第10話:蒼天を駆ける鉄風と、白雪の剥落
日曜日の朝、八時。
瑞穂の空は抜けるように青く、五月の爽やかな風がカーテンを揺らしていた。
俺(御堂司)は、鏡の前で東都秀英中学校の制服ではなく、動きやすいラフな私服に袖を通していた。
一階のリビングへ降りると、母・涼子がいつもと変わらぬ穏やかな笑みで、トーストとコーヒーをテーブルに並べていた。瑞穂の良妻賢母を絵に描いたような、俺を心から愛する優しい母親の顔だ。
「司、今日は日曜日だけど、どこか出かけるの?」
「ああ。ちょっと友達のところに行ってくるよ。夕方までには帰る」
「そう、気をつけてね。夕飯はあなたの好きなハンバーグにしておくわ」
完璧な「自慢の息子」の笑みを返し、俺は家を出た。
母を心配させるつもりはない。だが、今日の俺には、この国の英雄を絶望の底に叩き落とすための「極秘の課外活動」があった。
***
人気のない裏路地に入り、俺はボストンバッグを開けた。
赤いラインの走るグレーの鉄仮面を被り、ブロンドの付け毛をセットする。軍服風のコートを羽織れば、東都の地下社会を震え上がらせた「鉄仮面の怪人」への変身は完了だ。
「……さて。北の果てまで、ひとっ走りしてくるか」
俺は腰を低く落とし、カンストした【敏捷】と【筋力】を両足に集約させた。
ドォンッ!!
アスファルトを爆砕するような音と共に、俺の身体は弾丸となって東都を飛び出した。
時速六百五十キロ。
もはや景色は流れる線ですらない。一瞬で色を失った光景の中を、俺はただ真っ直ぐに北へと突き進む。高速道路のガードレールが、まるで一本の銀の紐のように視界を過ぎ去っていく。
前方に信号や渋滞が現れれば、俺はその場を大きく蹴り、数百メートルを一度の跳躍で空高く飛び越えた。時折、追い越した車の窓ガラスが衝撃波でガタガタと鳴るが、ドライバーが俺の姿を視認することは不可能だ。ただの「黒い旋風」が通り過ぎた――彼らの記憶にはそれだけが残る。
(……リニアモーターカーよりも、よっぽど快適だな)
耳元で吠える風の音。全身を打つ空気の壁。
だが、今の俺にとってこの超常的な速度こそが、退屈な世界における唯一の解放感だった。
東京から北へ、約六百キロ。時計の針が九時を指す前に、俺の足元のアスファルトは「秋嵩」の冷涼な空気を含んだものへと変わっていた。
***
秋嵩の町外れ。深い森に囲まれた、古くも立派な日本家屋。
そこは、国家情報省局長・神崎の元妻である、佳奈の実家だった。神崎自身がこの場所で彼女と過ごしたことは一度もない。
庭先には、一人の女性が花壇の手入れをしていた。
透き通るような白磁の肌。雪国特有の、抜けるように白い「秋田美人」だ。四十代半ばとは思えない若々しさと、凛とした気品を持つ彼女こそが、佳奈だった。
黒崎レイの情報によれば、彼女は神崎を見限り、自ら三行半を突きつけて離婚した女だ。だが、神崎の方はいまだに自分がなぜ捨てられたのか理由すら理解できず、彼女に対して異常なほどの未練を燻らせているらしい。
俺は物音を立てずに背後に降り立ち、鉄仮面の奥からその美しい背中を見下ろした。
彼女が振り返った瞬間、その切れ長の目が僅かに見開かれた。
「……あら。お客様かしら? そんな奇妙な格好をして」
悲鳴を上げることもなく、佳奈は冷静な声音で尋ねてきた。かつて国家の重鎮の妻だっただけのことはある。肝が据わっている。
「……神崎局長の元妻、佳奈さんだな」
ボイスチェンジャーを通した正体不明の低い声に、彼女は微かに眉をひそめた。
「あの人の名前は、もう聞きたくありません。……彼が差し向けた使いの方なら、お引き取りを。私からあの人に話すことは、もう何一つありませんから」
「いや。俺はあいつの使いでも、味方でもない」
俺はゆっくりと彼女に歩み寄った。
そして、これまで多くの女たちを堕としてきた【魅了・フェロモン】の蛇口を限界まで全開にし、逃げ場のない【支配の威圧】と共に、彼女の全身へとぶつけた。
「……俺はただ、あいつが今でも執着してやまない『極上の女』を、俺の色に染め上げてやるために来たんだ」
――ゾクッ。
佳奈の白雪のような肌に、粟立つような強烈な熱が走った。
「え……? あ、な、に……これ……?」
彼女の手に持っていた剪定鋏が、カランと音を立てて地面に落ちる。
俺から放たれる圧倒的な「雄の毒」の直撃を受け、彼女の脳髄がパニックを起こしていた。凛としていた彼女の瞳が、一瞬にして抗いがたい熱に潤み、足元がガクガクと震え始める。
「あ……ぁっ……息が、苦し……っ」
鉄仮面を被った正体不明の怪人。常識で考えれば恐怖の対象でしかないはずの俺の姿が、今の彼女の濁った瞳には、絶対服従すべき唯一の「雄」として映り始めていた。
