認知症の鋭い感性
「きぃーてんねんやんか!」テレビと母、その(1)
2005/8/8(月) 午後 0:30
某月某日 母は滅多にテレビを見ない。だが、不思議と私の好きな野球中継だけは、一緒に見てくれるのだ。私は「トラきち」である。
「よっしゃー、抜けたーっ!」と、大声を挙げる私。
「なにが、ぬけたん?」
「うん、今な~、ヒット、打ったんや~」
「だれがー?」
「うん、僕の好きな00選手やで~」
「どこのひとや?」
「00の人や」
「いつきたん?」
「00に入ってからか~、もうだいぶなるな~、この選手は」と、母に説明する。
「あー、あかん、取られたわー」画面を指さし母に教える。
「なに、とったんや?」
「うん、ボールがな、フライになって、取られてしもたんや、取られたらアウトやねん」
「ふ~ん、アウトてどうしたん?」
「もう、あかんねん」
「もう、おわったんか~」
「試合は、まだやけどな~、この回はもうあかんねん」
「いつまでやるん、あー、はは~ん、こっちみてな、わろ~とるわ」
「あれは、敵の、ピッチャーやで!」
「どこのひと?」母にとっては、敵や味方等と言う事自体がおかしいのだ。
「敵の、00の人や」
「なんでわかるんや?」
「う~ん、、、、、、、、、」頭の悪い私には、この辺りの説明が難しい。それを知ってか。
「どこからきたん?」母が追求する。
「んん、、、、、、、、」頭をフル回転させるのだが。
「きこえへんのんかいなー、もうーっ、きぃーてんねんやんかーっ!、(このアホ、頼りない奴やーと言わんばかりだ)」目を三角にして、母が私を睨むのだ。
母に詳しく説明すると、野球が終わってしまうが。此処は仕方なし。母にゆっくり説明するのである。
「わるいやつやなーっ!」テレビと母、その(2)
2005/8/9(火) 午後 0:23
某月某日 見たまま、聞いたまま、感じたまま、誠に素直に母は、反応する。したがって、私は、母が発した言葉は、全てそのまま、受け止めることにしているのだ。
「おちゃな~ほしいねんけど?」
「はいはい」母が、湯飲み茶碗をもて遊んでいるので、準備していた。
「あまくないな、これ~、どうしたん?」
「お茶やからな、何か甘いもん欲しいんか~?」
「う~うん、おちゃでえ~は、にいちゃんばっかり、つこうて、ごめんな~」
「お茶ぐらい、誰でも、できるやんか~」
「あのひとみてるわー、だれやのん?」母が急に、テレビのCMを見て。
「ああ、あの子か?最近よ~出てるな、名前は知らんわ?」
「わー、あんなことして、あかんやんかな~、あぶないやんかー!」
「コマーシャルや、本当には出来へんわー!」
「なにゆ~た、いま?」
「うん、人殺したんやてー、アホなことしよるなー!」
「なんでや?だれやー?そんなことしてー!」
「高校生やな、何考えてるんかな~」
「へぇー、こうこうせいかいなー、にいちゃんしってんのん?」
「い~や、知らん子や」
「わるいやつやなーっ、こんなんわなー、おやが、わるいねんっ!」とキッパリ。母の言葉は、核心を突いている。
「なんでこないなったんやっ!」テレビと母、その(3)
2005/8/10(水) 午後 1:14
某月某日 忘れると言うことは、限りなく、不安なものなのである。
「あめふってきたんちゃうかー?」と母が突然。
「降ってないよ、ああ~っ、テレビやんかー!」
「そうか?、くら(暗)いで~、ふってないか~?」
「ほ~ら、見てみぃ、なっ、此処は、降ってないで」ベランダを指さし、母を促す。
「なんで、こっちはふってるん?」母がテレビ画面を顎で指し。
「それはな~、テレビのドラマで、雨の場面やねん、こっちは降ってないから」
「ややこしいな~、こっちふってんのにな~、なんのドラマや?」
「2時間ドラマや、見てんのんかいな~」
「だれかな~、しらんひとが、あたまから、ちぃーだしてんねん、どうしたん?」
「なんか、事件でも起きたんちゃうか?」
「どこでやー?」
「東京やろ~、此処は」
「はは~ん、にいちゃんな、さっきから、ず~と、わたし、みとんねん」
「あの人がかー?、何で、お袋ちゃん、見るんや~?」
「しらんねん、おおきな、め~して、みとんねん、あほちゃうかーっ!」
「そう言うな~、ドラマの役をやったはんねん!」
「やく?、ってなんや?」
「お芝居してはんねんやん!」
「しばいか?これわ~」
「そうやんか、テレビの芝居やで~」
「なんでこないなったんやっ!」ドラマの展開が、母には腹立たしいのだ。私も同感だ。
