第6話:無重力の死神と、絶対支配の烙印
東都の夜は、どこまでも生温かく、そしてひどく退屈だった。
正体不明の「鉄仮面」として夜の街に降り立ち、すでに四つの巨大な暴走族を文字通りスクラップにしてきた俺(御堂司)だが、胸の奥底に空いた虚無感は一向に満たされる気配がない。
(……結局、数十個のゴミを潰したところで、ゲームのチュートリアル以下の難易度だ。大して退屈しのぎにもならないもんだな)
今日のターゲットは、東都の地下社会を牛耳る最強の武闘派暴走族『阿修羅』。女人禁制を掲げ、純粋な暴力と恐怖だけで三百人の男たちを束ねる、文字通りの凶悪集団だ。
俺は、彼らのアジトである湾岸エリアの巨大な地下貯水施設へ向かう途中、ネオンの光も届かない薄暗い路地裏で足を止めた。ここでいつもの軍服風のコートと鉄仮面を身につけ、変身を済ませるためだ。
ボストンバッグを開け、コートに腕を通そうとした、その時だった。
「――お兄ちゃん、なにしてるの?」
「……あ?」
カンストした【知覚・察知】能力で足音が近づいていることには気づいていたが、一切の敵意がないため野良猫か何かだと思っていた。
振り返ると、そこに立っていたのは一人の少女だった。
いや、一瞬、俺の【知能MAX】の脳髄ですらバグを起こしそうになった。顔立ちはあどけないが、その首から下の発育は、どう見てもグラビアアイドル顔負けのトランジスタ・グラマー。しかし、その背中には不似合いなほど真新しい真っ赤なランドセルが無理やり背負わされており、胸元の名札には『東都第三小学校 6年1組 姫宮結愛』と書かれていた。
(……おいおい。マジで小学生かよ。最近のガキの発育はどうなってんだ)
だが、問題はそこではない。東都最強の暴走族を狩りに行く「怪人」の変身シーンを、よりによって無邪気な子供に見られたのだ。子供は残酷なほど純粋だ。このまま帰せば、親や学校で「路地裏に変な服を着たお兄ちゃんがいた」と面白おかしく言いふらす可能性が極めて高い。
(……面倒くせぇ。口止めするか)
俺の倫理観は、すでにこの狂ったステータスと共に完全に壊れきっていた。
俺は膝をつき、怯える様子もない少女の目線に合わせると、カンストした【支配欲・カリスマ】と【知能】のスイッチを全開にした。
周囲の空気がぐにゃりと歪み、圧倒的な「王の威圧」と「絶対者の声」が、物理的な重さを持って路地裏を満たす。
「……いいか、お嬢ちゃん。今ここで見たことは、お兄ちゃんとお嬢ちゃんだけの『秘密』だよ」
「ひみつ……?」
「ああ。誰にも言わない、二人だけの絶対の約束だ。……わかったね?」
俺が耳元でそう囁いた瞬間、姫宮結愛の大きな瞳から、意志の光がふつりと消え去った。
物理的な暴力も、性的な魅了も必要ない。ただ純粋に、神にも等しい絶対者の命令を、彼女の脆弱な脳髄に直接書き込んだのだ。彼女の記憶の中で「俺の素顔」は完全に塗りつぶされ、ただ『逆らってはいけない絶対の約束』という強迫観念だけが深く、深く刻み込まれた。
「……うん。だれにもいわない。お兄ちゃんとの、おやくそく」
虚ろな目で頷き、フラフラと歩き去っていく少女の後ろ姿を見送りながら、俺は鉄仮面を被り、深い溜息を吐いた。
自分のしたこと(罪もない子供の精神を不可逆的にいじったこと)に対する罪悪感など、一ミリも湧いてこない。それがまた、俺をひどく退屈させた。
***
深夜零時。東都湾岸・第十七地下貯水施設。
サッカーコートが何面も入るほどの巨大なコンクリートの地下空間には、耳をつんざくような重低音の排気音と、怒声、そして安い酒の匂いが充満していた。
三百人。
女の姿は一人もない。特攻服や革ジャンを着込み、鉄パイプやチェーン、青龍刀のような得物を持った無骨な男たちだけが、血走った目でドラム缶の炎を囲んでいる。彼らの中心に座っているのが、『阿修羅』の総長である「竜牙」だろう。二メートル近い巨躯に、全身に刻まれた無数の刺青。まさに暴力の化身といった風貌だ。
俺は、彼らの頭上、地上三十メートルの高さにあるメンテナンス用のキャットウォークから、その光景を冷酷に見下ろしていた。
「……さて。少しは運動になるか?」
俺は仮面の奥で呟くと、手すりを蹴り飛ばし、三十メートルの虚空へと、躊躇うことなくその身を投じた。
ヒュウゥゥゥンッ……!!
猛スピードで落下しながら、俺は空中で身体を反転させる。そして、地面に激突する寸前、カンストした【敏捷】と【筋力】を両足に込め、コンクリートの床を『爆発』させるように蹴りつけた。
ズッッッッゴォォォォォンッ!!
