第60話 貴族令嬢の護衛13 罠
私たちは倉庫を出て、その裏へ回る。アチピテルが壁に手を触れると、音もなく壁が扉のように開いた。どうやら、登録された魔力で開く仕組みのようだ。
中を覗くと、二人が並んで歩けるほどの幅の石造りの階段が下へと続いている。奥からは強い獣臭が漂っており、何かが潜んでいるのは間違いなさそうだ。
念のため、オディン隊長の部下3人を呼び、この入り口の警備を任せる。
私たちは階段を降りていった。
地下1階は食糧庫になっていたが、この階段とはつながっていない。
さらにいくつかの踊り場を経由しながら降り、地下2階の入り口前に到着する。
中を覗くと、広々としたホールのような空間が広がっていた。しかし、そこには何もない。
そのまま地下3階へと案内させる。
地下3階には扉があり、先ほどと同じく魔力認証で開く仕組みのようだ。
アチピテルが扉を開けると、そこには6畳ほどの小さな部屋があるだけだった。何もない、完全な行き止まりだ。
「……なんなの、この部屋?」
もしかして、罠でも仕掛けられている?
その瞬間、オディン隊長がすっと剣を抜き、アチピテルの喉元に突きつける。
「地下にこれだけってことはないよな?」
「……はいっ、この先に通路があります!」
アチピテルは奥の壁まで進むと、手で壁を探るような仕草を始めた。
しゃがみ込み、壁の下の方を触ったかと思うと、次の瞬間――伏せるように低い姿勢をとる。
同時に、目の前の壁が砂のように崩れ落ち、そこから体長3メートルほどの黒い狼型の魔物が5匹、飛び出してきた。
――これが魔狼か。
オディン隊長とフォーリアさんたちは、素早く後方へ下がり、魔狼の奇襲をかわす。
しかし、その隙を突いて、アチピテルは魔狼たちの背後へと逃げていった。
後方にいたキュレネとムートが、すっと前に出る。
二人は即座に迎撃態勢をとり、魔狼の襲撃に備えた。
安全圏に逃れたアチピテルは、不敵な笑みを浮かべながら話し始める。
「いやぁ、いきなり牧場に踏み込んできたときは焦りましたよ。さすがに、1ヶ月は待ってくれると思ってましたからね。
実はこの仕掛け、昨夜完成したばかりなんですよ。試運転もせず、いきなり本番……いやぁ、うまく機能してよかった。
それにしても、魔狼たちの餌の調達って結構大変なんです。だから、次にあなたたちが来たら、そのまま餌になってもらおうと思っていたところでした。
人間の味も覚えたみたいでね、どうやらお気に入りのようですよ?」
そう言い残すと、アチピテルは魔狼5匹を残し、奥へと姿を消した。
ムートとキュレネが言う。
「ここは二人いれば大丈夫だ」
「この部屋は狭いし、多人数では戦えない。それよりも退路を確保してほしい。ティア、頼んだ」
キュレネは以前、「二人で十匹は倒せる」と言っていたし、ここは任せよう。
「――あの二人なら大丈夫。上に戻りましょう」
階段を駆け上がり、地下2階の入り口に差し掛かると、ホールの中央に魔狼5匹と、一人の男の姿が見えた。
――ウテルだ。
あのちょい悪おやじが、余裕の表情でこちらを見ている。
「あれぇ? 挟み撃ちにする手はずだったのに、上に来ちゃったの? まあいいや」
そう言って、軽く手を振る。
すると、その動きに合わせて魔狼が2匹、こちらに向かってきた。
さっと地下2階のホールへ入り込むと、1匹はオディン隊長が、もう1匹はフォーリアさんたち3人が引き受ける。
私は迷わず先に進み、ウテルと対峙する。
「あれ? お嬢ちゃん、一人で魔狼3匹と戦うつもり? 魔狼の強さ、わかってないんじゃないの?」
「はい、魔狼の強さはわかりませんけど……私、強いので心配ご無用です」
さらりと返しつつ、さっと後ろの様子を確認する。
オディン隊長たちは苦戦しているようだが、今すぐ助けに行かなくても問題なさそうだ。
「よそ見なんてしてたら、死ぬぞ?」
ウテルの声が響いた瞬間、魔狼の1匹が猛然と迫ってきた。
――えーと、確かギルドの報告書には、「体表の黒色の毛は魔力を帯びており、強靭かつ耐魔法性に優れる」 って書いてあったっけ。
どれくらいの強さか、ちょっと試してみよう。
飛びかかってくる魔狼を横に避けながら、首元に向かって剣を振り下ろす。
――サクッ。
手応えは、軽い。
魔狼は一瞬で絶命した。
……やっぱりこんなもんか。
今度は魔法の効き具合を試してみる。
「ウインド(音速嵐)」
奥に控えていた魔狼に向かって、威力をかなり抑えた音速嵐を放つ。
魔狼の身体が裂け、そのまま地に崩れた。
――よし、粉々に砕け散ったりせず、一撃で倒せた。
このくらいの威力がベストみたいね。
……うーん。
今の私だと、Bランクくらいの魔物じゃ手応えがなさすぎて、どれくらい強いのかよくわからないな。
「な、ななな……魔狼を一撃で倒すだと!? お前、何者だ……!」
――ついこの前、フォーリアさんたちにも同じことを聞かれたな。
ちょっと洒落た答えを返したかったけど、特に思いつかないので無難にこう返す。
「ただのBランク冒険者よ」
ウテルは舌打ちをし、残った魔狼に命令を出そうとする。
しかし、その前に――
「ウインド(音速嵐)」
さくっと魔狼を切り裂き、3匹目も討伐する。
――さて、このウテルって人には、しっかり話を聞かなくちゃね。
「あなたたちの目的は何かしら?」
「ふん、教えるわけないだろ」
言葉とは裏腹に、ウテルは隙を見て逃げようとする。
――だったら、動けなくしてしまえばいい。
「パラライズ」
魔法をかけると、ウテルはそのまま床に倒れ込み、動かなくなった。
――まあ、話はあとでゆっくり聞くとして。
フォーリアさんたちやオディン隊長の様子は……?
周囲を見回すと、オディン隊長が魔狼にとどめを刺しているところだった。
フォーリアさんたちはまだ戦闘中だったが――
魔狼の噛みつき攻撃を迎え撃ったラーパさんの剣が、魔狼の牙に挟まれ、一瞬動きが止まる。
その隙に、フォーリアさんが鋭く剣を振るい、魔狼を斬り伏せた。
――これで戦いは終わった。
「皆さん、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ。他の魔狼は?」
「倒しました」
「……まじかよ」
オディン隊長が周囲を見渡し、驚いた表情を浮かべていた。
――その時、奥の方から物音がした。
姿を現したのは、牧場主のアチピテル。
――地下3階の奥から、こちらへ続く別の通路があるのか。
「なっ……魔狼が倒されているだと? ウテルは?」
床に倒れているウテルの姿を見つけると、アチピテルは驚いたように目を見開いた。
しかし――その表情には、どこか余裕がある。
「まさか、あなたたちがここまで強いとは思いませんでした」
淡々とした口調。
この状況でもまだ自信があるようだ。
――何か、隠し玉がある?
「あなたたちには敬意を表して、ここの最高戦力でお相手いたしましょう」