微笑みの還る場所
コンコン、開いたままになっているドアをノックして、その中へと進む。
小さなスペースを区切っているベージュのカーテンを右手に見ながら、私はその部屋の一番奥へと進んだ。正面の胸の高さにある一つの窓以外の壁面はどれも真っ白で、室内は清潔に保たれていた。窓の外では冷たい雨が刺すように降り頻る一月の午後。けれどいつ来てもこの部屋の中は季節を感じさせないほどに、温い。
カーテンを捲ると、その中にある白いベッドの上に、祖父は目を閉じて横たわっていた。
「おじいちゃん、来たよ」
私はベッドの脇に置いてある丸椅子には座らずに、祖父の手を取った。特別温かくも冷たくもない皺だらけのその手は、握るたびに厚みを失っていっている気がした。
「あぁ……お姉ちゃん……」
私の声に祖父は細く目を開き、顔をこちらへと向けた。
私は自分の後から部屋へと入ってきた母を振り返る。母はゆっくりと目を伏せ、それを開くと、静かに首を左右へと振った。
「あっちゃんは元気かい」
震えた声でそう尋ねてくる祖父。
「…………」
私が何も答えられないでいると、母が進み出て祖父の胸をそっとトントンと叩き、言った。
「お父さん、篤紀は元気よ。今日来てるのは真里子だから」
「あぁ……あっちゃんは大きくなったんだろうね……」
祖父はそう言うと、再び顔を天井へと向け、また目を閉じた。
薄く開いた口から規則正しい空気が漏れて、祖父が呼吸をしていることがわかる。でも握った手はぴくりとも動くことはなく、私には祖父が寝ているのか起きているのかもわからなかった。
この部屋に置かれているベッドは三つ。だから、カーテンの仕切りも三つ。他の二つもカーテンが引かれていたので、誰かが横になっていることは間違いないのだが、私達の声以外は聞こえてこないこの部屋の中で、あとの二人が眠っているのかどうかはわからない。確かなのは、他に来客はないということだ。
私は鼻の奥がツンとなるのを感じながら、たくさんの皺が刻まれた額とこけた頬、窪んだ瞼をした、微動だにしない、私とはあまり似ていない人物を見つめる。
数ヵ月前までいた総合病院では、酸素マスクやチューブ、テレビで目にしたことがあるような医療器具がこのひとをベッドへと繋いでいた。けれども、今いるこのベッドで祖父を拘束するものは何もない。
「――お父さん、また来るからね」
数分間の静寂の後、母が静かにそう告げた。
「……あぁ……」
母の声に返事があって、祖父は起きていたのだとわかった。
「行こう」
母に祖父には聞き取れないくらいの声量で促され、私は屈んでいた身を起こす。
「……おじいちゃん、また来るね」
私の声に、祖父からの返事はなかった。
なるべく足音を立てずにベッドから離れてカーテンを引く。一歩部屋を出た途端、堰き止めていた涙が一気に溢れ出した。そんな私の背中を、母がそっと押して通路の端にあるエレベーターへと導く。
「真里子はいっつもこうなんだから」
止め処なく溢れ続ける涙をどうすることもできないでいる私に向かって、母は眉を八の字に寄せて、そう言った。
祖父は半年前、脳梗塞で倒れた。七十五歳だった。
脳梗塞を起こしたのは二度目で、前回は倒れてから数ヵ月して退院し、祖母と二人、市内の自宅で暮らしていた。けれども二度目の今回は、一通りの医療処置が為されてその病院を出たものの、もう自宅へは戻れない状態になっていた。
数ヵ月前に移されたこのリハビリテーション病院という名のホスピスで、認知症の進んだ祖父は最期を迎えるのだと、誰もはっきりとは言わないけれど、成人を迎えた年の頃である私には理解できていた。
現役時代、小さいながらも鉄鋼関係の会社を築き、それなりの大きさにまで育てた祖父。世間一般の定年を迎えてからも彼は働き続けていた。白髪頭になって、更にその白い部分も年々減っていっているように思えた祖父だったが、自営業のためにジーパン姿で出勤する父を毎朝見ていた私からすれば、背広を着込んで電車に乗って通勤しているその姿はなんだか誇らしく見えた。
だが、七十を迎えた頃、遂に祖父は社長職を退くことになり、祖母や叔父、叔母や従兄弟らと私達一家は退職祝いの会食をした。そのときに撮った集合写真。その中心で微笑む祖父はとても穏やかな表情だったけれど、どことなく淋しい雰囲気を纏っているように感じた。
それ以来、祖父は会うたびに痩せていったように思う。働き続ける祖父を私が誇りに感じていたように、祖父にとってもそれが誇りだったのではないか、生きる喜びだったのではないか。口には出さなかったけれど、そう思っていた。
