ピザ争奪戦
百キロババア、始めに思い出したのはその都市伝説だ。
現状はそれに酷似している。
俺は二輪で排気量的に百キロは出ていないだろうが確実に七十キロはでている。それに十五歳ぐらいの青髪の美少女が早歩きで併走してきているのだ。なんだよこの状況。着ている服は制服っぽいのでどっかの学生かもしれない。
その少女はマンセル値6B3.8/6、ティールブルーの瞳で俺の目を捉え、にっこりと微笑み――
「はろー」
「は、ろー?」
――気の抜けた挨拶をしてきた。反射的に返してしまったが、なんなんだろうなこの状況。
「君、死んだって聞いたけど生きてたんだ」
「はっ?」
「奴らにばれた、君にはこの依頼は無理。私が仕事を受け継ぐから例の物こっちに寄越して」
物ってピザのことか?
「悪いが俺も生活がかかっている。これは俺の仕事だ」
「なかなかの自信ね。でも君には達成不可能よ」
「どうかな。俺は今まで一度もこの仕事をしくじったことがないんだぜ」
今日がバイト初日だからな。
「嫌いじゃないわよ、君みたいな人。情報では君はDランクの運び屋だったはずだけど、なるほどどうして君は大物の予感がする」
廃棄島の亡霊がか?笑えるぜ。
「でもここは私に任せなさい。その二輪が君の最速の移動手段なら奴に追いつかれる」
奴って誰だよ?だが確かにこいつのいうことも一理ある。俺特製二輪に乗っていて早歩きで追走されるなんてありえない。
「初日から使うことになるとはな。お前、店長には絶対言うなよ」
「店長?」
バイクを勝手に改造したなんて知れたら殺される。しかもパーツは全部ジャンクだしよ。
クラッチを握りこみながら押し上げるとバイクが急激に加速する。
動力を常温核融合炉に切り替えたのだ。
RVの耐久ぎりぎりの速度だ。
「おおぅ、命が削れて行くようだ」
で、その加速力についてくる謎の美少女。
「なかなかやるわね」
さすがに早歩きではなく走ってはいるが、なにもんだよ。
しかもえらい短いスカートを履いているのに捲れない。
こうなってくるとこっちも意地だ。こいつを絶対に引き離してやる。俺はドリフトしながら細い路地に入り込む。逆噴射で勢いを殺さなければ絶対に不可能な挙動だ。そのまま再加速し細い路地を爆走する。
この辺りの道は最新情報を頭に叩き込んでいる。距離と速度と曲がりの角度を計算すれば、どのタイミングでどんな操作を行えば最速で駆け抜けられるかは逆算できる。後は地面の状況とかを考慮して感覚でフォロー。道を知らなければこの速度で駆けるのはどんな奴でも不可能だ。
「ちょ、ちょっと」
余裕でついてきていた謎の少女も華麗に十四回も曲がって見せると徐々に遅れ始めついには完璧に引き離してやった。カーブの連続は最高速度が負けているのに引き離さなければならない時に重宝する。
勝った。しかしあいつは何だったのだろうか。この異常者の監獄、日阪和市でもあそこまでの異常者は中々いない。日阪和市は過去の猟奇的殺人を起こした殺人犯の遺伝子モデルを抽出し、その共通パターンを調べてサンプリング化し、同じ遺伝子的特徴を持つ人間が集められた監獄都市だ。
住民は日阪和市を出ることを許されていない。しかしそうした犯罪者と同じような遺伝子、通称犯罪因子を持つ人間は優秀なものが多い。日阪和市はそのため最先端の技術力を持つ研究都市として栄え、より優秀な人材を育成するため学園都市としての側面も持っている。
だが、監獄都市という異名は伊達ではなく犯罪件数は日阪和市だけで日本全体の八割に達するぐらい多い。銃器や刃物の携帯が認められ、犯罪者達を取り締まるために警察以外にもいくつか組織が作られているほどだ。
日阪和市では日常は常に危機に晒されている。だから、俺のような保証人がいない人間は進学、就職、それどころかアパートですら借りることはできない。保証人がいない人間はつまり犯罪者というわけだ。今回のピザ家のバイトだって雇ってもらうのは相当苦労した。
だから俺はこのピザを定時に届けなくてはならないんだ!
