2、
その巨人は、座った状態でもゆうに20メートルを超えていた。
よく見ると体は人型なのだが、肌はくすんだ緑色でごつごつしていて、顔も人間とは似ても似つかぬ造形をしていて怪獣さながら。後部には背面から生えているであろう尻尾のようなものまで伸びている始末。
それは巨人ではなく、巨大な人の形をした獣だった。
「あのぅ、僕を呼んでた人ってどこにいるんでしょうか」
そう尋ねると青年は、先ほど以上の満面の笑みをキヅキに向け、その背後の大きな獣人を親指をつき立てて指差した。
「またまた冗談を。この模型の中に誰かいるんですね」
そう言うと、キヅキの耳元に「たわけ」とどなり声が響く。
「この高貴な姿を見て造り物とほざくとは、貴様の目は節穴か。とはいえ目の前にいる阿呆が造ったこの甲冑の醜さは子供の工作にも劣るがな」
目の前の阿呆と称された青年は相も変わらず笑顔のままだ。どうやらこの声は彼には聞こえていないらしい。醜いと言われた甲冑はというと、西洋の騎士が付けているようなもので、キヅキには格好良く見えたが、声の主には不評みたい。
「とりあえずあなたは目の前の巨獣なんですね。それで僕は何をすればいいんでしょうか」
「うむ、先ほど現れた偉そうな輩だが。あれはワシの命を奪う目的でやってきたのだ。貴様はワシの命を助けたいとは思わんか」
見ず知らずの大男を助けるようなもの好きはいないだろう。キヅキは、いいえ、と答えた。
「よく聞け小僧。この村の住人は、ワシを守る目的で生きておる。なぜだかわかるか」
そんなことを問われても、部外者の人間が理由を知る由もない。
「ワシの存在こそが、奴らの生き残る術だからだ」
ますますもって意味がわからない。
「ワシは今でこそ、人間どもによって自分の体も自由に動かす事すらできぬが、本来は国一個の兵力をも超える力を持っておるのだ。なので奴らにとってワシが敵の手に落ちるという事は、戦争の負けを意味する。だからこの村の住人は、すべての命が尽きるまで敵の侵攻を阻み続けるだろう」
「なるほど……って、結局動けないんじゃしょうがないじゃん。そんな奴を、命をかけて守ってやる価値があるの?」
「それなのだがな。人間の仕業と先祖代々の呪いのおかげで、ワシの声が聞こえる者だけはこの体を動かすことができる」
「それで声の聞こえる僕なら、あなたを動かせるというんですね。この村の人には一飯の恩義があるし助けてあげたい気もするけど、僕は人を傷つたりするのは嫌です」
「そんなものは大丈夫だ。奴らはワシの動く姿を見れば一目散に逃げていくだろう」
人を傷つけずに驚かすだけなら、一回ぐらいはいいかなとキヅキは思った。
「しょうがないなぁ。僕の名前は桟敷原築。お前は?」
キヅキが巨獣にそう自己紹介すると「俺はザイルってんだ。よろしくな、キヅキ」と、目の前の笑顔の青年が答えた。
「ああ、うん、君に言ったんじゃないけどまあいいや。で、ザイルくん。これってどうやって動かすの?」
そう尋ねると、ザイルは移動式の階段を運んできて「ここを上って、腹のあたりにある座席に座ってくれ」と言った。
キヅキは言われたとおりに階段を上り、座席に腰を下ろして皮のベルトで体を固定する。一息ついて座席の両側にある玉に手を置くと、さながら子供の頃に興奮しながら見ていたロボットアニメの主人公になった気分だ。でも実際に乗ってみると、あまり気分のいいものではないなとキヅキは思った。
座って落ち着いたところで、座席を守る3枚の扉をザイルが閉めた。すると中は真っ暗で何も見えなくなり、急に落ち着かなくなってきた。
「えっと、何も見えなくなって怖いんですけど」
「おおキヅキよ、今、貴様にワシの体の主導を渡す。少々目をつむっておれ」
言われるまま目を閉じると、キヅキは外に弾かれたような感覚をおぼえた。
「いいぞ、ゆっくりと目を開けてみろ」
言われたとおりにまぶたを開けてみる。すると自分の足元に、小さくなったザイルが階段を片付けているのが見えた。
「今貴様はワシの目を通してものを見ている。体のすべてを動かすのも、自分のそれを動かすのと同様にできるはずだ」
ためしにキヅキは立ちあがってみると、予想よりも低かった天井にしたたか頭を打ちつけた。
