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あのひのだくだ


   ━━━━━━ からくままちへ 


赤い車体のディーゼル列車は警笛と共に、鋭い金属音をたてながらゆっくりと二両編成の車体を空久間駅のホームに停車させた。


ワンマンバスのような料金箱に切符と運賃を投げこむと、拓郎と正子はホームに降り立つ。


「暑いねぇ。まだ5月なのにね。」

正子は右手で陽射しを遮りながら、拓郎に笑いかけた。


聞いているのかいないのか、拓郎が静かに周りを見回すと野山に囲まれた田園に、まばらに民家がみえる。


「田舎だね……」

こぼしながら一際目立つ山に目を留めた。

「あれが空久間岳よ。てっぺんに刺さってるのが、たんくろの樹。空久間神社の御神木ね。御神木ってわかる?」

拓郎は少しムッとしてうなづく。

「小5にもなればわかるよ。それくらい。」

正子は、嬉しそうに笑う。


「あの下の神社が空久間様よ。お義兄さんの実家の神社。拓ちゃんのおじいちゃん達のお家、拓ちゃんは、これからあそこで暮らすの。」

そう言うと無人の改札を抜けて空久間岳の方に歩き出す。拓郎もそれに続く。


赤茶色の橋を渡り、川沿いの道を辿る。

「これが金田川、見田のおじいちゃん家の近くの見田川に続くのよ。」

見田のおじいちゃんの家は、拓郎の母と正子の実家である。

正子は母の妹で今は東京で暮らしてる。


拓郎の両親が亡くなった後、最初は自分の所で引き取ると言っていたのだが、夫との間に子供が3人、加えて義母と同居していて、さすがに無茶だと悟り、拓郎は父の実家の祖父母に引き取られる事になった。


「もうすぐ人幸祭だから、行ってみたかったらおじいちゃんに言っとくよ。」

川面の照り返しに目を細め、正子が言った。

見田の八幡宮の人幸祭は、その荒々しさから有名で、全国から人が集まる数少ないこの辺りのイベントでもあった。


拓郎は人混みが苦手だった。拓郎にはコンプレックスがある。彼の右目には白目が無い。厳密に言えば白目が黒く染っている。


それは、拓郎が小学校にあがる前日だった。

父の書斎の上に置き忘れられた高級万年筆を手に取ろうと、不安定な事務椅子によじ登り、ひっくり返った拍子に万年筆の先が拓郎の右目に刺さった。


幸い瞳孔を傷つける事はなく視力にも問題はなかったが、白目にインクが拡がり、それ以来拓郎の右目は真っ黒になった。人混みに出るとどうしても気にしてしまい、今だって眼帯をしながら歩いている。


「今年は、いいかな……」

川向こうの水田に目をやりながら、ボソリと答えた。

「そうね。まだそんな気になれないよね。ごめんね。」

ちょっと失敗したなと正子は思った。


消火用水の標識を右に曲がり道なりに進むと、石で出来た大きな鳥居が見えた。


鳥居の脇に古い大きな二階建ての日本家屋が建っていた。門扉は無く間口は直接道路に広がっている。二間間口の大きな横開きの玄関だが庇は大人が手を伸ばせば届きそうなくらいの高さだ。


