6、
そして冒頭のやりとりである。
上空に飛んだ相手のドラゴンは逃げるキヅキを追いかけ、滑空と共に剣を降り下ろす。
キヅキは悲鳴をあげながら横へ飛びよけ、どうにか剣の直撃を避けた。
「貴様はなんてなさけない声をあげておるのだ」
「声なんか気にしてるばあいじゃないよっ」
「気合の問題だ。気の入った雄叫びで奴を萎縮させろ」
わかった、とキヅキは逃げるのをやめ、迫り来る相手と向き合い大きく息を吸い込む。
「がおぉっ!」
全力で叫んだ直後、振り下ろされた剣がイーグルの右肩の甲冑を弾き飛ばした。
「ひいっ。ぜんぜんダメじゃん。よく考えたら、叫ばれて萎縮する相手が戦いなんか挑んでくるわけないしっ」
再び逃げ出すが、どうも相手はキヅキが飛べないのに気づいてか、確実に反撃のできない上空からの攻撃に徹している。しかしその直線的な攻撃のおかげで避けるのはたやすく、度重なる攻撃も直接的なダメージには至らなかった。
「このままでは埒があかん。貴様が女に自慢していた剣道とやらの技でなんとかならんのか」
「女に自慢って、そんなんじゃないし。女の子との会話を盗み聞きとか趣味悪すぎるっ」
キヅキは顔を覆ってさらに逃げる。
そんなやりとりをしつつも、実際どうにもならない状況だった。生身の人間だったら、そこらに落ちている棒を竹刀の代わりにでもできただろうが、今の巨体では適当な長さの棒など見あたらない。さらには巨体のおかげで身を隠す事ができず、休んでいる暇がなく体力を消耗していく。
だが体力の消耗は、相手の方が空を飛んでいる分多いらしく、少し離れた場所に着地したと思ったら、剣を杖代わりに肩で息をしていた。
「ふん、あんな低空でちょこまか飛んでいるから無駄に疲れるのだ。キヅキ、今のうちにやってしまえ」
言うのは簡単だが、やれるものならとうの昔にやっている。だけど今のところ、戦いの経験という点では、相手も自分と同じ初心者だとキヅキは感じた。
「あのさイーグル。相手の人と話すことってできるかな」
「相手が了承すれば話すことはできるが、貴様はそんなことをしてどうするつもりだ」
「なんとか話し合いでどうにかならないものかなって。同じ日本人なら、こんな状況望んでないだろうし」
イーグルは、貴様、と怒気を込めて言った。
「話し合いなどしてどうなる。目の前のドラゴンに乗るトーカーにも、命にかえても叶えなくてはならん願いがあるのだ。ワシには見えるぞ、そんな相手に貴様が言いくるめられる様が」
「そんなの話してみなきゃわかんないよ」
「ほう。もし相手のトーカーが子供だったらどうする。もしその子供の願いが、理不尽な死を遂げた親を生き返らせるというものだったら。もしそうだとして、この局面で事の真偽を確かめる術はあるのか。そんな霞のようなものと、あの娘の命とを天秤に掛けることができるのならば話すがよい」
キヅキは何も言い返せなかった。
確かに今、相手とコミュニケーションをとったところで悩みの種が増えるだけだ。ならば何も知らずに戦った方が楽である。
今するべきは、争う事の無意味さを説くことでも平和的解決の道筋を探ることでもなく、ドラゴンを殺してエリナを助ける事だ。
キヅキは深呼吸をして、殺すべき敵に向きなおる。
敵は呼吸を整え、剣を構えてこちらへと走り始めた。すでに先ほど飛んだ時の離陸距離よりも接近しているので、飛ばずに攻撃を仕掛けるつもりのようだ。そして敵は目の前まで走り込んで、剣を振りかぶりジャンプした。
キヅキはジャンプの着地点と剣の長さを計算し、後方へと避けて必要な間合いをあける。すると敵は着地と同時に剣で地面を叩いた。その後の連続攻撃に備えてさらに間合いを広げようとしたが、敵は追撃せずにそのまま態勢を整えた。
ただ威力を増すためだけの単発のジャンプ斬りを見て、キヅキは相手が剣技において素人だと目算する。攻撃というのは数手先まで見据えて行うもので、それを単発、しかも丸腰の相手にするのはありえない。敵は命の削りあいに萎縮しているか、こちらに対して過大な恐怖を抱いているのだろう。どちらにせよ、生きるも死ぬもあと数手で決着をつけようと決めた。
