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西田幾多郎「絶対矛盾的自己同一」読解

西田幾多郎の代表作「絶対矛盾的自己同一」が青空文庫にあったので、読んでみた。三回は読んでると思う。カントの二律背反のように、非常に難解で、意味がわからなかったが、ようやく、満足いくだけの解釈を得たので書いておく。




西田幾多郎「絶対矛盾的自己同一」

第一章

「絶対矛盾的自己同一」とは、過去から見たものと未来から見たものが現在においてちがって見えることを指す。

一即多とは、一つに決定された過去から多数の可能性のある未来が存在することであり、

多即一とは、多数の可能性のある未来から一つの決定された過去を見ることである。

つまり、作るという現象は、矛盾した環境において、過去を決定し、未来へ進む作用であり、

矛盾した現在において、作るということが無数の過去と無数の未来が存在することを否定して、

矛盾的自己同一たる現在の存在を肯定する。

第二章

しかし、未来については、我々は課題という決定されたものをもつのであり、

無限の課題との兼ね合いが矛盾的自己同一たる現在について規定されるものである。

生物は歴史的機械的身体をもつが、行為的直観的なものによって成り立ち、

歴史的機械的身体は、行為的直観を否定できない。

ゆえに、生物、人間もまた現在において絶対矛盾的自己同一にある。

第三章

物理的世界に行為的直観的なものをもった生物的人間が、現在において絶対矛盾的自己同一であるのである。

個物と世界が対立し、作られるものと作るものが対立する。

これは、直観と行為が対立するかのように現在において絶対矛盾的自己同一している。

直観とは我々の行為を惹起するもの、我々の魂の底までそそのかす悪魔である。

歴史的過去が無限の未来を探るものだけを絶対矛盾的自己同一というのではない。

創造的未来、絶対的未来が無限の過去のうちから自己を決定していくことこそ、

私(西田幾多郎)の考える絶対矛盾的自己同一たる現在である。

第四章

神と我々との関係は、絶対矛盾的自己同一の中にあるのである。



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