金があるとホントなんだってできるからな。財布に余裕があるとタバコを吸っていて指を火傷しなくてもすむし、何より飯のランクがダンチだ。
どうせ犯罪者と認識されるぐらいならと思ったことは幾度もあるが、態々そんなことをしなくても十分生きていける。それに案外生きることが最大目標の人生ってのは楽しい。ジャンクを拾って来て廃工場で趣味にはしるとか、ご飯が白いことに感動できたりだとか、覚悟して残飯くって腹壊さなかった時とか、なんか生きるって楽しいと思える。最近は腐った飯の良さが分かってきたし。匂いで分かるんだぜ食べていいかどうかがよ。極貧生活を始めて二年の心象である。
存外この生活にも慣れたものだ。
「さてっと、山中家まではあと少しか」
脳内の地図を参照しながら一際深く息を吸い込む。
残り時間は十分と二十二秒、どうせならこのまま最速を目指してみようか。
また採掘場まで言って放置されている掘削機から燃料集めてこないといけねぇな。めんどくせぇ。
「私をして本気を出させるとは中々やるわね」
青髪の少女は今度は空から降って来た。登場が毎回奇抜すぎる、何なんだよコイツ。
「どうして追いつける? 完璧に引き離したのに……」
「二百メートルぐらい跳躍してから君の位置を確認して、そこからは君に向かって落ちて来ただけよ」
「お前、さらっととんでもないことを言うな」
俺の人生終わったかもしれない。この青髪の少女は日坂和市における絶対強者だ。薄々勘付いていたからこそ即時逃走した訳だが、逃走も不可とか格が違い過ぎる。
「そんなにピザが欲しけりゃ頼めばいいじゃねぇか」
「どうやらこのルート、奴にばれてたらしいわ」
俺を無視して話を進める彼女の視線の先を見るとなんだか物々しい雰囲気をした黒服が立っていた。
「誰だよ、あいつ?」
「最近勢力を伸ばしてきている犯罪組織ERMの幹部よ」
「何故俺を?」
「君じゃなくて、君が運んでいる物の方に興味があるの。自分がどれほどのものを運んでいるか理解してないわけ? 地球の未来を左右するほどのものなのよ。まあ、Dランクの運び屋なら情報を知らされてなくても不思議じゃないか。まさかDランクの運び屋に任せるなんてって言う盲点を突こうとしたんだし」
ピザに地球を左右できる程の力があるとは思えないが、現に俺は後ろは美少女、前は黒服とピザを求めるキチガイ共に囲まれている。
そもそも、Dランクって何だよ?
まさかこれも研修の一環で、現在の判定がDってことか?
だとすると、今の状況はもしピザの配達中に犯罪組織に狙われ、謎の美少女に絡まれた場合、適切な判断を下せるか試されてるってことかよ。
本当にこれが研修だったら俺は今日限りでバイトをやめる。
くそ、なんでピザ配達なんかに犯罪組織とか謎の美少女とかが絡んでくる要素があるんだ。このピザにベーコンが乗ってるからか? 確かに腐っていないベーコンは旨いを通り越して、俺にとっては幻の食材だ。伝説といってもいい。このピザには俺の命を賭けるだけの価値がある。
……泣けてくるが事実だ。
だからって何で俺が配達するピザを狙うんだ。ベーコンだけじゃなくチキンものってるからなのかあああああああああぁ!
「全く、世界って奴は腐ってやがる」
腐ってないのはピザだけか。まあ、ピザは腐っていても旨いがな。
「そうね。でも今はそんなこと嘆いている場合じゃないわよ」
今、生き残るために俺がすべきことはピザを捨てて逃げることだろう。それは分かっているが、嫌だ。
そもそもなんで俺がピザ屋で働きたいと思ったか、それは本当にピザが旨かったからなんだ。それは冷えて残飯として捨てられたピザだった。だけどそれはプライドを捨てきれず頑なに何も口にしなかった俺が初めて口にした残飯、心の底から旨いと思った。俺はそのピザを今まで食ってきた何よりもうまいと思ったんだ。
「やっぱり命を救ってくれたピザを捨てるなんてできないよな」
「はぁ?」
「おい、報酬を山分けにする気はあるか?」
「話の趣旨がつかめないんだけど」
「俺の後ろの荷台の中に物はある。依頼人に無事届けてくれ」
「君はどうするの?」
「ここであいつを食い止める」
「無理だよ。あいつは君より強い」
「確かにあいつは強いかもしれない。だけどお前が逃げるぐらいの時間は稼げる。お前は俺より速い、俺より速く届けられるだろ?」
「確かにそうだけど、運び屋の君が何でこんなことに命を賭けるの? 私に任せて逃げればいいじゃない」
確かにこの不思議な少女は全て一人で解決するだろう。だけどそれじゃあ俺が納得できない。
「こんなことじゃねえよ」
「え?」
「注文すれば届くってのは当たり前のことかもしれない、だけどそれは間違いだ。日常の当たり前ってのは必ず誰かが頑張っているからなんだ。だから人は一人じゃ簡単には生きられない。生きるってことは本当はもっとずっと難しい。それこそ人生の最大目標といえるほどにな。そうであるからこそ俺は何時でも全力で生きていたい。この仕事における俺の全力ってのは少しでも速く届けるってことなんだ。命を賭ける理由は十分だろ?」
