「今」を生きることが大切
「わてどないなったんかな~?し(死)にそうや、たすけてぇ!ー、」母の日常、その(75)
2005/12/14(水) 午後 0:39
某月某日 母には、持病がある。慢性気管支炎だ。私がもの心ついた頃から「お母さん、よ~咳するな~」と言っていた記憶がある。特にこの季節は「乾燥」しやすく、母は、寒さと「持病の発作が出てきて」苦しむのだ。気管支拡張剤の薬も余り効果がない。母は、90年以上この持病とともに生きてきた。喘息の方々の苦しさが良く分かる。発作を起こした時には、何も出来ないで見ているこちらも、本当に辛い。その発作が。
「こっーほーん、こっーほーん、ごほーん、ぜいぜい、たすけてぇー、!」と母の声。
私は咄嗟に、飛び起きた。(しまった、発作やー、)。明け方の午前5時前くらいだ。
「お袋ちゃん、お袋ちゃん、どうしたっ、!苦しいんかー!!」
「げぼっげぼっー、にいぃ~にいちゃ~ん、たすけてぇ~!!」と母の弱弱しい声。
母は寝床から身を起こし、顔を真っ赤にして苦しそうに、何度も吐いた。
「しっかりしい~や、大丈夫やから!」背中をさすりながら、母を励ます。これしか、出来ない自分に、私は、無性に腹が立つ。
「う~ん、う~ん、げぼっー、げぼっー!」
「苦しいんかー?直ぐ治まるからなー?どうやー?まだ、淡がでそうかー?」
「しんどい、しんどいねん、たすけてぇ~、ふ~ん、ふ~ん」母は私の両腕を鷲掴みに。
私は、何も答えられず、ただ、一生懸命、母の背中をさすりつづけた。
「なっ、、、んでこないなるん、しんどいぃ~、しんどいぃ~、たすけて~な!」息もたえだえに、言葉をつまらせながら母が訴える。呼吸が出来なくなるのだ。
「うん、うん、分かってるよ~」母は力一杯、私の両腕をつかむ。息苦しさがその手を通して伝わってくる。
「なにもしてないのにぃ~、ごっふほー、ごっふほー、ごっふほー!」と、母は涙声で。
「うん、分かってる、何もしてない、お袋ちゃんは何もしてない、大丈夫やからな~」
「くるしいねん、くるしいねん、たすけてぇ~!」
「もぅ~ちょっとの辛抱やで~,直ぐ、良~なるからな~」私は、ただただ、母の背中をさすり続ける。
「わてどないなったんかな~、し(死)にそうや~、たすけてぇ~!」以下は、言葉では、現せない。私は、母を抱きながら、この発作が治まるまで、ただただ、背中をさすることしかできないのだ。
「まーだっ!、さぶい、ゆーてるやろー、あほー!」母の日常、その(76)
2005/12/15(木) 午前 11:00
某月某日 介護は一人では、出来ない。親族身内ですら、難しい。「遠くの親戚よりも近くの他人」とは、昔の人はよく言ったものである。近くの身内ですら危ない。此処では書けないが、誰が介護するかで、正に骨肉の争いをする方々を、私は数多く見てきた。他人事では決してないのだ。
「あかんかな~、00日までに、返事くれる、頼むわ~」と、私は、次の土、日曜日、止むなき私用で母を誰かに看てもらおうと身内に電話した。
「うん、分かった、00日までに、返事するわー」と電話の向こうで00が答える。何時もこうして、頼んでいるのだが。結局、約束した日に00から電話はなく、私は、頼りにしている、ケアマネさんに電話した。
「00さん、何時もすいません、今度の日曜日ですが、ヘルパーさん派遣してもらえませんかー?」私は、事情を話した。
「分かりました、都合がついたら、ケータイにお電話しますから」とケアマネさんは、いつもの明るい声音で、、、。しばらくして。私のケータイが鳴った。
「00さん、00です。日曜日、午前9時から午後4時まで、派遣OKです」との返事。