まるで隕石が落ちたかのような轟音と衝撃波が、地下空間を吹き荒れた。ドラム缶が宙を舞い、近くにいた数十人の不良たちが、目に見えない巨大な壁に弾き飛ばされたように後方へと吹き飛んでいく。
「な、なんだァッ!?」
「上から……人が降ってきやがったぞ!?」
土煙が晴れた後、クレーターのように陥没したコンクリートの中心に、赤いラインの入った鉄仮面と、軍服風のコートを翻した俺が、無傷で静かに立ち上がった。
「……お前らが『阿修羅』か。東都最強と聞いて、わざわざ掃除しに来てやったぜ」
ボイスチェンジャーを通した重低音が響き渡ると、三百人の男たちは一瞬の沈黙の後、怒りで顔を真っ赤に染め上げた。
「舐めやがって……! コイツが噂の鉄仮面か! 殺せェェェッ!!」
総長の竜牙が咆哮を上げると同時に、四方八方から怒り狂った男たちの津波が押し寄せてきた。
鉄パイプが風を切り、無数の刃物が俺の急所を狙って殺到する。
だが、カンストした俺の目には、彼らの動きはすべて『停止したコマ送り映像』のようにしか見えなかった。
「……遅い」
俺は、眼前に迫った鉄パイプの先端を指先で軽く弾き、その反動を利用して、重力を完全に無視した跳躍を見せた。
フワリ、と。
まるで俺の身体だけが引力から切り離されたかのように、五メートル近い高さを軽々と跳び上がる。
「なっ……消えた!?」
男たちが頭上を見上げた瞬間、俺は空中で身体を捻り、天井から吊るされていた極太のチェーンを蹴って、さらに加速した。
壁、柱、そして敵の肩や頭を、文字通り『踏み台』にして、地下空間を縦横無尽に飛び回る。
――タタタタタタッ!!
垂直なコンクリートの壁を平行に走り抜けながら、すれ違いざまに真下を走る男たちの延髄に次々と手刀を落としていく。
バキッ! メキッ! ゴシャァッ!!
手足を振るうたびに、空気を切り裂く衝撃波が生まれ、男たちが枯れ葉のように宙を舞う。
「クソッ! 当たらねェ! なんなんだコイツは!!」
業を煮やした十台の改造バイクが、爆音を響かせながら俺に向かって一斉に突進してきた。
俺は逃げるどころか、正面からバイクの群れに向かって駆け出す。
そして、先頭のバイクのフロントガラスを靴底で踏みつけると、そのまま空中に向かって斜めに駆け上がり、後方へバク宙を決めた。
天地が逆転する視界の中。俺はすれ違うライダーの首根っこを掴み、バイクごと隣のバイクへと豪快に投げつける。
ガシャァァァンッ!! 凄まじい爆発音と共に、十台のバイクが玉突き事故を起こし、炎を上げて吹き飛んだ。
着地と同時に、今度は数十人のチェーン部隊が俺を囲む。
俺は地面すれすれまで上体を倒し、ブレイクダンスのように脚を旋風のごとく回転させた。発生した竜巻のような真空波が、彼らの足をまとめて薙ぎ払い、コンクリートに顔面を叩きつけさせる。
一撃必殺。一切の無駄がない、血も凍るような芸術的な殺戮の舞。
かすり傷一つ、服の汚れ一つとして俺にはつかない。呼吸すら乱れていない。
開始から、わずか十分。
圧倒的な質量を持っていた三百人の暴走族は、一人残らず手足を不自然に曲げ、血の池に沈んで呻き声を上げるだけの「肉の絨毯」へと変わり果てていた。
「バカな……化け物、か……」
唯一、膝をつきながらも意識を保っていたのは、総長の竜牙だけだった。
彼は恐怖で全身をガタガタと震わせ、絶望的な目で俺を見上げていた。あれほど誇っていた暴力の頂点が、たった一人の謎の怪人によって、遊戯のように粉砕されたのだ。
俺は、血の海を静かに歩き、竜牙の目の前に立った。
彼のプライドは完全にへし折れ、その心は恐怖と屈辱でズタズタになっているはずだ。
(……これで終わらせてもいいが、少しだけ『実験』してみるか)
俺は、カンストした【カリスマ・支配欲】の出力を、先ほどの小学生の時とは比べ物にならないほど限界まで引き上げた。
そして、ひれ伏す竜牙の耳元に顔を寄せ、鉄仮面のボイスチェンジャーを切り、本来の俺の低く、冷たい声で囁いた。
「……お前、強かったよ。そして、最高にカッコいいな」
ビクンッ!!
竜牙の二メートル近い巨躯が、まるで高圧電流を流されたように大きく跳ねた。
それは、ただの賞賛の言葉ではない。神にも等しい絶対的な力を持つ存在(俺)から与えられた、究極の肯定であり、逆らうことなど不可能になる猛毒の「烙印」だ。
竜牙の瞳から、恐怖も、絶望も、暴走族総長としての矜持も、すべてが真っ白に消し飛んだ。
残ったのは、ただ目の前に立つ絶対的な『王』に対する、狂信的なまでの崇拝と畏怖だけ。
「あ……ああ……」
彼は涙と鼻水を流しながら、俺のブーツに縋り付き、まるで神に祈るかのように額を擦り付けた。
「俺は……俺の命は、貴方様のものです……! どうか、どうかこの竜牙を、貴方様の足元の塵としてお使いください……ッ!!」
三百人の頂点に立つ男が、赤子のように泣きじゃくりながら絶対の忠誠を誓う。
その異様で狂った光景を見下ろしながら、俺はゆっくりと身を翻した。
物理的な暴力で圧倒し、精神の奥底まで完全に支配した。これ以上ないほどの完全勝利だ。
だが。
「……はぁ。やっぱり、退屈だな」
俺の心を満たすものは、何一つなかった。
東都最強の不良どもでさえ、俺にとってはただの脆い泥人形に過ぎない。
虚無感を抱えたまま、俺は血の匂いが充満する地下貯水施設を後にし、夜の闇へと姿を消していった。