睨むような少女の視線を感じながらも俺は不適に笑ってみせる。
「……死んだら報酬は分けないわよ」
そういって少女は荷台を開きピザを持って跳び上がる。あっという間に上空高くに消えていった。
全く、常識から外れてやがるぜ。
俺はそのまま加速し黒服に突っ込む直前に二輪を飛び降りる。
黒服は僅かに横に跳ぶだけでその攻撃を避けた。
「なかなか、過激な攻撃じゃないか」
俺は修繕するついでに改造したコートが衝撃を吸収してくれた御蔭で無傷だった。二輪は原型も留めないほど粉々になったが。こりゃ、クビだろうな。
「余計なことをしてくれる。普通に考えれば蒼を追うべきなんだろうがDランクの運び屋に任せるなんて小賢しい真似をした前例があるしな、お前をさっさと潰して蒼を追う方が堅実だ。お前もそう思うだろう?」
「思わないね。お前に俺は倒せない」
「ほぅ、死への恐怖はないのか?」
「俺は今まで一度も死んだことがない、故にそんなことを恐れる必要はない」
「……若さって奴か? だが世の中そんなに甘くはない!」
男の突然のストレートを俺は何とか受け止めるが、受け止めきれずに吹っ飛ぶ。俺のコートは銃弾程度は受けきれる、黒服のパンチ力は銃弾以上ということか。
「おっと危ない。お前が物を持っているかも知れないんだったな」
コートが殆どボロボロになってしまったが、動けなくなるほどの怪我は負っていない。しかしこれは防戦一方の戦いになりそうだな。
俺はなるべく余裕そうに立ち上がる。
「かかって来いよ、俺はまだ動けるぞ」
出し惜しみしている場合ではない。俺は懐からNDT38 K2特殊警棒を取り出した。
「なっ、お前はただの運び屋のはずだろ」
「その通りだ。俺はただのアルバイター、間違ってもディスガードじゃない。だけどディスガードしか警棒を持てないって法律はないだろう」
先行制圧警備機関ディストリクトガード。通称ディスガード、凶悪犯罪の起こる所に風のように現れて煙のように消えていく警備屋軍団。日坂和市の治安維持機構の中でも最高最強を噂される特殊練成部隊だ。
その警備部隊の専用装備として真っ先に挙げられるのがポリトム製超合金を使用した特殊警棒である。
俺のは廃棄島で拾った旧式を使えるぐらいに修復しただけのもの、本式と比べればどうしようもない粗悪品だろう。
しかしその性能たるやコートの衝撃吸収性能の比ではない。
「そうだな、例えお前がディスガードであろうとなかろうと、ぶっ潰すことには変わりない!」
瞬間移動さながらに一蹴りで距離を詰める黒服。黒服の動きは見えていた、さっきの一撃は防ぐ手段がなかったから受けただけ。黒服のフックに警棒を添えるようにして弾く。
僅かに黒服の目に動揺の光がちらついた。俺は馬鹿だが、考え無しじゃない。
次の蹴りが牽制であることは読めていたので相手にせず、本命の左ストレートを警棒でいなす。
黒服はその長い四肢を使って、霞んで見えるようなラッシュを叩き込んでくるが、悉く弾き返してやった。
「っく、お前本当にDランクか? 何故ここまで俺の動きについてこれる」
適当に挑発して守りに入れば「動きが単調になってるぞ」とか「足元がお留守ですよ」とかできるかと思っていたが甘すぎた。俺は黒服の攻撃を逸らすだけで精一杯。だが、それを悟られるわけにはいかない。
「お前、俺に殺される可能性ってのは少しでも考えたか?」
「はっ、Dランクのそれも運び屋なんかに、そんな可能性考えるわけないだろ」
黒服が放つ拳を初めて受け止める。
「俺はお前に殺される可能性を考えている。むしろ俺が勝てる確立なんてほぼないだろう。だからこそお前に俺はついて行ける」
「意味の分からないことを、言うなッ!」
黒服の裂帛の気合がこめられた膝蹴りを跳んで避ける。
受けていたら不味かった。
「まだ避けるか」
「いつまでだって避けてやる」
黒服と違い俺は死の危険をひしひしと感じている。実際俺はいつ死んでもおかしくない状況にいる。
俺は黒服と違って今この瞬間を生きることに必死になんだ。だから全力を超えて力を出せる、格上の相手でも食らいついていける。生きるってことはそういうことだろ?
「俺は生き残れるか、或いはここで燃え尽きるか」
どちらだろうと面白い。
俺の最大の目標は生き残ること、だがしかし最上の目標はできたて熱々のピザを食べることだ。ピザを届けるために命を賭けるのも悪くはない。こういう生き方ってのも悪くない。命を賭けない奴に絶対ピザは奪わせない。
「お前は俺には勝てはしない。何故なら俺はロイヤルデラックスピザに命を賭けてるからなああああああああああぁ!」