第10章 九州 東北 北海道 サイクリング!
第10章 九州 東北 北海道 (1)
ジリジリする夏の訪れとともに土中からザクザクと這い上がってくる蝉の幼虫のような俺の自転車魂!! どこへ行こう?どんな走りをしよう?とめどなく
湧き上る熱き想いを抑えられない季節でもある。 (゜-゜;)ヾ(-_-;) オイオイ...
話は少しだけ さかのぼり高校1年の夏。
入学して数ヶ月しか経たないこともあって なかなか大胆な計画を周囲に発表出来ずにいた。
最終目標は自転車での「日本一周」の旅! (; ゜ ロ゜)ナン!( ; ロ゜)゜ デス!!( ; ロ)゜ ゜トー!!!
話は またまた さかのぼり小学校の6年の頃・・・
「日本一周マラソン」などと言う子供だましの企画が賢い教師達によってブチ上げられた! Σ(- -ノ)ノ エェ!?
グランドを走った距離に応じて 各自与えられた日本地図に海岸線の道を塗りつぶしていく。単純にして明快。しかも
「健康増進&地理の勉強」が一度に出来る!賢い教師達には自信満々の企画だ。
実際 これに児童達も乗っかり企画は大成功した。
さぞかし 教師達はニンマリだったろう・・・ “乾杯♪(*^^)o∀*∀o(^^*)うん♪
俺も可愛くて素直な小学生だったからこの「日本一周」にハマってた。
普通 小学生ぐらいだと自分の住んでいる県は知っているが隣の隣の県になると知らなかったり 県庁所在地の都市名だって ほとんど知らない。
これを楽しく 他の児童と競い合わせながら 日常に溶け込ませたのだから 充分な成果はあったと言える。教室のあちらこちらで ミニランナーたちが
「今 何県?」「何市の近く?」と「スッゲぇそんなトコまで行ってんの!」
といった感じで「黄色い声」が響く。
この企画もそうだが「海」を持つ県とそうでない県は 扱いに大きな差が出る。海沿いに進めるから海の無い県は話題に上らないから不公平の極みだ。
まるで「鉄腕ダッシュ」のソーラーカー状態! ε~( ̄、 ̄;)ゞフー
次第にヒートアップしていく小学生たち。
負けるのがイヤで 学校が終わっても走り続ける者・・・
比較されるのがイヤで 走ったコトにしてインチキを地図に記入する者・・・
一応の成果の裏側に 課題が残るのは いつの時代でも仕方のない事かも・・・
俺も夢中になりやすい性格だったから グランドを走りまくった。
ひたすら 地図上に日本一周の夢を馳せながら マジメに走りまくった・・・
そのお陰で少しだけ足が速くなったのかもしれないが ラッキー\(^^\)(/^^)/チャチャチャ
しかし・・・企画の立ち上げ時期が遅く 毎日死に物狂いで走っても日本一周の距離には届かない。そして
少しの距離を残しての小学校卒業となった・・・・ (。□。;)逆さガビーン!!
「この 日本一周の悔しさをいつか晴らしたい!」などと 子供だましの企画に ヘンにこだわった 困った小学生でもあった。
そんな小学生時代の 小さな小さな想いを ずっと そして 何の不変も無くあたため続けたのは「走り」だけでなく「職業」もそうだった。「建築の設計」もそうだったように 最初に懐いた憧れや夢なんかは1番
やってみたいコトなんだろうナァ きっと o((=゜ェ^=))o'' ♪
高校に入ったら 何を置いても やってみたい自転車だったから それを阻害する要因は排除するしか考えつかないのも この頃だ。
1年生の夏休みは まだテニス部に在籍していたから本格的な夢の実現に向けての行動には至っていなかった。テニスも嫌いではなかったし 熱心に参加し夏休み前半の練習や合宿にも 休まず打ち込んでいた。
と 同時に このままでは 日本一周の夢が遠のく そんなジレンマの日々の中で 時間だけが いたずらに過ぎていった。
むせ返すような 土の香が鼻を刺激するテニスコートで 蜃気楼を見ていた。
緑の大草原にどこまでも延びる一本道は 抜ける蒼い地平線と溶け合って風景全体があくまでも ごく自然に輝いている・・・そんな幻想。
蜃気楼の揺らめきの向こう側に そんな幻想が鮮明に見えていた。
その景色の中 体力の限界までペダルをこぎ続ける自分の姿を投影し それを鳥瞰して自ら見ている 。
その風景の中に一秒でも早く入り込みたい 偽りのない感情だった・・・
俺の居場所は「このテニスコートじゃないよなぁー」きっと。そう思い始めていたのも この頃だった。
こうして 1年の夏休みの後半には「南九州の旅」を決行していた。
残り日数が少ないのと バイトもキッチリやってなかったから 控え目な日程。しかも タカアキとのスケジュール調整もつかない関係で「一人旅」となった。
自転車での遠出に周囲はイイ顔をしてくれないし 随分悩んだ "o(-_-;*) ウゥム…
その結果
電車での旅って事にして実は駅のレンタサイクルでツーリング族に変身という
計画を 密かに 練っていた。 v(^▼ェ▼メ^)v
我ながら悪知恵が働くよ まったく ♪~♪ d(⌒o⌒)b♪~♪ ♪~♪ d(⌒o⌒)b♪~♪
そうと決まればスケジュールを立てるのはメチャ早い俺 (=^・ェ・^=))ノ彡☆
早速 得意技の地図情報や時刻表から日程を練った。この行程が たまらなく楽しい。正に至福の時だ。♪~♪ d(⌒o⌒)b♪~♪ ♪~♪ d(⌒o⌒)b♪~♪
移動手段は安く上がる夜行寝台特急にした。
何といっても 一泊分助かり寝ている間に目的地に到着してしまうのが嬉しい。
宿泊は安そうな民宿を事前に探しまくり予約した。心配していた寝台特急も お盆の帰省&Uターンの時期から 少し過ぎていたので手配も楽だった。
コースは東海道から山陽道経由で九州縦断をする寝台特急「ブルートレイン」で鹿児島まで行き 南国情緒溢れるダイナミックな海岸線をレンタサイクルで疾走しながら 砂蒸温泉の指宿 長崎鼻 開聞岳 池田湖を 4泊5日で巡る。
こんな行程じゃ日本一周なんて完璧にムリだが何事も はじめの一歩が肝心!
準備期間のないバタバタ旅行だったから 細かい行程は電車に乗ってから地図と にらめっこしながら決めよう。 (=^・ェ・^=))ノ彡☆
いよいよ出発の日を迎える。東京から名古屋駅に午後10時過ぎに滑り込んできた濃紺の車体は 旅への期待を より一層演出してくれる。
狭く仕切られた客車は2階建になっていて 見ているだけでウキウキして落ち着かない。初めて目にする物ばかりの車両に 好奇心旺盛な俺は迷路のような通路や取調室みたいな車掌室 売店 刑務所チックなトイレ ・・・
隅から隅まで探検した。
「これが ブルートレインなんだぁー」いろいろな意味で ちょっと感動。
すっかり遠足気分の俺を無視するように 列車は熱帯夜の名古屋駅を後にする。
初物に弱く 一気に緊張しまくる俺は寝台のぎこちない揺れと 未だ見ぬ景色への期待から なかなか深い眠りにつけない・・・・
窓の外は近くを一瞬にして流れ去る閃光と遠くにゆっくり後ずさりする灯り それらの コントラストを時々抜き去る 踏み切りの警報音が掻き消す。
なかなか眠りに落ちきれない・・・・・・・・・・
オ(o・0・o)ヤ(o・ェ・o)ス(o-ェ-o)ミィ(o_ _)o.Zz (o_ _)o.zZ (o_ _)o.zZ
浅く長い眠りから 現実の世界に引き戻されるとガラスの向うは朝靄に煙っていた。
当然のように列車は 2本のレール上を 西に進路をとり 走り続けている。
この時間からすると 兵庫県辺りかな?