幼い頃、祖父とは数年間一緒に暮らしていたことがある。
まだ私が幼稚園に上がる前のことだったのでほとんど覚えていないけれど、祖父はいつも穏やかに私と兄・篤紀が遊ぶ姿を眺めていた。おやつにはよく東京會舘のプティガトーやヨックモックのドゥーブルショコラを出してくれた。
祖父はいつも私達を笑顔で見守ってくれていた。
だが、そんな祖父に叱られたことがある。
まだ小学校低学年で、夏休みに祖父母と母、私と兄とで温泉旅行へ行ったときのことだ。山中にあるというその温泉へ行くために半時間以上もタクシーに揺られた私達。乗り物に弱い母は到着すると同時に、旅館へ入る前に駐車場で嘔吐した。たくさんの荷物を持ちながら、祖母が懸命に母の背中を摩っていたのを私と兄はただただ後ろから眺めていた。
ようやくチェックインを済ませると、私達は和室へと通された。まだ体調の優れない母は仲居さんが部屋を後にするなり畳の上へと横たわる。私達は電車とタクシーに長時間揺られ続けていたために退屈度合いも頂点に達しており、すぐさまリュックサックの中へ詰め込んでいたおもちゃを広げた。その中で大きな青とピンクのスーパーボールを手にとって、一畳分の間隔を保ち、バウンドさせながらキャッチボールを始めた私と兄。だが畳の縁の具合でそれはしょっちゅう予想している方とは別の方向へとバウンドする。
そのためにスーパーボールが何度目かで母に当たったとき、突然祖父の雷が落ちた。
「お母さんは具合が悪いんだからやめなさい!!」
今まで祖父にそんな荒い口調で叱責されたことがなかった私達は石像の如く固まった。受け取り手のいなくなったボールがトントンと数回のバウンドを繰り返した後、コロコロと畳に転がる。
「…………」
私も兄も驚きでいっぱいで、謝ることすらできず、広げたおもちゃの中からそれぞれ漫画と児童書を手にとって、無言で和室の砂壁に寄り掛かりそれらを開いた。
けれども、私は開いたその本の文字を追うことはできなかった。
それまでいつも笑って私達を包み込んでくれていた祖父。可愛がられているという自負があった。しかしそれはこの場に於いて一気に覆された。
(おじいちゃんは私よりもお母さんが好きなんだ)
叱られたことに対する驚きよりも哀しさよりも、そして反省よりも、そんな思いが先に立って、遂に溢れ出した涙が手の中の児童書へと落ちる。
「お父さんも、そんなに怒らなくたって……」
それに気付いた祖母が気の毒そうに私に近寄って、そっと肩を摩った。
「そうよ、別に大丈夫だから」
今まで横になっていた母も体を起こして祖父を諫める。
「…………」
祖父は仏頂面をしてテーブルの上に置かれていた旅館の案内を開いた。
祖母の手の温もりを肩へと感じながら、幼かった私は顔を伏せて本格的に泣き出した。そうしている心の中では、祖父に対して、“ほれみたことか”と舌を出していた。
後にも先にも、私が祖父に叱られたと記憶しているのはこの一度きりだ。
別々に暮らすようになってからも、祖父が倒れるまで、私は二、三ヵ月に一度は祖父母宅を訪れていた。行くたびに振る舞われるのはやっぱりプティガトーやドゥーブルショコラで、いつだったか、私が来る前日にはいつも祖父がそれらを買いに街へ出掛けるのだと、祖母がこっそり教えてくれた。
現役を退いてからの祖父は、私が訪ねて行くといつも色々なものを見せてくれた。届けを出して所有しているなんとかという有名な日本刀だったり、誰某の絵皿であったり、母校である大学の尊敬していた教授の書物であったり、コレクションとして収集している世界各国の人形だったり……。祖父の書斎として使われている鍵のかかった二階の部屋へと私を招き入れ、幸せそうな笑みを浮かべながらそれらに纏わる話を聞かせてくれた。
だから、短大の卒業旅行として友人とヨーロッパへ行った際に、私は祖父へのお土産に煙出し人形を買ってきた。赤い制服を着ている重騎兵を模った、掌に載るくらいのサイズのもの。人形の内部は空洞になっていて、そこでお香を焚くことができる。その煙が人形の口などから吐き出される仕組みになっている、伝統あるドイツの工芸的玩具だ。旅行から戻ってそれを祖父に届けたとき、祖父はそれを掌に載せ、何度も何度も中を確かめたり、天地や前後を引っ繰り返し、目を細めて愛でていた。
「お香、焚いてみたら?」
という私の提案に対して、彼は決して首を縦には振らなかった。
「勿体無いからまだこのままにしておくよ」
祖父はそう言って、たくさんの人形が並ぶコレクションケースの最前列へと重騎兵を加えた。
