027 「わたしの願いをかなえてくれるっていったよね」
つきかげの現代フランス哲学を引用しながら語る内容を判りやすくまとめると。
つまり。
普通と変、正しいと間違っているなんていう二項対立的思考にそもそも錯誤があると。
すべての間にあるのは、ただ、純然たる差異しかない。
その差異間に優劣や善悪を付けてしまうのは、ひとが行う行為のなかでも不幸なことと呼ばれるべきものだと。
まあ。
あなたのことを考えると。
つまりあなたは障害者とか普通ではないとかそういう概念によって囲われるのではなく、ただ差異だけがあってわたしとあなたの差異、あなたとその他のひととの差異、わたしとその他のひととの間にあるのと同じ差異しかない。
ただ、違うだけ。
そう思うと、つきかげの言っていることも理解できないでもない。
でも、なんかむかつく。
結局わたしは、こう結論づけた。
『あんたのいってる能書きは、どうでもいいの。この世界はわたしの欲望によって定義されるんだよ。だから、あんたがむかつくとわたしの本能が定義すれば、あんたはたんにうざいオヤジなんだって。判る? 判ったら一発殴らせな』
つきかげは、嬉々として返信してきた。
『困りましたねえ。殴られるには、わたしたちは会わないといけないじゃあないですか』
『馬鹿かね、あんた』
『いや、会っていただければあなたの願いをひとつかなえてあげますよ。条件付きで』
あきれたことに。
本当にあきれたことに。
わたしはつきかげと会うことに同意してしまった。
まあ、つきかげがわたしの願いをかなえてくれると言い出したのに、興味をひかれたのだけれど。
月の明るい夜。
都内の高層ビル最上階にあるフレンチレストラン。
そこの個室にわたしは、招待された。
その部屋に現れたのは。
中年のこれといって特徴のない、ビジネススーツを着たおっさん。眼鏡をしているせいか顔はなんとなく学者っぽくもある。
物腰のやわらかさは、子供を相手にしている医者のようでもあった。
なぜか大きなスーツケースを手にしている。
「じゃあ、一発殴りますか」
「それよりさ、あんたさ」
わたしは、躊躇いながら言った。
「わたしの願いをかなえてくれるっていったよね」
「ああ、そうですね」
「それ、いいよ。あんたの条件。きいてあげる」