進行方向の左側には弱々しい朝日に輝く海? 「瀬戸内海だ!」
ガイドマップを引っ張り出し 時々眼下に広がる 松並木と薄青い海をチラ見しながら鹿児島駅に到着した後の予定を立てている。
揺れる電車で 耳に赤ペンを差しながら座席で あぐらをかいてる 俺って 競馬の予想してる オッちゃん みたいやぁー
でも この時間 たまらないんだよねっ
♪ルンルン♪o(^0^o)♪~(o^0^)o ~♪♪~o(^0^o)~♪(o^0^)o~♪ランラン♪
ブルートレインは定刻通り 終着駅の「鹿児島」に東京からの長旅に疲れ切り倒れ込むように最終のホームに滑り込む。午後2時を過ぎていた。
じっとしているのが コレだけ苦痛だとは!車内で軽いストレッチをして少しだけ親近感を覚えたブルトレ君に感謝しつつ ホームに降り立った。
早く改札から出たい!そんな想いに充分応える別世界が そこには在った。
駅前は コレでもかと言いたげな南国が待ち構えていた。
照りつける情熱的な陽の光。空はどこまでも高く その青はどこまでも濃く。
その空間のヒザ元にパイナップルを巨大化したフェニックス並木が 時折渡る南南西の風にノコギリ状の葉を軽く振っている。その並木の足元には名前こそ分からないが真紅の花が一面に咲き乱れていて眩しい。
それらの添景の先に圧倒的な存在感を見せ付ける奴がいる「桜島」だ。
もっともっとイイ場所から 桜島の雄姿をじっくり拝みたい!!
先ずは移動手段 自転車のキープだ。
レンタサイクルの看板を駅舎中央南側に見付け 早足で駆け込むと そこには
なかなか お目にかかれないスーパーカーが所狭しと ひしめき合っている。
選択の余地なんか皆無。どれも同じ自転車ばかり (ノ_-;)ハア… ┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~
手続きを手早く済ませて 酷暑の街に銀輪を進める。
「いゃー 通学用でも も少しマシなのになぁー」などと文句言ってる俺。
ブレーキが甘いしガタつく。
ペダルと足が固定できないからパワーロスがある。
ハンドルがドロップしていないから 体重を乗せてペダリングできない。
ギヤチェンジがないから坂道がキツイし平地でスピードが出ない。
などなど・・・
もう普通の自転車に乗れない身体になってるョ。p(・・,*) グスン o(TヘTo) クゥ
次回は周囲の反対に妥協せず自分チューンの愛車だと誓った(b^ー゜)!!(゜∇^d)~~
ガイドマップから桜島の絶景ポイントが城山だと知り 一気に駆け上る。
市街地に位置しているのに やたらと高さがあり この相方だと正直キツイ!
何とか城山にたどり着く。そこは 城山自身が桜島のために用意された舞台と勘違いしてしまうぐらいの「彼」の独壇場だった。
駅前で見せた山肌は さらに荒々しく 幾重にも天へ天へと盛り上がった溶岩の尾根と溶岩が流れ落ちた跡の谷が交互に出入りし痛々しく 山頂南側からは
黒い積乱雲と見間違うほどの煙を天空に向けて力強く押し上げ 微動さえ伝わってくるようだ。その頂は自然力での樹木さえ寄せ付けない威厳を漂わせる。
この活火山は稜線の全周を碧く深い海に突立て にらみを効かせながら市街地
の人の営みから一定の距離を置く。
「大自然」という演目の舞台を演じる「彼」と そして その主役に花を持たせる街のビル群がスタンディングオベーション し続けている そんな光景だ。
これほどのビル群と荒くれた自然が共生した都市も珍しい しばし主役の名演に時を忘れ 催眠術に掛かったかのように見入っていた。 夕暮れまで・・・
ここ城山には幕末勤皇の志士 西郷隆盛が自決した洞窟や銅像といった史跡が点在していて 一通り見て回ったが 集中できない。
とてつもない存在感を誇示する主役を見上げていてバックドロップを決められ後頭部が ボーッとしてる感じ・・・∑('0'*)(・・*)(・・、)。・゜゜・
その夜 突然の暴風雨の通過にビックリして眠れなかった。「何?台風かぁ?」
翌日 民宿の主人に尋ねると「熱帯低気圧が通過したとよっ 良く有るとよぉ」
と ごく普通に言ってのけた。
気圧的に低気圧と台風の境目があって 台風○○号と命名されない 一歩手前の「熱帯低気圧」が普通に発生し普通に通過するらしい・・・ヽ(*'0'*)ツ ワァオォ!!
自然の猛威と共存し文字通り「自然」に受け入れている南国の大らかさに脱帽。
一般的に比較される「北国の辛抱強さ」と「南国の大らかさ」か (*´ェ`)ボー...∑(*゜ェ゜*)ハッ!
寝不足の身体をスーパーマシンに乗せて 民宿を後にし さらに南へ向かう。
もっと南へ行けば空も海も更に鮮やかな色彩になる気がして・・・
たった40k程度南下しても急激な変化など有るワケもないのだが この旅行
で この程度の距離でも表情に変貌を見せる現実が有ることも知った。
海そして空の色や表情がまったく違っていたのだ! ヽ(*'0'*)ツ ワァオォ!!
取り付かれたように南へ ひたすら南へ・・・
朝から かなり走り続けても「桜島」は顔付きこそ若干の変化を見せるものの距離的に離れていく感じがしない。
ずっと俺の左側位置をキープしたまま 横目でニラミを効かし続けている「彼」
鹿児島市から指宿市に向かう海岸線は桜島や鹿児島湾(錦江湾)を囲む形で湾曲して続いている なかなか桜島から離れる感じがしないのも うなずける。
昼過ぎには 本州最南端の市街地 指宿市に入っていた (b^ー゜)!!(゜∇^d)~~
ここ指宿は砂蒸し温泉として全国的に有名だ。南国情緒漂う砂浜全体が温泉になっていて 入浴客はビーチで横になって その上に砂をかぶせてもらい身体の疲れをとるのだという。
でも そのまま忘れ去られ満潮を迎えたら恐怖だよなぁー ∑ヾ(≧□≦*)ノ ウワッ!!
温泉って ぐらいだから やっぱ「裸」なんかな? ゲッ普通のビーチやん?
今回はノ~ンビリ温泉に入っている時間が無いから「砂蒸し温泉」はパスだ。
次回に期待しよ~っと! → 「何に期待だ?」 ♪~♪ d(⌒o⌒)b♪~♪
さっ 次の目的地「長崎鼻」と「開聞岳」だ。
指宿に入る頃に 視界から桜島は外れていた。 しかし・・・
主役交代とばかりに 続いて舞台に上がったのが「開聞岳」別名(薩摩富士)だ。
桜島は今でも噴火している活火山。荒々しいダーティーなイメージで売出中の役者で深い紺碧色のスーツに身を包んだ強面だ。
対してこの「開聞岳」は休火山。 完璧なまでの円錐形のパーフェクトボディに恵まれ 清楚なイメージで売り出している女優だ。稜線はどこまでもスラッとした美脚を誇りエメラルドクリーンのミニドレスを優雅に身にまとっている。
長崎鼻は彼女のためだけに用意された檜舞台だ。そこから観劇すると彼女は正にセクシー女優の本領を如何なく発揮!といったところか (*'ー'*)ふふっ♪
長崎鼻から見たエメラルドグリーンの東シナ海と開聞岳
ここも日本? おっと 見惚れてばかりじゃ時間がいくら有っても足りない。
次の予定地である池田湖に移動しないと。
移動中はどの場所からも開聞岳を目にすることができ メチャクチャ快適だ。
勢緑な茶畑の中 池田湖目指して急ぐ。
池田湖は内陸側に位置して見た感じ小さい湖だが水深233mと神秘的な濃い藍色の水を とめどなくたたえて 近付く者への少しばかりの恐怖感を煽る。
この池田湖は「イッシー」伝説の湖として全国に名を馳せているのだが
巨大な首長竜の目撃証言が 後を絶たない 果たして その真意は・・・
その伝説を裏付けるような池田湖名物の「巨大なウナギ」を湖畔のレストランの水槽で見た。最大で全長2mにもなるらしいのだが このウナギがイッシーと見間違えられたのかもしれない。 (*´ェ`)ボー...∑(*゜ェ゜*)ハッ!
神秘的な池田湖から見た 別の顔を見せる開聞岳
しかし このチャリ旅行の最大の失敗は この相方君。
ママチャリから お子様シートを外した程度の装備だから スピードが出なくて距離が稼げないだけじゃなく 1番哀しいのは どこからどう見ても田舎の高校生ぐらいにしか見えない。
すっかり現地人と化している (・・、)
だから すれ違う他のサイクリスト達が完璧に無視してくれるのだ。
普通サイクリスト達はすれ違う時に お互いの健闘を称えあってエールを送りあうのが 暗黙の了解事になっている。
本皮のサイクルグローブから右手の2本指を合わせて軽い敬礼をお互いに交わす。(ピースサインの指が くっ付いた状態で頭の横で静止する)
すれ違うまでの ほんの数秒で荷物の多さ 装備の度合い マシンのチューン状況 サイクルキャップの小さいツバの裏側にプリントされたブランド名・・などなどを瞬時に観察しつつ敬礼するのだ (=^・ェ・^=))ノ彡☆
これはツーリングした者でなければ味わえない醍醐味なのだが・・・
その神聖なる儀式を 投げかけても無視されるから 哀しさMAXだ!!
