認知症の母と暮らせる幸せ
「ウレしい~、してくれんのん?」母の笑顔、その(1)
2005/6/13(月) 午後 0:37
某月某日 認知症の進行を少しでも遅らせたい、と願うのは、直接介護をされている方たち共通の願いだろう。私が選んだのは、生活にリズムを持たせることと、会話だ。そして何度も何度も、四季の話題を会話の題材にすることだった。(医学的に効果があるかどうかは分かりませんので、念のため)。
「お袋ちゃん、見てみぃ、この、トラの尾、こんな大きなったで!」
「ほんまやな~、こないなったら、どうするん?」
「うん、分けてな、増やしたらえ~のんと違うか?」数年前に、姉が持ち込んできた、サンスベリア、当初は4~5本くらいで、高さも30センチほどであった。姉いわく「部屋の空気キレイにしてくれるんやて~」。それが、いまや、30本くらいに増え、高さも大きいものは、有に1メートルを超えるほどに成長した。
「そ~や、そうせんと、じゃまになるわ」と、母が言うほど成長したのだ。1年ほど前に、鉢の植え替えをした。最初の鉢が割れそうになったからだ。大きな鉢に植え替えた途端、この「トラの尾」はニョキニョキ、四方八方、伸びたい放題、伸びはじめた。
「だれがくれたん?」
「お姉ちゃんが持ってきてくれたんやで~」
「いつーぅ」
「う~ん、もう、だいぶ前や、大きなったやろー、春やな~、みんな元気になるわ!」
「もうハルか?、おおきいな~、どうするん?」
「そやからな~、二つに分けてな、お袋ちゃんの部屋に飾ったるわ!」
「ウレしい~、してくれるのん?」母は満面の笑みを浮かべて。
「やっぱり、にいちゃんかしこいな~、はよ、してな!」トラの尾を見上げながら、親子の会話がはずむのだ。
「ふふ~ん、ばあー、もうおきてもよろしいか?」母の笑顔、その(2)
2005/6/14(火) 午後 0:50
某月某日 早朝6時半、目覚ましが鳴る寸前に起床する。体内時計が働いているのである。数分後に目覚ましがなる。何時ものことだ。音に敏感な母は、私の物音に直ぐに気付く。
「おか~さん、おか~さん」母が声をあげた。
「まだ、早いよ、お袋ちゃん、寝とってえ~よ」
「そうですか~」
「ご飯の用意できたら、起こしたるからな~」母の顔を覗き込んで。
「あいよーっ」母は何時も、徘徊の疲れが残るのか、8時前ごろまで、朝寝をする。私は、朝は猛烈に忙しい。洗顔、湯沸し、身支度、朝食、時には、洗濯と、母を起こす前にこれらを手早くこなさなければならない。一段落したら、母の寝床を覗きに行く。
「ぷ~っ、ぷ~っ、、、、、、」と、入れ歯の無い口を、すぼめてふくらまして、本当に幸せそうないい寝顔だ。腰が痛いのか(母は2度圧迫骨折している)横向きに九の字になって寝ている。
「あぁ、にいちゃんやーっ!」と、母は私の気配に直ぐに気付く。
「うん、え~よ、青天やでー、え~天気やわ!」と母に言う。
「ふふ~ん、ばあー、もうおきてもよろしいか?」母が笑顔で答える。私が差し出した両手に、母も応じる。
「今日も一日、一生懸命生きよ~な!」と、語りかけながら母を抱き起すのだ。
「わー、きてくれてたー、うれしいっー!」母の笑顔、その(3)
2005/6/15(水) 午後 0:42
某月某日 月曜日から土曜日まで、母は毎日デイへ行く。90うん歳だから、体調の波があるのは、いたしかたない。幸い、この何年か母は休んだことは一度もない。唄うのが大好きな母に、デイに行かせるきめ台詞がある。
「今日はな~カラオケ大会やから、歌、唄~て帰ってきたらえ~ねん!」と言うのだ。
