「母」の生活のリズムを崩さない
「よいしょ、こらしょ、いかなあかんねん!」母の日常、その(61)
2005/11/23(水) 午後 5:08
某月某日 前日は何日ぶりかで、夜中の徘徊もなく、おトイレに三度ほど起きただけ。母はぐっすりおねんねした。快眠は、素晴らしい効果があるのだ。
「用意出来たから、学校(デイ施設)いこなっ!」
「あいよ~、だっ!」と、元気よく母は、座椅子から身を乗り出して、両手を私に差し出した。両手を受けて母を玄関へ。
「おいちにぃさんしぃ」と、連れて行く。
「靴履こな~、はい、片一方づつやで、慌てんでえ~からなあ」
「わかってますよ~だっ!」玄関を出てエレベーターへ向かう。
「もう直ぐ、エレベータ降りてくるからな~」
「はよこんかいな~、なにしてるん?」と、母がさっさと車椅子を押しながら。
「いま11階や、直ぐくるでぇ」
「にいちゃん、あんた、ハー、おかしいなー、どうしたん?」母は目聡い。
「うん、これな~、鬼歯やねん、治れへんねん」
「なんでや~?」
「歯医者さんが、大きなりすぎて、あかんねんてぇ」
「あぁ、きた~、おそかったな~、だれやっ!」と、エレベーターのドアが開くなり、母が一喝した。エレベーターの鏡に親子が映っているのだが。(お袋ちゃんの声、腹に響くなー、えー気合いしてるわ)。
「はい、乗るよ~」そんな事を思いながら、母を促す。
「あいよ」マンションの裏口の一階駐車場に、デイの送迎バスが止まっている。
「あっ、がっこうのくるまやー、な~にいちゃん?きてるやんかー?」送迎バスをみつけた母が笑顔で言う。
「ほんまやな~、ヘルパーさんがお袋ちゃんの名前呼んだはるでぇ」すると、母は急に、手押し車と共に送迎バスに向けて、突進を始めた。
「お袋ちゃん、危ないやんかー?、そんな、急がんでも~」私は慌てて、母を追いかけた。
「よいしょ、こらしょ、いかなあかんねん!」と、声を挙げながら、突進する母。下車して待っていた、ヘルパーさんもこれを見て、慌てて、母を迎えに来てくれた。
「あとから、おいでな~、にいちゃん、ばいば~い」満面の笑みだ。かくして、車中へ、車窓から手を振る母。(お袋ちゃん今日も元気で皆んなと仲良~してもらいや~)。
「もう~ちょっと、ゆ~てるやろー、かぶせんかいなー、あほっー!」母の日常、その(62)
2005/11/24(木) 午後 0:49
某月某日 今日は、デイが休み。母は、介護度5になってからは、デイ施設へ月~土曜日まで、毎日通っていた。ところが、今年になって、ケアマネさんから、母が施設で、時折イラつき、ヘルパーさんに暴力を振るうことが、度々ある、との報告があった(なかには、足を蹴られてアザになったヘルパーさんもいたらしい、ご免なさい)。そこで、今年の6月から、週の半ばに、ヘルパーさんを自宅に派遣してもらって、母をゆっくり休ませることになったのである。(やはり、施設では、母も、何かしらの、緊張をしているのだな、とこの報告を受けて、私は感じた)。
「もう、起きよ~なっ、今日は学校(母は、デイ施設のことをこう呼んでいる)休みやからな~」
「まだえ~ねん!」と寝言で答える母。
「そうか、ほんだら、休みやし、もうちょっと、寝ときぃ」
「う~ん、、、あんた、おきたんか~?」寝言でご返事する母。
「うん、いま、お茶沸かしてるから~」
「ふ~ん」朝食の用意が出来た。時計を見ると、8時前だ。そろそろ、いつものように起こそうと。母の生活のリズムを変えるのはいけない。
「お袋ちゃん、お袋ちゃん、もう8時になるで~、起きて、顔、洗~をか~、なっ」
「うぅ~ん、ま~だっ!」
「ま~だって、起きい~な、どうしたん?具合悪いんか?、風邪でも引い~たんか?」
「しらん!、うるさい、あっち、いきー!」熱でもあれば、と、思い、母のデコチンに手をやった、その時。
「痛っ、痛いっ!やんか~、何するん!」そうです、母がいきなり、私の頭を叩いたのである。(俺はほんまにスキだらけやな~、今日も母のパンチをかわせなかった。母に殴られる度にそう思う)。
「さぶいっ!、あほー!」なだめすかし、起こそうとしたが、近づくと叩かれるので。
「まあ、デイも休みやし、おしっこ、ゆ~まで待つか」と、私もノンビリ新聞を広げた。
ピーン、ポーン、、、。しまった、時計を見ると9時少し前。派遣のハルパーさんが、来てしまった。