「うわっ、痛いっ!」と本人は言ったつもりだが、その大きな口から出たのは、ぐおぉぉ、という咆哮だった。
「痛みもこっち持ちとかズルくない?」
そう愚痴りながらも、ザイルを潰してしまわないように気をつけ、四つん這いで洞窟を出るキヅキ。
外に出て、凝り固まった関節をほぐすために伸びをして、あくびをしたらまた吠えた。
あらためて高い場所からの景色を眺めてみるが、すでに闇の落ちた森に見えるのは、目の前の集落のたき火の明かりだけだった。
「これって、夜目が利くとかいう能力とかないの?」
「ない。というよりは、なくなった、だ。今のワシの体は、人間どもがいじくり回したおかげで本来の能力の半分しか使えぬ」
なにやらいいわけ臭く聞こえたが、ふぅん、と納得しておく。
「それよりも、いちいち口に出してしゃべると間抜けに見られるぞ」
確かにしゃべると、がぼぐぼという声のようなものを発しているが、同時にキヅキの本体ではちゃんとしゃべっているので不思議な感覚。
「慣れればワシの体で声を出さずとも話せるようになる。最終的には、ワシの体と貴様の体を別々に動かす事も可能だ」
動かすのは今回だけだからそんな説明はいらないよ、とキヅキは告げた。
そう、食事をごちそうしてくれた集落の人々を脅かす奴らを、驚かして退散させればおしまいだ。キヅキは広場に向かい、両腕を広げて、がおー、と叫んでみせた。すると、軍隊を足止めしていた集落の人々は、邪魔にならぬようにか後退して森の中へと消えていく。
軍隊の方々はというと、彼らは退散するどころか広場に整列しはじめ、矢やら光る玉やらを飛ばして攻撃し始めた。
「ちょっと、話が違うでしょ。なにこの光の玉は、地味に痛いし」
矢は甲冑で防いでいるが、光の玉はそうはいっていないらしい。
「あれは魔法というやつだな。気にするな、あんなもの威力もなければコストも高いという、ただの見せ物だ」
「魔法って……ここは東京じゃないとかいう話じゃなくて、違う世界ってことなのかぁ」
がっくりと頭を垂れるキヅキ。それを見て「効いてるぞぉ」とか叫んで士気を上げてる軍隊の方々。
「あらら、なんか活気づいていらっしゃる。なにか彼らのやる気を削ぐものってないの?」
「それなら口から炎が吐けるが」
「うーん、効果的に使えば威嚇になるかな」
炎の吐き方を教わると、キヅキは四つん這いになってわざとゆっくり獣のような動きで軍隊の方へと進んでいく。一歩、また一歩、地面を叩くように歩き、いたずらに集落の家を噛み壊してみたりと、キヅキは得体の知れない怪獣を演じてみせた。理性を持った人型の生き物よりも、意志疎通のできない四足歩行の獣の方が恐怖を感じると思ったからだ。
その甲斐があってか、飛んでくる矢や魔法は、あせっているせいで数こそ増えてはいるが、あらぬ方向へ飛んでいくものも見える。
そこでキヅキは、今だ、とばかりに顔を上げ、軍隊の上空に向けて口から炎を吹き出した。
ごおごおと音をたてながら吹き出していく大量の炎。
見る者によってそれは、地獄の業火にも聖火にもなったであろうか。しかしキヅキはそんな情緒とは無縁だった。教えてもらった炎の出し方とは、ゲップをすることだった。
「炭酸飲料も飲まずにゲップしろとか無理すぎる。胃液まで出そう」
長いゲップを終え、そう愚痴る。
「吐くなよキヅキ。そうなれば、この辺り一帯が一瞬で焼け野原と化すぞ」
「うへぇ、いったい胃の中どうなってんだよ」
「それはいいが、どうやら奴らは退散したようだな」
見ると軍隊の姿は広場から消えていて、森の中に退避していた集落の人々が出てきて喜び合っていた。
「はぁ、ようやく終わったか。ところでさっき聞きそびれたけど、お前の名前はなんていうんだ?」
「ワシの名前か? そんなものはない。人間どもはワシらの事を『ドラゴン』と呼んでいるがな」
「ドラゴンか。どおりで尻尾が生えてたり口から火を吐いたりするわけだ。でも、ドラゴンじゃ味気ないから、僕が名前を付けてやろうか」
「ふん。貴様がワシと話すのはこれで終いなのだろう。ならばそんなものは必要ない」
それもそっか、とキヅキは納得し、ドラゴンを元の洞窟へと戻してから、じゃあね、と別れを告げた。
