流れるままに「見守り介護」
「えらいな~、おそなえしてくれたん、ありがとう~」母の日常、その(24)
2005/9/26(月) 午後 0:13
某月某日 仏壇えの「お供え」を欠かすと、母は不機嫌になる。「お供え」は、母の日課でもある。今日はお彼岸の中日だ。
「今日はお彼岸やから、もうじき、お坊さん来はるからなあ」仏壇に、お供えを並べながら母に言う。
「へえ~、そうかいな~、しらんかったー!」
「お墓な~、昨日、お参りしてきたからな~」
「にいちゃん、かしこいな~、いってきたん!、なんで、ゆ~てくれへんのん?」
「うん、言うたけどな~、ん、、、、、、」母を昨日、お墓参りへ連れて行こうとしたときに。
「いけへんわーっ!あんたいったらえーねん!!」と、怒ったことなど、ご当人には、既に遠い過去の出来事なのである。
「きいてへん?いま、はじめてやー!」お昼過ぎ、お坊さんがお参りにきてくれた。ご住職は帰りに必ず、母の両手を包み込んで必ずこう仰るのだ。
「お婆ちゃん、百まで、頑張らな~いけんよ~」と。
母は、一心に両手を合わせ、拝む。そんな母を見る時私は何時も(心配せんでも生き抜くわー)と、母が言ってるような気がするのは何故か?。
「ぼけたんかな~、なにも、わかれへんねん、どないしょう!」母の日常、その(25)
2005/9/27(火) 午後 0:22
某月某日 母には、繰り返し、津波のような不安感が襲ってくる。私は、そんな時の母の表情をみるのが一番辛い。
「どないしたん?食べや~、学校(デイ施設)行かなあかんしぃ~」(こらあかん、お袋ちゃんの表情が曇ってきよった)と、私は思った。
「ほしないねん、しんどいねん」
「お茶、飲んでみぃ、元気になるで~」
「わからんねん?!」
「どうしたん、気分悪いんか~?」
「わるないわー、ねるっ!」と、母が座椅子から降りようとする。
「寝るって、いま、起きたとこやで~」と、慌てて駆け寄る私。
「しんどいねん、ねんねするぅ~」
「ほんだらな~、お湯で顔洗おうか、なっ、そうしょう?」座椅子から母を立ち上がらせる。不安そうな顔をする母を洗面所へ。
「気持ちえ~やろー!、お湯で顔も手も綺麗にしたらな~」
「ぶくぶく~、ぺーっ」と母。
「はい、お茶やで~、飲んでみぃ」
「ZZZZ、、、、」湯飲み茶碗をボーッとみる母。
「どうしたん?、お茶やで~」そ~っと母の両肩に手をかけ促す私。
「ぼけたんかな~、な~んにも、わかれへんねん、どないしょう、にいちゃん?」私は、母が四人の子供を、苦労して育てた話を、繰り返し繰り返し話して聞かせる。下手な冗談も交えてだ。母は、周期的にこうなることがあるのだ。話をしているうちに母の表情も少しずつ変わって来るのだ。少しでも母が笑顔を見せればそれで良い。
「これな~、おくらなあかんねん、なにで、どうしたらえ~かな~?」母の日常、その(26)
2005/9/28(水) 午後 0:24
某月某日 母が夢中になる。しかも楽しそうなのだ。それが、何故ティシュペーパーなのかは、凡人の私には未だにそれが分からない、、。今日も。
「ご飯食べてからしたら~、おかず、冷めるで~、な~」私は、何時もこう声を掛ける。母は、一生懸命ティシュを箱から一枚一枚取り出しては広げ積み重ねていくお仕事に夢中である。母に気付かれづに箱を隠すか、ティシュを抜き取るしか止めさせる方法はない。
「うん、、、、、」と生返事の母。母の作業も佳境に入った。30分ほどこの繰り返し。
「お袋ちゃん、今日な~、学校(デイ施設)に行ってんねんから、そんな、根詰めたら、しんどいで~」と私。
「これさきせな、あかんやん、み~んな、まってるんやからっ」と母。
「明日も学校やし、疲れるから、今日はそのくらいにしといたら~、お袋ちゃん、仕事しすぎやで~」
「そうやねん、しんどいねん、おくらなあかんからな~、やってんねん」
「あんまり、仕事ばっかりやったら、病気になるで~、もう今日は、止めときぃ」
「そうかな~、しすぎかな~、そうおもう?」と母が真顔で私を見る。
「そらそう思うよ、学校行ったし、家帰ってきて、また、仕事してんねんから、な~、もう、明日にしぃや、僕も手伝うからな~」
「うれしい~、にいちゃん、してくれんのん、わてもしんどいねん」ようやく母が手を止めた。
「そうやろう、よ~け、仕事したやんか~」ティシュの山が、5~6個も出来ていた。