「00さ~ん、00です、お早うございます」何時も笑顔のヘルパーさんだ。
「ああ、お早うございます。すいません、まだ、寝てるんですわ」
「お袋ちゃん、ヘルパーさん、来はったで~、もう、起きよ~なっ」
「もうちょっと、ゆーてるやろ、かぶせんかいなー、あほーっ!」きーっと睨まれ、一喝された。(こら、勝負にならんわ)。後は、ヘルパーさんにお任せするしかない。
「行ってきま~す」の私の声に、遠目から睨む母。(わーっ、怖っ!、将棋の角やな~)。
「ふっ~ふ~ん、きれいやろ~、ならべてんねん!」母の日常、その(63)
2005/11/25(金) 午後 0:41
某月某日 母には、慢性気管支炎の持病がある。ために、ティシュペーパーは欠かせないのだ。最近、母は、何処にでも「ツバ」を吐くようになった。注意すると、怒りだす。母は元来、キレイ好きで、いまでも、それには、変わりはないのだが。
「あ~あ、お袋ちゃん、そこで、ツバ、吐いたらあかんやろう、ティシュでしぃ~や」
「そうや~?ごめん、くちになぁ、なんか、たまってん、どうしょう?」本来は、素直な母なのだ。
「これに、こうして、出したらえ~やんか」と、私がやって見せる。
「かしこいな~、にいちゃん、おしえてくれて~」私は、これを、何とかしようと、濡れティシュを買ってきた。母が、ツバ、を吐いたら、直ぐに拭き取ることにした。
「ツバ」を吐くのを止めさせることは、難しい。母が、ツバを吐く都度、濡れティシュで直ぐに拭き取ることにしたのである。繰り返しているうちに、母も、吐かなくなるのでは、と思ったからだ。
「にいちゃん、にいちゃん、なにしてんのん?こっちこんかいな~」
「うん、洗い物してんねん、直ぐ、終わるからな~」と私は、キッチンで夕食の食器を片づけていた。
「わたしがせんならんのに、ごめんな~、ありがとう~」母がペコリとお辞儀する。
「ちょっとしかない、もう、終わるからえ~ねんでぇ」
「お~きになぁ」この日は、少し、おかずの品数が多かったので、洗いものに手間取った。ようやく、終わり、母の居る、リビングへ。
「うん?」と私。
「うわー!、お袋ちゃん、何してんのん?それ、あかんやんか~」昨日、買ってきた、濡れティシュの丸い筒の上蓋が開けられ、母が、中身を全て取り出し、テーブルに一枚一枚、広げているではないか。
「あっちゃ~、それな~、お袋ちゃん、、、」二の句が出ない。これが母と濡れティシュの最初の出会いである。
「ふっ~ふ~ん、きれいやろ~、ならべてんねん」自慢げに仰る、嬉しそうな母の顔。確かに、テーブルには、一枚一枚丁寧に取り出された濡れティシュが見事に並んでいる。
後は、ご想像にお任せする。(親子で同じ作業をしてテーブル一杯に濡れティシュを並べて遊びましたんですわ、これが結構楽しい)。
「わて、きょう、し(死)ぬかもわからんねんっ!」母の日常、その(64)
2005/11/28(月) 午後 0:22
某月某日 二人だけだと、生活のリズムがどうしても、単調にならざるを得ない。何とか季節感を取り入れ、少し変化を持たせてやりたいのだが。
「どうしたん、元気ないな~?」能面のような、母の表情を見て私が聞くと。
「しんどいねん、なんかないかな~」
「喉あめ、食べるか~?」
「いらん、イエかえろ~かな~」ボソット母が。
「う~ん、、、」(まずい!)。
「おしっこ!」母が立ち上がりかけた。
「うん、行こか~」両手を差し伸べる。おトイレへ。母を便座に座らせ、向き合って私もしゃがみこむ。
「出たか~?」便座に反っくり返る母に。
「わからんねん?、どうしょう?」
「別に、急がんでも、え~から、出るまで、待とな~」
「ふ~うん、しんどいねん!」とため息をつき、母が目を閉じた。
「どうしたん?今日は?」少し心配になって私が尋ねると。
「にいちゃん、イエかえらしてくれるぅ~?」(お袋ちゃん、寂しなったんやな~)。
「うん、おしっこ、したら、帰ろ~か~!」私は声に張りを持たせて、母に約束した。勿論、このマンションが我が家で、帰る家は他にはないのだが。(散歩でも行くかな~)。
「さぶいねん、」
「そうか~、ちょっと待っててや~」急いで居間に戻り、毛糸の厚手のカーデガンを取りにいった。トイレに戻り、着せようとすると。
「わて、きょう、し(死)ぬかもわからんねん~!」と、母がぽつりと。
