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第8話:国家の猟犬と、密室の甘い毒

東都秀英中学校、三年生。

 春のクラス替えと同時に、俺(御堂司)のクラスには一人の新しい担任が赴任してきた。

「今年から皆さんの担任を受け持つことになりました、氷川桔梗ひかわ ききょうです。一年間、よろしくお願いします」

 教壇に立つ彼女は、黒髪をタイトにまとめ、銀縁の眼鏡をかけた、いかにも神経質そうな美貌の女教師だった。地味なグレーのスーツに身を包み、化粧の気配も薄い。

 だが、教卓を見つめる俺のカンストした【知覚・察知】能力は、彼女が教室に入ってきた瞬間から、警報アラートを鳴らし続けていた。

(……妙だな。チョークの粉や安物の香水に混じって、微かに『硝煙』と『血』の匂いがする)

 それに、立ち姿だ。一見すると普通に立っているように見えるが、重心は常に足の親指の付け根にあり、どの角度から襲われても一瞬で反撃・あるいは回避行動に移れる、実戦を潜り抜けたプロフェッショナルのそれだった。

 俺は、頬杖をつきながら冷たく口角を上げた。

(なるほど。大方、東都の地下社会を壊滅させた『鉄仮面』の噂が、大鷹内閣の治安維持組織――国家情報省あたりの耳に入ったってところか。俺の体格や行動範囲から容疑者を絞り込み、内偵に来たわけだ)

 退屈な学園生活に、ようやく「マシな暇つぶし」がやってきた。俺は、泳がせるつもりで彼女の授業を大人しく受けることにした。

 ***

 氷川の俺に対する『テスト』は、実に巧妙で、そして執拗だった。

 最初の罠は、進路指導を装った面談だった。

「御堂くん。あなたは成績優秀ですが、休日は何をして過ごしているの?」

 彼女はにこやかに笑いながら、机の上でボールペンのノックをカチカチと鳴らしていた。だが、俺の【知能MAX】は、そのペンが超小型の『音声ストレス解析機ポリグラフ』であることを即座に見抜いていた。

「特には。家で読書をしているか、父の仕事の資料を読んでいるくらいですね」

 俺は、心拍数、呼吸、瞳孔の開き具合から発汗に至るまで、身体のすべての生理反応を【ステータス操作】で完全に「平熱」に固定し、完璧な優等生として答えた。氷川の目が、微かに苛立ちに細められる。

 第二の罠は、放課後の理科準備室だった。

 資料運びを手伝わされた俺が、彼女の横を通り過ぎようとした瞬間。氷川はわざとバランスを崩し、棚の上にあったガラス製の重いビーカーを、俺の頭上へと正確に落下させたのだ。

 常人なら絶対に避けられないタイミング。もし俺が『鉄仮面』のような超人的な反射神経を見せれば、それが決定的な証拠になる。

(……甘いな)

 俺は一瞬で落下軌道を計算し、あえて『鈍臭い中学生』のように肩をすくめ、ビーカーを床にガシャァン! と叩き落とさせた。割れたガラスの破片が俺の頬を掠め、一筋の血が流れる。

「ああっ! ごめんなさい御堂くん、怪我は……!」

「いえ、大丈夫です。僕がどんくさいだけですから」

 俺が困ったように笑うと、氷川は「そう……ごめんなさいね」と、ひどく冷たい目で俺の血を拭った。

 そして――決着の時は、一ヶ月後の放課後に訪れた。

 誰もいない、旧校舎の地下にある図書資料室。

 頼まれたプリントを取りに来た俺が部屋に入ると、背後で分厚い防音ドアがガチャン、と重々しい音を立てて施錠された。

「……氷川先生。なんの冗談ですか?」

 振り返ると、そこにはいつもの地味な女教師ではなく、冷酷な『猟犬』の目をした女が立っていた。彼女は銀縁眼鏡を外し、スーツのジャケットを脱ぎ捨てる。その下には、拳銃用のホルスターと、複数のコンバットナイフが仕込まれたタクティカルベストが装着されていた。

