053 「エリカは、頭を抱える」
エリカは、頭を抱える。
「リズ、自分の言ってること判ってるの?」
確かに。
狂っているように思う。この確信は。
それでも。
その写真に写った女の子の。
何かに耐えているような。いえ。何かではなく。
それは間違いなく苦しみや哀しみ、あるいは苦痛ではない。
わたしには自身のなかにある、暗い血の欲望と戦っているものの瞳であると判った。
全てを憎み、全てを暗い焔で焼き尽くそうとする。
血の欲望。
「たしかに、その写真に写っているのはフォン・ヴェックの一族ではある」
「ドクター・ディー」
エリカは咎めるような視線をドクター・ディーに送ったが、老人は笑みを返すばかりだった。
そしてわたしは。
とても奇妙なことに気がつく。
その写真の奥に、スーツ姿の東洋人がいる。その顔は、つきかげに似ていた。
他人の空似だと思うが。でも、よく似ている。そして少女が履いているブーツ。それも、わたしがつきかげに履かされたものによく似ている。
「間違いないわ」
エリカはやれやれというように溜息をつく。
わたしは、それを無視してドクター・ディーに尋ねる。
「このひとは誰なの」
「春妃・フォン・ヴェック。ルードヴィッヒ・フォン・ヴェック、つまりエリカの父親の妻だ」
「それって、エリカのお母さんてこと?」
「違うわ」
エリカが応える。
「春妃は、わたしが生まれる前に自殺してる」
「ふーん」
なんだか複雑だ。
「で、となりのひとたちは?」
「若者のほうは、ラインハルト・ハイドリッヒ。ナチスの親衛隊を支配していた男だ。年かさのほうは、アルフレート・ローゼンベルク」
「ローゼンベルクて」
「今、本の中の世界を支配しているのは、このアルフレートだ。かつてはナチス・ドイツの理論指導者だった」
「ちょっと、待ってね」
えーと。ナチス・ドイツて。半世紀以上前に滅んだのよね。
「このおじさんは、もの凄く年寄りなの?」
「本の中ではね、お嬢ちゃん」
ドクター・ディーは生徒に説明する教師の口調でいった。
「時間は恣意的にコントロールできる。寿命はあってないようなもの。ひとは自分の望む年齢に留まれる」
なんと。
そんな世界なんだ。
まあ、奇妙な世界だとは思ってたけど。
この世界には色々な秘密があるみたいだ。
でも、とりあえず今知りたいことは。
「それとさ、後ろにいるスーツ着てるひと。これはだあれ」
「パイロンだな、その男は」
「えーと。中国人なの?」
「いや。元々は日本人だが、中国人に潜入してスパイをやっていた。今はコンピュータを使った情報戦の専門家になったけれどな。日本名は確かハクロウだったか」
「小日向・白狼。白い狼ですわ」
エリカがフォローする。
パイロン。アリスは確か、つきかげのことをパイロンと呼んでいた。
わたしは、頷く。
「わたし、やっぱり春妃だわ」
ドクター・ディーの笑みが浮かんだ瞳を見ながら、言葉を続ける。
「だって。パイロンがそう言ってたもの。わたしは、春妃の生まれ変わりなんです、きっと」