「えっ!、、、う~ん!」(この言葉を聞く都度、私は何時も固まるのだ)。母のこの台詞は過去にも何度か聞かされてはいるのだが、未だに、こう言われると、私の心中は穏やかではない。
PS:何時もこのブログを見て頂いている方から、コメントを頂いた。その時の私の返事のコメント。
私も、この言葉だけは、胸に突き刺さりますねん。そやから最近はね「お袋ちゃん、死ぬんやったら、僕どうしたらえ~ん」て、聞きますねん。そしたらね「あんたは死なんでもえ~」言うてくれますから、私は「ほな、一緒に生きとこな~」て言いますねん。
「ちがうやんか!、こうやでー!」母の日常、その(65)
2005/11/29(火) 午後 0:35
某月某日 私は、所謂、「団塊の世代」だ。従って、還暦手前。母、90うん歳。私の願いは、ただ一つ。認知症の母が「笑顔」で1日でも長生きしてくれることである(親父の分迄)。
「あっ!、お袋ちゃん”津軽海峡冬景色”やー!、唄う~てはるでぇ」母の好きな歌謡曲が流れてきた。
「うん!」と、顔を上げる母。ティシュのお仕事(ティシュペーパーを一枚一枚丁寧に広げ、折り畳んで積み重ねて行く果てしない作業)を夢中でやっていた母の手が止まった。
「なあ、はよ唄わな、終わってしまうで!」ティシュの被害を、食い止めるチャンスだ。
「このうた、しってるぅ」と母は、テレビを見て、ぱーっと笑顔に。
「♪あおもりえきは、ゆきげしき~、、、」と、母と私と二人で唄いだす。
「♪、こごえそうな、カモメみて~」と私が、歌詞を間違えたらしい、その時。
「ちがうやんかーっ!、こうやでー!」と母が。
「♪カモメみつめ~、やっ!」
「そやった~、ご免、よ~覚えてるやん?」
「あったりまえでしょう!」と母。
その後も、二人でカラオケ大会。まあー、よくある、我が家のパターンですが。
「たすけてくださいねー、おねがいしますー!」母の日常、その(66)
2005/11/30(水) 午後 0:21
某月某日 徘徊は「不安感」によるものである、と私は母から教わった。母は、自立歩行が出来ないので、勝手に外へ出ることは、滅多にない。もっぱら、夜中に四つん這いで私の寝床にやってくる、という、徘徊である。一時期、これを、なんとか出来ないものかと、精神科の専門医はもちろん、様々な経験者等に相談したが。???である。
「ねたんか~?」就寝時に母は必ず私にこう聞く。
「うん、もう寝るよ~、お袋ちゃんも、風邪引かんように、はよ、寝~や」
「あいよ」と、返事を返したくれた直後に。
「にいちゃん、さぶいねん、かぶせてぇ」と、母が。
「はいはい」掛け布団をかけ直して。
「ありがとう、これで、え~わ」
「お休みなさい」
「は~い、おやすみい~」
「なんか、おと(音)したんちゃうか~?」母は物音に凄く敏感である。地獄耳だ。
「心配ないよ~、自動車の音やから、ゆっくり寝~やっ」1時間ほどして。
「おか~さん、おか~さん」と母の声。
「どうしたん?」母が私の寝床へ四つん這いになってやって来て。私の顔を覗き込み。
「あぁ、にいちゃんか?」と、笑顔で言う。
「おしっこか~?」
「ちがう、かぶして~、さぶいねん」と、言いながら四つん這いになって自室へ。
「はい、これでど~や?」後を追いかけ。
「ありがとうございます、にいちゃんに、ばっかりさせて、ごめんな~」
「もう、遅いから、何~んにも、心配せんで、寝~や」
「うん、、、」そして、夜中の3時過ぎ頃。
「たすけてくださいねぇ、おねがいします~!」と母の声がした。急いで母の部屋へ。何事もないようだ。どんな夢を見たのか。
「僕ここにおるから、何時でも、助けたるやんか~、心配せんで、え~んやからな~」と私は母に語りかけるように言うのだ。最近、こういうケースが増えてきた。(お袋ちゃん、心配せんで、え~ねんでぇ)。
「いつまでやってんのん!、もう、だれやのん!」母の日常、その(67)
2005/12/1(木) 午後 5:05
某月某日 今朝会社で会議中に携帯が鳴った。姉からの緊急連絡であった。その日の夕方に、姉に電話を入れた。
「そうかいな、軽~てよかったな~、兎に角、都合つけて、行くわ~」
「にいちゃん、だれやのん?」
「うん、姉貴や」
「どうしたん?」母の表情も心配そうだ。
「うん、義兄さんがな~、脳梗塞で倒れたんやてぇ、お見舞いにいかなあかんから、電話してんねん」
