037 「なぜ、宇宙へ行きたいの?」
さて。
わたしが再びつきかげに会ったのは、その一週間後だった。
つきかげは、少し古い型の国産セダン車に乗って駅のターミナルで待つわたしの前に現れた。
つきかげは助手席に乗ったわたしに、十冊の通帳を渡す。
「一応全部名義は変えておいた。百万づつ十ヶ所に分散してある。闇オークションで売り捌くのに、少し手間取った」
わたしは、通帳を確認する。
確かに一千万あった。
「大したもんだわ。尊敬しそうよ、あんたのこと」
つきかげは、苦笑する。
「まだはやいよ。僕たちはようやくスタートラインに立っただけだ」
「でも、そのコーディネーターのひと。来てくれるんでしょう」
「多分ね。僕がへた踏んでなければね」
つきかげの車は、ビルの地下駐車場に入り込む。そこが待ち合わせの場所だった。
わたしと、つきかげは車から降りる。
静かだった。
深夜の駐車場は、地下の墓地を思わせる。
死霊達の這い回る音でも、聞こえてきそうだ。
「きたぜ」
つきかげの言葉と同時に、巨大なアメリカ製の四駆車が地下に入ってくる。巨獣のようなその車は、獰猛にヘッドライトを輝かせながらわたしたちの前にとまった。
ドアが開き、女が降りてくる。
意外と小柄にみえた。
短く刈り込まれた金色の髪に、冬の空みたいに輝く青い瞳。
ちゃんとメイクすれば美人なんだろうが、精悍な印象だけが残る顔。
「よお」
つきかげの声に、彼女は頷く。
「あきれた。本当に連絡してくるなんて」
「いや、勘違いするなよ。今はロスチャイルドとは切れてる。第一、クライアントは僕じゃあない。彼女だ」
つきかげの言葉を受け、わたしはお辞儀をする。
「はじめまして。リズっていいます」
彼女は少し片方の眉をあげる。そして言った。
「はじめまして。わたしはアリス・クォータームーン。よろしく、リズ」
落ち着いており、冷たさを感じさせない不思議な声。
「日本語が上手なんですね」
アリスは苦笑する。
「依頼は、なんですか?」
わたしの代わりに、つきかげが説明をはじめる。
「ハロルド・ギャラクシィ社のシステムに入り込みたい。DMZの奥深く。バックヤードのシステムにアクセスしてデータを改竄する。なんの痕跡ものこさず」
アリスは眉を曇らせる。
「正気でいってるの?」
つきかげは、小型の端末をアリスにほうりなげる。
アリスはキャッチすると、ディスプレイを見た。
「ハロルド・ギャラクシィのシステム担当者の個人データだ。何人か落とせそうなやつがいる」
「一体なにがしたいの?」
「ハロルド・ギャラクシィの扱っている宇宙旅行チケットが必要だ。一枚8百万ドル」
「ちょっと」
わたしは、口をはさむ。
「4億じゃあなかったの?」
「ああ、二枚一組のセット販売しかなくてね」
アリスは肩を竦める。
「宇宙へいくの? それならもっと安あがりでかんたんなチッケトがあと2、3年ででるはず」
「生憎と待てないの、わたし」
「でも」
アリスは、何かをいおうとし思い止まった。
「なぜ、宇宙へ行きたいの?」
「この世から」
わたしは真っ直ぐアリスを見つめる。
「消えていなくなるため」