第116話 ヴェルティーソ高等学園 ミニダンジョン2
ただならぬ様子の学園長に、私はそっと声をかけた。
「……この方と、お知り合いだったのですか?」
「ええ。私の命の恩人です。当時、私は“開かずの間”の前で倒れていました。そのとき、この方が現れて……本当はダメなのだといいながら、中に入れてくれて、治療をしてくれたのです。……私にとって、それは本当に、大きな出来事でした」
「“間に合わなかった”というのは……?」
「……当時、彼女には“回復したら出ていくように”と言われていました。そもそも、私が中にいること自体がルール違反だったのです。ですから、当然のことなのですが……まだ若かったのでしょう。私は彼女に惹かれており、ここを出たらもう二度と会えない気がして、どうするべきか迷っていました」
学園長は一度息をつき、少し遠くを見るような目で続ける。
「ある日、彼女がとても困ったような表情をしていたのです。私のせいかと思い、問いかけると……それは関係ないと。
彼女は、“フレイムクリスタルがなければ、このまま終わってしまう”と話していました。
――フレイムクリスタル。それは、まれに見つかるアーティファクトで、魔素を魔力に変換するものだと彼女は言っていました」
「そのとき、私は一つ心当たりがありました。
お礼も兼ねてフレイムクリスタルを持ってくるから、もう一度だけ会ってほしい――そう彼女に伝え、約束を交わしました」
「それから半年かけて、ようやくフレイムクリスタルを手に入れ、ここへ戻ってきたのです。……ですが、渡せなかった」
「それから何度も訪ねました。
“終わってしまう”と彼女が言っていたその言葉が現実になっていないことを祈りながら……。
しかし、彼女に会うことはできませんでした。
フレイムクリスタルは、結局、渡せず、今もお守り代わりに身に着けています……」
言葉を切った学園長の肩が、わずかに震えていた。
私は、そっと尋ねる。
「それにしても……200年も経っているのに、よく覚えていらっしゃいますね」
「……ええ。エルフの200年は、人間が思うほど長いものではありません。
毎年、学園行事のたびにここを訪れ、心の中で感謝を伝えていました。忘れることなんて、ありませんでしたよ」
「実は、当時の日記も残っていまして。あなた様に会ってから、引っ張り出して読んでしまったのです。
そこには、彼女――リザイア様の姿絵もはさんでありました」
そう言って、ふとリザイアのほうへ目を向ける。
「……そういえば、リザイア様。200年前と、まったく変わっていないような……?」
――まあ、ゴーレムだし。
さて、状況を確認するか……。
このミニダンジョンの権限は持っていないので、正攻法では無理。全部ハッキングか?――と思ったが、頭の中の人が「ゴーレムのログを直接参照した方が早い」と助言してくれた。
言われた通りに、リザイアの首の後ろに手を当て、魔法を使う。
どうやらこの個体は、ソノリオダンジョン製らしい。私の管理者権限でアクセスできた。
……ああ、原因はやっぱりこれか。
フレイムクリスタルの不調で、エネルギーを得られず停止していた。
学園長が去ってから、わずか一週間後のことだった。
ログをさらにさかのぼると、約1000年前――このダンジョンのハイヒューマンは滅びていた。
それ以降、リザイアはひとりでこのミニダンジョンを維持し続けていた。だが、メンテナンス用の部品を供給していたソノリオダンジョン本体も停止してしまい、限界は時間の問題だったようだ。
けれど――
「このリザイアさん、フレイムクリスタルを交換すれば動きそうですね」
私は顔を上げて、学園長に言った。
「学園長、フレイムクリスタルをお持ちですよね? リザイアさん、復活できますよ」
「……なぬ?」
完全に呑み込めていない様子で、きょとんとする学園長。
まあ、思い人がゴーレムだったというのは驚くだろう。でも、200年も経ってるし、動揺するほどでもない……よね。
そう判断して、私は説明を続けた。
「リザイアさんは、ハイヒューマンの技術で作られた高機能ゴーレムです。私が確認した限り、機構に問題はなく、不調なのはフレイムクリスタルだけ。交換すれば、活動を再開できます」
学園長は、驚きと戸惑いの表情を一瞬だけ見せたが、すぐに静かに頷いた。