「どんなウタや~、うとう~てみぃ」母の好きな童謡唱歌を2、3曲、私が口ずさむと。
「あーっ、それしってるわ!」と、連れて母も唄いだす。だいたい、これで、機嫌を良くして。
「ふん、それやったら、いかなあかんな~」となるのだ。
「学校(デイ施設のことを、母は学校と呼んでいる)のバスきたよ、行こーか!」
「あいよー」と、ご機嫌な様子だ。
「お早うよう御座います、よろしくお願いします」バスから、降りてくるヘルパーさんにご挨拶。
「00さん、行きましょか、今日は、元気そうやねー!」と、ヘルパーさん。
「おはようございます、コシがな~、イタいねん」と、母。
「ゆっくり、乗りましょうね!」すでに、数人の方が乗車している。
「はい、00さん、ここに乗りましょうか?」
「みなさん、おはようございます」と母がペコリと頭を下げて挨拶する。バスの扉が閉まりかけると、母が振り向き。
「にいちゃんもこんかいなー!、なにしてんのん!」と声を挙げる。
「うん、00さん、お兄ちゃんは後から、きはるからね~、先に行きましょうね!」と、ヘルパーさんが。最近は毎日こうだ。これで、母は納得し。
「ばいば~い!」と車窓から私に向かって手を振るのだ。
午後四時過ぎ、同じバスで母が帰ってくる。車窓から、私を見つけた母が手をふりながら。
「にいちゃんや、にいちゃんや、わーきてくれたーうれしいーっ!」満面の笑みをこぼす。
「お袋ちゃん、お帰りぃ!」と、私も自然に両手を広げる。バスの扉が開くと、母は手を叩いて、周りもはばからず、大はしゃぎ、私も思わず笑みをこぼす。
「ふふ~ん、うたえたー、わたしよ~しってるやろー」母の笑顔、その(4)
2005/6/16(木) 午後 0:34
某月某日 母は歌が大好きだ。もっぱら、聞くほうではなく、自ら「唄う」ことが好きなのである。もちろん、知ってる歌でなければならない。食事は気の向くままだから、なかなかはかどらない。
「お袋ちゃん、ご飯もうちょっと食べな~」
「たべてるーっ!」
「ぜんぜん、減ってへんやんかー?」
「いま、これ、これたべたやんかー?」と、言いながらティシュを一枚ずつ取り出し初めている。
「ティシュの仕事な~、ご飯食べてからしたらえ~やん」母はティシュペーパーに夢中になる。箱から、一枚一枚取り出しては、丁寧に折り畳んで積み重ねていくのだ。
「ここに、いれなあかんから、さき、せなあかんやんか、それもわからんのんっ!」
「後でゆっくりしたほうが、え~と思うけどな~」
「せな!、あかんのっ!」と、私を睨む。この時ばかりは、母にとって、私は敵になるのである。
「そうか?ほんだら、それ済んだら、食べや~」敵では無いことを母にやんわり。
「あいよーっ」これで私は敵では無くなったのだ。私が食事を終えても、母は依然としてお仕事に夢中。いや、佳境に入った感がする。こうなると、ティシュの箱が空になるまで止まらない。
「もう僕、ご馳走さん、したで~」
「ふ~ん」私は母の眼中にない。
「あーっ、お袋ちゃん、この歌な~、知ってるかー?」と、私は母の琴線に呼びかける。
「どんなんや~」私は、母の好きな童謡を、一節口ずさむ。
「しってるわいな!」母が振り向く。
「ほな、最初から唄お~か?」母と二人で、合唱する。母のお仕事の手が止まった。数曲、続けて合唱だ。
「はい、また後で唄お~な、さーご飯にしょう」
「ふふ~ん、うたえたー、わたしよ~しってるやろー」笑顔の母。
「ほんまや、よ~覚えてるな!」お箸を持たせると、歌の余韻にひたりながら、ニコニコしながら、母は食事をはじめた。
「ヘルパーさんやっ!、にいちゃんきはったっー!」母の笑顔、その(5)