「これな~、おくらなあかんねん、なにで、どうしたらえ~かな?」と、母は束になったティシュを大事そうに両手に包み込み、私に差し出すように見せる。今日はこれで母の日課が終わる。疲れてはいるだろうが、母の表情は穏やかで満足そうである。
「へ~っ、にいちゃんもしらんのん!わてもわからんねん!」母の日常、その(27)
2005/9/29(木) 午後 0:25
某月某日 母とは、出来るだけ会話を心がけている。何をするにも「00してくるわなー」と必ず一声かける。炊事(料理は出来ない)、洗濯、ゴミ出し、は無論、おトイレに行く時でもだ。
「なにしてるん、なんや、それ?」私が何時もと少しでも違う行動や言動に、母は鋭く察知するのだ。
「うん、これな~、国の大切なアンケート(国勢調査)やねん」テーブルに調査用紙を拡げて。
「ふ~ん、クニがなんやてー?」
「日本がな~、今どうなってるか、国が調べはんねん、それにはな~、この紙に僕等が書かなあかんやろ~、そやないと、いま、日本の人口がどれだけおるんか、分からんようになるやろ~」
「ふ~ん、そういうこと!、わてわからんねん、もう、おわるか~?」真顔で頷く母。
「うん、直ぐに、終わるよ~」母は、納得して、テレビに顔を向けた。
「これだれやー?、どこにすんではるん?」
「う~ん、00ちゃうかあ、テレビでよ~見る人やわ~」
「あんなことしてる、なんでや?」
「あれは、コマーシャルやから」
「みてみぃ、うちみて、わろてる、アホちゃうか、なっ!」テレビの画面がどんどん変わるので、母が何を見て言っているのか。
「こんなことしてえ~のんかいな、なーっ!にいちゃんてー!」
「うん、ちょっと待ってな~、まだ、これ、書いてんねん」
「それ、なに、かいてんのん?」
「うん、国のな~、アンケートや」
「わからんねん、クニのなんや~?」私は、繰り返し、国勢調査の調査票を記入していることを、母に話す。書き終わると。
「おわったんか~、よかったな~」と母がニッコリする。
「がやがや、うるさいねん、なにしてるん?」と、テレビの画面を見て母が言う。
「外人のコマーシャルやから、僕も、よ~分からんわ」
「へぇ~、にいちゃんもしらんのん、わてもわからんねん?」母にコマーシャルの映像を説明するのが、一番難しい。が、この、ゆったりしたやり取りを私は大切な時間だと思っている。
「どこもわるない、へんなことしはるひとやー、もうかえるーぅ!」母の日常、その(28)
2005/9/30(金) 午後 0:29
某月某日 母は、昔、心筋梗塞で二度ほど入院しており、いまでも、二ヶ月に一度検診を受けている。その診療所までは自宅マンションから徒歩数分の距離だ。今日は検診日。
「どこいくん?しんどいねん」と、言う母を何とか連れだした(私は母に嘘をつきたをしているのだ)。
「今日はな~、お袋ちゃんの心臓がな~、大丈夫かどうか、先生に診てもらいに行かなあかんねんで~」
「わて、びょうきか?」
「病気やないけど、昔な、心臓ちょっと悪かったから、入院したやろ~?」
「しらんねん、にいちゃんコシいたいねん、どうしたらえ~かな?」
「ほんだら、腰も診てもらうから、行こか~?」
「うんっ」と、母がようやく納得顔になった。自宅から、診療所まで約100メートルくらいか。昨年までは、手押し車で母は自力で歩いて通院していた。が、いまは、診療所の車椅子を拝借して、乗せて行かなければならない。
「00さん、お久しぶりやね~、まあ、髪きったん、ショート、よ~似合うわあ」と顔見知りの看護師さんが声を掛けてくれる。
「ふっふ~ん、にいちゃん、にあうゆ~たはる、おもしろいひとやな~、だれや~?」
「うん、僕等の知ってる看護婦(看護師)さんや」母には「看護婦さん」と言わなければならない。
「こんにちは、よろしくお願いします、はい、特に変わったことは、ありません」と私は診察室に入り主治医の先生に挨拶を兼ね、母の様態を伝える。
「00さん、ちょっと服脱ごか~、心音きかせてな~?」と先生が。
「ふく、ぬぐん、え~んかな~?」
「直ぐ、終わりますからね~」先生も心得てはいるが。聴診器を何が何でも当てたい、医者と母の攻防がしばらく続く。止む無く先生、母の肌着の上から聴診器を当てる。それも素早く。
「にいちゃん、しんどい、このひと、だれやっ!」母が気分を害し始めた。
