CASE.1 こっくりさん (2)
『────ごめん無理』
「そっ……想像以上に返答が早すぎるぅッ!!」
まぁ実際のところ、崩れ落ちたのは赤毛の少女の方だったのだけれども。
「ま、待ってくださいッ!まだ話は全部終わってないです!!」
『えっいやだって……聞かなくても面倒なことだって分かるし……聞く以前の問題だろ……?』
「そこを何とかぁッ!!」
自分の足元に縋りつく少女をジト目で見つめながら、シャードは『うわ』と冷たい視線を送る。
どうしよう、面倒くさいのに捕まってしまったぞ。
『そもそも意味わからん。
なんだ初対面の人に"友達を助けてください"って。話す相手を間違えてるぞ』
「違うんです!話を聞いてください!」
『だぁー足にまとわりつくな鬱陶しいッ!!』
「いやです〜!!話を聞いてくれるまで離しません!!」
ぎゃあぎゃあと喚く少女を引き剥がそうともがくも、彼女の決意は固く、言葉通り離れてはくれない。
なんなんだ、この女は。あれか?くっつき虫。山とか林の中を歩いてたらいつの間にかくっついてるトゲトゲした草の種だか実だかよく分からない……あれ正式名称なんて言うんだろう。
などとどうでも良いことを考えながら、しつこい少女にシャードは痺れを切らしそうになる。
『あ〜も〜面倒くせぇなぁ!
なんなんだよ助けてくれって!俺じゃなきゃダメなのか!?』
「そ、それは……分かりません……でも本当に他に頼るところがなくて!」
『はぁ〜分からないだぁッ!?お前ふざけてんのか?マジでいい加減にしねぇと────』
シャードが顔を顰めると、それに怯んだのか少女の小さな肩が揺れた。
『……!!』
「…………うぅ」
『……怒鳴りすぎた、わりぃ』
一瞬作ってしまった間に気まずさを覚えて、顔を逸らす。そうか、こいつは突然押しかけてきた礼儀知らずとはいえ、女の子なんだったと思い直す。
常日頃から、「女の子を泣かせる男は最低」とライトに言われているせいで、こういうのに弱い。(いや、シャード本人はこれっぽっちも、女子を泣かせた経験などないのだけれども)
と、冷静になったところでこうとも思い直す。
断るにしても、せめて話を最後まで聞いてからにしなければ失礼だったよな、とも。
そう思って、シャードは小さくため息をつくと、重々しくも口を開く。
『あ〜……あのさぁ、そもそもその友達が云々……って、それ、先生とか親御さんに相談したか?』
"助けてください"という事は、何か困った事が起きたということだろう。それを、顔も知らない赤の他人である自分に助けを求めるとは、一体どういう了見なのか?
そんなシャードの言葉に、少女は彼の足にしがみついたまま「それは……」と呟き、何故か押し黙ってしまう。
『…………あ?』
────その瞬間、彼女の背後から感情のもやが溢れ出すのが視えた。
最初に目に止まったのは、〈後悔〉だった。
彼女は酷く、何かを悔やんでいる。
それがなんなのか、今のシャードには到底想像もつかなかかったけれど。
それ以外に視えたのは、何かに対する〈怒り〉と〈悲しみ〉、そして〈悔しさ〉で。
『お前、なんで』
「え?」
思わず口に出した言葉に、少女は不思議そうにシャードを見上げて首を傾げる。そこでシャードは、そう言えば彼女には見えないんだったなと、自分の失態に気づく。
『なんでもない』
「? ……えぇと、相談はもちろんしました。でもその……」
言葉を濁したポニーテールに、今度はシャードが首を傾げる番だった。
彼女が言おうか言わまいか迷って沈黙する間、背から溢れ出す負の感情は、彼女が"何か"を思い出す度に波打ち、膨れ上がっているようにシャードには視えた。
〈不安〉の波が、ゆっくりと波打って彼女から溢れ出しては、シャードに向かってくる。
「この人に話しても大丈夫だろうか」、と。彼女の感情と表情が、まるで直接言葉となって語りかけてくるような、そんな分かりやすい、不安。
そこまでして何をそんなに不安がっているのかまでは推し量れないけれど、少なくとも、この少女はシャードが今まで出会ってきた人間の中でもとびきりのわかり易い人間だった。言うなれば、《考えていることが顔に出やすいタイプ》とでも言うんだろうか。
……視ているこっちが、不安になりそうなくらいに。
「────···多分、私の口からお話するよりも、まずは見てもらった方が分かっていただけると思うんです。
お願いします、一緒に……着いてきてくれませんか」
長い長い沈黙の後、少女は少しだけ泣きそうな顔でそう声を振り絞った。
だから、彼女の口から必死に選別されて出てきたのであろうその言葉を聞いて、シャードは無下に首を横に振ってその手を払い除けるような手酷いことを、今の彼女にできる自信もなかった。
「この家なんです」
その家に辿り着いた時には、既に夕日が真っ赤に染まっていて、空は少し藍色がかってきていた。
言ってしまえばそこは、住宅街に佇む数多くの家のひとつに過ぎなかった。
しかし、赤毛の案内人が〈浅野〉と表札を掲げたそのインターホンを鳴らし、中から出てきた住人の姿を見た瞬間に、シャードは思わず『うわ』と小さく声を上げた。
家から出てきた女性自体、てっぺんから黒くなってきた茶髪を下で結んだ、パッと見40代くらいの普通の主婦だった。
その背から黒々と溢れ出す《負の感情》だけが、その女性の異様さを醸し出している……もっとも、"それ"を目に視て感じ取ったのは、シャード以外いなかったのだけれど。
「こんにちわ、おばさん」
こちらがそう声をかけると、エプロン姿の女性は「あら」と少しだけ疲れの滲む声を上げて少女を見た。
「また様子を見に来てくれたの?……でもごめんなさいね、あの子はまだ……」
「はい、構いません。あの……部屋に行ってもいいですか?」
少女がそう言うと、女性は快く応じてくれた。
後ろに佇んでいるしか出来ないシャードを見て、一瞬だけ不思議そうな顔をしたが、すぐに笑顔で応じる。
「香織の友達かしら?
