第3話 女神の力?
ちょうど明け方で、周囲がうっすらと明るくなり始めていた頃だった。
「おい、起きろ! 魔物が現れた。すぐに動けるようにしておけ」
ムートの声に、私は反射的に飛び起き、テントから飛び出した。
――残念ながら、目が覚めたら元の世界に戻っていた、なんて都合のいい展開はなかった。それどころか、状況は緊急事態だ。
魔物って……??
キュレネは細身の剣を、ムートは大剣を手にしており、二人ともすでに戦闘態勢に入っている。
「コボルドが数匹、こちらに向かってきている。お前はそこで待っていろ」
ムートにそう言われ、不安そうな顔をした私に、
「私たちは強い。心配するな」
と彼女は付け加えた。
そう言うと、二人は素早く飛び出し、私の5メートルほど前で構えた。
犬のような顔をした二足歩行の魔物――茶色い体に、身長は140センチほど。それが6匹、群れを成してこちらへ近づいてくる。
あれがコボルド? この世界には、あんなのがいるのね……。
でも、二人とも平然と向かっていったけど、本当に大丈夫なのかしら?
そんなことを考えているうちに――
魔物が、一匹ずつキュレネとムートに飛びかかる。
しかし、キュレネは風魔法「エアカッター」を繰り出し、ムートは剣を一閃させる。
それだけで、コボルドは次々と倒れていった。
二人とも……すごい。
今度は、二匹の魔物が同時にムートへ飛びかかる。
しかし、ムートは素早く一匹をかわしながら、もう一匹を剣の一振りで仕留めた。
そして、振り返りざまに先ほどかわしたコボルドも、容赦なく斬り伏せる。
――自分で強いと言うだけあるわね。
これはもう、楽勝でしょう。
そう思った瞬間、背後に何かの気配を感じた。
ゾクリと背筋が凍る。
ゆっくりと振り返ると、そこには――
二メートルはあろうかという巨大なコボルドが、こちらを睨んで立っていた。
「キャー!」
反射的に悲鳴は上げたが、恐怖で体が固まってしまった。
――逃げなきゃ。
そう思っても、足がまるで地面に縫い付けられたかのように動かない。
次の瞬間、鋭い爪を持つコボルドの右腕が、私の頭めがけて振り下ろされる。
ダメだ――!
反射的に顔を背け、左腕を突き出して頭をかばう。
『誰か助けて!』
心の中で叫んだが、その思いもむなしく激しい衝撃が左腕に走る。
――あ、これで終わりだ。
そう思った瞬間、周囲の時間がゆっくりと流れ始めた。
死ぬ前に走馬灯が駆け巡る――そんな言葉が頭をよぎる――しかし何かが違う。
先ほど強い衝撃をもたらしたはずのコボルドの手が、殺気立った顔とは裏腹に、まるで優しく置かれているだけのように感じられる。
軽く左手を振り上げると、コボルドは大きくバランスを崩した。
あれ? 思ったより軽い……?
まるで動きが止まっているように感じる。これなら――何とかなるかもしれない!
頭に浮かんだ言葉を叫びながら拳を突き出した。
「ゴッドブロー!」
いつの間にか、青白い光が拳を包んでいる。それを不思議に思いながら眺めてているとそのまま拳はコボルドに命中した。
瞬間、衝撃波が周囲に広がる。轟音とともに、コボルドは遠くへと吹き飛ばされた。近くの木に叩きつけられ、どさりと地面に落ちる。
そして――二度と動くことはなかった。
なに、これ……?