「芝居やから、そんな、怒鳴らんでもえ~やん」と、一応言ってみたが。直ぐに。
しまった。母には、見たものは、全て現実なのだ。この後、口角泡を飛ばす勢いの母の口撃にたじたじとなった私(ほんまに修行が足りん)。
「こんなんみてんのんかーっ!、しょうもないっ」テレビと母、その(4)
2005/8/11(木) 午後 0:27
某月某日 母は、自分の「いま」の気分や気持ちに正直である。自由奔放とも言える。凡人の私がこの母のような域に達することは、、、不可能か、、、。
「これどうしょうかな~、どうしたらえ~かな?」母が思案投首。ティシュの山を眺めて言うのだ。
「僕が後でちゃんと、送っといたるから、こっちに置いといて」1時間以上かけて母が一生懸命制作したものだ。
「わー、うれしい、にいちゃん、してくれるのん、わて、どうしょうか、おもうててん」夕食後、母はティシュを一枚一枚丁寧に折り畳んで、積み重ね、その束を、ためつすがめつ、どうするか、悩んでいたのだ。
「わたしな~、おくらなあかんけど、どうしておくろうかな~、おもうててん、ちゃんと、してくれるの?」
「輪ゴムでな~、こ~して、括って、ほら~、これで、明日送れるやろう」
「そうや!、そうしよう、おもててん、かしこいな~、あのひともな~、みとんねん!」
「あれは、テレビの人や、はっは~ん、お袋ちゃん、あれはな、お袋ちゃんを見てるのとちゃうがな~」
「そんなことないわ、みてたわ、わたし、しってんねん、さっきからな」
「そうかな~、お袋ちゃんの好きなテレビちゃうからな~」
「そうやねん?なにしてるん、わからんねん?」
「漫才師や、最近多いねん、僕も名前あんまり知らんしな」
「にいちゃんもわからんのん?ふ~ん」
「あー、お袋ちゃん、もう止めときや、その、ティシュ箱は明日学校(デイ施設)へ、持っていくやつやからな」今日、新しく、出したばかりのティシュ箱だ。半分ほどに減ってしまっている。
「なんでやのん?これしとかな、あかんやんかー?」
「ほら、此処に、もう、送るやつさっき作ったやんか、な~」
「あんた、なんで、それもってんのんっ?」
「さっき、お袋ちゃんに頼まれてな」
「そうか~、もうそれでえ~のんかいな?」
「うん、もう、今日のぶんは終わりやで~」
「なんで、あんなことしてるん?」と、母の視線がまたテレビの画面に。
「面白いかな~、おもうてちょっと見てんねん」
「こんなんみてんのんかーっ!しょうもない、どこか、かえてー!」
何処に変えても、母が楽しめる番組はないのだが(俗世にドップリ浸かっている私と母とでは違うか?)。「此処はどうや?、」と私はチャンネルを一つずつ変えながら母に尋ねる。母が「もう、えーわ!」と言うまでこの作業は続くのだ。
「ここどこや?あれだれや?なにしてるん?」テレビと母、その(5)
2005/8/12(金) 午後 0:51
某月某日 会話が出来ると言うことは素晴らしいことだ。認知症であっても、関係はないのだ。私は「言霊」を信じている。
「あーっ、何してるん、また、入れ歯はずして、はずしたらあかんやんかー?」母は入れ歯を嫌がる。合わないようだ。
「ふん、、、ふん、、、」母は平然と、聞く耳もたぬ表情で。
「ほれー、そんなとこ、置いて、また失くしたら、どうするねんや、歯医者さんが、言うてたやろ~、入れ歯はずしたら、歯茎が痩せて、もの食べられんようになるから」と、母に私の口を見せて説得するのだが。
「しらん、はずしてない、いぃーやっ!」と負けずに母は、大口開けて私のほうに顔を向ける。
「ほ~ら、下の入れ歯ないやんか」案の定、下の入れ歯が無い。
「いぃーやっ!そんなおこらんでもよいでしょっ」と、悠々たるものだ。
「怒ってないで~、ご飯食べられへん、言うてんねんで~」
「たべてるわー!」
「噛まれへんやろ~、下の入れ歯無いんやから」
「かめへんのっー!」余裕綽々だ。
「あかん、あかん、ちゃ~んと、入れ歯しとかな」こちらの方が焦る。
「ここどこや?」と、素早く話をそらし、母はテレビを指差す。
「うん、何処かな~、ちょっと、分からんわ」
「あれだれや?」
「アナウンサーや」
「なにしてるん?」矢継ぎ早に話題を逸らす母。
「大阪な、昨日、37度もあって今年一番暑かったんやて~、そう言うたはんねん」
テレビの画面が変わる都度、似たような会話が続き、半時間後、母はようやく下の入れ歯を装着した。省略したが、この間に、入れ歯のことで「アホー、バカタレー」と母は面白そうに何度、私に言ったことか。ようするに、母は私を相手に会話で遊んでいたのだ。