◇級友◇女帝さまと生け贄なワタシ
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視線の先で少女たちが壁際に寄った。内心ビクビクし乍ら、私は擦れ違う際に会釈する。最初の頃には思い切り怯んだが、我が女帝さまが感心しないと宣われたので、今でも「エラソーだって思われないかな?」とビクビクしつつも心を押し隠して優雅に会釈で対応するのである。
こうして上級生から道を譲られたり敬意を表されるのは、私にとって胃が痛くなる現実だ。一年前は、道を譲るのは私だった。喩え下級生でも、有力者が相手なら壁際に寄っちゃうのが本来の私なのだ。
何でこんな事に……そう考えるのは一体何度目だろうか?もはや数え切れないと思うくらい考えた。
もちろん。
我が女帝さま。
塩野弥也子さまのお気に入りと目されたからに相違無かった。
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ごきげんよう。と、声が聴こえる。運転手が頭を下げた横を当たり前に通り過ぎて、私は校舎に向かって足を進めた。
ごきげんよう…か。この挨拶は、世間では一般的では無い。それを知識として知ってはいるのだが、これが当たり前の場所しか知らないから、実感は無い。多分、これからも無いだろう。
最近始まった、突っ込みどころが満載の学園ドラマがある。世間でも突っ込みどころは満載でネット上でもよく語られているのだが、私が観ていて感じる突っ込みどころと彼らの突っ込みどころは違う。突っ込み以前に、ごきげんようの挨拶ひとつとっても「あれ実際に遣われてるのかな?」なんて意見があった。結構ショックだった。
お金持ちのお坊ちゃまお嬢様が通う、選民意識満載の学園が舞台のドラマである。中には首を傾げる部分もあるが、特に珍しくも無い上流生活と、有り得ない設定に満ちた学園生活がメインのドラマだ。
ネット上での意見は、私と彼らの視点が大きく違う事を教えてくれた。と云うか……普通、共学にするとしても、あんなにも簡単に人目を気にしない場所を確保出来るのがオカシイ。人目を気にしない場所は確保出来ても、誰と誰がその場所に出入りしたかくらいは、必ず判別出来るのが当たり前だ。
なのに、ドラマでは当たり前に密会だの誰にも知られない密約だの、虐めだの謀略だのがある。平和に闊歩する謀略者は平凡を認じているが……無理だろう。あんなにも明白に目立つ人々と直接関わって、どうして平凡に平和に生きられるものか。
私は………、ほんの少し女帝たちと関わったばかりにガッツリ目立ったぞ。そして、こういう学園は、社交界の雛型でもある。
パーティーでの私への扱い、いや当家への扱いまでが変わったのだ。
恐ろしい話だと私は思う。何が恐ろしいって、結局は当家への評価では無く、女帝たちの私への評価が源にある点が……だ。まだ10代の女帝さまが、そこまで影響力があると云う事実については、ある意味知っていたが、やはりソレも目の当たりにすれば衝撃的だった。
女帝と親しくなると云うのはこういう事だ。彼女たちの影響力は、小心者の私からすれば引いちゃうレベルだ。つまり、彼女たちが私を見限れば、社交界も私を見限ると云う次元の話で、問題は………元の生活に戻るだけ、とは云えないって事だろう。
元に戻れるなら、歓迎するだけだが………中庸を認じて大人しく大勢に寄り添い、日和見に生きてきた生活に戻る事は出来ないだろう。良くも悪くも、当家は注目され過ぎたのだ。
この上は妬まれない……のは無理でも、出来る限り恨まれず敵を作らない様にしつつ、彼女たちに役立つ努力をしなければなるまい。目立つ評価は不要だ。取り敢えず、邪魔だと思われず、派閥の末席に置いて戴ければ良いのである。
我が家は小心者の集まりなのだ。
大体がして、女帝に目をつけられ……じゃなくて、気に入られたなんて事がバレた際には、親戚中集まっての親族会議と相成った。その会議にて、私はネチネチと説教を喰らった。うっかり者扱いされて、面倒なと舌打ちされたのだ。うちは親戚一同が事勿れ主義の日和見なのである。
有力者には関わらない。敵も味方も曖昧に、地味に生き延びるのが我が一族の家訓なのである。