でも当然かも・・・
今の俺はママチャリにまたがりサイクルキャップもサイクルグローブもない!
「お前なんかに エール送られたって~迷惑なんですけどぉー」と言いたげな冷ややかな視線を返してくる щ(´□`)щ オーマイガーッ!!
これが1番辛く哀しかった・・・ ヘ(;_;ヘ) アソンデェ ヘ(;_;ヘ) アソンデェ
「ホントは俺だってバリバリのサイクリストだ!」と大声を張り上げて走りたい気分だ。
絶対に絶対に来年こそ!!
特別チューン グリーンメタリックの愛車にキャップもグラブも「Shimano」ブランドでバリバリに固めて すれ違う他のサイクリスト達の羨望の眼差しを独り占めしてやるぜぃ・・・・・・d(@^∇゜)/ファイトッ♪ d(@^∇゜)/ファイトッ♪
┌U・ェ・U┘♪└@(・ェ・)@┐♪┌U・ェ・U┘♪└@(・ェ・)@┐ワンキー♪モンキー♪ベイベー♪
街のあちこちで高校野球甲子園大会の中継が蝉時雨と交差し断片的に聞こえる。
愛知の東邦高校が 決勝で東洋大姫路と死闘を繰り広げていて 東邦の1年生ピッチャー「坂本」に話題が集中していた。行く先々で愛知から来たと言うとこの話題 となり誇らしい反面 部活をサボッてる自分が恥ずかしい。
こうして 短か過ぎた 15歳 高校1年の夏休みは終わる・・・
第10章 九州 東北 北海道 (2)
自転車への情熱を持ち続けて 2年になっていた。
1年の夏休みに南九州で目にした光景にド肝を抜かれたままだったから今年こそ去年の経験を活かして もっと充実したツーリングにしたいと 誓いつつ
陸上部のロードランニング練習で脚力を養いながら 相変わらずの自転車三昧の日々を送っていた。
「今年こそ 余裕で準備して完璧にシーズンインだっ!」 (*'ー'*)ふふっ♪
そう 昨年消化不良ぎみだった南九州路。
リベンジで自分チューンの愛車と一緒に九州を縦断したい。
もっと南へもっと遠くへそして もっと速く。南国の高い空と碧い海を横目に。
その想いから 強気のスケジュールを立てていた。 ワクo(゜ー゜*o)(o*゜ー゜)oワク
夏休みの前半は陸上部のトレーニングとバイトで消えてしまう。
休み後半の日程と予算から考えると 二週間ぐらいしかないが無理しない程度の行程にしよう。「でも予算的に大丈夫かなぁ?・・・」 (ノ_-;)ハア…
今回は何と言っても愛車と一緒なんで 電車を利用するには無理がある。分解しなくても載せられるフェリーを移動手段にするしかなかった。
しかし・・・大型フェリーどころか船らしい船に乗った経験は皆無 チョット恐い。海は好きなのだが船は苦手な「初物」だ。またまた緊張から寝不足になるかもしれないし 去年体験した九州特有の熱帯低気圧の通過で船が大揺れしたら・・・いつもながら小心者の俺だ。σ(^_^;)アセアセ...
そうだ。コースを決めないと進まない d(@^∇゜)/ファイトッ♪ d(@^∇゜)/ファイトッ♪
┌U・ェ・U┘♪└@(・ェ・)@┐♪┌U・ェ・U┘♪└@(・ェ・)@┐ワンキー♪モンキー♪ベイベー♪
名古屋から九州方面へのフェリーは 大分 宮崎 鹿児島の航路がある。その中の大分で下船。九州縦断し鹿児島入り後そこからさらにフェリーで南下して沖縄か与論島あたりまで行きたい (*^-゜)vィェィ♪ (○゜ε^○)v ィェィ♪ v(*'-^*)bぶいっ♪
帰路は鹿児島からフェリーで大阪まで移動し関西路を一路 東に名古屋へ帰る。
たった これだけの行程でも二週間かかってしまう。日本は広い
しかし 今回のツーリングは正直言って不安が残る。なんせ1日の走行距離が
最大で260kmだ。 (・_・;)_・;)・;);)) ナントッ!!
オリンピック短距離のトップアスリートが時速35kぐらいで走るのだが
それと 同じスピードで走り続けて7時間半かかる計算になる。
当然の事だが理論上の計算だから信号も上り坂も食事や休憩も一切考慮しないノンストップで走り続けての計算。経験的にはその倍ぐらい必要になるはずだ。
ホント 走れるん?俺~ (〟-_・)ン? ('_'?)...ン?
「普通ムリやけど 特別チューンの愛車と自慢の脚力で何とかなるっしょ~」
楽天的で思い立ったら実行してしまうのが俺のイイとこ? o((=゜ェ^=))o'' ♪
距離的に未体験ゾーンなのと遠方でのツーリングなので周囲の反対に遭った。
体力的にも限界との判断から タカアキの参加は見合わせてもらい 結果
今回も独り旅になりそうだ・・・
そうと決まれば ガンガン行ってみよ~ってワケで 距離や高低差から時間を計算してフェリーの時刻や宿泊場所探し そして 予約。忙しい (ノ_-;)ハア…
毎度の事ではあるがバタバタで夏休みに突入!出発日を迎えていた。早っ!!
いつもは細身で精悍なスーパーカーが 今回は旅の過酷さを予感させる重装備に押し潰されそう。その姿が なんとも痛々しい。
イイ男台無しになった相棒を見て少し 申し訳なくも思う・・・
普段より少し装備が増えペダルが重くなった相方と一緒に残暑の昼下がりの中 名古屋港フェリー埠頭へ向かう。
蝉時雨が徐々に遠ざかる 丘陵地から埋立地へ向かっている証拠だ。
ビルが少なくなりコンビナートのタワークレーンが見え隠れし潮風を直に受け
る頃に ビルと見間違う白い巨大な船体に赤いラインのフェリーが視界に飛び込んできた。
「すっげ~デカいやん!」 オットォ!(・oノ)ノ
フェリーに乗るのも見るのも初めてだったから その巨体に近付くごとに胸の高鳴りは増すばかり ヤッタネ!!(v゜ー゜)ハ(゜▽゜v)ィェーィ♪
乗船場で予約券から手続きを済ませ 行き先札を愛車に取り付け フェリー横の駐車場に移動し 一般の車両と同じく愛車も整然と並ばせる。
その駐車場の延長線上に太平洋沿海フェリー「あるかす号」が船首を上に折り曲げてポッカリ船体の内部を露出している「お~頭から入るんや?」
不思議な光景にチョイ戸惑いながらも 夕暮れの出航まで乗船ロビーで待つ。
一般乗船客に先立って車の運転手が自らの運転で事前に車両を積み込むのだが船まで車用鉄板で渡る時に海面がチラッと見えてドキッとしつつ無事に乗船。
運転手は乗船ロビーの渡り廊下からでなく船内駐車場を階段でフェリーロビーに上がる。俺も愛車が転倒しないように船内の鉄骨にしっかり縛り付け階段でロビーに上がる。ロビーで乗車券を係りの人に見せて客室に向かう。
客室と言っても個室ではなく大型スーパーにある キッズスペースみたいな感じで通路と同じ高さにカーペットが敷いてあるだけ 1人分のスペースなんて毛布横幅分だけ。∑q|゜Д゜|pワオォ!!
仕方ない 予算の関係で これがイッパイイッパイ
暮れなずむ名古屋港に出航の銅鑼の音が鳴り響く。本当に銅鑼を乗組員が甲板で叩く粋な演出にチョット感動。そして出航 ♪ d(⌒o⌒)b♪
去年の夜行列車と同様最初はフェリー内の探検から始まった。
ロビーはちょっとしたホテルって感じだ 映画で見たタイタニックのそれには遠く及ばないものの 貧乏な高校生には充分豪華なロビーだ。
そこにCAみたいな制服に身を包んだオシャレなお姉さんたちが笑顔をくれる。
売店やレストラン ゲーセン 入ったことの無いサウナまである。
中央吹き抜け階段から展望ロビーに上がってみると そこはビルの5階ぐらいの高さがあり眺望は言う事無しで ちょうど名古屋港から太平洋に出る辺りで港の無数の赤色等が流れ星のよう・・・ (*'▽'*)わぁ♪
船旅は贅沢だと聞いていたが それを充分満喫できそうだ・・・
しかし・・・
初物の失敗というか 調査不足を露呈する事態が起こった。
それは「食べ物」。売店は有るが食品は売ってない。レストランは有るが1番安いカレーライスで確か1000円ぐらいしていたと思う
うっ そこまで計算する余裕はなかった。乗船まで朝から何も食べてないし
「どうしよう予算ギリギリで初日から冒険なんか出来ない!」
去年の教訓から予算を浮かすために今年は民宿からユースホステルにしたし
食事も食堂やドライブインからスーパーでパンやおにぎりで済ます事に決めていた。さらに飲み物は愛車の車体にセットされたボトルに公園や近くの学校で水道水を補充してツーリングしないと予算パンクとなる。それが実情・・・
太平洋の真ん中じゃコンビニなんかないから ひたすら我慢
贅沢満喫の船旅が一転「貧乏満喫の船旅」に・・・(。□。;)逆さガビーン!!
