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雲の上のプレイボール

作者: 長尾衣里子

 かけだしのオリっこ(オリックス・バファローズのキッズファン)の早紀。

「兄ちゃん(推しのピッチャー)が沢村栄治賞をとれますように」

 絵馬に願いをこめる。とはいえ、ズブの野球素人。沢村栄治なる人物の予備知識はない。球場に流れるビジュアル映像から、うなる剛速球でメジャーリーガーたちを三振にしとめた球界レジェンドと想像。そんな早紀は偶然「波間に消えた沢村栄治」の見出しを目にする。ショッキングだった。

「引退後は理事や役員を歴任する愛すべきおじいちゃん。やさしく野球界を見守る晩年を勝手にイメージしとった。やのに、激戦地フィリピンへ向かう洋上で魚雷を受け、27歳の若さで戦死しとったなんて……」

 戦場からの帰還兵がユニフォーム着たみたい写真に、ぽろぽろと涙がでた。

 

 戦意高揚のための試合でも、民衆の唯一の楽しみだった野球。警報の最中でも、球場につめかける。

「何々様 軍務公用です。直ちに家に戻って下さい。」

 このアナウンスが放送されると、スタンドで拍手喝采。それが赤紙(召集令状)が来た報せだからという。戦争を知らぬ早紀にとって、この異様な時代の雰囲気はわからない世界だった。


 そんな暗黒期、不屈の精神で投げ続ける沢村投手。輝かしい業績をつみ上げる。三度のノーヒット・ノーラン。日本初のMVP。背番号14が巨人初の永久欠番に。


「どんな球でも一投、これすべて創造だと思います。この球は自分にとってはじめて投げる球だと思うと、なんともいえぬ感動がこみ上げ投球に熱が入りました」

「人に負けるな。どんな仕事をしても勝て。しかし、堂々とだ」

「芝生の上に立って白いボールを握ったときのうれしさは、死線を乗り越えてきたものだけにしか味わえない」

 成績のみならず、数々の名言も残した。


 平和な球場に流れる「プロ野球90年」のビジュアル映像。

「〽あきらめることなど できるはずないのさ……」*

 タケカワユキヒデ氏の歌声が、ひときわ優しい。


  一度目の出兵:手榴弾の遠投で肩を壊し、サイドスローで復帰。

  二度目の出兵:右肩が上がらずアンダースローに変えるも巨人軍を解雇。

  三度目の出兵:台湾海峡で魚雷を受け戦死。享年27歳。


 曲のフレーズが、死線をかいくぐってもなお*「〽あきらめることなど出来るはずない」*野球への思いを歌っているようだった。


 たぶん、沢村投手の戦死は避けられなかった。生き残って帰っても再び戦地へ。その繰り返し。バッテリーを組んだ吉原正喜捕手も、数々の名勝負で対戦の景浦将打者も、ライバル石丸進一投手も、幾度となく戦場に送られ、戦塵に散った。思えば大本営が、彼らの鍛え抜かれた体躯を召集しないはずはない。だが、どんな権威も野球魂は止められない。彼らはボールをハンカチのお手球、バットを木の枝、グローブを軍用手袋に変えても、野球にのめりこんだ。その日の命さえわからぬ戦場でボールを追いかける時、彼らは心から笑っていた。憎むべき敵は<鬼畜米英>じゃない。「私は戦争を敵のように思っています にくんでいます」と沢村投手の最後の手紙。彼らのプレイボールを雲の上でしか許さない戦争だった。 


 東京ドームの野球殿堂博物館に連れて行ってもらった。彼らを慰霊して、戦没野球人モニュメントには167人、鎮魂の碑には76人の名が刻まれていた。こんなに多くの野球選手が犠牲に……痛ましい時代の爪痕を知る。


 さらに、鎮魂の副碑で追いうち。

<追憶 弟進一は名古屋軍の投手。昭和十八年20勝し、東西対抗にも選ばれた。

 召集は十二月一日佐世保海兵団。十九年航空少尉。神風特別特攻隊、鹿屋神雷隊に配属された。

 二十年五月十一日正午出撃命令を受けた進一は、白球とグラブを手に戦友と投球。「よし、ストライク10本」そこで、ボールとグラブと〝敢闘゛と書いた鉢巻を友の手に託して機上の人になった。愛機はそのまま、南に敵艦を求めて飛び去った。

「野球がやれたことは幸福であった。忠と孝を貫いた一生であった。二十四歳で死んでも悔いはない。」ボールと共に届けられた遺書にはそうあった。真っ白いボールでキャッチボールをしている時、進一の胸の中には、生もなく死もなかった。>


 特攻前に最後のキャッチボール……兄ちゃんと同い年くらいのピッチャーが? 嗚咽がとまらなくなった。


 やるせない思いで大阪に帰る。兄ちゃんにファンレターをしたためた。

「野球は勝っても命を奪わず、負けても死なへん。兄ちゃんの勝負が命のやりとり(戦争)でなくてよかった。兄ちゃんは一生、ボールを離さんやろ。けど、手榴弾で遠投なんてありえんように。戦場でキャッチボールする日など来いへんように。それがウチの祈りや」

 この手紙………平和な世の中になにって変な顔される? けど、伝えずにはおられへん。

 球場に向かう人の流れに身をまかせ、千代崎の町を歩く早紀。見上げれば、茜雲の群れに波打つ大海原がダブる。波にのまれた伝説の沢村栄治投手が偲ばれた。

「沢村投手の野球人生は幸せやったか?」

 天をあおげば、雲の割れ目から鳴り響くホイッスル。その幻聴がプレイボールを告げる音に思えた。その瞬間、早紀の笑顔がはじける。

「愚問やったな。野球選手はどんな時でも、どんな場所でもボールを追わずにはおられへん。はよ、行かな。天と地でナイター球宴の同時開催がはじまるけん。」

 早紀の姿が、どよめく京セラドームに消えていった。どちらのゲームも手に汗握る熱戦になりそうだ。



歌詞引用

「ドンマイMYフレンド」作詞作曲:タケカワユキヒデ

JASRAC許諾第J250542016


参考文献

THE DIGEST 2020/08/15 「Slugger 波間に消えた沢村栄治」

戦争に翻弄された「101回目」の甲子園(NHK)

つれづれベースボール。2018/03/16「沢村栄治の凄さがわかる名言集!」

『プロ野球選手の戦争史』(山際康之 著/筑摩書房)

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