そう。他所の家では、彼女たちとお近づきになれば、その子供は誉められるだろう。我が家では非難の的になる。筋金入りの中庸主義なのだ。
最近は皆諦めてるけど………。
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校舎に近付くにつれて、人も多くなる。ごきげんようと挨拶を交わして、にこやかに華やかに美しい少女たちが微笑む。煩くは無い。密やかと云う程でも無い。
立ち居振舞いも声の調子も、飽くまでも優雅さと気品を損なう事があってはならない。この辺りも、ドラマと現実は違う。大体がして、だ。この狭い世界で虐め?虐めと云う言葉を戦いと切り替えるなら、まあ考えられなくも無いが、あんな低俗な暴力や嫌がらせは、自分の格を下げるだけだろう。諍いが無いとは云わないが、寧ろ虐めなんて言葉がいっそ平和で可愛らしく思える悪辣で陰湿な水面下の戦いだ。それはそうだろう。この世界でのソレは、生存競争なのだから。
気に入らないとか嫌いだとか、そんな小さな理由で戦争に身を投じる者が居るだろうか?うっかり参加して、相手方に触れてはならない方が与したら?そんな創造力も無い人間はこの学園には不在である。
故に平和だ。上辺だけで有ろうとも、平和なのは悪い事では無いだろう。
しかし、だからこそカーストは守られる。
そして、序列を塗り替えるのは君臨する女帝にだけ許される権利だった。初等部の頃から、彼女は有名人だった。とはいえ、彼女は姉妹校の幼稚舎の出身で美晴ヶ峰には中等部からの入学した。
親から彼女の噂を聞いていたのは、私だけでは無いと思う。決して敵対するな。決して逆らうな。そう云われたのも、私だけでは無いだろう。
決して関わるな。
これは我が家ならではの命令だったと思う。
彼女は小さな女帝だった。しかも、子供の世界に君臨するだけの女帝では無い。
彼女の存在故に、彼女の家は発展するだろう。そんな事を云わしめる天才少女だった。ソレが単なるお世辞では無くて、事実であると我が家は知っていた。元々、塩野家の女主人は代々影響力を持つ場合が多い。弥也子嬢は塩野家の中でも特に強いカリスマの持ち主だった。
笑顔は天使の様に愛らしいが、財界を制する山瀬様を始めとして、頂点に存在する人々の関心を引く恐ろしい女である。本人は目立つのを嫌がったのか、山瀬様との繋がりは公にはなって無かった。しかし、小心者の網は天網さながらの優秀さを誇るのである。我が一族は恐ろしい存在から距離を取りつつも決して敵には回らない為に、情報網は緻密に張り巡らせていた。
うっかり権力者に見つかって、情報網を利用されたご先祖様は数人存在するが、専ら地味に地道に日影をこそこそと生きる小心者な一族である。
そんな一族を目立つ立場にしてくれちゃったのは女帝さまである。いや、目立つ必用は無いが、もう少し力を付けろと宣われた。私たち一族は折角の能力を活用するのに立場が不足していると仰有った。もちろん。スポットライトが当たる人間達の傍に近付けば、当事者で無くても充分注目を浴びる。日影に居るより視界は狭まるのは当然だった。故に、一族全体が引っ張りこまれたりはしなかった。全てを投入するより、全ての立場に人員を配置するのが女帝さまのご意志だったのである。
地味に地道に生きる親戚たちは、私たち親子を生け贄に差し出した。
お陰さまで、これまでは細かく内情が知れなかった有力者の秘密もガンガン入手する事になった我が家である。私たちは壁際に張り付いてコッソリ生きて来たのに、有力者の中心に投げ込まれた。関わらない事を決めていた方々からも、現在はお誘いがある。
これで、目立つ立場に追いやった自覚など皆無なのが女帝さまなのだ。アレでご自身は目立っている自覚も然してお有りでは無い女帝さまである。
何せ。
あの方はご自身を『普通』だと思われている節がある。いや、周囲に特別視されているのはご存知なのだが、それを本来のご自身より多大に評価されていると思っていらっしゃるのだ。
山瀬様がご自身に対する興味を隠しきれて無いから、とか。天才と呼ばれつつある海島の跡取りが、婚約解消してからもご自身に夢中だから、とか。
女帝さまのご友人も類似したイキモノでいらっしゃるので、同じ様な戯けた事を仰有っているが、どうしたって彼女たちは『普通』などと云う言葉とはかけ離れたイキモノだった。