このまま翌日の夕方まで我慢できるかな
襲ってくる空腹に備えて客室で ひたすらゴロ寝を決め込んだ。
だが・・・未体験のフェリーの大きな左右の揺れと小刻みなエンジンの震動音そして 枕元で人が移動する足音や話し声で熟睡なんて とんでもない!!
予算があれば他人の声や視線を気にしなくてもイイ個室だと フカフカベッドで揺れも軽減されて熟睡できるだろうに・・・
夜中に閉店したレストランの前をウロウロしている自分にゾッとし
「ハラペコがこんなにキツイとは」さすがに2日目の昼になると限界を感じて
悪魔の囁きに負け 1番安いカレーライスをありがたく頂いた。
「カレーがこんなにウマイなんて・・・」 ミ★(*^-゜)v Thanks!!★彡
ちょっと凹む船出になったが 得たものは大きい。普通に毎日食べて さらにアレが食べたい~ これはマズィ~と普通に言っているが お金が無いって事がどんなに 惨めか? イヤというほど勉強させてもらった。
勉強して 少しだけ お利口になった頃 九州の大分に寄港していた。
今日は大分港から北西に約10k移動して別府温泉に宿泊するだけ。そうそう温泉にゆっくり入って フェリーでの疲れをしっかり取らないと・・・
海沿いの国道を別府方面に向かう。いつもの事だが初物に弱く寝不足だったから 今回もチョイ居眠り運転だ !?(゜〇゜;)マ、マジ...
別府に近付くと 立ち昇る温泉の湯煙が幾本か見え始め しだいに温泉特有の匂いが潮風に乗って漂ってくる。
ここ大分県は全国屈指の源泉数を誇っていて常に人気上位の別府温泉や湯布院温泉を擁している
ここ別府温泉は「血の池地獄」「竜巻地獄」「坊主地獄」などなど・・・
奇妙な名称の源泉があり興味をそそられるが 明日からのロングランを思うと
ノンビリと見学して回る気持ちのゆとりもない・・・
後ろ髪を惹かれる思いを抑えながら 別府ユースホステルに到着する頃 陽は幾重かの湯煙の西側に傾いていた。
別府ユースのフロントで手続きを済ませて部屋に向かう。
実はユースを使うのは今回が初めてだった。ヽ(*'0'*)ツ
ユースホステルとは安い料金で利用できる宿泊施設で全国津々浦々 主要都市や観光地に点在。旅館やホテルとの大きな違いが ユースのほとんどが大部屋で 食事の用意はしてもらえるが後片付けや食器洗いを宿泊者各自が手分けして行うのだ。そして決定的な違いがある・・・
多くのユースの場合宿泊者どうしの親睦の意味で 夕食の後にイベントを実施している。フォークダンスだったり簡単な室内ゲームだったり・・・
宿泊客を「ホステラー」宿泊所の主人を「ペアレント」と呼び一般の宿泊施設
では得られない旅の情報交換や出会いが有ったりする。
ラッキー\(^^\)(/^^)/チャチャチャ ラッキー\(^^\)(/^^)/チャチャチャ
俺はユース 到着と同時に「仮死状態」の場合が多く ほとんど参加できなかったのが 残念だった・・・
ここ別府ユースでも何か有るらしい雰囲気が漂っていたが前日の寝不足もあり
そのイベントに参加する事なく早々にベッドに入っていた。と 突然 大歓声とホールを走り回る地響きのような足音に起こされた。
その後 しばらく その騒動が続いていたようだったが睡魔に勝てず深い眠りに落ちていた。
翌朝 同室のホステラーに尋ねると 何と「鬼ごっこ」をしていたらしい。
「マジっすか?」って感じだが なぜか楽しそうな表情だ。
そのホステラーによると 全国には この「おゆうぎ会」に嗜好を凝らした
ユースが幾つかあると言うヽ(*'0'*)ツ。
機会があったら次回は参加してみたい
時間が無いので 朝食抜きでユースを後に 九州縦断のスタートを切る。
ここ別府から今夜の宿泊地 熊本までは距離以上に標高差の克服が課題となる。
夏休み前にロードトレーニングで 愛知県と岐阜県の「峠」に何度かトライし
今日のために 峠越えの経験を準備万端 積んだつもりだ o((=゜ェ^=))o'' ♪
別府湾の海抜0mから一気に標高1592mの阿蘇山の裾野まで上り続けなければならない。未体験の標高差だったから不安が無いと言えば嘘になる。
朝から急激ではないが 延々と延々と・・・上り坂ばかりが続く。
炎天下でのアップロード これがボディブローのように身体に効いてくる。
意識が遠退いた頃に峠越えの標識を目にした。
ここから しばらく快適な下り坂が続いた・・・
「ハッ! と・峠?」じゃあ阿蘇山は?
うっかりだ! 桜島と並ぶ日本屈指の活火山 阿蘇山の雄姿を拝むこともなく
通過していたのだ。説明するまでもなく 後戻りする気力や体力なんか完璧に持ち合わせていないから泣くに泣けない (。□。;)逆さガビーン!!
阿蘇の外輪山にはトウモロコシ畑が広がっていて 白く輝く灼熱の太陽のもと黄緑色の細長い葉を揺らしていた。
峠を越えて全体的に下りになったにも拘らず小さなアップダウンが続いていて 少しずつペダルが重く感じてくる。
体力を消耗している証拠だ。肌も焼けるように熱い。情け容赦ない陽射しだ。
こうなると景色を楽しむ余裕などまったくなくなり ひたすら道路標識と信号
それらの最小限の情報のみに全神経を集中させてペダリングするのみだ。
今回のツーリングは高低差の厳しさは有ったものの距離が155kちょっとだった事もあり まだ陽の有るうちに熊本入りしていた。
それでも10時間以上 サドルに乗り続けていた計算だ。普段だったら絶対に考えられない距離と時間でもある
熊本のユースに到着し早速部屋に荷物を置くと同時に経験したことのない重苦しい疲労感に襲われて 不覚にも そのまま眠ってしまった。
ペアレントさんに起こされると すでに夕食時だった。
「マズぃ!」早めに熊本入りして熊本城や水前寺公園を巡る予定だったのに。
急いで夕食を済ませ 夜の熊本市内にくりだした せめて熊本城だけでも見ておきたい。全身がだるいが もう少し頑張ろう d(@^∇゜)/ファイトッ♪
愛車を少しでも休ませたいから徒歩での外出だ。なんせ小学校時代から歴史に興味のある「シブイ?」小学生で中学に入ってからは自転車で名所旧跡史跡や
城を訪ねまくっていたから熊本城を外すワケにはいかない!
その熊本城は市街地にあり林立するビルに隠れて見つけるのは難しいが観光用の看板を頼りに何とか辿り着けた。 σ(^_^;)アセアセ...
「やっぱ スゴイ城だ!」少しばかりの恐怖さを伝えるのに充分なシルエット
薄夜の闇より なお一層黒い影を周囲に落として 威風堂々とたたずんでいる。
夜の古城に感動している俺も充分「シブ~~~イ」高校生だ。 よろしく(^ー゜)ノ
夜の熊本城へ向かう途中の事だが 道に迷って怪しい雰囲気のネオン街に迷い込んでいた。▼ェ▼メ
そこで怪しい雰囲気が漂う店の前でお姉さんに「ネェお兄さん遊ばない?」
とメチャクチャ怪しく声を掛けられ思わず逃げた!ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(;・_・)┘スタスタ
いくら俺がオッサン系だからって 一応 まだ16歳なんですけどぉ・・・
「でも 学割オッケーなんかな?」 な~んてネッ (゜-゜;)ヾ(-_-;) オイオイ...