2005/6/17(金) 午後 1:08
某月某日 私が、母の介護で倒れず、元気でいられるのは、デイ施設の多くの方々に支えられているお陰である。この方たちのご協力や支えがなければ、私は間違いなく、病院行きである。今日も。
「お袋ちゃん、服着替えよか~」
「うん、きせて!」
「どれが、え~かな」母の服を選ぶのは、少々迷う。
「なんでもえ~やんか!」母のほうが、頓着ない。
「もう、暖かなったし、こないだ、お姉ちゃんから送ってきてくれたグリーンの服がえ~のんちゃうか?」
「へぇー、そんなん、あった~」
「着てみるかー?」
「うん、きたいわ~」
「ほれ、これやで~、え~色やろ、格好えーわ!」拡げて見せる。
「そうか?わたし、このいろスキやねん!」
「学校で自慢できるで~、00さんしゃれた服着てるなーっ、て言われるでー!」
「そうかな、そうおもうかー?」
「うん、お袋ちゃん、よ~似合~てるわ!」母も当たり前だが、れっきとした女性である。
ピンポーン、チャイムが鳴る。
「あっー、ヘルパーさんが、来はったでー」
「お早う御座います、00さん、00です」と顔馴染みのヘルパーさんだ。
「は~い、どうぞ」と招じる。私が最も信頼している、ヘルパーの00さんである。母の状況を事細かに話してくれる。私は00さんから介護の「イロハ」を教わった。母も。
「ヘルパーさんやっ、にいちゃんきはったっー、ウレしいぃーっ」子供のようにはしゃぐ母。母の満面の笑みが、00さんを信頼しきっている証左である。
「ほんまかいな?、いつそうなったっ?」茶の間、その(1)
2005/6/20(月) 午後 1:20
某月某日 家庭、家族、茶の間、団欒、これがないと、国は傾く。と、私が尊敬する大学のゼミの先生(哲学者)が言われたことを思い出した。母が悠然とTVを眺めながら。
「このひとだれや?」
「知らん人やな!」
「へぇー、にいちゃんもしらんのんっ!」
「うん、見たことない人やわ!」
「なにしてるんや?」
「何か、説明してはるん違うかな~」
「ここどこやー?」
「何処やろな、どっかの海辺やな」浜辺の風景が映っている。
「どこかもわからへんのん?」
「あーっ、お袋ちゃん、ここ北海道ちゃうかな」見た覚えのある風景が目の端に入った。
「いったことあるのんかー?」
「思い出したわ、昔、旅行で行ったわ!」
「えらい、としいったはるな~、あたま、しろ~なってるで、このひと」と、母がTV画面を指さして。
「う~ん、だいぶん、歳いったはるな、もう、え~お婆さんやな、そやけど、元気やんか」
「そうか~、あたま、しろいでぇ」その時、画面に字幕スーパーが流れた。
「00町の0000さん、79歳やて~」字幕を読んで母に言う。
「そうか~、なにしてはるひとや?」
「00つくったはる人や、言うたはるでぇ」
「00て、なんやのん、としいったはるなぁ」
「うん、そやけど、お袋ちゃんより、ずっ~と若いから、元気やんか」
「わて、なんぼや?」と母が聞く。
「忘れたら、あかんやん、お袋ちゃんは、90うん歳やんか~?」
「あーっはははーっ、ほんまかいな?いつそうなったん?」と母が可笑しそうに笑う。
「うん、、、、、、、」俗世にいる凡人の私には到底及ばぬ母の笑いである。母は3日後に誕生日を迎える。また一つ齢を重ねるのだ。
「お袋ちゃん、今日も元気で良かったな~」と母に言うのが精一杯だ。
「もう、ねましたか?、へんじぐらいしんかいなっー!」茶の間、その(2)
2005/6/21(火) 午後 0:35