「冗談じゃないわ。……もう芝居は終わりよ、御堂司。いや、東都の地下を牛耳る『鉄仮面』」

 氷川は、防音室の壁に設置した小型の妨害電波発生装置ジャマーのスイッチを入れた。これで外部との通信は完全に遮断された。

「ここ数週間のあなたの行動データ、三ツ星重工のサーバーへの不正アクセスの痕跡、そして阿修羅が壊滅した夜の防犯カメラの映像……。すべて状況証拠は揃っている。国家情報省、国内テロ対策局の権限において、あなたを特別拘束します」

 氷川が突きつけてくる証拠とロジックは、確かにプロフェッショナルとして完璧なものだった。

 だが。

「……くくっ。あっはははは!」

 俺は、図書室の机に腰掛け、腹を抱えて笑い出した。

「な、なにがおかしいの!」

「いや、あまりにも滑稽でね。たかがその程度のガラクタ(証拠)で、この俺をハメたつもりにでもなってるのか? スパイごっこは映画の中だけにしてくれよ、先生」

 俺が冷酷に言い放つと、氷川の顔から表情が消えた。

「……やはり、口で言って分かる相手ではないようね。なら、その化け物染みた身体の四肢を砕いて、自白剤を打つまでよ」

 シュンッ!!

 氷川の姿が掻き消えた。いや、プロの暗殺術(システマとクラヴ・マガの融合)による、常人の視界から外れる極限のステップだ。

 次の瞬間、俺の喉仏の数ミリ手前に、冷たいタクティカルナイフの刃が迫っていた。

「……遅い」

 俺はポケットから両手を出さないまま、首をわずかに傾けた。

 チリッ。ナイフが空を切る。

「なっ……!?」

 氷川が驚愕に目を見開くが、彼女はすぐに態勢を立て直し、流れるような連撃を繰り出してくる。

 顔面への突き、膝関節を砕くローキック、そして死角からのスタンガン。国家の暗部で何人ものテロリストを葬ってきたであろう、必殺のコンビネーション。

 だが、カンストした【敏捷】と【知能】を持つ俺からすれば、彼女の動きはすべて『スローモーションで再生されるチュートリアル』以下だった。

 俺は、無重力空間を舞うように床を滑り、彼女のナイフをミリ単位で見切り続ける。ワイヤーで吊られているかのようなあり得ない姿勢での回避に、氷川の呼吸が次第に乱れ始める。

「くっ……ああっ! なぜ……なぜ当たらないのっ!」

「……ほら、どうした? 殺しに来るんじゃなかったのか?」

 俺はあくびを噛み殺しながら、氷川の放った回し蹴りを片手の指三本でピタリと受け止めた。

「――っ!?」

「プロの軍人ってのは、この程度か。退屈すぎて反吐が出るぜ」

 俺はそのまま彼女の足を弾き飛ばし、みぞおちに軽く掌底を当てた。

「がはっ……!!」

 それだけで、氷川の身体は数メートル吹き飛び、本棚に激突して大量の埃を舞い上がらせた。

「……ばけ、もの……」

 彼女は口の端から血を流し、恐怖に顔を歪ませた。

 どんな拷問にも耐える訓練を受けてきた彼女の精神が、絶対に覆せない『純粋なスペック差(暴力)』を前にして、初めて折れた瞬間だった。

 氷川は懐から閃光弾フラッシュバンを取り出し、床に叩きつけた。

 カッ!! と図書室が白い光と爆音に包まれる。彼女はその隙に、唯一の逃げ道である換気ダクトへと飛び込もうとした。

 だが。

「……逃がすわけないだろう? 先生」

「えっ……?」

 光が収まるより早く。ダクトに手をかけようとした氷川の背後に、俺はすでに先回りしていた。

 俺は、怯える彼女の細い腰に背後から腕を回し、その身体をきつく抱き寄せた。

「ひっ……! 離し、離せっ……!!」

 プロのスパイとしての最後の抵抗。彼女は肘打ちを俺の顔面に入れようとするが、俺はそれを軽く受け流し、彼女のうなじに顔を埋めた。

 そして――限界まで抑え込んでいた【魅了・フェロモン】と【支配欲】の蛇口を、一気に全開にした。

 ――ドクンッ!!