似た者同士なのだ。私からすれば失笑ものだ。
地味とか普通とか、そんな言葉は私の様な女の為にあるもので、彼女たちに冠されるべき名称は別にある。
事実、三女帝などと囁かく声も聴く。この声は大きくなりはしても、消えはしないと私は考える。
最たる方が我が女帝さまだ。天使の微笑みで人を惑わす魔性の女。
海島さまの次に生け贄となった男は、西園寺静だった。没落した家の人間だからと侮るなかれ。彼はいつか伸し上がると我が一族は見ていた。係累が居ないと云うのは、実力のある家からすれば寧ろ悪くない条件だ。とはいえ、西園寺静は扱い易い男では無い。
本人の資質を考えると、獅子身中の虫になりかねない。最も、女帝さまなら簡単に取り込むだろうから、心配など不要ってものだろう。
有力者と結び付きたい類いの、係累によって立つ者には然したる魅力は無い男だ。
能力があり、煩く云う親族が無い。血筋も悪くないとくれば、女帝さまの様な方には邪魔が無くて丁度良いだろう。女帝さまならば、どんな輩も味方に付けるだろうし、敵にしたならば叩き潰すだけのお話しだろうけど、前回が前回だからね。
海島さまとの結末を考えれば、婿に有力な家なんか不要とお考えになるのは、寧ろ自然な流れかも知れなかった。
女帝さまは輝く程の美貌の持ち主だが、その魅力は単に優れた容姿に頼るものでは無かった。誰もが夢中になり、手のひらの上で転がされる。恐るべきカリスマ性を携えた魔性の女なのである。
当たり前だが。西園寺静もその魔性に簡単に取り込まれた。
傲慢な眼差し傲岸不遜な男。
女帝様方は殿方の好みまで共通するのか。はたまたそうした男を足下に降す歓びを見出だすサディストなのか。
三女帝の内お二人もが世間から同様に称される暴君と結ばれる事になった。
前述したように、女帝方はサディストの疑いは生まれても、決してマゾとは思われまい。暴君に従う彼女たちの姿など、どんな豊かな想像力があっても思い浮かべる事など出来はしない。日頃から最悪の事態を想定しては影の影に隠れたい私の妄想力を以てしても無理なものは無理である。
かと云ってサディスト全開な女帝さまを想像する事も、私は絶対にしない。何があるかワカラナイ恐怖は、そんなところで妄想力を発揮する。女帝さまには心の中であろうが逆らう真似はすべきで無いのである。あの方、ちょっと潔癖の嫌いがあるので、しかも人の考えを読み取るサトリ染みた妖怪・・・いや怪物・・・もとい、女帝さまなので、その辺りは要注意なのだ。うん。要注意なのですよ。何ですかゾクリとしましたが。
「ごきげんよう。」
「・・・・ごきげんよう。弥也子さま。」
内心冷や汗をダラダラ流しても、薄く微笑む女帝さまに対する私は安定の少し気弱な笑み一択である。地味な一族には少し気弱な表情が似合う。無表情なんて明白な真似はしない。ポーカーフェイスは、弱すぎずけれど脅威には決してならない立場に相応な表情が望ましい。私たちはちょっと弱気な姿勢で、庇護を受けつつ攻撃を避けて、嵐から身を護るのだ。
「何を考えていたのかしらねえ。」
「・・・・。」
うん。知ってた。サトリの・・・女帝さまにはポーカーフェイスなんか利かないよね。傲慢且つ表情に欠ける西園寺静も容易く操っちゃうもんね。アルカイックスマイルの三女帝の一人、涼子さまの感情だって読み取るお方だものね。
私みたいなモブ女の思考まで読まなくて良いのに。主役は主役同士でやり取りしてれば良いのに。
そうは思うが、まさか口にも出来ないのがモブで気弱な私なのである。
フフ・・・と、何故か愉快そうに女帝さまは天使の笑顔を振り撒かれた。
「本当に、あなたを見てると楽しいわ。」
「・・・・・き・・恐縮です。」
何がどうしてか不明だが、女帝さまは本気で私をお気に召しているらしい。正直に云えば、本っ当に良い迷惑である。物凄くイヤだ。
ズーンと沈む感情を騙し騙し、私は気弱な笑みを浮かべ続ける。
我が一族の諜報力が欲しいんですよね。あげます。あげます。だから、それ以外の事で私に関わらないで戴けませんかね?
眩しい生き物が、最近私の周囲を闊歩している。
筆頭の女帝さまには、私の心の声を聞き入れて下さる様子は一切無かった。
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