某月某日 デイ施設からの連絡帳に「今日は入浴を強く拒否されました」と、記されてあった。案の定、ヘルパーさんから「00さん、ご機嫌斜めで、ちょっとあばれましてん」と言われ。「そうですか、ご迷惑かけました、すんません」と、ヘルパーさんに謝った。
「優しくしてあげて下さいね」と、ヘルパーさんが気遣って。
「はい、分かってます、お~気にぃ」デイでの、母の様子を知る貴重な情報だ。
「そろそろ寝よか、うつらうつらしてるで~、お袋ちゃん」
「う~ん、そんなじかんかー?」眠そうな母。夕食後、母はデイでの疲れからか、座椅子にもたれかかり気持ちよさそうに、まどろんでいた。
「風邪引いたら、あかんから、なっ、寝よ~」と、声をかける。
「おしっこっ!」
「よっしゃ、おしっこしたら、寝よな~」トイレを済ませ、母を寝床へ。
「はい、此処やで、お休みやで~」
「こんなとこで、ねんのんか?」
「そうや、何時も、此処やで!」
「はい、お休みなさい」しばらくして、私も寝床へ。
「おね~さ~ん、おね~さ~ん、ねたん?」と母の声がする。
「もう、寝るよ~、どうしたん?寝られへんのんか?」
「ねむたいねんけどな~、どうしてるんかな~と、おもうて」と、母が四つん這いになって、私の寝床の足元までやって来た。
「ふっふ~ん、にいちゃんやっ!、ねてるんかー!」見~つけたーと、言わんばかりの母の笑顔があった。
「うん、もう、寝るよ~、お袋ちゃんも寝~や!」
「あいよ~」ご返事よろしく、母は自分の寝床へ戻って行った。こういうときにこそ、油断は禁物。私は母を追いかけた。
「うん、、、、、、、ちゃんと、かぶりや、風邪ひかんようにな~」母が、掛け布団もしないで横になっていたのだ。
「わかってますぅ~」しばらくして。母の声が。
「もう、ねましたか?」
「うん、、、、、、、、」と、私が小さな声で返事したのだが、聞こえ無かったのだろう。母が。
「へんじぐらいしんかいなー!」と、大声を挙げた。このやり取りが、数回は続くのだ。生返事は見透かされるのだ。
「あほちゃうかー!、そんなことせーへんわっ!」茶の間、その(3)
2005/6/22(水) 午後 0:33
某月某日 母は、幼い頃から、気管支に持病があり、顔を真っ赤にして、年中「咳」をしている。本人は「風邪」だと思っているようだ。母のティシュペーパーに対する執念は、その辺にあるのではないか、と私は推測している。
「あぁ~あ、お袋ちゃん、そんなとこで、ぺーッ、したらあかんやんか~」
「ぺーっ、ぺー、ぺーっ!」聞く耳持たぬ母。
「あ~あ、ティシュでせなあかんで~、絨毯に染み込んだら汚れがとれへんやんか~?」と、取りあえず小声で呟く私。
「カミかしてぇー」
「ちょっと、待ってや、直ぐ、拭くからな」絨毯を、濡れティシュで拭き取る私など、母の眼中にはない。
「はよ、かしぃーな、カミかしぃー!」これ以上待たせるとまずい。私の経験則がそう言っている。
「はい、これ、ほれな~、此処、汚いやろ~、紙あるから、咳が出そうになったら、紙にしぃーや」
「わかってるがな!」ティシュを引ったくりながら、母が仰る。
「あっち、こっち、ぺっぺ、ぺっぺ、したらあかんねんで~」と、呟く私。
「そんなん、してないーっ、ばかにして!」この呟きを、聞き逃すはずがない。母の声のトーンが上がった。
「うん、、、、、」(これ以上、言うのはまずいかなー)。先日も、デイの連絡帳に。
「今日も床にツバを吐かれました」と記されてあった。
喘息ではないが。母の場合は気管支が生まれつき細いのだそうだ。下の入れ歯を無くして製作中のため、唾液が溜りツバが余計に出るようである。
「入れ歯もう直ぐ、出来るから、ぺーぺー、吐くの止めよな~」とやんわり。