「あ、あぁぁ……っ!?」

 氷川の身体が、まるで高圧電流を流されたようにビクンと跳ねた。

 国家への忠誠。スパイとしての誇り。痛覚への耐性。

 彼女が血を吐くような訓練で築き上げてきた鉄の理性は、俺から放たれる圧倒的な「雄のフェロモン」の直撃を受け、文字通り秒でドロドロに溶け落ちていった。

「……ほら。お前の大好きな尋問の時間だぜ、先生」

「あ……あっ、熱いっ……! なにこれ、頭が、おかしくなるぅっ……!」

 俺がうなじに深く歯を立てると、彼女の口からプロの工作員とは思えない、だらしなく甘い嬌声が漏れた。

 俺は彼女を床に押し倒し、厳格なシャツのボタンを引きちぎるように開け放った。現れたのは、日々の鍛錬で引き締まりつつも、女性らしい柔らかな起伏を持った極上の肌。

 俺の手がその肌をなぞるたび、彼女は「ひぎぃっ!」と痙攣し、自ら俺の手にすり寄るように腰をくねらせた。

「だめっ、やめて、私は……私は国家の……っ」

「国家? くだらねぇな。お前は今日から、俺の所有物ペットだ」

「ああっ! 司くんっ、司くんの匂いっ……すごいのぉっ……!!」

 そこから先は、冷徹な女スパイが、一人の発情した雌へと堕ちていく官能的な宴だった。

 俺が直接的な行為に及ぶまでもない。俺の圧倒的なフェロモンと、的確に急所(性感帯)を狂わせる愛撫だけで、彼女は完全に理性を吹き飛ばされた。

 堅いスーツの下に隠された熱い粘膜が俺の指先に蹂躙され、彼女は涙と涎で顔をぐしゃぐしゃにしながら、俺の制服にすがりついてくる。

「も、もう無理っ! 狂っちゃうぅっ!!」

 俺が彼女の耳元で甘く、そして支配的な言葉を囁くたび、氷川の身体は限界を超えた歓喜に打ち震え、床にだらしなく熱い愛液を散らして、何度も、何度もとめどない絶頂を繰り返した。

 ――数十分後。

 薄暗い図書室の床には、完全に精神を書き換えられ、俺の足元で猫のようにすり寄ってくる、一匹の『雌豚』が転がっていた。

 目はとろんと濁り、乱れた服からは艶めかしい肌が覗いている。

「……さて。じゃあ、尋問の続きをしようか」

 俺が、子猫の喉を撫でるように彼女の顎を撫でてやると、彼女は「んぁっ……」と恍惚とした息を漏らしながら、俺の手のひらに頬を擦り付けた。

「お前の本当の名前と、俺を狙った本当の理由は?」

「……私の本名は、黒崎くろさき……黒崎レイ。国家情報省・特務第三課の所属……です。大鷹内閣に反旗を翻す可能性のある『鉄仮面』の特定と……抹殺の、特命を受けて……」

「そうか。よく言えたな、レイ。いい子だ」

 俺が頭を撫でてやると、国家の冷徹なスパイ・黒崎レイは、世界で一番の幸せを手に入れた少女のような、とろけるような笑顔を浮かべた。

「……レイ。お前はこれから、俺の『目』として国家情報省の内部に潜れ。俺の邪魔をする老害どもの情報を、すべて俺に横流ししろ。できるな?」

「はいっ……! 司様のためなら、私……国でも、なんでも売りますぅっ……」

「くくっ。頼もしい猟犬だ」

 俺は乱れた制服のネクタイを締め直すと、足元で俺の靴にキスを繰り返すレイを残し、防音室のドアを開けた。

 冷たい廊下の空気が頬を撫でる。

(……国家情報省、ね。大鷹内閣の懐に、優秀な『駒』を仕込めたのは悪くない収穫だ)

 退屈な中学生の、最高に狂った暇つぶし。

 この軍事国家の根幹を腐らせていくゲームは、いよいよ裏社会から『国家の中枢』へとその触手を伸ばし始めていた。

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