「……では、お願いします。リザイア様を……蘇らせてください」
そう言って、懐から大事そうに包まれていたフレイムクリスタルを取り出し、私に差し出してきた。
私はそれを丁寧に受け取る。
「わかりました」
リザイアの背中にあるふたを開き、古いクリスタルを取り外す。
そして、新しいフレイムクリスタルを丁寧に差し込み、再起動手順に入る。
数分の沈黙の後、リザイアの身体に微かな光が走り、内部の魔力が流れ出す。
やがて、彼女の瞳が、静かに、ゆっくりと開いた。
「……システム再起動。魔力供給安定。機能、正常稼働」
「……ああ、リザイア様……よかった……!」
学園長が感極まった声で、彼女に駆け寄る。
けれどリザイアは、少し戸惑ったように学園長を見つめていた。
「あなたは……アコルト様ですか? 少し……お変わりになられたようですが……」
ふと自分の状態を確認し、
「フレイムクリスタル……が、交換されている? まさか……アコルト様が……?」
学園長は笑って、ゆっくりと首を振った。
「……いいえ。フレイムクリスタルを持ってきたのは私ですが、状況を分析して交換してくれたのは――こちらのティア様です」
「ああ、まだ生きておられる方がいらしたのですね。それでは、権限をお返しします」
――またこのパターンか。
例によって、私の意思とは関係なく権限が移譲されていく。
特に欲しいわけでもないのだが、これがルールなのだろう。
もう、そういうものとして諦めるしかない。
とはいえ、ハイヒューマンの権限すべてを私一人に押しつけるのは、正直どうなんだろうと思わなくもない。
ともかく、せっかく権限を得たので、このミニダンジョンの情報を確認する。
――ふむ。なるほど。
どうやらここは、かつて滅んだ複数のダンジョンの残骸を組み合わせて再構成された拠点らしい。
ハイヒューマンたちは地上での生活に適応できず、地上に出た者もこのミニダンジョンを使いながらなんとか生き延びていたようだ。
そして現在の状態はというと――
出力調整装置の不調により、ダンジョンの維持機能は十分の一以下まで低下。
このままでは、近いうちに崩壊するのは避けられない。
さて、どうするか。
そこで、ひとつの考えが浮かぶ。
――ここを、ハイヒューマンの技術を教えるための拠点にしてはどうだろうか?
ここは、世界最高峰の研究機関「ヴェルティーソ高等学園」の敷地内にある。
規模は小さく、全体を把握しやすい。最低限のインフラも生きている。
何かあっても、すぐに封鎖できる。
……条件は悪くない。
ならば、このミニダンジョンを修復しよう。
ソノリオダンジョンにある材料を使えば、出力調整装置の応急修理は可能だ。
百年くらいは保つだろう。
私はソノリオのゴーレム1体を遠隔で起動し、材料を持たせてこのダンジョンへ召喚。
続けて、修理の指示を出す。
権限は私にあるが、今後の管理はリザイアに任せて問題ない。
私から彼女に管理者代理の権限を委任する。
「さて、これからの話ですが……。このダンジョン、今後もリザイアさんに管理してもらいます。補助としてもう1体ゴーレムもつけておきます。そして、ここを学園に開放し、ハイヒューマンの技術を学んでもらおうと思っています。いかがですか、学園長」
「……よろしいのですか? これまで、ハイヒューマンの技術は厳重に秘匿されていたはずですが」
「ええ。でも私は、伝えるべきだと思っているんです。幸い、もう反対する人もいませんし。
進め方はお任せします。このミニダンジョンに関して相談があれば、リザイアさんへ。私とも情報共有はされていますので、必要があれば私から対応します」
「……承知しました。これはとんでもない変革になります。おそらく、世界中から注目されるでしょう。
となると、相応の準備が必要ですね。猶予をいただけますか?」
「はい。1年を目安に準備をお願いします。近いうちに、ここの技術が必要になる出来事が起こるはずですから」
「かしこまりました。……それから、学園に関することで何か不備があれば、お知らせください。すぐに対処いたします」
うーん、この学園長、どうも私の提案を命令のように受け取っている節があるのだけど……まあ、結果として動いてくれるならいいか。
――後日。
ミニダンジョンの不具合は解消され、学園内でひとつの噂が流れた。
「アコルト学園長に恋人ができたらしい」――と。