「してないっ、ゆーてるやろーっ!」
「うん、、、、、」(まずかったか!、私の経験則が、、、、)。
「分かった、出るんやもん、しょ~ないな、紙にするよ~にしたらえ~んやから」
「ちゃんと、してるわいなー!」
「ご免、病気やからな~、しょうないわ!、ツバ出るんやもん、吐いたらえ~わ」
「アホちゃうか、きたないのに、そんなことせーへんわー!」と母。
「うん、、、、、、」(母の方が鋭い、私は手もなく切り返えされたのだ)。朝、母の寝床の回りには、あちら、こちらに、ティシュの固まりが散らばっている。(掃除をすれば済むことで、まあどう~と言うことでも無い。病気の方が心配だ)。
PS 今日は、お袋ちゃん、のお誕生日です。90うん歳になりました。お袋ちゃん「おめでとうなー」。好物の「カステラ,買ーて帰るからねー」。
「へー、そんなんなったん!、いつからやー」茶の間、その(4)
2005/6/23(木) 午後 0:42
某月某日 夕べは蒸し暑かったのか母はいつもより、徘徊の回数が増え親子ともども、よたよたの朝を迎えた。
「まだ、ねむたいのに、さわりなっ!」当然のことだが母の機嫌は悪い。
「そんなこと言う~ても、もう8時やで~、早よ起きな、学校いかれへんやんか~」と、呟く私の声が。
「しらん!いけへん!あっちいきんかいな!」三連発ではじき返された。母は地獄耳なのだ。
「ほんだら、もう、ちょっと寝るか~?」
「かぶせてー、さぶいねん!」母に、もう一枚毛布を掛けた。
「はいはい、ちょっと、煙草吸うてくるからな~」と言ってベランダへ逃げることに。
「あいよ」と、母。リビングから、ベランダへ、灰皿と腰掛が置いてある。裏道の三叉路の道路。高校生、中学生、小学生らが行き交う、この裏道は通学路になっているのだ。
「皆さん今日も元気そうやなー」と、眺めていた。網戸越しにかすかに母の声が聞こえた。
「ね~さん、ね~さ~ん」と、母の声が聞こえた。
「起きたんか~?いま、煙草吸うとってん」
「なんや?そこにおったんかいな~」おトイレ、洗顔、身支度、食事の用意、今日は入浴のある日だから、バスタオルや着替えの下着等、それにゴミの日だ。よたってはいられない。息つく間もなく私は動く。
「なにばたばたしてんのん!」そんな私を、母はしっかり見ているのだ。
「うん、もう、終わりやで、お袋ちゃん、食べたか~」朝食が残っている。
「ま~だ」(この余裕には勝てんなー、と何時も私は思う)。
「もう直ぐ、迎え(デイ施設の送迎者の方)に来はるから、食べたら薬飲もな!」
「いらん!」
「大事な薬やで、お袋ちゃん、これの、お陰で、90うん歳まで、元気なんやでぇ」
「そんなん、なってへんわーっ!」と母。
「ふ~ん、ほんだら、お袋ちゃん、歳、なんぼやのん?」
「う~ん、、、30、、、なんぼぐらいちゃうかな~」
「はっはははーっ、お袋ちゃん!、それやったら僕より、歳下やんか~」
「あんた、なんぼやの~?」
「もう50うん歳やで!」
「へぇー、そんなんなったん?いつからや!」ニコニコしながら、母が聞く。今日はご機嫌良くデイに行ってくれそうである。何の変哲もない、言葉を交わすことだけで良いのだ。
「ひとが、きいてんのに、あんたもしらんのんかいな!」茶の間、その(5)
2005/6/24(金) 午後 0:42
某月某日 普段から、テレビは滅多に見ないし、集中しない母だが、時たま1~2時間、私に聞きながら、見る時がある。
「はっはははー、にいちゃんこのひと、おもしろいでー、みてみぃ」
「どうしたん?」と私もつき合う。
「わたしみてなー、わろ~てんねん!」
