第100話 ウィステリア神国大神殿9 異端裁判3
「お待ちください、大神官長!」
グレゴリオ大神官が食い下がる。
「今回、我々はこの魔法に救われました。過去にも大きな功績を上げた、由緒正しい魔法です。これを禁止にするのは、大きな損失ではないでしょうか?
106条は仮条項です。我々の判断で改正が可能なはず。変更を検討すべきでは?」
「ああ、確かに仮条項だ。しかし、改正には神へのお伺いが必要となる。
だが、今は神からの返答は期待できない。
もし変えるとすれば、106条の撤廃を求める新たな条項を申請するしかない。それでも、適用は早くて1年後だな」
1年もこの魔法が使えなければ、犠牲者が続出するだろう。それでは黒幕のヴァンパイアの思うつぼだ。
――この流れなら、アレをやるしかない。
私はサーバー経由で、教典の追加申請にある106条を却下した。
情報が更新されれば、祭壇に通知が届くはずだ。
天井の祭壇を見上げると、小さな光が点滅している。
ちっさ……! これじゃ誰も気づかないんじゃ?
案の定、誰も気づいてくれない。
とはいえ、自分から言い出すのも妙な気がする……どうする?
私の挙動を不審に思ったのか、グレゴリオ大神官がこちらを見てきた。
私は目で合図し、天井を指さす。
それを見た途端、グレゴリオ大神官が立ち上がり、大声で叫んだ。
「デジーロ大神官長! 神様からの連絡が来ております!!」
――おお、伝わった!
100年以上、神からの連絡はないと言っていたから、果たして本当に伝わるのか不安だったが……ちゃんと継承されていたんだな。
祭壇の間にいた人々が騒然となる。
デジーロ大神官長は、自身の前のテーブルに設置された魔道具を、意外にも手慣れた様子で操作し始めた。
神からの連絡はないと言いつつも、定期的に確認作業はしていたのか?
そして――
祭壇の前に、神のメッセージが表示された。
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教典への追加条項として申請された『回復にかかわる魔法に闇魔法の使用を禁じる』の判定について
結果 否
理由 回復に闇魔法の使用を禁止することは著しく合理性に欠ける。回復の状況に応じ、適切な魔法を選択すべきである。
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しばらくの沈黙の後、デジーロ大神官長が宣言した。
「本件について、教典106条(仮)は撤廃された。よって、ティア上級神官が使用した魔法にも疑義はなくなった」
よし、これで私への嫌疑は晴れた。だが、このまま終わらせるつもりはない。
「デジーロ大神官長」
「なんだ?」
「この場に、ヴァンパイアの分身体が紛れ込んでいます。お気づきでしょうか?」
「……何だと? どういうことだ?」
「そのままの意味です。偽装したヴァンパイアの分身体が、この中にいます」
その瞬間、ブラード補佐官が再びデジーロ大神官長に何かを仕掛けた。
「いや、そんな者は存在しない! これにて審議は終了する!」
デジーロ大神官長の不自然な発言に、場内は騒然となる。しかし、誰も動こうとはしなかった。
私は静かに、周囲に気づかれないようにアンチマジックの魔法を発動する。
目の前の結界を消し去り、その先にいたブラード補佐官の偽装も解除した。
次の瞬間——
ブラード補佐官の肌が薄い灰色へと変化し、顔つきも別人のように変わった。しかも、驚くほど整った顔立ちに。
まさか、イケメンになるとは……。ヴァンパイアには美形が多いと聞いていたが、本当だったのか。
……いや、今はそんなことはどうでもいい。
すぐに異変に気づいた周囲がざわめき、近くにいた騎士たちが即座にブラード補佐官を取り押さえた。
「ハハハハハ! 最後に邪魔はされたが、もはや手遅れだ。お前たちはもう終わりだ」
そう捨て台詞を残すと、ブラード補佐官の体は灰となり、その場に崩れ去った。
同時に、デジーロ大神官長が苦しげに頭を抱え、そのまま倒れ込む。
周囲の人々が大神官長のもとに駆け寄り、場は騒然となった。
その混乱の中、ヴィクトル上級神官が私のもとへ歩み寄り、魔法封じの腕輪を外してくれる。
「ティア神官、お疲れ様。一旦部屋に戻って待機してくれ」
そう告げられた直後、キュレネとムートも駆けつけてくれた。
私たちは部屋へ戻った。
