第130話 女神として2 王の治療と国の状況
私の仕掛けた作戦は、見事に的中した。
三日後、モントリブロ宰相から正式な呼び出しが届いたのだ。
私は黒に銀のラインが入った神官服を身にまとい、応対に向かう。
この服は、大神官と同格であることを示すもの。つまり、宰相と並び立つ地位を象徴している。
同行者には、チェバローコ上級神官を選んだ。
出迎えた宰相は、時折、憎しみを滲ませた目で私を睨みながらも、要件を切り出してきた。
「……王が、あなたの治療を望んでいる」
その言葉は、あくまで「王の意志」だと強調する口ぶりだった。
自身が頼むのではないという姿勢を貫こうとしている。
私のことが気に入らないのは明白だ。
だが、それにしてもこの物言いは粗雑すぎる。
本来なら、礼を尽くすのが礼儀というものだろうに。
——少し、釘を刺しておこうか。
私は微笑を浮かべつつ問いかける。
「……そうですか。では、宰相ご自身も、私が治療することを望まれているのですか?」
宰相は、わずかに目を細めたあと、短く応じた。
「……もちろんだ」
「では、そのように——“正式に”ご依頼いただけますか?」
ほんの一瞬、宰相の顔が引きつる。
だが、すぐにその表情を押し殺し、しぶしぶと口を開いた。
「……王の治療を、していただきたい」
私は静かに一礼する。
「承知いたしました」
形式的なやり取りの裏に走る、緊張と腹の探り合い。
こういうやり取りあまり好きではないのだけど......。
私は王の居室へと案内された。
部屋の中には、先日治療を施した近侍・トリブランの姿もあった。
その姿があることで、場の空気にわずかな安心感が漂っているように感じる。
王がこちらに視線を向ける。
やせ細った体と、枯れたような眼差し——だが、その瞳には確かな知性が残っていた。
「はじめまして。ティアと申します。本日は、治療のために参上いたしました」
私の挨拶に、王はうっすらと微笑を浮かべながら言った。
「なるほど……あなたが、例の噂の……」
聖女、とはあえて口にしなかったようだ。
それだけでも、この王が思慮深い人物であることが窺える。
私は静かにうなずき、言葉を続ける。
「それでは、早速治療に入らせていただきます」
右手を前に掲げ、意識を集中する。
「——エクストラヒール」
淡い光が部屋を満たす。
まずは、王の体の状態を精査する。
病名は「脊髄腫瘍」。
厄介だが、エクストラヒールの適用範囲内。
すぐに腫瘍を消滅させ、圧迫により変形した部位を丁寧に修復していく。
魔力を高出力で維持したまま、治療を続けることおよそ一時間——
減少した筋肉も歩行が可能な程度にまで回復させておいた。
「治療は完了しました。長く寝たきりだった影響がありますので、少しずつ体を慣らしながら、慎重に動かしてください」
私はそう告げて一礼する。
次の瞬間、王はゆっくりと身を起こし、足を床に下ろした。
「……おお……本当に、動ける……」
「もう二度と歩けぬものと……そう思っていた。……ありがとう、本当にありがとう」
重く、深い感謝の言葉だった。
それを聞いて、私はただ静かに微笑み、頭を下げた。
後日、王より褒美の打診があった。
私は、降臨の祭壇の修復の許可と、修復後の使用権を望んだ。
聖女がそれを願うのは当然と受け取られたらしく、深く詮索されることもなく許可が下りたのは幸いだった。
表向きは「古建築修復の専門集団を呼び寄せた」という形にし、実際の作業はゴーレムたちに任せることにする。
祭壇の再建は私にとって極めて重要な準備でもあった。
ともあれ、国王が復帰したことで状況が好転することを期待していたが——
その見通しは甘かった。
第一王子ザヴィアは態度を一向に改めず、相変わらず親シドニオ帝国派の立場を貫いている。
それどころか、国王と対立する姿勢すら見せ始めていた。
現在、ザヴィア王子は王城にはおらず、国王直轄の飛び地——ルモヌーバ領の再建任務に就いており、そこを拠点として活動している。
調査を進めるうちに、いくつかの事実が浮かび上がってきた。
このルモヌーバ領では、以前の代官が横領と帳簿の改ざんを行っていたことが発覚し、領の財政は崩壊寸前。
その代官は解任されたが、状況は依然として深刻なようだった。
そして、さらなる調査でわかったのは、この領が単なる僻地ではないという事実。