「ふ~ん、たおれたんかぁ!」と母。義兄が誰なのか分かっていない様子だが。誰であろうが、母は心から心配している。出来るだけ様態を聞こうとついつい、電話が長くなった。すると。
「いつまでやってんのんー、もう、だれやのんっ!!」と、母が切れました。と、言う訳で今日はここまで。母にとっていましがたの電話は、既に遠い過去のことなのである。さて、「仕事、母の介護、剣術の稽古」毎日、目一杯のスケジュールをどう調整して、義兄のお見舞いに行こうか。まーあ流れるままに(何とかなるやろ~)。
「あんた、そんなとしかー?、ふあ~はっー、もうおじいちゃんやんか~!」母の日常、その(68)
2005/12/2(金) 午後 0:28
某月某日 認知症の母の介護で、私が続けている対処法は、たいしたことではない、単なる会話だけである、食事中でも。
「もう、いらん、おいしないっ!」母は最近直ぐ、そう言うようになった。
「そんな~、ちょっとやったら、お腹すくやんか~」
「すけへん、もう、たべたー、あんた、たべ~」
「僕、食べたやんか、ほらっ、見てみ!」
「ま~ぁ、そんな、よ~け、たべたん?」
「うん、お袋ちゃん、スープまだ、温かいから、もうちょっと、飲んでみ~や」
「どこにあるん?」
「ほら、此処に、あるやんか」と差し出した。
「これか~?、しらんかった、うん、あつい!、おいしいな~、これ~」
「そうやろ~、チーズパンも食べてみぃ、これ、美味しいよ~」
「これか~、なんか、かたち、わるいな~」鋭い母。確かに形が悪い。
「手でな、こうして、割ったからや~、美味しいで!」言い訳も会話のうちだ。
「それは、あんた、たべたんか~?」納得いくまで、追求してくる。
「そうやで~、いま、食べたんやで~、美味しかったわ!」
「わてのんな~、おいしないねん、にいちゃん、たべぇ」
「うん、同じもんやで~、僕、食べたがな、ほれ、見てみ~な」
「わて、おば~ちゃんやから、あんた、みたいに、はよ~、たべられへんねん」こうした会話をしている時に、私は何時も思う。認知症とは、どんな病気なのだろうか、と。
「ゆっくり、食べたらえ~やんか」
「もう、たべたーっ、いらんねん!」
「わてな~もう、60すぎてんねん(とっくに過ぎてます)、としやからなぁ~」食べられない理由もちゃんと知っている。
「お袋ちゃん、あんた60どころやないで~、90うん歳やんか~!」
「そんなことないー!」
「そんなことないって!、何言う~てんのん、息子の僕が50うん歳やんか~」
「あんた、そんなとしか?、ふぁ~はっは~、もうおじいちゃんやんか~」母が面白そうに笑うのだ。今日は、この話題が主役だ。母が完食するのは、無理かもしれない。が、それで良いのだ。
「そんなことな~いっ、ちゃんと、はいったわ!」母の日常、その(69)
2005/12/5(月) 午前 11:54
某月某日 介護では、入浴も大切だ。母は、火曜日と土曜日にデイ施設で、入浴させて頂いている。施設の職員の方に聞くと、母を入浴させるのは「ひと苦労」らしい。今日は、その入浴のあった日。
「お袋ちゃん、お帰りぃ」と、私は送迎バスの中に居る母を見つけ、大きく手を振った。母も気づいて、手を振り返し、ニコニコしている。
「にいちゃんやっ!」と母。送迎車のドアが開けられ、ヘルパーさんに助けられながら、母が降車してきた。私も手伝う。と、ヘルパーさんが、私の、耳元にそ~っと。
「すいません、今日入浴できませんでした」と済まなさそうに話す。
「機嫌悪かったんですか?」
「はい、椅子から立ち上がろうとしないんです」
「そうですか~、しゃーないですね~」
「先日の入浴日も風邪気味で入られなかったので、今日はと思いましたんですけど、申し訳ありません」と、デイのヘルパーさんが、頭を下げる。
「いえいえ、しょうがないですよ~、お袋ちゃん、頑固やからね~、身体さわられるのん、嫌がりますねん」
「もうね~、強く拒否されましたので、、、すいません」とヘルパーさんは、申し訳なさそうに気をつかってくれる。
「なに、ごちゃごちゃ、ゆーてんのん!」と耳ざとい母が、私らの会話を聞きつけ、イラ性質始めた。
「はいはい、帰ろ~か、皆さんに、さようなら、言い~や!」
「さよ~なら~、またね」と素直な母。
「お袋ちゃん、お風呂な~、今日、入らんかったんか~?」と、それとなく、聞く。
「そんなことな~い、ちゃんと、はいったわー!」
まあ、母のその日の気分次第。お湯で足だけでも、洗ってやろう。