「すごいことになったわね。大神殿の中枢にヴァンパイアの分身体が入り込んでいたなんて……。いつから気づいてたの?」
「ブラード補佐官が近くに来た時、妙な違和感があったの。それで魔法を使って調べたら人間じゃなくて。そのあと注意深く見ていたら、デジーロ大神官長に魔法をかけて都合のいいセリフを言わせていたのよ。ずっと操れるわけじゃなく、一時的に支配していた感じだったわね」
「なるほどね。一時的だからこそ、周りも気づかなかったのかも……」
「それに、神様からの連絡があったのも大事件よ。神様はもういないって思ってる人も増えていたし。この話が広まったら、町も大騒ぎになるんじゃないかしら」
「あの通知、ちょうど見てたけど……タイミング良すぎない? まるで神様がティアを助けようとしたみたいだった」
——ギクッ。鋭い……。まあ、私がやったからね。
「……そうね。運がよかったわ」
翌日、グレゴリオ大神官から呼び出しがあり、私たち三人で訪れることになった。
まあ、エクストラヒールや第七属性のことをバラしちゃったしね。昨日はデジーロ大神官長の件で後回しになったけど、結局は向き合わなきゃいけない。正直、面倒だな……。
部屋に入ると、グレゴリオ大神官、ブリュンヒルデ聖騎士団長、そしてヴィクトル上級神官が待っていた。私たちは彼らと向かい合う形でソファに座る。
まず、リスクを理解した上でエクストラヒールを使い、皆を回復させたことに対して感謝を述べられた。
そして、それにもかかわらず異端裁判にかけられてしまったことについて、謝罪を受ける。
やはり、異例の速さで裁判に進んだ背景には、ブラード補佐官の暗躍があったらしい。
さらに、私がブラード補佐官の正体を見破ったことにも感謝され、現在の状況を説明してもらった。
デジーロ大神官長は記憶に混乱が残っているものの、ブラード補佐官によって強制的に意識を書き換えられた部分は、ある程度特定できる可能性があるという。
少なくとも、後継者問題で大神殿内部の争いを誘発し、国外への対応を意図的に弱めるよう仕向けられていたらしい。
一見すると地味な工作に思えるが、その影響は大きかった。実際、今回の魔物の襲撃に対しても、適切な対応ができなかったという。
デジーロ大神官長は、この件の責任を取り、数日以内に辞任する見込みだという。そのため、大神殿の混乱はしばらく続くことになりそうだ。
改まって、グレゴリオ大神官が口を開いた。
「ティア神官、あなたに聖女の称号を授けたいと思う。ここでの功績は大きく、エクストラヒールを使えることも考えれば、反対する者はいないだろう」
私は少し考えた後、率直に答える。
「……私、今のまま自由に活動できる環境でないと困るのですが」
「ふむ、確かに聖女となれば、今のように自由には動けなくなる。しかし、大神官とほぼ同格の立場になることで、別の形の自由は得られるが……それではダメか?」
「申し訳ありません。それでは都合が悪いのです。あと二年ぐらい先ではどうでしょうか?」
少なくとも一年半後には、私は"神様"をやっているだろう。その頃にはこの話もうやむやにできるはず。
「ふむ……二年後となると、私がこの地位にいるとも限らんし、今だからこそ聖女に推せるという事情もあるのだが……」
一瞬、グレゴリオ大神官は悩むようなそぶりを見せたが、やがて頷いた。
「わかった。とりあえず、聖女の称号は授けよう。ただし、今後二年間は“修行”という名目で自由に行動して構わん」
それなら問題はないだろう。何かあれば、"神様ルート"で片づければいい。
「わかりました。それでお願いします。聖女の称号は、いつ頃いただけるのでしょうか?」
「そうだな、一ヶ月後くらいを見ておいてくれ。それまでは今まで通り、この屋敷に滞在してもらう」
なるほど、私たちを手元に置いておきたいという思惑もありそうだ。確かに、ヴァンパイア本体がまだ残っている以上、再びあの毒を使われる可能性もある。
とはいえ、すでに回復に闇魔法を使えるようになった。しばらくすれば、キュレネが使っていた"エクストラヒール(改)"を扱う者も出てくるはず。
……もしかすると、グレゴリオ大神官が"一ヶ月後"としたのは、それを見越してのことかもしれない。
おかげさまで100話到達しました。長かったような短かったような。
現在物語の進行度は70%程度です。引き続きよろしくお願いします。