トレスポってうぃうね
地下鉄がホームを通り過ぎていく際のトンネルの反響で昼寝から目を覚ました。赤と金の織物に頬を撫でられる夢、もしくは頬の方が織物のウェーブをなぞっていく夢だったかもしれない。あるいはその狭間の夢だったからこそ、自分にしては近年稀にみる心地のいい睡眠だったのかもしれない。だがすでにそんな些細な違いはどうでもよかった。夢は覚めて、大量の人の乗り降り、上り下りの動きをみていた。駅はとても長居するようなにはつくられていない。僕もその流れに従っていくうちに、改札からさっさと駅を出ていくことになった。
幸せって何だみたいな始まり方で、その候補をとにかく羅列していく感じだった気がする。家? 車? 結婚? 食洗器付きのキッチン? みたいな。男が走りながらナレーションがね。死ぬほど繰り返された批判というか、CMによる幸福の刷り込みというか、逆に僕はクリエイティビティが皆無だからああいうのは助かるんだ。マイクラを楽しめない人間で、原っぱに丸裸で降ろされたら何をしようとも思えない。『CMによってクリエイティビティが奪われている』とか言われたらそれは反論しようがないけれど、それはそれでいいのじゃないか。人間にとってクリエイティビティを発揮するってのは、それはかなり必死の形相なんだと思う。死ぬ間際とか、不安で仕方がないとかじゃないと少なくとも僕は動けない。
「それは人間の動機について消極的な面でしか観察できていない。」
どこからともなく声がして、その声にハッとさせられることがよくあった。ハッとする瞬間を3回連続で浴びたら死ぬ気がする。そういう意味でパズルゲームは危険だし、僕はパズルゲームを解きつづけるんだ。たまには答えをチラ見しながら。
『CMによってクリエイティビティが奪われている』
これは全然ハッとするやつじゃない。ある男は本当に人のよさそうな笑顔を浮かべていた。そしてその語彙を発するだけで精一杯という風だった。もたつく口を一生懸命に動かしながら、むりな早口によって相手の耳に負担をかけ、自分の発音を成立させてしまおうという魂胆だった。「おい。モンティパイソンテイイタイダケダロ。」問題の箇所を聞き直してみよう。
「モンティパイソンテイイタイダケダロ。」
最近モンティパイソンを見たばかりの学生と対峙しているときにしか笑うことのできない人間も、ごく少数とはいえたしかに存在するのだった。僕らはそういった人のことをなしに扱っちゃいけないし、反対にモンティパイソンへの敬意もなしにしてはいけない。それを心掛けることによって、両者の天秤は巨大化し、地球儀に似すぎな地球のうえで若干モンティパイソン側に傾いているという絶対の均衡を保って、太陽系に異彩を放っているのだった。この事実を世界の理という、宇宙誕生から経過した時間ごとに刻み付けられてきた分厚いレイヤーの最下層部分に敷いてみた結果、そのif世界ではアメリカの星条旗から星が3つ減り、プロゲーマーの平均寿命が3歳上がり、中流階級の寿司屋がごっそりなくなって人々の暮らしは寿司屋により二分されてしまう。このことはまだ案外知られていない。まだレントンが走っていた。きっと車に衝突し忘れている。彼はあのままずっと走って、きっと光速さえも自力だけで超えていくはずだ。そうだ最初からそうすればよかったんだ。