「そうですか、!。有り難う御座います。いつも無理言いまして、すいません、よろしくお願いします」
私は、この言葉に何度、安堵し、助けられたことか。自分で出来ること、出来ないこと、介護では、必ず直面する問題である。ここで、無理をして、また、自分一人でなんでも、かんでも抱え込むと最悪の事態になりかねない。認知症の母の世界と現実の社会に生きている私は毎日、この狭間で難問を頭をフル回転させて、こなして行かなければならない。介護者には知恵と、恥も外聞も考えずに、捨て身の行動力が必要なのだ。
「お袋ちゃん、もう起きよか~?」
「ま~だ、」時計が午前8時半を回った。今日はデイが休みだ。派遣のヘルパーさんが、来てくれる日である。
「お袋ちゃんの大好きな、ヘルパーさんが、来はるねんで」
「へるぱーさん?、だれや?、しらん!、さぶい、ゆーてるやろっー!」
「おしっこないか~、行っといたほうが、え~んちゃうか~?」
「ないわー、むこうーいきーっ!」
「ヘルパーさん、来はるで、熱いお湯で顔洗う~たら、気持ちえ~で、なっ、起きよ~」
「ま~だ、さぶい、ゆーてるやろー、あほっー!」朝食は用意してあるから、後はヘルパーさんにお任せする。私が一人で出来る事などタカが知れてるているのだ。「仕事」だからだけで、介護職は勤まらない。これ以上はブログで書けない。
「うちがせんならんのに、にいちゃんばっかり、つこ~て、ごめんな~!」母の日常、その(77)
2005/12/16(金) 午後 1:34
某月某日 介護は自然体で、流れる侭にだ。それと、出来ることは最大限、出来ないことは、捨て身で助けを求めることだ。これが私の実体験から得た結論である。
「なにしてんのん?こっちこんかいなー!」母が呼ぶ。
「は~い、直ぐいくから~」
「どこや~?はよおいで~」
「此処やで~」と私は、自室から首を出し、リビングにいる母に声をかけた。
「あっー!、そんなとこにおったんかいな~、なにしてんのん?」
「うん、ちょっと、仕事、なっ、片付けてるねん」
「ふ~ん、はよ、しぃ~や」
「直ぐ、終わるからな~、もうちょっと待ってな~」
「ごはんわ~、どうするのん?」
「今するよ~、お腹すいたんか~?」
「あたりまえでしょー!」この声音は、母の機嫌が良いときだ。
「はいはい、ご飯は、もう出来てるから、おかず温めたら食べれるからな~」
「はよしてな~」と、母のご返事はご機嫌のようだが。
「君子豹変すだ」これ以上待たすと、まずい。私は、キッチンへ急いだ。
「がちゃがちゃ、なにしてるんやー!」
「うん、おかず、温めてるから、直ぐ、ご飯できるよ~、待たしてご免な~」
「へぇ、にいちゃんがしてるのん、うちがせんならんのに、にいちゃんばっかり、つこ~て、ごめんな~」母が私に向かってペコリとお辞儀する。
「何言う~てるん、僕でも出来るんや~、簡単や~、さあ、食べよか~」手料理では、勿論ないが、母と二人でこうして、夕食をともに出来るだけで、幸せである。
母の日常、その(78)は削除。
「たすけてねー、おねがいしますー!」母の日常、その(79)
2005/12/20(火)
某月某日 厳冬。暑さ寒さをいかに、乗り切るか、も介護する側の留意点である。
「おね~さん、おね~さ~ん、さぶいねん、なんでやろ?、かぶしてぇ」
「どうしたん、寒いんか?」
「なんや、にいちゃんか?ね~ちゃんやらわ~?」
「うん、もう、別の部屋で寝てるからな~」と私。姉は今日は来ておりませんが。
「これで、どうや?」母の頭の辺りに、膝掛けを覆った。
「うん、ありがとうね~」しばらくして、、、。
「にいちゃん、にいちゃん、ねたんか~、せきがな~、でんねん?」