「お袋ちゃんに病気がないかどうか、診てくれてる先生やんか~」と小声で母の耳元で言うのだが。
「どこもわるないっ!、へんなことしはるひとやー、もうかえるっー!」その後の点滴がまた一苦労。付き添う私がいなければ、母は、点滴針をハズそうとする。そうはさせまいと、母をなだめる私。いつの間にか二人でベットの上で添い寝していた。看護師さんが「親子やね~」と笑う。
「ねかせてー、ねむたいやんかー!」母の日常、その(29)
2005/10/3(月) 午後 0:29
某月某日 母の徘徊は、千変万化、最近は夜明けに多い気がする。明け方近く。
「おしっこやねん?」と、母が四つん這いになって寝床から這い出して来た。
「はい、行こうか~」
「ねむたいしな~、コシいたいねん?、なんでやろなー?」
「う~ん、お袋ちゃんの腰な~、骨が折れたんや~、あんまり痛かったら、薬飲むか?」
「おしっこやー、ゆーてんねん!」腰は痛むし、おしっこはしたいし、母が怒るのも当然である。
「分かった、わかった」その後も半分夢の中なのか、会話が噛み合わない。おトイレから寝室に戻ると。
「わて、こんなとこで、ねるんか~?」
「そうやでぇ、何時も此処で、寝てるでぇ」
「しらん、はじめてや、わて、ひとりでねるんか、さびしいぃー」
「心配せんでも、僕が、隣で寝てるからな~、ゆっくり、寝んねしぃ~な」
「かぶせて、さぶいねん」しばらくして。
「おか~さん、おか~さん、かぶして、もっと、かぶしてー!」と、母の声。私は母のお母さんになった。
「うん、どうしたんや?」母の寝床へ。
「かぶして、ゆ~てんねん、にいちゃんどこでねてんのん?さびしいねん」不安そうな母の表情。
「かぶしたったで~、隣で寝てるからなあ」夏の掛け布団の上から毛布を一枚、さらにもう一枚、かけてやった。午前5時過ぎだ。カーテンの隙間から少し陽が射してきた。何回か、こうした、やり取りを繰り返すうちに母はとうとう、私の寝床えもぐりこみ「一緒に寝る」仕儀となった。
リリーン、リリーン、リリーン、目覚ましが鳴った。午前6時半だ。母は、音には、ことのほか敏感で案の定。
「ねかせて~、ねむたいやんかっー!」と、怒鳴る。これは、母が元気な証拠だ。あれだけ連日夜中に徘徊してだ。(お袋ちゃん、タフやなー、僕の方が先に逝くんちゃうかな~,と本気で思うことがある)。
「あんたもしてみぃー」母の日常、その(30)
2005/10/4(火) 午後 0:35
某月某日 生活のリズムを保つための基本中の基本は、睡眠と食事、そして気持ちよく「排泄」をさせてあげることである(ベテランのヘルパーさんから懇切丁寧に教わった)。朝の排泄。
「ぬくいわっー!」便座に座ると、母が言う。
「そうやでぇ、ちゃ~んと、温めてあんねんでぇ」
「だれがー?」
「うん、このトイレな、そうなってんねん」母には馴染めない、ウオッシュレットの洋式トイレだ。
「へぇ、かしこいな~」便座に座った母と私が、向き合いながらのやりとりである。
「あー、でたわ~、ふふ~ん」と母が。
「ほんまや、ちょろちょろ~て、ゆ~てるわ」
「わかったーっ!」と母が笑顔で聞く。
「にいちゃん、なんで、そんな、ハー(歯)してんのん?」と母が私の前歯を指差した。実は、鬼歯である。目聡い。
「うん、これな~、鬼歯やねん」
「おにば!、はいしゃいきんかいなー」(行きたいのは、やまやまなれど、なにせ行く時間がないねん、とは、母には言えない)。
「行ったけど、あかんねん、治れへんねんてぇ」と、嘘をつく私。
「うんち、でそうやけど、え~かな?」
「うん、出したらえ~やん、元気な証拠やで~」
「わて、げんきかー?」
「そらそうや、おしっこも、うんちも出~へんかったら、病気になるで~」
「え~のんしてるなぁ(私のネクタイを母が手に取る)、いつこ~たん?」と、今度は私の服装を見て。
「え~色やろ、だいぶ前や!」
「におうてるわ~、たかいのん?」
「そうか、お~気に、お袋ちゃんもこの色好きやもんな~」
「そうやねん、にいちゃん、よ~しってるな~」
「お尻、洗たるわなっ、ちょっと待ってや~」
「なにするん?あらわな、あかんのん?」
「綺麗になるでぇ、気持ちえ~やろ」お尻洗浄のボタンを押した。
「わー、ほんまや、あんたもしてみぃ」何の邪気もないのだ。おトイレ無事終了。母はニコヤカに、学校(デイ施設)へ。