おっ 明日は早く熊本を出ないとキツィ。急ぎ足でユースに戻り床に就く。
翌朝は曇りだった。
景色を楽しむゆとりなど無い行程になりそうだから 快晴より曇りが助かる。まして昨日の陽射しで首や腕の熱が引かないから なおさらだ。
朝食は当然のように抜くと 逃げるが如く 朝靄に霞む(かすむ)古都熊本を後にする。
蓄積された疲労に若干の焦りを感じつつ もっと南へ ひたすら南へ
初物に弱い俺は不安を抑え切る自信がなかった。前日に未だ体験した事のない
155kを走破し 休む間もなく260kに挑まなければならないからだ。
もし快晴だったらと考えるとゾッとする。
いくら水分補給しても噴出す汗は抑えられず 脱水症状で途中リタイアしていただろう。
怖いのは健康面だけではない。この行程は九州縦断の主要幹線国道で交通量が多く しかもトンネルが点在している。
実際 鹿児島までのトンネルで危険な目に何度か遭っている。
トンネル内はトラックの排気ガスで息苦しい上に視界が悪く急に暗くなる環境に目が慣れない危険な場所だ。通常だと入り口前で交通量を確認して待機したりするのだが ここ国道3号線はトラックが途切れない。
一般的に 1ケタ国道の交通量は半端じゃない 名古屋にも国道1号があるが両側10車線あり 年中無休24時間 濁流のようにトラックが流れている。
今回は迂回路も時間も無い関係で選択の余地はなく「何とかなる!」で突っ込んでいく事に決めていた。
ほとんどのトンネルが外より 幅が狭く作ってあり オマケに密閉されている。
後ろから来た大型トラックが横をすり抜ける時 風圧で一旦壁際に押され車両
が通過した後は戻りの風圧で今度は反対の車道側に引っ張られる
体力も気力も充実している時でさえバランスをキープするのは至難の業なのに
重い荷物を前後に乗せ 集中力や体力が低下している今 想像もしたくない。
何度か恐怖をすり抜ける度に 荒い息を整え 精神を落ち着かせるのに 相当な時間を要した。冷静に判断する能力が薄弱だったからこそ 走り続けていられたのかもしれない。そう この国道3号線を極限状態で走り続けている。
夕刻には遂に雨が降り出し視界と体力を 嘲笑う(あざわらう)かの様に容赦なく奪っていく
「もうダメだ!限界か?」何度も道端で倒れ込みそうになった・・・
こんな時 脳裏をよぎるのが 陸上部での極限練習だ。走る度に極限ラインを
次の信号まで 次の角まで 次の・・・と
そのラインを上げていく。
ペダリングペースは雨に奪われ続けた体温同様下がるばかりで 視界の妨げになっている瞼に張り付く水滴の前に映る街角は歪んだスローモーションだ。
時間だけが いたずらに過ぎていく・・・焦る・・・
鹿児島市の道路標識がかすかに見える。そして しばらく続く緩やかな下り坂に助けられるかたちで今夜宿泊予定の民宿に倒れ込む。夜7時を過ぎていた。唇は紫色になりヒザがガクガク震えていたらしいが・・・
熊本を朝6時に出たから13時間も過酷な環境下を走り続けた事になる。
この体験は その後 俺の人生での糧となって試練や苦難に立ち向かう強靭な精神力みたいなものを言葉もなく教えてくれたと確信している。
今回のロードランや部活で学んだ中身は 大きく重苦しいが 輝いている。
仕事で大きな失敗を繰り返したりどんなに努力しても人間関係がすれ違ったり
した時「もうダメだ!」と思う限界を幾度となく自分自身で「線引き」しそうになった しかし その線引きをした時点で人の成長は止まり 更なる成長は望めないし有り得ない。
人生捨てたもんじゃない ポジティブに生きてさえいれば必ず誰かが見ていてくれる そして
少なからず 光明は差すものだ と・・・・
「死んだように眠った」のか「眠ったように死んだ」(失笑) か定かではないが重苦しい眠りから覚めると そこは鹿児島だった。(゜-゜;)ヾ(-_-;) オイオイ...
ここから もっと南へ フェリー泊も含めて6日間ほど「与論島」へ行く。
小さな島なので徒歩で行動できるから愛車は鹿児島で預かってもらい しばし休養してもらうことにした。
愛車と別れて小さなフェリーに乗り込む。
鹿児島港から見上げる桜島もまた圧巻だ。海面から1100mまで稜線の岩肌が立ち上がって 城山から見た表情とは また一味違って より一層荒々しさを見せ付けてくれる。
フェリーは静かな鹿児島湾を南に向けて出航した。湾内から出ると進行方向に東シナ海 左に太平洋 右には日本海。三役揃い踏みの贅沢なパノラマだ。
途中 鉄砲伝来や日本のロケット基地がある「種子島」や縄文杉の「屋久島」
を横切り小さなフェリーは夕焼け空をもっと南へ目指し白い波を掻き分け進む。
翌朝デッキに出ると そこは鹿児島以上の南国が溢れていた。
厳しいロードの後での 南の海はハートにしみる o((=゜ェ^=))o'' ♪
昼過ぎには与論島に接岸していた。♪ d(⌒o⌒)b♪
「南海の白真珠」「星の砂とサンゴ礁の島」として全国に知られる ここ与論島
上陸後どうかなりそうだった。想像していた風景が一瞬にしてフッ飛んだのだ
この島の景色を言葉で表現出来ない いや 言葉にするには失礼だ。
静かに海を見ているだけで感動を通り越した安堵感に包まれ 涙が頬を伝う。
どこまでも続くコーラルブルーの海と星の砂ビーチ 干潮時だけ島が現れる「百合ケ浜」
来る日も来る日も視界内にきらめく星の砂と透き通った風を独り占めしていた。
日中はビーチで過ごし 夜は遠くに潮騒を聞きながら蛇味線を弾き 同じ宿の同年代の若者とスポーツや恋愛について熱く語り合ったり・・・
ゆ~ったりとした南国時間の中に身をゆだね続けた。
ここには目覚まし時計も 時間ピッタリに発車する電車も 洪水の様な人込み
もない。日焼けした人なつっこい笑顔の人々 そして 普通に呼べる「自然」があるだけ。たったそれだけしかない島だ・・・・・
この島でビックリしたのが道路を横断する「かたつむり」が普通の3倍ぐらい
あったのと 海に潜った時に海底に「ウミヘビ」がビッシリいて心臓が止まりそうになった事。後で民宿の主人に恐る恐る聞いてみたら こう言われた。
「あれね えらぶうなぎ ちゅ~て~ぇ おとなっちぃウミヘビぃよぉ~」
な~んや「うなぎ」かぁ~でも結局「ヘビ?」スッキリしないナァ щ(´□`)щ
コマ送りの日々も夢のように流れ去り この楽園を後にする日がやってくる。
鹿児島へ向けて 純白の砂浜とコーラルブルーの島影からフェリーは離れる。
フェリーで1泊した後 鹿児島市と指宿市で それぞれ1泊ずつし 遽しく
鹿児島港から大阪港へ向かう大型フェリーに乗り込む。日本高速フェリーの
「サンフラワー号」 船体に大きな太陽の絵が描かれていてカラフルだ。
もうフェリーの旅も手馴れたもので食料や雑誌なんかも事前に用意してあるし
ノ~ンビリとサウナに入る気持ちの余裕も出来ていた。
旅日記を記入したり小遣帳の確認 旅のスケッチ帳を描いたりして過ごす。
実はこの時バイク旅で乗船している人から読み終わった雑誌「プレイボーイ」をもらったのだが スポーツ一筋だった俺は「エロ雑誌」なんか見る機会もない純情無垢な少年。後が大変だった・・・・(゜-゜;)ヾ(-_-;) オイオイ...
大阪では長居陸上競技場の観客スタンド下にある異色の長居ユースに宿泊した。
大阪に来たんだから「大阪城」と「なんば花月」は外せないo((=゜ェ^=))o'' ♪
なんてったってコテコテの関西テイスト薫る「なんば花月」はお笑いの聖地だ。
しかし・・・時間的制約の中 1日の移動距離と時間だけでスケジュール管理をしていたので立ち寄る時間なんて無い!「めっちゃ~残念でんがなぁ~」
翌朝 大阪を発ち京都経由で滋賀県の琵琶湖畔にあるユースに向けて走り出す。
ここでも 先を急ぐばかりに京都市内観光を入れられなかった。ヽ(*'0'*)ツ
結局 これ以上の日程を組んでも体力的に無理だったから結果オーライか?
