食い逃げの流儀
世の中には高級なものからB級なものまで、様々な種類の料理があり、それぞれに食べ方の流儀が存在している。和食には和食の、洋食には洋食の、ファストフードにはファストフードの流儀が存在している。もちろん、食い逃げにも…。
——とある街の商店街。
まずは店を探す所から始める。食い逃げはあくまでも”ふらっと”行われるものでなくてはいけない。これは流儀なのだ。
そして、これまた大事なことが、”探しすぎない”ということだ。食い逃げは頭で考えちゃいけない。あくまでも、心で行うものなのだから…。
「ここにしようかな。」
少し立ち止まった後、俺はあるラーメン屋に入った。
「おすすめを一つ。」
席に座るなり、俺はそう店長に声をかけた。最も自信があり、その店にとって価値があるもの。それこそを選び食い逃げするのも、俺の流儀である。
「あいよ。うちの塩は絶品だぞ?」
大将がラーメンを作っている様を眺める。慣れた手つきで麺を茹でている。先ほど器に砕いた岩塩をそのまま入れていたが、これが絶品塩ラーメンの隠し味ということか。
カウンターの下でスマホを操作し、レビューサイトでこの店のことを検索する。こういうとき、堂々とすればいいものを、なんとなく隠すようにしてスマホを触ってしまうのはどうしてだろう。
なるほど、この店の売りはやはり塩ラーメン、特に鶏ガラと魚介を主体として取った出汁と、ヒマラヤ岩塩や藻塩などをブレンドした特製の塩を使った塩ダレを合わせたスープがこだわりらしい。これは期待が高まるぞ。
俺は食い逃げの経路を考えつつ、店内を見回した。
カウンター席しかないこじんまりとした店内ながらも、席の間に仕切りを設置してあったり、背後の通路が広く取られていたりなど、客が落ち着いて食べることができるような工夫が随所に見受けられる。
そうこうしているうちにラーメンが提供された。
「へい、おまち!」
大将からラーメンを受け取る。
黄金色の澄んだスープに、美しい麺線とトッピングのチャーシュー、メンマ、三つ葉が映える。見た目にもおいしいとはこのことか。
まずはスープを一口。うん、見た目通りのうまさだ。
鶏ガラと魚介の旨みがしっかりと出ていながらも、キリリとした塩の味がそれらの旨みをしっかりとまとめているので、味が喧嘩していない。絶妙な調和である。
では麺もいたただこうか。うん、もはや予定調和といってもいいうまさだ。
近頃のラーメン屋にはとりあえずブランド小麦の麺を使っておけばうまくなると思いスープとの調和を考えないのもあるが、これは全く違う。小麦の香りがしっかりとありながも、スープを邪魔しないほどよい加減である。
ここらでチャーシューも一口。これもうまい!
やはり味付けが絶妙である。食べた瞬間は肉のうまみが口いっぱいに広がるが、その後にしっかりとスープの味が追いかけてくる。あくまで主役はスープだと言わんばかりだ。
麺を啜る。スープを飲む。チャーシューを食べる。メンマを食べる。麺を啜る。スープを飲む。もはや夢中だ。
ふう、おいしかった。スープまで飲み干してしまった。素晴らしい一杯だった。
さて。
食い逃げをするか。
俺はカウンターの下でスマホを操作し始める。
厨房の奥で電話の呼び出し音が鳴った。
「まいど!塩ラーメンの極塩堂!……ん?もしもし?」
今だ。
俺はまるでそうするのが当然であるかのように席から立ち上がると、店から出て行った。
よし、と俺はスマホの通話を終了する。これが数ある俺の食い逃げ技のひとつだ。
店の料理を心ゆくまで楽しんだ後、電話で店主の注意を逸らし、その隙にスッと店を出る。ここで焦らないというのが、一流の食い逃げたる所以だ。
それにしてもさっきのラーメンは美味かったな。ああいうものこそ、食い逃げするに値するというものだ。
「でも、なんだかまだ食い足りないな……デザートでも食べるとするか。」
今の気分は…喫茶店だな、うん、甘味処ではなく喫茶店だ。
「おっ、おあつらえ向きにいい店があるじゃないか。」
目の前にあったのは、いかにも純喫茶といった風情の喫茶店であった。
「ここにしよう。」
俺はまっすぐとその喫茶店に入った。
「おすすめで、飲み物一杯とデザートをひとつ。」
ここでも俺は流儀を崩さない。
「はい!ホットコーヒーとチョコレートケーキをお持ちしますね!」
ふむ、気持ちのいい接客だ。これは期待が高まる。
注文の品が来るまでの間に俺は店内を見回す。うん、外見通りのレトロな雰囲気だ。これは食い逃げのしがいがありそうだ。
「おまたせ致しました!ホットコーヒーとチョコレートケーキです!」
お、早いな。
「ごゆっくりどうぞ!」
白食器にコーヒーとチョコレートケーキの色が映える。なるほど、チョコレートケーキとはガトーショコラのことか。
では、まずはケーキを一口。…もう一口。……まずい。
外は硬くて焦げ臭く、中はベチャベチャとしていてやけに甘ったるい。どういう焼き方をしているんだ。
たまらずコーヒーを飲む。これもまずい!
シャバシャバとしていてコーヒーの香りや味は全くしないクセに、苦味と酸味はやたらある。今どき下手なインスタントでももう少しうまい。
しかし、一度頼んだものを残すというのは俺の流儀に反する。
意気込んで、まずいケーキを口に入れ、それをまずいコーヒーで流し込む。ケーキを口に入れ、コーヒーで流し込む。ケーキを口に入れ、コーヒーで流し込む。なんだこれは?賽の河原か?
こんな店で食い逃げをしては、俺も名折れだ。
「——963円になります!……ちょうど頂きます!ありがとうございました、またお越しください!」
「……どうも。」
俺は逃げるように店を後にした。