聖徳太子はなぜ非実在説が唱えられるか
聖徳太子非実在説という歴史学の仮説が盛り上がっているが、
それはなぜか推測する。
聖徳太子は、仏教を日本に持ち込み、三義疏という仏経典の注釈を書いている。
このうち、法華義疏は実在しており、日本最古の現存する文書である。
つまり、外交を盛んに行い、異国の先進的な文化をとり入れ、
日本を栄えさせようとした人物は確かにいたのである。
十七条の憲法なども記録されており、実在は疑いの余地がない。
では、なぜ、聖徳太子が非実在説を唱えられるのか。
それは、うまやどの皇子という名前にある。
聖徳太子は、没後のあだ名であって、生まれている時は、うまやどの皇子と呼ばれていたとある。
法華義疏に書いてある名前は「上宮」である。
このうまやどの皇子というのが、日本文化として主張するには極めて危険なのである。
欧米では、うまやどで生まれたといえば、イエスのことに決まっている。
これは、新約聖書に書かれており、文献の成立年代は、聖徳太子の生まれより何百年も古い。
だから、日本の古代の偉人がうまやどで生まれているというのは、
キリスト教の三位一体の神性に大きく関わるのである。
キリスト教の父なる神、神の子イエスが日本に生まれたわけがない。
日本にイエスが再臨したことになってしまう。
アメリカとドイツが熱心なキリスト教国である。
これは、仮説にすぎないが、聖徳太子は、うまやどで生まれたという伝説から、
イエスの唯一神としての神性を犯すため、非実在説が唱えられているのである。
欧米だ。
日本に法華義疏を書き、十七条の憲法を制定し、冠位十二階を制定した人物は実在したはずなのであり、日出ずる国よりの国書を隋に送った遣隋使を派遣した政治家はいたはずなのである。
もちろん、天皇の代わりに書を代筆するくらい位の高い人物であったはずだ。
異国の文化をとりいれることに熱心だった聖徳太子に、伝聞されたイエスの逸話が伝わったのかもしれない。
だが、聖徳太子はキリスト教の三位一体の神を侮辱する存在なので、非実在説などが説かれるのである。