広場に戻ると、人々は大歓迎で迎えてくれた。
キヅキは手厚くもてなされ、壊してしまった家の住人だという男性が現れるも、本人は「我が国の守り神に壊してもらったんなら本望さ」と喜んでいた。が、翌日からその家の修復作業を手伝わされたのはご愛敬だろう。
そこから慣れない土木作業で筋肉痛にうめきながらも、家がだいたいの形になるまでの3日間で、キヅキはこの世界の状況を少し知った。
この世界には、7つの国があること。
300年に一度、各国に1体づつ王となるドラゴンが現れること。
そしてこの世界以外の場所から召喚された『トラベラー』がドラゴンを操る『トーカー』になることができ、今回トラベラーは日本から呼ばれていること。
そして、ドラゴンが他のドラゴンを打ち倒し、その心臓を食らった時、それを操るトーカーの願いが1つ叶うということ。
細かい話を抜きにすると、おおかたこのようなことらしい。
「トラベラーは、叶えたい願いを持ってこの地に呼ばれると聞くが、キヅキくんの願いとは何かな」
髭のおじいさんは、藁を屋根に敷き詰める作業をしながらキヅキにそう尋ねた。土木作業もするこの人は、この気さくさで国王様だというのだから恐れ入る。
キヅキも藁を詰めながら、姉を探しています、と答えた。
「お姉さんを見つけることか。しかし、命をかけて叶えようとする願いとしては少々軽いもののように思えるが。なにか他に、それを困難にさせる理由でもあるのか」
そう言われてキヅキは思い出そうとしてみるが、そういったものは思い当たらない。
「だから僕は、ドラゴンの力を借りずに姉を探そうと思っています」
「そうか、それは残念だ。皆も我が国にようやくトーカーが現れたといって喜んでいたのだがな」
国王は残念そうな顔もせず言った。断った相手を申し訳なく思わせない配慮か、人の良い国王だ。自分勝手ですみません、と謝った。
「そういえば、国王様がいるってことは、ここがこの国の首都なんですか?」
「いいや。この国は一年前に起こった大地震で首都が壊滅してね。そこに敵国が攻めてきて首都が占領されてしまい、皆散り散りに逃げているというわけさ」
それで国王率いる人々は、ドラゴンがあるこの地に隠れ住んでいるということのようだ。
「戦争というのは、一部の人間の欲望により起こされる悲劇で、たくさんの悲しみが生まれる愚かな行動だ。しかし天災というものは、戦争などという人間が起こしたものとは比べ物にならないほどの力で、一瞬にしてすべてを悲しみに変えてしまった。あれはまさに天罰としか言いようがないものだったよ」
ここで初めて国王の顔が曇った。こんな優しい国王に天罰を下すとは、神様はかなりコントロールが悪いらしい。
そんな話をしているうちに屋根の藁をすべてふきおわり、地上に降りたとき棟梁に足りない材料を持ってくるように頼まれた。
その材料は、ドラゴンが格納されている所よりも奥の洞窟にあるという。
言われたとおり材料が置いてある洞窟へと到着したキヅキは、さらに先に進んだ場所にも洞窟があるのを発見した。しかしその入り口には、立ち入らないようにロープで封鎖されており、なにやら不吉な絵の描かれた看板が取り付けてあった。
ドラゴン、魔法、そんなありえないものが存在する世界にある封鎖された場所に、いいものなんかあるはずがない。そうとはわかっていても、キヅキは自分の中にある好奇心を抑える事ができなかった。
好奇心の導くままロープをくぐり中へと進むと、内部は外の暑さとは無縁の快適な温度だったが、意外に奥が深く松明が必要なほど暗かった。それでも先の方に光が見えたので、それを頼りに進んで行くと、そこには鉄の格子がはめられた牢屋があった。
やはりいいものはなかったと思いながらも、おそるおそる牢屋の中をうかがう。
牢屋の中は窓がついているのか充分に明るく、その明かりに照らされるように部屋の中心に白いベッドが据えてあった。ベッドの膨らみを見ると誰かが横になっているようだ。
キヅキがさらに近寄ると、ベッドの人はそれに気づいたらしく上半身を起こす。
「誰?」
そうベッドの上から尋ねた声は、洞窟によく通る女性の声だった。
そしてベッドの上でこちらを覗く女性を見て、思わずキヅキは叫んだ。
「姉さん!」