――この力、もしかして私、この世界じゃ本当に女神様なのかも。
あんなに大きな魔物を、こんなに簡単に吹っ飛ばせるなんて――。
自分の異常な力に呆然とし、考え込んでいるうちに、いつの間にか体は元の状態へ戻っていた。
「バーサーカー!?」
私の悲鳴を聞きつけ、急いで戻ってきたムートが息を呑んだ。
「今、おまえ……エルダーコボルドを素手で殴り倒したよな?」
驚愕と納得が混じった表情で、彼女はつぶやく。
「なるほど……国を救えと言われるだけの力はあるみたいだな。おまえ、バーサーカーか?」
「バーサーカーって、強いけど敵味方関係なく暴れる狂戦士のことだよね。なんかイメージ悪いな……」
納得いかずにそう呟きながら、私はムートに問いかける。
「バーサーカーではないと思うんですけど……女神様とかには見えませんでした?」
ムートは呆れたように肩をすくめる。
「お前の国の女神は、素手で魔物を殴り倒すのか?」
「ううっ……」
たしかに、女神様のイメージじゃない。そう言われると、言い返せない。
ぐっと言葉に詰まっていると、ムートが私の方をじっと見た。
「お前、その目、大丈夫か? 赤くなってるぞ?」
「え?」
目が充血でもしたのかな? でも特に違和感はないし、痛みもない。
「平気です。たぶん……」
「そうか。ならいいが……それだけ強いなら、冒険者になって俺たちとパーティを組まないか?」
冒険者、か……。自分にできる気がしない。
そう思っていると、残りのコボルドを片付けたキュレネが戻ってきた。
「ムートが人を誘うなんて珍しいわね。でも、ティアはまだ子供だから、冒険者登録はできないわよ?」
「年なんかごまかせばいいじゃないか。知り合いがいなければバレないだろ?」
だが、冒険者登録で年齢を偽ると、もし発覚した際には登録が無効になり、ごまかした年数分だけ、再登録が通常より遅れるというペナルティまであるらしい。
「何歳から登録できるんですか?」
「15歳よ」
「私、15歳ですけど」
「……ごめんなさい」
キュレネは、ものすごく気まずそうな顔で謝ってきた。
この国では15歳が成人らしく、二人も私と同い年だった。
でも、確かに私の印象でも二人は年上に見えたし、仕方ないか。
「ちなみに、私って何歳ぐらいに見えました?」
「10~12歳くらい?」
――ここでは、だいぶ子供っぽく見られるんだ。
確かに、この二人と比べたら身長は低いけど……それとも、顔が幼いの?
「なら、パーティの件、私からもお願い。冒険者をしながら、あなたの必要とする情報を集めるっていうのはどう? もちろん協力するわ」
正直、こんな右も左もわからない世界で、一人で生きていけるはずがない。
それに、この人たちと一緒に行動できるなら、そのほうがずっと心強い。
「……よろしくお願いします」
「ありがとう! それに、同じパーティになったし、同い年ってわかったんだから――ため口でお願いね」
「とりあえず、武器を用意しておくか」
そう言って、ムートは森の中から、ちょうど握りやすい太さで、長さ1メートルほどの木の棒を拾ってきた。
エボーの木――普通の木よりも重くて硬いらしい。
キュレネが魔法で木を乾燥させたあと、ムートが剣で形を整えてくれた。
「その服装だと、木の枝とかに引っかかって大変だぞ。これを貸してやる」
そう言って、ムートは雨具用に持ってきたというポンチョのような服を手渡してくる。
……初期装備が木の棒とポンチョって……。
こんなの、某RPG並みにひどいじゃん。
そんなやりとりを終えたあと、倒したコボルドの魔石を回収し、テントを片付けて、町へ向けて出発した。
ムートが先頭、私が真ん中、キュレネが最後だ。
最初こそ、私がついてこられるか心配していたようだが、途中で問題ないと判断したのか、まったく容赦がなくなった。枝を払いのけたり、段差を越えたりしながら、迷うことなく進んでいく。かなりハードなルートだ。
ムートは森の中でも、感覚で正しい方角がわかるらしい。必要があれば魔法で道を切り開くこともある。
もう何時間も歩き続けている——。
だけど、なぜかあまり疲れていない。
私にこんな体力あったっけ? いや、ない。
頭の中で自分にツッコミを入れながら、ここに来るまで何度も感じた異常を思い返す。木の枝をつかんで移動するときも、おサルかっていうくらい楽々進めたし、枝だって簡単に折れた。それに、ジャンプ力なんて時代劇の忍者並みだった。
私、身体能力が数倍になってるかも……?
でも、魔物を倒したときの力は「数倍」なんてもんじゃなかった。あれは、多分、自動車とケンカしても勝てるくらいのパワーだったと思う。あの巨大な魔物ですら、手応えがなかったのだから。
それに、周りの動きが超スローに見えた。もし名前をつけるなら——『女神モード』とでも呼ぶべき状態になっていたのかもしれない。
道中、こっそりと再現を試みながら歩いていたのだが……残念ながら、まったく再現できなかった。
あれは火事場の馬鹿力みたいなものだったのかなぁ……。