琵琶湖畔にあるユースは「観修寺ユース」地名かと思い込んでいたら「寺」だ。夜のミーティングで定番の「怪談」を聞かされ またまた寝不足に悩まされる。翌朝は琵琶湖から一気に自宅までのペダリング。途中 学校に寄って剣道部で稽古中のエツと わざわざ出迎えに来てくれたタカアキと会って しばし雑談。
旅の後半は手抜き文章になってしまったが仕方ない。めまぐるしい日々の連続と無理な行程の疲労から 後半の記憶が薄れていたのだ・・・ヽ(*'0'*)ツ
こうして16歳の夏は 火傷に似た日焼け跡と軽い目眩を残して静かに過ぎた。
第10章 九州 東北 北海道 (3)
高校生活も最後の夏が間近に迫ってきた。17歳の夏だ。
今回のツーリングはどこまでも「北」に行こうと決めていた。
日程も2週間程度が限界だから東北縦断と北海道内回り一周ぐらいなら何とかなりそうだ。o((=゜ェ^=))o'' ♪
すでに地図やフェリー ユースホステルの予約も手馴れたものだったから
鼻歌交じりのプランニングになっていた。
地図の見方も直線状の距離だけでなく 道のカーブや等高線の数から標高差やビュースポットも考えたコースプランが出来るようになっていた。
少し寄り道すると 見所が沢山あるだろうし・・・
急ぐ旅ではあるが 少しぐらいのタイムロスも考慮した。
昨年の九州縦断みたいに どこをどう走ったのか分からない!とか 阿蘇山を見に行ったのに焦りから通過してしまったとかじゃ本末転倒だし。
せっかくだから景色や風の香り 地元の名物を味わったり その土地の人たちと触れ合ったりして本来の「自転車の旅」を満喫したい!!
「いゃ~俺も17歳にしてオヤジチック」
昨年の経験を活かし 記憶までがフッ飛ぶ無謀な計画は考え直し 今年は1日の走行距離を短めに設定し フェリーやユースの予約を済ませていた。
東北方面は名古屋からだと仙台までフェリーがあり その「杜の都」仙台から
北へ 北へ・・・
宮城 岩手 青森と北上しフェリーで北海道に渡り 控え目に一周して帰りはその逆コースで名古屋に帰る。(ゴメンなさい秋田に行ってないっす)
これだけで2週間まるまる必要なのだから 毎回言ってはいるが日本は広い!
話が多少前後するが部活について 触れなければならない・・・・
3年になっても陸上部に籍を置き活動を続けていたが主力の上級生が抜けた穴
は予想以上に大きく 特にシンヤ先輩やカズヤ先輩たち3人が抜けた長距離陣は瀕死の状態で冬の駅伝シーズンまでに この状況を打開でるかが課題だった。
3年になって部活での重要イベントが新1年生に対する「部活説明会」だ。
当然各部のキャプテンが体育館の大舞台で熱弁を振るう。我が陸上部は3年生
が4人で1年からの続けて在籍しているのは 短距離の「カナメ」ただ1人だけ 俺や「ナオカズ」は長谷川先生の直接指導を知らない世代だ。当然先輩達
の指名で「カナメ」がキャプテンって事に落ち着いた。
ところが・・・
ナオカズとカナメの策略に俺は見事にハメられた!(。□。;)逆さガビーン!!
「話し合った結果 オマエの方がスピーチ上手やで お前で申し込んだで~」
と言い残すと2人は 猛ダッシュで俺の前から逃げ去った!!
「はぁ!何言っとんゃ~」俺も2人を追ったが メチャクチャ逃げ足が速い!
あれで2人とも駅伝の補欠なんだからビックリ! 本番で見せろぉ!その足!
てなワケで速攻緊張する俺に陸上部募集のスピーチは押し付けられた・・・
結果は言うまでもなく 新入生400人を前に緊張しまくり 体育館の壇上で何を喋ったのか・・・記憶が完全に飛んでしまった。(ノ_-;)ハア…
結局・・その年の新入部員は6人ぐらいで 陸上部的には大入りバンザイって評価をもらえるハズだった・・・しかし 例年通り長距離の希望者がいない!気長に長距離走者に育てるか? 途中入部に期待するか?
事態は何の進展のないまま 時間だけが無情に過ぎ去り 焦りと苛立ちの中 気が付けば 夏休み目前・・・σ(^_^;)アセアセ...
陸上部にとっての唯一の明るいニュースと言えば この状況に同情したアツコがマネージャーとして陸上部に復帰してくれた事ぐらいだ。
アツコはとにかく全身が陽転志向オーラに満ち溢れていて知らず知らずのうちに元気を周囲に与える。そんなキャラだった。
その元気な「大声」に何度勇気をもらった事か・・・アツコに感謝
夏休み前半の青少年公園でのミニ合宿にアツコが参加してくれたお陰で 少しだけ華やいだ感じの合宿となり それなりの成果があったものの
後半の「霧が峰合宿」は自転車ツーリングと重なるので今年もブーイングの中 不参加となる ゴメンなさい
いくつかのアクションを同時にこなす器用さを持ち合わせない俺は他の部員に負い目を抱きつつも 白く熱い陽射しを味方につけるヒマワリのような大胆さと朝陽前に静かに咲くアサガオのような計算高さで完全に気持ちを切り替えて 身も心も 自転車モードに突入していた!
今年も日中の余熱を残し夕暮れ迫る名古屋港フェリー埠頭からの旅立ちだ。
名古屋発仙台行き太平洋フェリー「いしかり」に常連客顔で手際よく乗り込み貧乏高校生の「指定席」 二等船室という名前だけ立派な空間に身を置く。
食料もちゃんと持ち込んだし寝不足防止に荷物を枕にするとか去年までの経験を生かせていたから快適な船旅になりそうな予感。ワクo(゜ー゜*o)(o*゜ー゜)oワク
今年は少しだけ気持ちのゆとりが出来ていたから旅先での風景や出会った人達の思い出をしっかり残したいから多めにフィルムも用意した。
そしてチョットした遊び心で旅先からクラスメートに絵葉書を出すことに決めていたから住所メモも持っての乗船になった。行く先々で名所や地名で得意技の「オヤジギャグ」満載のハガキを出してウケを狙いたかったのだ。
早速 地図を見ながらハガキの受け取り手の失笑を予想しながらアレコレ文章を考えるのも船旅でのイイ退屈しのぎにもなる。
ほぼ丸一日の太平洋航路を経て夕陽に染まる仙台港に接岸していた。
初の「みちのく」東北の地に降り立つ。
仙台港は仙台市の南東に位置し正確には多賀城市で日本三景の松島に近いのだが 今回 この時間からだと松島に寄る時間もなく一路 仙台市に向かう。
ほどなく仙台市に入る。o((=゜ェ^=))o'' ♪
さすが東北の雄「杜の都」だ。市街地にも拘らず緑をたたえた大木が大通りを彩り目にも鮮やかだ。そして湿度の低い爽やかな暑さは今まで体感したことのない不思議な感覚だった。
この街は ビル群の間近に青葉城跡を冠する青葉山を借景し その膝元を清流広瀬川が悠々と流れ独特の雰囲気を醸し出し五感のすべてを捉えて離さない。
愛車も去年より余裕の走りをしていて みちのくの道を味わっているようだ
青葉通りをノ~ンビリ走り今夜の宿泊先である仙台赤門ユースホステルに到着。
東北四大祭りの一つで 絢爛豪華な仙台七夕祭りが終了してから何日か経っていたので七夕の飾り付けは見られなかったがユース近くの大きな公園で放送局主催の公開放送をやっていたので 夕食後出掛けてみた。何人かの芸能人が来てシンプルなステージ上で歌を歌っていて確かそこに「榊原郁恵」もゲストとして登場していたと記憶している。o((=゜ェ^=))o'' ♪
今回は時間的な余裕もみていたから 翌朝は普通に朝食を摂れる時間に起きて普通にユースを発っていた。
仙台市内はあえて地図を見ないで道行く人に道を尋ねることにした そうする事で地元の言葉「お国訛り(なまり)」が聞けて旅情を掻き立てられると思ったからだ。
しかし・・・昨年大阪ではいたるところで大阪弁が聞けたのだが 今回の仙台では期待外れだった。方言らしい方言を聞けないのは寂しいものだ・・・
仙台も都会だから仕方ないかぁ
仙台市内をゆっくり見て回った後に国道4号線(陸羽街道)を北へ今夜の宿泊地岩手県「盛岡」へ向かう。
去年は気付かなかったトンボの乱舞や控え目に頭を垂れる(た )稲穂や遊びに走る子供達を右に左に感じながらのロードランだ。 (*'ー'*)ふふっ♪
途中 現在は盛岡市と合併したようだが その当時の玉山村で休憩をとった
そこで店のおばあちゃんと今までのサイクリングの話などで盛り上がる。
玉山村の古い店先で 愛車とおばあちゃん
一関を通過し 奥州平泉に入る。
俺の歴史認識が正しければの話だが
ここ平泉は日本史を語る上で避けて通れない。o((=゜ェ^=))o'' ♪
日本初の征夷大将軍(通称 将軍) 坂上田村麻呂が蝦夷地平定の拠点とした
場所だったと記憶している。(間違っていたらゴメン)
将軍とは政を取り仕切る司法 行政 立法の長といったイメージが強いようだが その起源は みちのく平泉に在ったのだから熱狂的歴史フリークの俺はチョット感動。ワクo(゜ー゜*o)(o*゜ー゜)oワク
栄華を極めた奥州藤原氏が「中尊寺」を建立し その後幾多の戦火にさらされた不遇の歴史を持ちつつも ひっそり杉の古木群に囲まれ佇んでいる。
江戸時代には松雄芭蕉の「奥の細道」にも登場し『夏草や兵どもが夢の跡』
・・・荒れ放題に朽ち果てた金色堂を詠んだと言われる有名過ぎる一句だ。
日本史は大好きだが国語や古文が嫌いな俺でも知っているぐらいだし・・・
遠い歴史の余韻を残しつつ愛車とともに北へ向かい北上市に入る。
ここを西に進路をとると錦秋湖があり横手市 大曲市を経て秋田市へと続いている。何十年か先に台風とともに 不眠不休でこの道を走ることになるのだが この当時は想像もしていなかったのは言うまでも無い・・・・・
国道4号線をさらに北へ 愛車は花巻市へ入る。
花巻と言えば「宮沢賢治」だ。・・・・しかし・・・文学系は苦手なのでパス!!