ルモヌーバ領には、シドニオ帝国から王都セロプスコへ至る街道の中間地点に位置する、軍事的な要所「ルモヌーバ峡谷」が存在する。
峡谷には天然の狭道があり、関所による厳重な検問も行われている。
戦時には、防衛側が圧倒的に有利な地形だ。
本来であれば、シドニオ帝国の国境に接するインテーネが第一防衛線のはずなのだが、現在はアンデッドに占拠されている。
そのため、このルモヌーバが実質的な最前線の防衛拠点となっている。
なるほど……確かにこの地の立て直しは急務。
だからこそ、信頼できるはずの王子を派遣したのか——
——だが、その王子が、今や不穏な動きを見せている。
調査を続けていたゴーレムの報告によると、最近になって“ネブロ”という女性が側近として現れてから、王子の様子が変わったという。
ただし、彼女に骨抜きにされた、というような単純な話ではないらしい。
何かが引っかかる。
だが、現時点では判断材料があまりにも乏しい。
まずは、かつて不正を働いた代官の過去と、ネブロという女性の素性に焦点を絞って、情報収集を続ける必要がある。
そうこうしているうちに、シドニオ帝国に動きがあった。
以前から噂には聞いていたが、どうやら南部プラピーノで大規模な反乱が発生したらしい。
鎮圧のために、帝都セグルンドから討伐軍が派遣されるとのこと。その中には、かつて闘技大会で戦った魔人ガルサスの姿もあるという。
さらに調査を進めると、ガルサスは帝国の名将・パウロニア将軍に従っているという事実が明らかになった。
魔人が人間に従い、しかも学生として闘技大会に出場していた……。このあたり、明らかに不自然だ。
ガルサス自身はもちろん、パウロニア将軍の素性も詳しく調べる必要がありそうだ。
ただし、しばらくは帝国側も内乱の鎮圧が最優先となるだろう。
このクヴァーロン王国に対して即座に軍事行動を起こすことはないと見てよさそうだ。
一方、こちらクヴァーロン王国の内部でも、ようやく王子周辺の動きの全容が見えてきた。
王子に付き従っていた側近のネブロ——
彼女の正体は、王国の秘密諜報員であり、国王の密命を受けて動いていた人物だった。
つまり、王子はネブロを通じて国王からの極秘命令を受け取り、
あえて国王と対立する姿勢を演じ、シドニオ帝国側に親密なふりをして内部情報を探っていたのだ。
これまで不明とされていたルモヌーバ領代官の不正も、
表向きには「ギャンブルで作った借金返済のため」とされていたが、
その裏にはルモヌーバ峡谷の防衛力を意図的に弱体化させようとするシドニオ帝国の思惑があったらしい。
しかも、これは帝国が直接介入したのではなく、王国内部の裏切者を通じて仕掛けられた工作である可能性が高い。
現在、その裏切者については王国側で調査が進められている。
驚くべきことに、モントリブロ宰相もすべてを把握していた。
彼は国王との話し合いの中で、「シドニオ帝国の内情と王国内の裏切者をあぶり出すためにも、王子と国王が対立しているように見せかける構図をもうしばらく維持したかった」と語っていたという。
どうやら、国王自身があえて治療のタイミングを先送りし、演出を続ける意志があったようなのだ。
そんな中、私が病状を察知し、善意で治療してしまったことで、この構図が崩れてしまった——というのが、モントリブロ宰相が私に冷淡だった理由のようだ。
つまり私は、事情も知らずにタイミング悪く“しゃしゃり出た”形になってしまったわけだ。
……まあ、仕方がない。
とはいえ、私のゴーレムによる調査は想像以上に成果を上げている。
王や王子よりも早く、私はすでに裏切者の正体を突き止めていた。
さすが私のゴーレムたち。
盗聴・盗撮に加え、科学的・魔術的な分析までこなす圧倒的な調査能力には本当に助けられている。
もっとも、裏切者の件については、まだ私の口から明かすつもりはない。
なお、王と王子の対立が表向きのものだった件については、第三王女スピカにだけ伝えておいた。
彼女は、「対立はなかった」という安堵と、「自分だけが蚊帳の外だった」という失望が入り混じったような、何とも複雑な表情を浮かべていた。
——とはいえ。
クヴァーロン王国がここまでしたたかに動いているとは予想外だった。
正直、私がいなくても問題なかったのでは?と、少し安心した。