俺は腰から崩れ落ちそうになる彼女の細い肩を抱き寄せ、そのまま誰もいない邸宅の奥、薄暗い和室へと彼女を運び込んだ。
***
静まり返った和室に、畳を擦る微かな音と、断続的なスマートフォンの合図音が響く。
「……英雄殿が見たら、発狂するだろうな。この、瑞穂の至宝とまで謳われた佳奈さんの姿を」
俺は片手にスマートフォンを掲げたまま、横たわる佳奈を見下ろした。彼女の白磁の肌は、もはや雪の白さなど留めておらず、俺から放たれる圧倒的な熱量に当てられ、燃えるような紅潮に染まりきっている。
佳奈は、レンズの向こう側で自らの無防備な姿が克明に記録されていることを自覚しながらも、俺を拒むどころか、その瞳には縋るような湿り気が宿っていた。
「あ、あぁ……。撮らないで……でも、もっと、壊して……っ」
俺は鉄仮面を決して外すことなく、片手でレンズを固定し、もう片方の手で彼女の細い腰を引き寄せた。
――そして、逃げ場のない和室の静寂を切り裂くように、俺の猛りを彼女の最奥へと、深く、容赦なく沈み込ませた。
「ひぎぃっ……!? あ、あぁぁぁぁっ!!」
佳奈の身体が、これまでにないほど大きく跳ね、弓なりに反り返った。
それは単なる肉体の接触ではない。神にも等しい力を持つ俺の生命力が、彼女の精神の最後の拠り所であった「気高さ」を、内側から粉々に砕き、俺の色で塗りつぶしていく儀式だった。
レンズは、その決定的瞬間を逃さず捉え続ける。
かつて夫であった英雄神崎が、幾度身体を重ねても決して引き出すことの出来なかった、誇り高き美女の「雌としての本性」を。どこの誰とも分からない鉄仮面の男が、その奥底まで蹂躙し、彼が残した僅かな痕跡すらも完全に上書きしていく様を。
畳に散らばる衣服。激しく交錯する熱い吐息。
俺が腰を打ち付けるたびに、白磁の肌には紅の斑点が浮かび、彼女の口からは言葉にならない、だらしなく甘い悲鳴が零れ落ちる。
佳奈はもう、自分が何者であったかも、なぜ神崎に三行半を突きつけたのかも、その全てを忘却の彼方へと追いやっていた。ただ今、自分を貫き、魂ごと奪い去ろうとする正体不明の絶対者に、狂おしいまでの歓喜を感じ、その身を震わせている。
「んぁっ、あぁぁっ! ご主人様っ、ご主人様ぁっ!! もっと、もっと、私を……めちゃくちゃに、して……っ!!」
彼女は自分から俺の背中に爪を立て、熱い唇を求めてきた。
スマホに記録されているのは、自らの意志で英雄との過去を完全に捨て去り、顔も名前も知らない支配者に魂を売った一匹の雌の、剥き出しの欲望だった。俺の素顔も、声も、本名も、この動画からは一切読み取れない。ただ、圧倒的な暴力とエロスで気高き女が陥落していく「事実」だけが、冷酷に記録されている。
数十分にも及ぶ、濃厚で暴力的なまでの愛撫と結合。
俺が彼女の最奥で最後の一撃を叩き込んだ瞬間、佳奈は白目を剥き、激しい痙攣と共に声を枯らして絶頂を迎えた。
録画された映像の最後には、涙と快楽の汗でぐしゃぐしゃになった顔で、俺の足元に額を擦り付け、完全な服従を誓う佳奈の姿が鮮明に残された。
「……完璧だ。これこそが、完全な支配の証明だな」
俺は録画を停止し、力なく横たわる佳奈を冷酷に見下ろした。彼女の瞳には、もう神崎という男の影は一欠片も存在しない。あるのは、ただ俺という主に対する、盲目的な崇拝だけだ。
「……これからも、ここで大人しくしていろ。いいな?」
「はい……っ、仰せのままに……。私は、貴方様だけの、雌豚ですもの……っ」
虚ろな瞳で微笑む彼女を後にし、俺は邸宅を飛び出した。
***
帰路も同じ、時速六百五十キロの疾走。
帰り道、風の中で俺はスマホに保存された動画を再生した。
レンズ越しに映る佳奈の、あの崩壊した表情と、名もなき怪人にひれ伏す姿。英雄がこれを見たら、一体どのような絶望の声を上げるのか。それを想像するだけで、俺の胸の奥底にある退屈が、暗い愉悦で僅かに満たされるのを感じた。
夕方。東京に戻った俺は、何食わぬ顔で夕食の席についた。
「おかえりなさい、司。ちょうどハンバーグが焼き上がるところよ」
「ただいま、母さん。すごくいい匂いがするね」
ハンバーグを口に運びながら、母さんと談笑する。そのポケットの中には、この国の英雄を地獄の底へと引きずり下ろす、最凶の匿名爆弾が眠っている。
(……一学期は、まだ始まったばかりだ。まずはこの動画を、どうやって奴の元へ送り届けてやるか。楽しみだな)
完璧な「自慢の息子」の仮面の下で、俺は次の獲物を仕留めるための、より残酷で冷徹な絵図を描き始めていた。