「えらい、お婆さんが、見てるわ!、思うて、笑ろ~てんのんちゃうかー?」と、母を茶化した。
「そやろなー、ははははっー、まだみとるねん!だれやのー?」悠然と受け流す母。(子供は親には勝てません)。
「漫才師?、ちゃうかな~?、最近よ~け、いたはるからな!」
「どこのひとや?」
「う~ん、どこの人かな、知らんけど、東京に住んでるんちゃうか?」
「ふ~ん、いつきたん?」
「最近ちゃうか?」
「ここどこやー?」
「そら、東京やろう?」
「なんで、わかるん?」
「これな!、東京の番組やからな!」
「あのひと、だれや?わたし、みよったわ!」
「これ、お袋ちゃん、コマーシャルやんか!」
「なんの、こまーしゃるや?」
「うん、、、、もう変わってしもたから、分かれへんわ」
「なんで、こんなこと、してるん?」
「まあ、コマーシャルやから、何でもやらされるんやっ」母がTVを眺めている間は、このような会話が延々と続く。私が新聞を見ながら、生返事をしようものなら。
「にいちゃん、これだれやー?」
「うん、、、、、、、、、、ちょっと分かれへん」
「ひとが、きいてんのに、あんたもしらんのんかいなー、あほ、ちゃうかー!」鋭い。生返事は直ぐにばれるのだ。
「うん、、、ご免ご免、ちょっと、見てへんかっただけやんか~」言い訳をする、小心者なのだ。
「みときんかいなー!」母の声は、凛としている。(お袋ちゃん、えー度胸してる。丹田が座っとるわ)。
「わたしを、ころすつもりやろー!」茶の間、(番外)
2005/6/26(日) 午後 0:00
某月某日 介護しなければならない時と、看護しなければならない時があることを、私は母から教わった。この辺を見極めるまで、私も随分と時間がかかった。まだ見極めてないことを、後で知ることになるのだが。そろそろ寝る時間だ。
「もう、かえろうー?」と母。
「うん、どこへ、帰るん?」
「00やんかー?、わたしのイエやっ!」
「お袋ちゃんの家、此処やで~」
「こんなとこ、ちがうわー!」
「なに言うてんのん、ず~っと、此処で、僕と一緒に暮らしてるやんか~」
「へぇー、わたし、こんなとこでねるんかー?、ねたことないで」ここで、私は、10年前に阪神淡路大震災で、我が家が被災し、ここに移って来た経緯をゆっくり母に聞かせる。何度も何度もだ。だが、母は。
「あんたっ、わたしにはなー、00にイエがあるんやでー、もうかえりたいねん、それも、わからんのんかー!」
「そやからな~、お袋ちゃん、よ~聞きや~」と、私は、同じ話を繰り返すのだ。
「へー、しらんでー、わたしは、こんなとこで、ねられへん、ねたことないっ!」
「お袋ちゃん、今日学校(デイ施設)行ったやろ~、何時もな、此処から、通ってるねんで~」
「がっこう!、そんなとこ、しらん、いってへんわー、!」こんな、やり取りがしばらく続く。
「なあ、そやから、お袋ちゃんと息子の僕と、此処で、こうして、一緒に暮らしてるねんで~」
「あんたぁー、むすこっ!、しらん、あんた、よそのひとやろー!」母の顔が険しくなる。こうなると、もう、介護ではなく、看護しなければならない。
「分かった、お袋ちゃん、ご免な~、明日、一緒に、家に帰るから、今日はもう、遅いし布団も敷いてあるし、ここで泊まろう」
「なにが、かえろーや、わたしを、ころすつもりやろー、てぇーはなしんかいなー」行こうとする母を両手で止める私。
「ご免な~、明日、絶対に00の家に帰るから今日は遅いから、此処で、辛抱して~な」
「うそついたら、あかんねんでー!」と母が私を睨む。介護と看護。どう、違うのかは、かなり難しい。表情を見るのが一番だと、私は思っているのだが。