【再会】
世の中は夢かうつゝか うつゝとも夢とも知らず ありてなければ
~『古今集』よみひとしらず
*******
月遅れの盆を、母方の田舎で過ごすのは三年ぶりだった。
久しぶりに訪れた逢沢家では、従兄を抜かした全員が茶の間に集っており、彬文を快く迎えてくれた。
都会と比べ、ここは時の流れが遅いのだろうか。気むずかしげな祖父も、人の好さそうな叔母の笑顔も――来る途中に眺めた景色さえ、以前とどこも変わっていない。
だとしたら、変化の激しい街中に住んでいる自分は、急速に年をとってゆくのだろうか。
茹だるような暑さに、半ば朦朧とした頭で彬文はぼんやりと思った。
「お義兄さんは元気かしら」
お互いの近況でひとしきり盛り上がったあと、さりげなく叔母の久江が訊いた。
彼女の一言で、何故かその場が水を打ったようにしんとなる。
その理由にも、十七歳になる彬文は気がついていた。
「ええ。急な出張で来られませんでしたけど」
出がけに見た、父の新しいネクタイ姿を思い出しながら、彬文はあらかじめ父から用意されていた口上を述べた。嘘と知りつつ片棒を担ぐことに抵抗はなかった。
どうせ茶番なのだ。
先程の皆の沈黙が、それをはっきり肯定している。
なるたけ核心を避けようとする大人たちの、間怠っこいやりとりはいつ見ても可笑しい。
周りがどう云おうと、彬文に反対する気はなかった。
母が亡くなってから五年も経っているのだ。
ただ、自分がこれからどうなるのか――それを考えると気が重かった。
今になって、何故父が自分一人を逢沢家に送り出したのか。その意味を計るのが怖かった。
*******
彬文を可愛がってくれた祖母は、三年前の夏に軽い風邪をこじらせると、呆気なくそのまま逝ってしまった。彬文にとって、身近な人を亡くすのはこれで二度目だった。
一度目は母を亡くした五年前――そういえばあの時も夏だった、と思う。
柔らかく笑む写真の中の祖母に、型どおりの挨拶を済ませてから、彬文は辺りを見回した。
風通しのよい仏間は、祖母が生きていた時と同じように、塵一つない。
それでも物の配置など、ところどころが微妙に記憶と違っていて、それが何だか不思議だった。
この家でも、やはり時は流れているのだ。
「本当に、大きくなったわね」
振り返ると、久江が切りたての鹿の子百合を手に立っていた。
白地に桃色を重ね、紅色の斑点を散らしたその可憐な花は、祖母が最も愛でていたものだ。
彬文も、庭に自生しているそれが風にそよぐ姿を、祖母と眺めるのは好きだった。
表に視線を向けた彬文の後ろ姿に、久江がふと目を細めた。
「やっぱり親子。彬文さん、背中がお義兄さんとそっくりよ」
成長期にもかかわらず、さっぱり伸びようとしない自分の背丈を密かに気にかけている彬文であるが、大きくなったと云われれば、やはりそれなりに嬉しい……が、父と似ていると聞いた時、意外にも自分の胸に湧いたのは嫌悪感だった。
「どうしたの。黙りこくって」
予想もしなかった己の気持ちに驚き、返答する機会を奪われてしまった彬文に、久江が怪訝な顔をする。それには答えず、彬文は取り繕うように、居間で姿を見かけなかった従兄の所在を尋ねた。
「……操生は」
「奥の間じゃないかしら、先刻見かけたから」
口の中でもごもごと礼を云うと、彬文は逃げるように仏間を離れた。
彬文の危惧を余所に、追いかけてくる気配はなかった。
*******
一歳違いの従兄、操生とは幼なじみのようでもあり、兄弟のようでもあった。
幼い頃は何かにつけ、競い合い意識し合った間柄だが、年を重ねるにつれ二人の関係はいつの間にか、希薄なものへと変わってしまった。
いや、きっと意識だけは昔以上にしている……少なくとも自分は。
何から話したらいいだろう。
出来ればあまり込み入った話はしたくない。
考えながら黒光りする廊下を渡り、突き当たりを左に折れると奥の間から光が漏れているのが見えた。
本来客間であり、彬文が滞在する時も必ずそこで寝起きしているそこは、普段は操生が別室――彼には、他にきちんと部屋が与えられている――として使っていた。
日当たりがいいことが、お気に入りの理由らしい。
「操生」
開けっ放しにされていた襖から、覗き込むように顔だけを部屋に入れ、彬文はそっと相手の名を呼んだ。しかし、外から差し込む光に満ちた部屋には、どう見ても人の姿はない。
「……操」
いっそ踏み込んでしまおうか。
別に遠慮する理由もない。
言い訳がましく心の中で呟いて、襖に手をかけたその時。
「ここだよ」
不意に、あさっての方から声がして、文字通り彬文は飛び上がった。
途端にはじけるような笑い声が背後でおこる。
「なんだい、相変わらず臆病な奴だなあ」
……もう少し言葉を選んでくれればよいものを。
この従兄はいつもこうやって、わざわざ彬文の癇に障る物言いをする。
「そんな処にいるからだよ」
あんまりなご挨拶に、彬文は上目遣いで相も変わらず意地悪な相手を睨んだ。