夕方には今夜の宿泊地「盛岡市」に入っていた。
市内を一巡したのち 盛岡ユースにチェックイン。市街地の北側 高松公園の池のほとりにあり眺望も良くイイ感じのユースだ。しかし・・・
夕食後のミーティングが大騒ぎだった!(。□。;)逆さガビーン!!
今回の旅は余裕の距離設定だったから「夜のイベント」にも参加しようと決めていた。いつものように自己紹介から始まったのだがこのユースのイベントは
ズバリ!!「ジェスチャー ジャンケン大会」
参加者が左右に分かれて1人ずつ相対してペアレントの掛け声に合わせて同時に「加藤清正」「お母さん」「トラ」のいずれかのジェスチャーをして勝敗を決する。清正はトラ退治で有名な戦国武将だ。トラを槍で突くポーズが清正だ。その清正はトラには強いが お母さんには弱い。お母さんのポーズは内股で手を口元に添えるポーズ。そして お母さんはトラに弱い。トラは招き猫ポーズこれでじゃんけんが成立するが 振りのバージョンも人の数だけ有るもので 同年代の若い女の子達の「トラポーズ」はイケてるんだけど~おっちゃん達の「オカマポーズ」はマジ勘弁してほしい!!
悪い夢を見そうだぁ・・・(ノ_-;)ハア…
このシンプル&ハード&ハズぃじゃんけんをイイ大人たちが真剣に続けるのだ。
こうして盛岡の夜はふけていく・・・・
翌朝 身体のあちこちが痛む。きつと昨夜 普段使わないヘンな筋肉を酷使したからに違いない。
重い身体で愛車と一緒に走り出す。左手に「いわて銀河鉄道」と岩手山を臨みながら国道4号線を一路北へ
一戸 二戸 三戸を経由し青森県 八戸のフェリー乗り場に向かう。
夜の航路を 苫小牧へ渡るためだが時間があり過ぎるので 絵葉書を書くことにした。確かカヨに宛てたハガキだったと思うが こう書いたはずだ・・・
『八戸で道に迷って地元の人に「八戸ってどっちですか?」とたずねたら
「あっちのほぇへ」と言われた~・・・』
夏休み後 新学期の教室でカヨからこう言われた
「葉書は全然面白くなかったけどぉ郵便局からの料金不足付箋がウケたョ~」
だって。ハガキの大きさが定形外で料金不足だったらしい・・・σ(^_^;)アセアセ...
フェリー乗り場へ行って焦る事態に遭遇した。いつも地元瀬戸市の名鉄観光で旅行のチケットを予約してもらっているのだが その名鉄観光のお姉さんから「名古屋から九州や北海道 航路フェリーは予約しないと乗船できないけど
八戸~苫小牧は定期便だから予約なしで乗船できますよ」と言われて予約なしで乗船券売り場に行ったら「売り切れです」と言われ目の前が暗くなった。
後はキャンセル待ちしかない!早速キャンセル待ちを申し込んでベンチで待つ。
ここでフェリーに乗れなかったら この先の宿泊予約や旅行日程が白紙に戻るだけでなくキャンセル料も払わないといけない。しかもこの先仙台から名古屋に帰るにしても その間の宿泊先が予約してない。(。□。;)逆さガビーン!!
静まり返り蛍光灯の電子異音が響くだけの待合室で独り途方にくれていた。
カレンダーに目をやるとちょうど8月の13日だ。普段なら予約なんか要らないのだが日本全国 お盆休み直前の帰省ラッシュ時だ!失敗したぁ~(ノ_-;)ハア…
幸いなことに出航まで3時間ぐらいだ。ここは気長に待つしかないと開き直り
最悪の宿泊キャンセルに備えて宿泊先の電話番号を書き出したりしていた。
いつしか軽い疲れにウトウト・・・・
どれぐらい時間が経過しただろう。
係員の声に現実の世界に引き戻された。キャンセルが入ったらしくて乗船できるらしいのだ。ホッとしたらまたまた疲れが出てきたが ここで寝たら完璧にフェリーに乗れなくなる。急いで乗船手続きを済ませて愛車と一緒に船に乗る。
この船はフェリーとは名ばかりでかなり小さい部類だ。案の定八戸を出航直後から荒波に揉まれて前後左右に激しく揺れる。このまま沈没しても翌日の新聞には「やっぱり沈没!」と書かれても何の不思議も無い惨状だ。
津軽海峡の東を通過するあたりが1番激しく揺れ 生きた心地がしないし当然
寝られるハズもなく最高!の不快感を充分に味わっていた。
翌朝早く苫小牧に到着していた。初の北海道。どこか富士山の樹海に似ていてカラマツ林が続く 爽やかな風が渡り陽射しも柔らかくすがすがしい風景だ。しかし 朝陽がピンク色にユラユラ揺れている。ふぅ~寝不足~
苫小牧からは札幌までの移動だから焦る必要はないのだが身体がフラフラしていてチョット心配だ。早速 支笏湖へ向かう。緩やかな上り坂が続き1320m恵庭岳の頂が見え隠れし やがてその裾野に神秘の湖面が姿を現す。支笏湖だ。
深い原生林に囲まれ 自然の砦に守られた魅惑の湖で特に夏場に美しい景観を見せる。 周囲40km最大深度360m平均水深256m。秋田県の田沢湖に次ぐ日本で2番目の深度を誇る湖だ。その深さを感じ しばし「命の洗濯」。
さっきまでフラフラしていた軟弱な身体はいつしかシャキッとし自然の偉大さ
に打ちのめされていた。この空間総てを深呼吸とともに一気に吸い込むとなぜか例えようのない気力が みなぎってくるから不思議だ。
札幌に向けて銀輪を進める。陽の短さに緯度の違いを感じながら
札幌市と言えばテレビ塔に時計台にラーメンだ。ワクo(゜ー゜*o)(o*゜ー゜)oワク
時計台は中心部に位置しているのだが控え目にしているのでウッカリ通過してしまいそうだった。
日本で最初に建てられた2×4(ツーバイフォー)建築として語り継がれている。
一度でも建築を志した者なら興味を持つ独自の建築様式は明治初頭から札幌の人々に時を告げ続け この北の大地を見守ってきた歴史の生き証人でもある。
ちょうど外壁のラップサイディングが夕陽に乱反射する贅沢な時間帯に その雄姿に触れられて感銘を受け しばし時を忘れて見上げていた・・・・・
すこし肌寒く 少しだけ感傷的に そして 人恋しくさせる夏の1ページ。
翌朝 札幌中ノ島ユースを出て。旭川方面へ愛車とともに。
札幌郊外で北大ポプラ並木をチラ見した後 国道12号線を北東へ
この辺りから直線が続く。確か日本一の直線道路だと聞いていたが実際に見て
実際に走ってみると爽快そのもので鼻歌が自然に出る。 (*'ー'*)ふふっ♪
地平線の彼方まで抜けるように純粋な一筋の道が延びている。その両サイドに小さくアップダウンを繰り返しながら その一本道と並走している。まるで
まるで 大海原を行くフェリー船尾跡の波紋にも似ている。
所々にカラマツの高木が華麗にラインダンスをバッチリ決めていて拍手を送りたい気分。これでもかと言わんばかりの 終わりなきパノラマの世界。
使い古された言葉になるのだが まさに「北海道の風景」・・・・・
どれだけ 力を込めてペダリングしても風景は流れず 時間は一向に進まない自分自身が創世記のスローアニメの中にスッと入り込んだ感覚を覚える。
銀輪は遠目に感じていた山間部にゆっくりではあるが序々に入り込んでいく。両側に岩肌を露にした小高い山が見え始めたかと思うと 突然 目の前に奇跡の光景が展開されることになる。「層雲峡」だ。
天を突くほどの高さの岩盤が石狩川沿いの渓谷道から一気に垂直に立ち上がり その高さは言葉では表現できないほどだ。と同時にその柱状節理の垂直岩盤から落下する2本の滝が目に飛び込む。もう自分の視覚を疑うしかない。
幾重かの繊細な流れを身にまとい優美な容姿の「銀河の滝」別名 女滝。
一筋で太く短く力の限りに走り抜ける勇壮な姿「流星の滝」別名 男滝。
恐怖と背中合わせの感動に 身震いし 思わず息をのむ!
