
……こっくりさん、もうちゃんと教えてください!
"香織ちゃんがおかしくなったのは、こっくりさんのせいなんですか"ッ!?」
彼女のそんな声にハッと我に返った瞬間、シャードの顔はザァッと青ざめていった。
『!? ばっ……!』
馬鹿、と言いかけたが遅かった。
10円玉はカタカタと音を立てて小刻みに震えだし、再びどこからか生ぬるい風が吹き抜ける。
「だ、だって、直接聞いた方が早いんじゃないかって!」
『容疑者に直球で質問するとかアホか!お前、そんなこと聞いたら……』
…………聞いたら?
聞いたらどうなるんだ?
この間と同じように、こっくりさんが怒って〈何か危害を加えようとしてくるのか〉?
シャードはハッと気が付いたように、慌てて周囲をキョロキョロと見渡す。意識を集中させ、視えないモノを捉えようと必死に目を細めた。
前回の話のように危害を加えてこようとするなら、そこにはきっと〈悪意〉があるだろう。ということは、浅野 香織に向かって伸びていた悪意の正体が分かるかもしれない。
そう、思っていた。
『……どういう事だ?』
「センパイ?」
『…………やっぱり、"何も視えない"』
「えっ? ……あ、せ、センパイ!10円玉が……!!」
真白の声に反応してシャードが紙の上に視線を戻すと、10円玉が動き始めていた。
のろのろと動く様子に焦りと苛立ちを覚えながらも、シャードはその間にも周囲に〈悪意〉が発生しているところがないかを必死に探る。けれども、何度見てもそんなものはどこにもない。
畜生、畜生、なんで何も見えないんだ?
「……えっ?」
ピタリと10円玉の動きが止まるのと同時に、真白から困惑の声が上がってシャードは勢いよく紙を見た。
『…………"いいえ"?』
二人は思わず互いの顔を見合わせる。
いいえとはどういう事だ?浅野香織がおかしくなったのは、こっくりさんの仕業ではないと言いたいのか?
その答えを素直に飲み込むならその通りだろう。しかしそれなら、一体何が彼女に対してあんなにも禍々しい悪意を向けているんだ?
「せ、センパイ……これって、どういう事なんでしょう?こっくりさんが原因じゃないんでしょうか?」
真白が不安げな、縋るような表情をしてシャードの顔を見る。その顔にシャードは罪悪感で胸をドキリとさせながら、胸によぎる気まずさに思わず咄嗟に顔を逸らしていた。
『……わかんねぇ。少なくとも、いまこっくりさんをしてる間、こっくりさんからの悪意はどこにも見当たらなかった』
「…………そう、ですか」
今ほど、己の無力さを思い知った瞬間はなかった。
自分は、この力がある限り他人の負の感情を見ることに関しては誰よりも優れているんだろうと、皮肉めいた自信があった。
だから彼女に助けを求められた時、もしかしたら嫌いで嫌いで仕方がなかったこの目を好きになれるかもしれないなんて、心のどこかで淡い期待をした自分がいた。
『(……あぁ、でも結局……コレがあっても俺は誰の役にも、何の役にも立たないんじゃないか)』
胸に淀んだ黒い感情が口から溢れて今にも零れだしてしまいそうだった。
「……こっくりさん、鳥居の位置にお戻りください」
重たい沈黙を破って、真白が小さく声を上げる。
もう既に何度目かの、10円玉が鳥居の位置まで戻っていく同じ光景を眺めながら、それでもシャードは口を開けなかった。
「……センパイ、そろそろこっくりさんを帰さないと……」
『…………あぁ、そうだな』
何か別の方法はないかと頭の中で模索したが、思いつかなかった。ただ虚しい想いを抱えたまま、シャードは頷き返す。
こっくりさんに帰ってもらうためには、再び呼びかけなければならない。
『……こっくりさん、こっくりさん』
どうぞお戻りください、と続けようとした時だ。
どこからかビュウッ……!と季節外れの強い風が吹き込んできて、危うく紙が飛びそうになる。
「わ、わ!センパイ押さえて押さえて!!」
『お、おうッ……』
二人で慌てて、空いたもう片方の手で紙が飛ばないように押さえつけた時だ。
"─────……げ、……の器……"
どこからともなく、何かを呟くような声が聞こえた。
『……え?』
「……センパイ?どうかし、むぐ!」
様子を訊ねようとした真白の口を押さえ、シャードは風と一緒に吹き込んでくるその微かな声を捉えようと耳を澄ます。
その声は、なおも続いていた。
何度も、何度も同じ言葉を繰り返しているようで、か細いその音を拾い集めて、シャードはようやくその言葉を捉えることが出来た。
"─────······注げ、注げ、空虚な器に満たす憤怒の情を。
恨め、憎め、血肉を喰らわば……汝の本懐を遂げる糧となろう"
『……なに?なんて……』
「えっ、なにって?」
状況が掴めないというようにきょとんと目を丸くする真白に、シャードは慌てて口を開く。
『今、変なのが聞こえなかったかッ?』
「……変なのって?」
『風に乗って声が……いや、意味はよくわかんねぇんだけど、器とか憎めとか血肉がどうのとかって』
「えぇ、なんですかそれ。何かの呪文か何かですか?」
ファンタジーじゃあるまいし、とこの期に及んで口を尖らせる真白にどの口が、と言葉を投げかけようとして、ふと動きを止める。
──────······"呪文"?
