083 「君を、待っていた」
彼女は、まるで何か吸い寄せられるように、その本のところへ向かう。
呼ばれているような、気がした。
いや、そもそも自分がここに来たのは、この本を手にするためであったような、気さえする。
それは、金色の刃となって机に突き刺さっているかのような、月影のもと。
重厚な革表紙を持ったその本は、ただじっと待ち続けているようで。
彼女はついに、その本を手に取った。
ページを夢中でめくる。
彼女の目に飛び込んできたのは、骨のように白く何も書かれていない紙であった。
彼女は、そんなことにお構い無く、どんどんページをくっていく。
そして、ようやくそのページにたどりついた。
そこには、ただ一行、こう書かれている。
「君を、待っていた。サラ」
彼女の全身を、氷の刃が貫いたかのようであった。
本が、彼女に呼び掛けている。
その本にたった一行だけ、印刷されたその文字は、間違いなく彼女にむけられたものであった。
彼女は魔法で石に変えられたひとのように、じっとそこに固まっている。
けれど、思考だけが彼女の頭のなかを駆け巡っていた。
ああ、すべては、今この一瞬のために。
「一体何が書かれているんだ?」
アリスの問いかけに、彼女は開いた本をアリスのほうへ向けて答える。
アリスは、少し顔を曇らせた。
「白紙だね」
彼女は慌てて、その本を自分のほうへ向けなおす。
そこには何も、書かれていない。
月の光を浴びた白い紙が、新雪のように輝くばかりだ。
前後のページをめくるが、やはり白紙しかない。
また、ページをくっていったが、今度は文字の書かれたページは見つからなかった。
幻覚として片付けても、いいのかもしれない。
けれど、そうではないと囁く何かが、彼女の中にあった。
「この本を調べる必要があるわ。今すぐに」
多分、彼女は取り憑かれたような目を、していたのだろうと思うのだが。
アリスは、冷静に答える。
「どうすればいい?」
「わたしを、わたしの研究室へ連れていって。あそこになら、色々な設備がある」
アリスは頷いた。