「イーグル、僕に命を預けてもらってもいいかな」
そう言いながらキヅキは、敵に向けて左腕を伸ばし、そして手を広げた。相手に間合いを錯覚させるためだ。
「ふん、すでにワシにはその選択権はない。せいぜい貴様は、自分のために死なないことだ」
ああ、とキヅキは短く告げ、精神を集中させる。
まずは相手の間合いを狂わせ、空振りを誘う。
キヅキの思惑どおり敵が振りおろした剣は、最小限に後退して引っ込めた左手の前を通過し地面を削った。次に、剣の攻撃範囲よりも接近し、剣を無効化して格闘戦に持ち込もうと、右腕を伸ばして前へと出る。
しかしその時、敵の剣が地面から切り返してきてイーグルの右腕を肘のあたりから切り離し、剣先がキヅキの鼻先をかすめて上へと登っていった。
おそらく敵は、ドラゴンに単発攻撃はするなとでも言われたのだろう。そのアドバイスのおかげで、イーグルの右腕は血しぶきをあげながら落下していった。
キヅキの右腕に激痛が走る。
「怯むな、キヅキ!」
痛みを味わっているひまもなく発せられたイーグルの叱咤に、キヅキは咆哮と突撃で答える。敵の胸元に飛び込んだキヅキだったが、人間のようにそのまま後ろへ押し倒す事ができなかった。敵は尻尾で踏ん張っていたのだ。
こなくそ、とキヅキは押し出す力を横へと流し、敵と一緒に倒れ込んだ。ふたつの巨体に押しつぶされて折れていく木々と共に舞い上がる土煙。それによって閉ざされた視界の中、必死に伸ばしたキヅキの左腕が敵の頭部を捕らえた。
「行け、首筋を噛みちぎってしまえ!」
キヅキは口をめいっぱい開け、いきおいをつけて首筋めがけてかぶりつきにいった。が、敵の腕がそれを阻む。それでも全体重をかけると、なんとか首筋に噛みつくことができた。
呻く敵の首筋を、噛んだ顎に力を込めて牙を食い込ませると、そこから血が噴き出して目の中に入る。キヅキは思わず目をつむり、そのまま首をねじりながら敵の首筋の肉ごと引きちぎった。それと同時に、イーグルの体は蹴り飛ばされ宙を舞う。どうやらドラゴンとトーカーを繋ぐ線は、残念ながら寸断できなかったようである。
再度食らいつこうと閉じた眼を開き、血によって赤く染まった視界に、未だ残る土煙の中、首を赤黒く染めたドラゴンが起き上がろうとする姿が映った。
「キヅキ、足元を見よ」
イーグルの短くて的確な指示で、キヅキは敵が手放した剣を発見し、その柄を左手で掴む。そしてそのまま尻尾の遠心力で体を左に回し、その力で剣を振り回した。すると剣は、起き上がろうとしているドラゴンの左の二の腕あたりにめり込んだ。再び呻き、左腕から血を噴出させ膝をつく敵のドラゴン。
キヅキは、もういっちょ、と叫ぶと、強くまばたきをして血を拭い、今度は体を右回りに回転させる。
キヅキが一周まわって振り伸ばした左腕の先にある剣は、それを防ごうと出した右腕を断ち、そのまま敵の首の右側部から肉を切断する感触を伝えながら、斜めに入り胸の途中で停止した。
切断された箇所から今までで一番の盛大な血が噴き出し、断末魔の咆哮が空間を振るわせる。嵐のようにあふれ出る血と咆哮がゆっくりとおさまっていった末に、敵のドラゴンは動くのを止めた。
「はぁ、はぁ、終わったか?」
その問いにイーグルは、まだだ、と告げ、胸の甲冑を剥いで心臓を取り出せ、と言った。
言われたとおりに甲冑を剥ぎ取り、南無三、と言いながら、キヅキは胸のあたりに左手を突き刺した。中で手を広げてまさぐってみると、鼓動する岩石のようなものを掴んだ。
「そうだ、それを食らえば、貴様の願いが叶う」
取り出したドラゴンの心臓を口の中に入れる。噛もうとしたが牙が通らずそのまま飲み込んだ。少し気持ちが悪かった。
「無様な戦いだったが、勝ちは勝ちだ。さあキヅキよ、貴様の願いを告げよ」
言われなくてもわかってる。
そのために戦ったんだ。
そのためにキヅキは、その手でドラゴンを殺した。
キヅキは告げる、自分の願いを。
キヅキは叫んだ。
――エリナの病気を治してくれ。