逗子に住むことに
大学生になって、逗子に住むことになった。
逗子に住みたかったわけでもなく。
マリンスポーツをやろうと思っていたわけでもなく。
海のそばに住みたかったわけでもなく。
そもそも大学が遠い。
兄貴が勝手に僕の住むところを決めてきたのだ。
簡単に説明するとこうだ。
親父は僕が高校三年になる春に亡くなった。
大学に行けるのかなとぼんやり考えていた。
「拓、大学は行っておいたほうがいいよ。親父も学費ぐらいは残したみたいだし。奨学金とかもあるし。なんかあったら、協力するからさ。」
「ありがとう、兄貴。」
「ありがとう、也実。拓実、也実もそういってくれているんだから、受験頑張りなさいよ。」
七つ離れている兄貴を凄いなと思った。
高校こそ、おんなじだけど、兄貴は高校でもトップクラスで有名大学にストレートで入り、誰しもが知っている商社で働いていた。
七つ違うと大人と子供の差といってもいいだろう。
僕が真っ黒になって、カブトムシやクワガタを追いかけていた頃、兄貴は高校生。
中学生の頃には、もう大学生で1人暮らし。
そして、高校3年生で進路に悩んでいる頃には、既に社会人。
今、思えば、社会人っていってもまだまだ入社2、3年目あたりでは、自分だけで精一杯で、弟に協力できるゆとりなんてないはず。
当時は、そんなことは考えもしなかったのだが。
それが僕が、大学へあがる直前、突然、帰ってきて。
「拓、逗子に住め!」
「逗子に住めって?」
「住むところ、決めてきた。」
「なにいってんの?」
「知り合いが逗子にいて、いいところがあったんだ。バス・トイレ付きでなんと家賃2万円。」
「2万円?」
「家の離れだ。ただし、条件があって、アメリカに住んでいる息子が帰ってくるまでの間。帰ってきたら、速やかに空けて欲しいとのことだ。」
「逗子ってよくわかんないだけど、大学も遠いんじゃない?」
「まあ、逗子だったら、通えるさ。それに海に近い。拓、海、好きだろ。」
「海が好きって?」
「ほら、小学生の頃、海にいくっていうと喜び方、ハンパじゃなかったもんな。親父も凄く喜んでいてな。拓の喜ぶ顔みていたら、海つれてきてよかったって言ってたよ。」
「そんな、昔のこと言われても。」
「まあ、逗子に住め。」
「しょうがないなあ。」
兄貴に断ることはできなかった。
もっとも、格安の2万だし、断る理由もなかったのだが。
僕の逗子住まいはこうやって始まった。