……ごめんなさいね、こんな事になってしまって」
『あ、いえ……』
香織、というのはこの家に住む娘さんだろうか?
全くの無関係ですとは流石に言い出せず、シャードは曖昧に頷く。
ただ、笑顔でこちらに頭を下げる女性の背から黒い〈悲しみ〉のもやがとめどなく溢れだしていることだけが、やけに印象に残った。
「香織。……私だよ、入るね」
香織、とプレートの下げられた部屋にそうノックをして、赤毛の少女は部屋に入った。よくここに通っているのだろう、「入るね」の一言で少々無遠慮に部屋入るところを見るに、部屋の主との関係が垣間見える。
「……香織」
ドアを開けて潜ったところで、少女は部屋の奥に進むことなくピタリと足を止めた。その表情は悲痛を浮かべていて、シャードは不思議に思って部屋の奥をのぞき込む。
『…………は?』
なんだよこれ、と思わず口から声が漏れた。
その後、すぐに口元を覆った。
目に飛び込んできた光景に、思わず胃の中から胃酸が上ってきそうなのを必死に押し込んだ。
部屋の中央に、その少女は佇んでいた。
見覚えのある制服を着ているところを見るに、同じ学校の生徒なのだろう。肩あたりまで伸びている茶色くくすんだ髪の毛は、少しボサついていてところどころ傷んでいる。
その目はぼんやりとどこか虚空を見つめており、暗く、沈んでいて、生気が全く感じられない。
──────それよりもシャードを驚愕させたのは、その少女・香織に向かって伸びる〈悪意〉の感情だった。
どこか一方の方から、部屋の壁を突き抜けて少女を取り囲み、包み込むその黒々とまとわりつく〈悪意〉の感情は、シャードがこれまで見た負の感情などとは比にならない量だった。
黒い感情は、時折香織の表情を隠してしまうほどのもので、なぜこれ程の悪意を彼女が向けられることになったのか、想像もつかないほどだ。
……それを見たシャードが、思わず吐き気を催してしまうほどに。
『う、ぇ……』
「……つ、月神先輩?大丈夫ですかッ」
異変に気付いた少女が、慌ててシャードの背中をさする。そんな異常な状況であるにも関わらず、香織という女子生徒はこちらに一切視線を向けることがなかった。
……いや、耳に入っていないのか。
完全にこちら側は意識の範疇に入っていないのだろう。
シャードはこちらを気遣う少女の手を制止し、よろよろと香織の方へと視線を向ける。
相変わらず、どこから伸びているのか分からない悪意が、彼女を包み、今にも飲み込んでしまいそうだった。
『…………何をした?』
「……えっ?」
シャードがようやくそう口を開くと、赤毛の少女は戸惑ったように声を上げる。
『何をしたって聞いてんだ。
あんた、その様子だと何か知ってるんだろ……こんなの、〈人間〉が向ける悪意の量じゃねぇよ……なんだよこれ』
これ程までの悪意で相手を蝕む……それは一人の人間が向ける個人的な憎しみや悪意で出来ることではない。というより、これ程の悪意で相手の正気を奪うだなんてこと、人間に出来ては溜まったものじゃない。
人間が出来ないのなら、答えは一つ。
人間以外の"何か"の悪意を買ったのだ。
『儀式か?呪術か?祟りか?
どれだ、何をやった?何に関わった?何を怒らせた?』
「せ、せんぱ……」
たじろぐ少女の肩を掴み、シャードは声を荒らげる。
『────言えッ!!
……このままだと、この子は〈悪意に喰われて〉もう元には戻らなくなるぞ』
その言葉に、少女は目を見開く。
次の瞬間、ハラハラと目から涙を零し始めたかと思うと、その場に力なく崩れ落ちる。
「……私……私の、せいなんです」
彼女は掠れた声でそう切り出すと、未だに部屋の片隅を見つめる……〈浅野 香織〉が何故このような事になってしまったのか、その経緯をぽつりぽつりと語り始めた。