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内定通知書

「何故、採用にあたり、当校を選んだのでしょうか?」


「たまたま近くにあったのでこれは幸いと思い、急いでハローワークに駆け込んだだけです」


「あなたの理想となる人物像は何でしょうか?」


「生徒と仲良くお昼ご飯を食べられるような先生です」


「最後の質問です。あなたは――――」


「――はい。私は――――」


 人の役に立つ。それは彼にとっては初めての経験だった。

 彼『霧島 ()(ぎり)』にとって、これから踏み出す一歩一歩は、まさに未知の世界。

――――だが、黒いスーツ姿で、本日面接を終えた彼は、嘆息していた。


「絶対落ちたな……はぁ」


 就職活動――――それは己の生活をかけた戦いである。彼は今からおよそ半年前より、その戦線に加わった若輩者だ。にも関わらず未だに内定一つ貰えずにいる。何がいけなかったのか、おかしな点はなかったか。常に頭の中で巡らせる計算の下、最善の選択肢を選ぶことが彼の特技なのだ。だが――――。


「正直者が好かれるっていうのは、やっぱり嘘なのかなぁ……」


 どんなに正直でも、やはりいけないものはいけない。例えば、近辺にあるから、などという理由では、『じゃあ私たちの職場ではなくても、他のところに行けばいいじゃない』と、ひねくれた面接官なら捉えてしまうからだ。ならばどう発言すれば良かったか。風通しのいい職場だから、規律のある学校だから。そんなものは、結局入ってからでなくては分からない。結局行き着く先は、何となく――――だからという曖昧な答えになってしまう。ならば、一層のこと、正直に答えてしまえ、彼の思考回路は極めて単純だった。


「ただいまー」


「お帰りなさいませ、左霧様。今回はいかがでしたか?」

「うん、バッチリ」


「そうですか……大丈夫です。世の中、職なんて山ほどあるんですから。過ぎたことをいちいちくよくよ考えてはなりません。明日に向けて、また頑張りましょうね。さぁ食事の支度が出来てますから……」


「待って、僕、バッチリって言ったんだけど……」


 左霧の帰宅を迎えてくれたのは、一人の女中だった。女中――そんな言葉は現代では聞きなれない者が多いだろう。旅館などにいけば仲居さんがたくさんいる。その一人だと思ってもらって構わない。明治時代に『ハイカラ』さんと呼ばれていた頃の着物に、汚れないようにタスキをかけた――――ファッショナブルな服装をした少女は、主人を半眼で見つめながらまるで責め立てるように言葉を放つ。


「今まで何度そのバッチリに騙されたのか、華恋は主人が信じられなくなってしまいそうです……」


「うっ……つ、次! 次はきっと上手くいく、と思う」


「せめて意気込みくらいは堂々と言ってほしいのですが」


「ごめん……」


 一応ご主人という肩書きをもらっているのだが、そんな威厳などまるで感じさせない。この家では、一家を守る大黒柱は華恋なのである。家庭の全てを担ってもらっている彼女に対して、左霧は頭が上がらなかった。そして、自分の不甲斐なさも伴い、とても彼女に発言出来るほどの器量が、この男にあるはずがなかった。


「左霧様、大変心苦しい、華恋は心苦しいのですが、言わせてもらいます」


「いや、心苦しいなら言わなくても」


「い わ せ て い た だ き ま す」


「――――はい」


 ――――頭が、上がらないのである。


「今まで左霧様の貯蓄で賄ってはきましたが、残念ながらその蓄えもそろそろ尽きようとしています。つきましては、本家に救援を頼むことを」


「――――華恋、それは出来ないよ。僕はもう、霧島家とは絶縁したからね」


「ですが、話を通せば、きっと」


「――華恋」


 左霧はしっかり、女中の名を告げる。その目に宿った意志の強さに華恋は息を飲んだ。そして即座に腰を折り、主に対しての謝罪を口にした。


「――失礼しました左霧様。出過ぎた真似を」


「構わないよ華恋。言いたいことがあるのならどんどん言ってもらって構わない。君は僕たちの家族同然なのだからね」


 そう言って、左霧は口元に笑みを浮かべた。厳密に言えば、華恋は女中などではない。給金を払っていなければ、他所から雇っているわけでもない。一緒の家で寝食を共にしているのだから、もはや家族も同然だ。なぜ彼女がこのような給仕の真似事をしているのかと言えば、それは本人の意志からだった。


「恐れ多いことです。私のような者が、あなた様の家族などと……ですが、言わせていただきます。甲斐性なし、穀潰し」


「あっはっは、まいったなぁ」


「――――社会不適合者、ニート、人間のクズ」


「おーい! 言いすぎじゃないかなぁ!?」


「失礼しました。――さぁ食事が冷めてしまいますから、居間へどうぞ」


 本当に、自分のことを主人だと認めているのか。口元に侮蔑の笑みを浮かべならあざ笑う少女にブルブルと震えながら左霧は、自称女中のあとについて行くのであった。


 居間には美味しそうな食事が並べられていた。和を中心とした彩のいい食卓だ。煮物、焼き魚、山菜、湯豆腐……これだけあれば、豪勢とは言えないが、一般家庭としては十分な食料供給である。