書斎を出て居間へと下りるときも、きっちりと鍵をかけた祖父の顔に浮かんでいたのは、やっぱりいつもの穏やかな笑顔だった。
――季節が巡り、春が訪れた。
窓の外では柔らかい日差しが降り注ぐ、お昼を回って少しした頃、食品系の零細企業でOLとして働いている私の鞄の中で、携帯電話が揺れた。周囲を見回す。この小さなオフィスで働く人は数人。誰もこちらへ意識を向けていないことを確認すると、私はそれを手にとって通路の隅にある給湯室へと向かう。歩きながら表面のサブディスプレイを確認すると、母の携帯電話からの着信だった。
(仕事中だってわかってるくせして、なによ)
私は若干の苛立ちを感じながら、給湯室に入る目前で電話を開いて通話ボタンを押した。
「なに? 今仕事中なんだけど」
私は母に“非常識”という言葉の代わりに、開口一番不快感を露わにした声をぶつける。
「うん、ごめんね。……あのね、おじいちゃん亡くなったから」
「……――」
その瞬間、自分の行いを悔いた。
冷静に考えればわかったことじゃないか。実家暮らしをしているのだから、今私が仕事中であることなど、母は重々承知の上だ。だがそれでも、今伝えねばならない用件だったのだ。
「まだお寺や葬儀屋さんとちゃんと確認できていないけど、明日か明後日から二日間、お通夜とお葬式が入るから、休めるかな。上のひとに訊いておいてね。じゃぁ仕事中ごめんね。それだけお願い」
「あっ……」
必要事項だけ伝えてさっさと切ろうとしている受話器の向こう側の母を、つい引き留めた。
「ん……?」
機械を通してだけれど、母が泣いていないことはわかった。
けれど、敢えて気丈に振る舞っているのだということも、わかった。
「……ううん……なんでもない。……ごめんね……」
「真里子が謝ることなんて何もない。じゃぁ、また詳しくは帰ってからね」
母はそう言って電話を切った。
ツーツー……という無表情の機械音を聞きながら、胸の中に迫り上がってくる感情。それはいとも簡単に私を突き破り、熱い液体へと形を変えて溢れ出す。嗚咽が漏れ、肩が震える。
でも、私の体をそうさせるのは、きっと哀しみでも淋しさでもなかった。
その正体は、そう、後悔だった――。
棺に眠る祖父を囲むたくさんの白い花。その中心で微笑むのは、五年前、退職記念に会食をしたあの日の背広姿の祖父だった。
結局あの冬の日以降、私は祖父の横たわるベッドを囲んでいるカーテンを捲ることはなかった。
『また来るね』
私は確かにそう言って部屋を出たのに、二度とあの場所を訪れはしなかったのだ。
認知症の進む祖父は、いつからか私のことがわからなくなっていた。
私の声を聞けば、私の肌を感じれば、祖父は決まって「お姉ちゃん」と母のことを呼んだ。口を開いて尋ねるのは、決まって“あっちゃん”と呼んでいた兄のことだった。
あんなに可愛がってくれていたはずなのに、いつも笑顔で迎えてくれていたはずなのに、祖父の記憶から私は消え去り、娘である母と初孫である兄だけが残った。
祖父に会いに行くたびに、自分の存在はもうなくなってしまったのだと、優しかった祖父は幻だったのだと、可愛がってもらっていたのは思い過ごしだったのだと、そう言わしめられている気がして、足が遠退いた。
もう自宅に戻ってくることがないとわかってから会った祖父との別れ際、いつだって私が泣いてしまうのは、そんな自分がかわいそうだったからだ。
会社を築いて軌道に乗せ、長いこと社長の座に着いていた祖父だったのに、葬儀の席に現れた会社関係の人間は誰一人としていなかった。聞くところによると、自分がこの世を去ったときには身内だけで見送ってほしいという、かなり以前からの祖父の遺言があったらしい。
「……ねぇお父さん」
お通夜が終わった後、私は遺影の前に立ち、何も言わずに隣に寄り添ってきた父に話しかけた。
「ん?」
「もしお父さんに孫ができたら、お父さんはその子達を可愛いと思うかな」
父の厚みのある手が伸びてきて、私の右手を握る。
「思うに決まってるじゃないか。だって、真里子の子供達なんだから」
「……一人目も、二人目も、三人目も……?」
「……一人目も、二人目も、三人目も」
私の手を握る父の大きな手に力が篭る。
もっといっぱい会いに行けばよかった――。
ぼやける視界の中で、私に向かって微笑む祖父を見つめる。
その祖父からは、淋しさは感じられなかった。
葬儀の朝、私は棺に眠る祖父の脇へ、重騎兵の煙出し人形を添えた。
口元に僅かな黒ずみも見られない、真新しいままの人形。
天に昇る祖父は、きっと今度も、いつもの微笑みでこの人形を愛でるに違いない――。
<了>