まじないや呪いに使われる言葉。
この場合、真白の言うように実際に炎を出したり水を操ったりの類のことではなく、呪術的な効果を得るために使われる。
今の怪しげな声が何らかの呪文を唱えていたとしたら、一体何のために?そうしてひとつ、ようやく何かの答えが掴めそうになった時だ。
……どこからか、〈パンッ!と何かが弾けるような音〉がした。
「きゃあッ!?」
『!!』
「せ、せせせ、センパイ!今の音!!」
すぐさま真白が顔を青ざめさせて悲鳴をあげ、シャードに縋るように声を上げる。その様子を見てシャードは確信した。
"この音はあの時と同じ音だ"。
そうして、それに気づいたと同時に、シャードは目の前の光景に目を見開いた。
今まで視えなかったものが、視えるようになっていたからだ。
『──────······大空避けろッッ!!』
「へ?ぅぎゃあぁッ!?」
突然視界が真っ暗になったかと思えば、次の瞬間真白の耳元でドンッ!!と何か重たいものが地面と衝突するような音が聞こえた。同時に、身体が地面にぶつかる衝撃。
先の音のせいで、指はとうに10円玉から離してしまっていた。目の前に広がる暗闇がシャードに抱えられている事によるものだと気付いた時には、真白は恥ずかしさよりも現在の状況にただ狼狽えるしかできない。
「せ、センパイ、センパイ!?一体何が────」
『…………こっくりさんだ』
「えぇッ?」
シャードは真白を両腕から解放すると、彼女を何かから庇うように前に出る。その表情は恐怖に引きつっているようにも見え、真白はゴクリと唾を飲む。
シャードに視えているのは、巨大な、それでいて禍々しい気を放った〈人の形をとった何か〉だった。
《オ、オ"ォッ……オ"ァア"ア"ァアァアァア……》
獣の唸り声ような、それでいて人の言葉のような。
黒い影のようなもので出来たそれは、まるで憎しみをそのまま具現化したかのような息苦しさがあった。
先程まで真白がいた場所に置かれたその腕のようなところから、黒色の液体のようなものが滴り、ネットリと粘液のようにゆっくり地面に落ち、影に溶け込む。
そうしてその影は、真白とシャード、そして遠く離れた"誰か"に向けて伸びているのだと悟った。
……それを見た途端に、シャードはそれまでの疑問が全てが腑に落ちるようだった。
こっくりさんをやっているのに、こっくりさんからの悪意が全く視えなかった理由も。
〈コレ〉は全くの"別物"だ。
目の前にいるのは、自分たちの質問に答えていたこっくりさんではなく……それをベースに作り上げられた、悪意と憎悪の化け物、だ。
『(こんなの、どうにかできるわけが無い)』
……目の前の光景に、吐き気すら忘れてただ呆然とそれを見上げていた。
『(事故現場の地縛霊とか、幽霊スポットの浮遊霊とか、そんなレベルのものじゃない……こんなの、父さんからも聞いたことがない。
どうすればいい?どうすれば……)』
くらりと目眩がするようだった。
今すぐこの場で叫び声をあげて逃げ出してしまいたい、そんな衝動に駆られた。しかしながら、いまアレに背中を向けたら一巻の終わりのような気がして、ただただ立ちすくむ。
……そんなシャードを嘲笑ったのだろうか?
目の前の黒い塊が、無いはずの口元をニタリと歪めたような気がした……