第107話 ヴェルティーソ高等学園 入学試験2
図書館はヴェルティーソ高等学園の敷地内にあり、入館には紹介状が必要だった。
そのため、事前にエリーサさんから紹介状を受け取っていた。
ただし、図書館の本は貸し出し禁止。読むならすべて館内で、というルールだ。
受付を済ませて中に入ると、まず目に入ってきたのは広々とした1階の閲覧エリア。
天井は高く吹き抜けになっており、周囲の壁面には1階から4階までぎっしりと本棚が並んでいる。すべての本棚が一望できる、圧巻の造りだった。
これは好都合。視力を強化すれば、1階にいながら目的の本を探すことができる。
館内の利用者は少なく、静かで落ち着いた雰囲気。これなら心ゆくまで本を読めそうだ。
まずは、社会学の「歴史」から手をつけることにする。
目に留まったシリーズ物の最初の巻を取り、順に読み進めていく。
今の私は、瞬間記憶が可能なので、ページさえうまくめくれれば内容はすぐ頭に入る。……が、実際にはその「ページめくり」に結構時間がかかる。
それでも何巻か読み進めるうちに少しずつコツがつかめてきて、徐々にスピードも上がってきた。
ところが、あるところで違和感に気づく。
最初の巻と後の巻とで、筆跡や文体がまるで違うのだ。同じ著者とされているが、どう考えても別人が書いている。
そもそも初巻と最終巻の出版年が100年以上離れている。これはもう、ペンネームを引き継いでいると考えるしかない。
そんなものか、と割り切って、一通り読んだ。
その後、隣にあった別の著者によるシリーズに目を通してみる。
……ん? さっき読んだものと、内容が結構食い違っている。どちらかが間違っているのか? それとも、解釈の違い?
さらにもう一人、別の筆者の本を確認してみると――
あれ? 今度はどちらともまったく違う内容になってる。
……どういうこと? これは、どれが正しいんだろう?
歴史はこれくらいにして、今度は地理や政治の本も読んでみる。
すると、やはりこちらも著者ごとに主張がバラバラだ。どうやらこの世界の学問は、かなり思想や視点に左右されるらしい。
なんとなく雰囲気はつかめてきたものの、どの知識を軸に試験勉強を進めればよいのか、逆に分からなくなってしまった。
とりあえず、今日のところはこれで帰ることにしよう。
……とはいえ、気づけば図書館にはけっこう長く滞在していたのだった。
エリーサさんの屋敷に戻り、図書館での混乱について相談する。
「ティアちゃん、あなたすごいわね。一日でそこまで気づくなんて。……そうね、あまりにややこしいから最初から詳しく説明はしなかったのだけど、ちゃんと話してあげるわ」
そう言って、エリーサさんの長い説明が始まった。
要点をまとめると――
学園の中には「統一見解」などなく、派閥のようなものが存在していて、それぞれが異なる学問体系や解釈を持っている。
テストで出される問題も、その派閥が「正しい」と考える答えを書かなければ点がもらえない。
さらに突っ込んで言えば、問題を作った先生個人の考えによって、答えが微妙に変わることもあるという。
つまり、テスト対策とは――
「どの派閥の、どの先生が問題を作ったのかを見極め、それに合わせて答える」
という、ある意味で”読み合い”のようなものなのだとか。
……なるほど、難関と言われる理由の一つはこれか。
何とも本質的でないというか、なんというか……。
でも出題者からすれば、自分たちの学説や理論が「正しい」と信じているわけで、仕方がないのかもしれない。
いや、でもやっぱり、「人によって答えが変わる問題」は出題しないでほしい。
とはいえ、嘆いても現実は変わらない。
皆はどうやって対応しているのかというと――
どの本がどの派閥のものか、どの先生が推奨しているのか、そうした情報はある程度出回っている。
だから、問題文の書きぶりから派閥や作問者を読み取り、それに合った答えを用意するのが高得点のコツなのだ。
さらに、学園の先生たちの書いた論文や著書も公開されており、それを読んで癖や語り口を覚えていけば、誰が問題を作ったかまで見抜くこともできる。
……というか、実際には「今年は誰々が出題するらしい」といった情報が裏で出回ることもあるようで、そういう情報を手に入れられる貴族や金持ちは、かなり有利になるらしい。
なんというしょうもない情報戦……。
普通なら、これを一ヶ月で対処するのは無理がある。でも、今の私ならやれそうな気がする。
そこで、エリーサさんから学園の先生の名前と、所属派閥の一覧をもらった。
これは受験対策の基礎資料として広く出回っているようで、情報の質も確かだった。
――というわけで、翌日からは、図書館での作業スタイルを変更。
本の内容と筆者、派閥の関連性を意識しながら、ひたすら「パラパラ」と本をめくっていく日々が始まった。
手にする本は、すべて受験科目に関係するもの。
とはいえ、中にはページがくっついてなかなか開けないものや、崩壊寸前で慎重に扱わないといけないものもあって、予想以上に時間はかかった。
そして、いつの間にか――
私は図書館内で「パラパラっ娘」と呼ばれるようになっていた。
もちろん、誰かが直接そう呼ぶわけではない。
陰で、「あ、またパラパラっ娘が来てる」と、そんな風に噂されているらしい。
……いや、それ、聞こえてますから。
受験対策としては、もう十分やった。
けれど、せっかく図書館に通えるのだから、学園に入るまでに少しは“普通の”知識も身につけておきたい。
そう思って、試験に直接関係ない本を読み始めた。
いつものように、本をパラパラとめくっていると――
身分の高そうな女学生に、突然声をかけられた。
……ちょっと嫌な予感がする。
そう思いながら、顔をあげる。
「あなた、いったい何をやっているんですの?」
……まあ、そう聞かれても仕方ないか。
受験間近の時期に、延々と本をめくり続けてるのだから、怪しく見えるだろう。
「ざっと、どんな感じで書かれているのか確認しているだけです」
「あなた、ヴェルティーソ高等学園を受験するのだと思っていたのだけど、違うのかしら?」
……ん?
今読んでいる本は試験とは無関係な内容。
ということは――彼女、以前から私の行動を見ていた?
少し気になって、サーバーに保存されている映像記録を解析する。
……あった。
この人、けっこうな頻度で図書館に来ていて、しかも何度も私を見ていた。不思議そうな顔で、じっと。
どうやら、「パラパラっ娘」の正体が気になって、ついに声をかけてきたらしい。
まあ、質問にはちゃんと答えておこう。
「ええ、受験します」
「でも、その本の内容は試験には出ませんけど……大丈夫なのですの?」
……え? それ、もしかしてアドバイス?
「あっ、はい。でも、この本の内容も興味深かったので、つい読んでました」
「それは、受験が終わってからでもよろしいのではなくて?
勉強がつらくなると、つい他のことが気になってしまいますけど……今は受験に集中した方がよろしくてよ」
……あれ?
てっきり嫌味かと思ったら、すごくまっとうなアドバイスだった。
一瞬「余計なお世話」と思いかけたけれど、最近ちょっと油断してた自覚もある。
「……おっしゃる通りです。ありがとうございます」
そう言って、今日は早めに図書館を後にすることにした。
その後は、キュレネやムートたちと同じように演習問題に取り組み――
いよいよ、本試験に臨むことになる。




