079 「海の底にいるような、しんとした夜」
どこか海の底にいるような、しんとした夜だった。
そんな湿った闇のなかで、彼女は訪問者を迎える。
彼女はそのひとを見て、鋼鉄でできた薔薇の花みたいだと思う。
繊細な美しさと、鋼の強靭さを同時に備えている。
そんな、印象をもつ。
「えっと、あなたは確か」
そのひとは、彼女に頷いてみせる。
「理沙さんをお預かりしている、ジムのインストラクターです。アリス・クォータームーンといいます」
アリスの言葉はとても落ち着いているが、隠しようのない緊張感を孕んでいた。
彼女は、なんの根拠もなく思う。
このひとが運んできた不吉であれば、受け入れることができるかもしれない。
そんな彼女の思いを理解しているのか、アリスはゆっくり丁寧な口調で質問する。
「理沙さんは、帰ってこられましたか?」
彼女は、無言のまま首をふる。
アリスは、尋問する検事のような口調で質問を重ねた。
「連絡はありましたか?」
「随分前に、学校へ戻る、とメールがあったきりで」
アリスは頷き、礼を口にすると立ち去ろうとする。
彼女は、慌てて後を追った。
「ねえ、なにが起きてるの?」
アリスは首を振った。
「判らない、けれど急ぐ必要がある。多分」
アリスは、彼女の家の前に停めてある、大型の四輪駆動車のドアに手をかける。
彼女は、すがるように声をかけた。
「どこに行くの?」
「学校へ、行ってみる」
「わたしも、つれていって」
アリスは、頷いた。