「心配せんでも、え~よ、さっきお薬飲んだからなっ、すぐ、止まるから~」
「くすりぃ?のみよったか~?ほんま?お~きにな~」
「は~い、飲んだよ~、心配ないで~、お休みなさい」
「ありがとう、おやすみなさい」それから、1時間ほどした、午前2時過ぎ。
「に~いちゃん、にいちゃん、しんどいねん、どうしたんかな~?」
「どこか、痛いんか~?ちょっと、看たるからな~」と私は母の寝床へ。額に手を当て、熱を看る。
「つめたい!、なにすんのん、つめたいやんかー!」
「いや、ちょっと、熱ないかな~思うてな、別になさそうや、どこが、しんどいのん?」
「わからんねん、しんどいねん?」
「大丈夫や!僕がいてるからな、なんか、あったら、直ぐ、来るからな~」
「ほんま~、うれしいぃ、にいちゃん、かしこいな~」
「隣で寝てるんやから、なんか、あったら、直ぐ、来るからな~、な~んも心配せんでえ~よっ!」
「たすけてね~、おねがいしますー!」と、母は半分寝ながら「コックリ」頷く。この日は布団から這い出し、徘徊することはなかった。こんな、会話が二、三回ほど。
「うぅ~ん、にいちゃんか~?おはようございます」母の日常、その(80)
2005/12/21(水) 午後 0:42
某月某日 認知症でなくとも、高齢者の介護には、ある不安をいつも抱えている。私だけではないと思う。最悪の事態を常に覚悟しておかなければならない(とは言え実際その時が来たらどうなるかは正直私には分からない)。この日の朝、私は、母の部屋から流れてくる何時もと違う「気」のようなものを感じて、その不安にかられた。以下私の心の中の会話である。何時ものように、午前6時半に起床した。
「さあ、起きようか?」何時ものように、自分に気合いをかけて。
トイレ、洗面、湯沸かし、ひげ剃り、布団を片づけ、自分の朝食の用意。TVのスイッチを入れ、暖房も。リビングにコタツの用意。いつもの朝。母は7時半頃目覚める予定だ。
「寒波かあ、お袋ちゃん、さぶい!、ゆ~やろな~」TVの天気予報が、今日の夜中から明日の明け方に低気圧の急速な発達で、寒波襲来を告げていた。
「なんか、昨日はよ~寝たな~」
「そうか~、お袋ちゃん、昨日は、徘徊もな~んも、なかったな」
「待てよ?おトイレも行ってなかったな~」
「えーっ、そんなこと、これまでに、あったかーっ?トイレは二、三回、絶対行くはずやーっ!」
「おもらし、したんかな~?夕べ寒かったからなあ」TVのニュースにちょっと気を取られ、朝食に専念したため、思考が停止した。食べ終え、キッチンで、片づけしているときに、ふーっとある、不安に、また、襲われた。音に敏感な母が、いつもなら(声をかけてくるはず?)。
「お袋ちゃん、な~んも言えへんかったな、まだ、寝てんのかな、僕の物音で気が付いてるはずやけどな~」
「ちょっと、待てよーっ、冗談やないでーっ!」私は、急に、胸騒ぎを覚えて、キッチンを飛び出し、母の居室へ走った。頭が真っ白になった。
「お袋ちゃ~ん、お袋ちゃーん!!」と、私は母の布団を揺すった。
「う~ん、にいちゃんかぁ~、おはようございます」と、母が眠そうな顔で、呟いた。
「おっ、、、はようさん!」と、私は、詰まった声で思わず、母の顔を覗き込んだ。と、同時に。
「ふーっ」と息をついた(あーあ、良かったぁ~)。
不安が去り。
「安堵感」が全身を流れた。
「はーあっ!今日も元気そうや、え~顔してる(深いため息と共に、良かった~、いまのは何やったんやろ~?)」実は、これまでにも、 何度かこういう経験をしているのだ。母の「気」を感じているのだ。と、私は思っているのだが。