その奇跡は視覚から入り込み そして 人一倍弱い 俺の琴線に激しく触れる。
この2本の滝は「夫婦滝」とも呼ばれ 落差約120mもあるそうだ。
滝の落差から見て山頂の高さは?・・・想像もしたくない。
層雲峡は この他に「雲井の滝」「錦糸の滝」「ライマンの滝」「岩間の滝」などの滝が存在し次から次へと表情を変える。
この当時は垂直岩盤の真下を道路が走り 自転車でも走れたのだが落石事故が後を絶たないため 現在の国道はトンネルになっていて 道路から直接見られないようだ。
奇跡の層雲峡を通過すると どこまでも緩やかな上りが続く。大雪山系に向かっている証拠だ。大雪山系は2、290m級の旭岳をはじめとする総称で その連峰を越える国道39号線の難所が「石北峠」だ。峠の高さは1、050mもあり夏場でも雪が見られる別天地でもある。眼下にエゾマツの大樹海を従えて人の営みを寄せ付けない大自然の要塞でもある。
昨年からの峠越えで培ったランのお陰で一気に上りきる そして一気に迷わず下る。ここで長居すれば夏場でも冷凍人間になるからだ・・・σ(^_^;)アセアセ...
日本一の高さを誇り 真夏でも雪が見られる「石北峠」
上りの汗で体温が奪われる過酷な下りになったが なんとか留辺蕊町市街地に入り 国道沿いの「しぼりたて無殺菌牛乳」の看板を目にして早速ピットイン。
去年までなら有り得ない行動だ。やっぱ北海道に来たんなら牛乳だよなぁ~
その店先でビックリ。何と ペットとして「小熊」が飼われている!
こんなん有りかぁ?と思いつつもシャッターをきる。
店に入ると「牛乳飲み放題 150円」の張り紙に迷わず注文。真鍮製の色気のない巨大な「ヤカン」とコップが運ばれてきた。確かラグビー部が使っている3ℓ入りヤカンと同じだったと思う。急いで一杯目。「これが牛乳?」濃厚で甘みがあるがくどくない 絞りたてを冷やしただけで素材を最大限に生かした
ただの牛乳なのだが「メチャクチャうまいが~!」
続けて何杯も飲み続ける。ふと壁に目を移すと「飲み放題」の張り紙の隅に小さな文字で こう書いてあり 一瞬 凍りついた!
「牛乳飲み放題 150円 ただし飲み残し 500円 」
「やられたぁ!こんなに飲めんでしょ~普通?」後半は持久戦だ。('_'?)...ン?
「いゃぁ~陸上部で助かった 持久戦は得意中の得意だし」
何とかヤカンを空ッポにして見事俺の勝利だぜぃ (*^-゜)vィェィ♪
会計の時 店の人から 呆れ顔でこう言われた
「アンタぁヤカンごと全部飲んだ人ぉ初めてだよぉビックリだぁ」・・・と?
えっ・・・「じゃ飲み残しってヤカンじゃなくて もしかして コップかぁ?」
胃袋はメッチャ強いが頭がチョット弱い体育会系の俺でした
店の外では看板娘?の小熊が何回も丁寧な お辞儀をして俺を見送っている。
店先で普通に飼われている看板娘?の小熊君?
迷惑したのはランの相方君。身体が突然重たくなったのだから・・・
真夏のロードでは半日のランで体重が5k以上減少するのが常だが一気に3k近く増えてのランは経験した事もなく 違う意味での過酷なランになった。
その夜 留辺蕊ユースに入る。当然 食欲が無かったのは言うまでもないが。
翌日は国道242号線を足寄経由で南下し帯広市のユースで1泊。
ここでアツコに絵葉書を出している。確か こう書いた。
『 部活の合宿をやるならココ1番だよね OBが疲労で来ないから 』
ミ★(*^-゜)v Thanks!!★彡 ミ★(*^-゜)v Thanks!!★彡
十代にして俺のオヤジ度はすでに円熟の域に達していたようだ・・・(ノ_-;)ハア…
帯広から襟裳岬に向かう途中で その頃 大ブームになっていた「幸福駅」に立寄る。隣の駅が「愛国駅」だったから「愛の国→幸福」と響きが良く全国的
に有名になり歌まで発売され 新婚カップルの巡礼地的な位置付けだった。
雪国の足として欠かせない役割を担い続けていたこの駅も時代の流さに逆らえず現在は廃線の憂き目に遭い 駅舎だけが寂しく北の大地を見守り続けている。
記念に切符を買う。幸福駅で切符を買ったのだから「幸福駅→愛国」となってしまったが これがなかなかレア物だったりする。 (*'ー'*)ふふっ♪
まだ現役だった頃の幸福駅と切符 赤電話が郷愁を誘う
さらに日高山脈に沿って南下して襟裳岬に。
荒波に侵食された断崖絶壁と草原で牧草をはむ馬のコントラストが奇妙。
強風と日高昆布で名を馳せた全国区の「岬」だ。o((=゜ェ^=))o'' ♪
日本海流と千島海流が合流するこの海域は霧が発生しやすく日没近くに薄暗い濃霧の彼方で岩礁に激突し砕け散る荒波の地鳴りに似た轟音に寒気を覚える。
襟裳岬ユースで同じ高校の先輩ライダーと同室になり旅の情報交換。
久し振りに 大いに語った。ここ何日か会話といったら大自然相手だったし。その後 苫小牧のユースで1泊し懸念していた本州へ渡るフェリーの乗船券も無事に入手して 6日間滞在した自然の宝庫 北海道を後にし 海路を八戸へ。
八戸市内に入った頃 すでに陽は傾いていた。
今夜の宿は東北本線を青森方面へ2駅移動した牧場にあるユースだ。牧場気分を満喫したくて郊外で予約したのに 牧草は薄暮の中。
切符を買い急いで改札を通過 ホームに向かうと同時に 普通列車らしき車両が普段通りの日常の顔で入ってくる。
駅構内アナウンスで「ホームに 落ちた人が 死んでから 乗ってください」
とカン高い声で伝えている・・・は? ちょっと疲れが溜まって聴覚と思考が
混乱している「降りた人が済んでから」に違いない。いやそうじゃないと困る。
重い身体と頭を列車に運び車内を見渡すと座席が4人掛けのお見合いタイプだ。
「なんか~懐かしいなぁ」普段 乗ってる名鉄や名古屋の地下鉄にないからだ。
数分しないうちに向いの座席に おばさんが座ってきた。青森弁が聞きたくて
声を掛けてみた「青森行きですよね?」少し間を置き「ちげぅぞぉ」との回答。
大慌てで電車を降りて教えてもらった別のホームにダッシュで移動して何とか
向山駅に無事到着し駅前一面に広がってるはずの大草原を想像しながら夜道を独り寂しく歩き カワヨ牧場ユースに遅いチェックイン。
翌朝 朝露にしっとりとした爽やかな牧場の全容を目の当たりにし深く深呼吸。
少しだけ身体はリフレッシュしたものの 頭の中は旅の風景や風の色や陽射しの煌きが走馬灯のようにいつまでもいつまでも脳裏を駆け巡り 新たな情報が入り込む事を許さないメモリーオーバー状態なのだ。
毎年の事だが 旅も後半になると こんな感じ・・・(ノ_-;)ハア…
さらに記憶が曖昧で薄弱になってくる その後 盛岡ユース仙台赤門ユースに宿泊し仙台からフェリーで名古屋に帰っているのをユースの会員証に押してある宿泊スタンプから見て取れる。ただ帰りの盛岡ユースのジャンケン大会には あえて出場していない事だけは はっきり覚えている。σ(^_^;)アセアセ...
こうして17歳 高校3年の夏は静かに幕を閉じる・・・