 左霧は自分の腹が減っていることに今更ながら気がつくのだった。

 左霧はこの空間が一番落ち着く。家族団らんを何よりも重んじている彼は、彼と、華恋と、そしてもう一人のかけがえのない家族を、誰よりも大事にしている。

 自分と、華恋の分、そして、もう一つの食器の前には、小さな可愛らしい少女が今か今かと左霧が座るのを待っていた。


「いつもすまないね、華恋」


「それは言いっこなしですよ。桜子さん」


「桜子……いつの間にそんな冗談を覚えたんだい?」


「んー、華恋が教えてくれたの。かいしょーなしの男の人を慰める方法だって!」


「……ちょっと、華恋さん?」


「コ、コホン、さぁ左霧様、どうぞ席へ」


 逃げるように自分の席にそそくさと着く華恋を横目に、左霧は先ほどの少女へと目を向けた。ニコニコと笑みを絶やさない太陽のような少女だ。どれだけ疲れていてもこの子の笑顔を見るだけで吹き飛んでしまう、左霧は自然と緩む口元に気づかずに、桜子と名乗る少女に帰宅を告げた。


「桜子、ただいま。遅くなってごめんね」


「んーん! おにーさまはお仕事がお忙しいのでしょうがないのです。桜子は強い子なので、我慢できますです」


「! いや、まだその」


 仕事はまだ見つかってすらない……リストラされたお父さんとは、こんな心苦しい気持ちなのだろうか。左霧の心境は複雑だった。

 ともあれ、桜子は左霧を兄と呼んでいる。つまり彼らは兄妹である。クリクリとした大きな瞳、黒い絹のような細い髪、今年六歳になる少女は、すくすくと兄の見る前で成長を続けている。それを確認することが、左霧の何よりの幸せなのだ。


「おにーさま、にゅーがくしきまで後何日でしょうか?」


「あはは、またそれかい? あと三日だよ。随分学校が楽しみなようだね」


「はい! たくさんお友達を作って、たくさん色んな遊びをしたいのです!」


「うーん、しっかり勉強もするんだよ?」


「はい! ほどほどに頑張ります!」


 ここで、ほどほど、などと口にするのが何とも、桜子らしいと左霧は苦笑した。華恋も仲睦まじい兄妹の会話に、慎ましく口を抑えながら笑っている。

 笑顔。この家には笑顔がある。左霧は、この数年間のことを振り返った。たくさんのことが同時に起きた。大変、などと口にする暇などなかった。だからこそ、いま、この瞬間に感じる幸福のひと時を手に入れることの難しさを、誰よりも知っているのだった。

 

 なくしたくない。そう思えるからこそ、彼は確固たる決意を胸に明日も頑張ろうと思えるのだ。

 そう、就職戦線という名の戦争に!


霧島左霧様

 マリアナ学園採用係

 内定通知書

 

 拝啓 ますますのご清栄のこととお慶び申し上げます。うんぬん……。

 あなたを採用することが内定致しました。つきましては……うんぬん……。

敬具

 

「お、おい、華恋、かれーーーーん!! 華恋はいるかぁ!?」


「何ですか朝から? ご近所に迷惑ですよ全く……」

 早朝、庭を掃除していた華恋は赤いポストの目の前で叫び声を上げている変質者――もとい主人に呆れながら返事をした。ないやらA4サイズの紙を空高く掲げ、手は痙攣でもしたかのようにプルプルと震えている。そもそもこの男、裸足だ。玄関サンダルすら使わない、裸足なのだ。華恋は総合的に主の容態を判断した。


「華恋、そんな可哀想な生き物を見るような目で僕を見ていないで、早くこっちに!」


「ゴメンなさい左霧様。私がもう少しあなた様を労わって上げていたら、こんなことには……」


「? 何が?」


「左霧様、呆けてしまったのですね……そんな、靴も履かないで……一体、一体どこへ行こうというのです!?」


「呆けてないよ! 早くこれを確認したくてうっかり履き忘れたの! これ!」


 なかなか厄介な女中である。左霧はしびれを切らして彼女の前に例の内定通知を突きつけた。華恋はそれに目を瞬かせて眺めていたが、しばらくすると手を叩いて喜びを顕にした。


「おめでとうございます左霧様! 努力の結果が実りましたね! ああ! 何ていい日でしょう!」


 まるで自分のことのように涙を浮かべながら喜んでくれる華恋に、左霧は思わず苦笑した。だが、彼自身も自らが成し得たことに未だ興奮が冷めない。目に浮かべた涙を拭いながら華恋は、主人の栄達を祝福した。


「これでようやく、ようやく桜子様に胸を張ってただいまが言えますね!」


「ああ!」


「立派な社会人ですね!」


「ああ!」


「ところで……いくらなんですか?」


「ああ!……え?」


 最初は華恋の言いたいことが分からなかった。笑顔のまま、左霧の返答を待つ彼女は、まるで審判を司る女神のようだった。ようやくそのことに気が付いた左霧は、しかし次の瞬間完全に彼女の期待を裏切る形で自らの、『稼ぎ』を口にしてしまった。


「まぁ、臨時教師だからね、そこは、さ、仕方ないよね、うん」


「左霧様」


「うん」


「死ぬ気で、稼いでくださいね?」


「うん、まずは生徒の信頼を勝ち取って、仲良くお昼ご飯を食べられるような先生を」


「働け」


「はい……」


 華恋は笑顔だった。その後ろに、何か見てはいけない、『何か』がいなければ。

 この瞬間、彼は覚悟した。早く、出来るだけ早くに、臨時ではなく、正式な教師になろうと。でないと、この阿修羅のような女中には勝てないぞと。


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