鶴武と金文字で書かれた表札が架けられている。

拓郎の苗字と同じだ。


玄関横に明らかに後付けされたメタリックなインターホンがあった。正子がそれを押すと電子音が響いた。


ややあって、はいはいはいと言いながら少し年配の男が引戸を開いた。

「おーっ!正子ちゃんと…拓郎か!よぉ来たのぉ!」

拓郎の祖父、鶴武 誠司が元気に笑いかけた。



   ━━━━━━  へんなの



「せやけど正子ちゃんは変わらんねぇ。ずっと美人さんやね。」

鶴武の隣。分家にあたる城守家で拓郎の歓迎会と銘打たれた飲み会が催されていた。


城守家は3年前に立て替えたばかりで、酒好きの家長の政道のゴリ押しでふた間ブチ抜くと24畳の大広間になる宴会場が設えられていた。

足を運べる親戚筋が一同に会し、まだ陽の高い内からどんちゃん騒ぎをくりひろげてる。


東京暮しで滅多に寄り付かない正子は親戚中の男衆からモテモテである。

「もう完全に酔っ払ってんじゃん。」

主役である筈の拓郎は隅っこで肩身の狭い思いをしていた。


「拓ちゃん、いつから学校かようん?」

政道の長女、拓郎より3つ年上の百合が声をかけてきた。

「明日荷物が届くから、それから手続きして来週からだと思うけど……」

「びっくりしたやろ?いっつも皆んな集まって騒ぎようけんね。歓迎会とか集まる口実やもんね。」

百合が柔らかく笑う。拓郎は少し緊張が解けた気がした。


「あれやったらあっちで遊ばん?子供がおってもしょうがなかろうもん。」

誘われるがままに拓郎は居間の方に移動した。居間の掘りごたつの上で百合の弟の貴志と、近くに住む香菜が人生ゲームで遊んでいた。みな拓郎の又従兄姉にあたる。


「お、拓ちゃん久しぶり〜!」

又従兄姉達とは面識があった。一昨年の夏休み、東京のテーマパークへ彼等が遊びに来た時に拓郎の家に3泊程宿泊し、横浜の花火大会や夏祭りを一緒に楽しんだ。


「大変やったね。おいちゃん達、残念やったね。」

急に香菜が泣き出した。

「止めれや!お前が泣いても拓ちゃん困るだけやろが!」

貴志が香菜に怒鳴りつける。だが、そんな貴志も涙ぐんでいる。

「だって……可哀想やん、拓ちゃん可哀想やん……」

香菜はしゃくりあげながらも、涙を見せまいと顔を伏せた。


香菜は拓郎と同い年。貴志は1つ上である。

拓郎はこの又従兄姉達が好きだった。彼等は1度も拓郎の右目の事には触れたことがない。おじさん達に言い含められていたとしても、拓郎にはそれが嬉しかった。


「あんたら泣きよらんと、拓ちゃんも混ぜたんなさいや。」

百合に促されて拓郎も人生ゲームに加わった。


「で、始達ゃあ何で死んだんかの?」

酒もまわって正体を失い始めた者が出始めた頃、誰ともなしに言い出した。

少し縁遠い親戚筋にはまだ拓郎の両親、始と松子の死因は伝わっていなかった。


誠司も政道もしばらく黙ってはぐらかしていたが、あんまりしつこいので納まりがつかないと相談し皆に伝えることにした。


「隕石たい。」

思いがけない言葉にみな居住まいを正す。

「車で高速走っとったら、ボンネットに隕石が落ちてきたとよ。前に乗っとった始と松子さんが死んで、後ろに乗っとった拓郎は無事やった、奇跡たい。」


場がざわつき出すと思い出した者も出てくる。

「前にニュースで言いよったあれかい? 横浜の? 死んだもんの名前言うとらんかったけえ……」

「そうよ。拓ちゃんの前でこの話し絶対すんなや! 思い出さしたらいかんぞ!! 」

誠司が声を荒げると静寂が流れ、みな一様に項垂れた。


正子のすすり泣く声だけが微かに聞こえる……



「それじゃあね。おばちゃん見田に泊まるから。そのまま帰るけど大丈夫? 元気でね、たまに電話するのよ。」

酒臭い息をはきながら正子は拓郎を抱きしめた。正子が流した涙が拓郎の頬も濡らしていた。拓郎もそっと手を回し正子を抱きしめた。


拓郎達は城守の家の前で正子を見送った。政道が駅までのタクシーを手配してくれていた。


タクシーに乗り込むまで正子はずっと泣いていた。

別れ際に、これで必要なものを買いなさいと、3万円の入ったポチ袋を拓郎に渡すと、去りゆくタクシーから身を乗り出し手を振りながら小さくなって見えなくなった。


感謝と惜別の想いで拓郎の胸はいっぱいだった。

正子の去った先を見つめ佇む拓郎に、鶴武の宫乃ばあちゃんが風呂に入りよ、と促した。


鶴武の風呂は五右衛門風呂で、入り方の解らない拓郎は誠司と一緒に入ることになった。


まん丸のコンクリで固めた金属製の湯舟に木でできた内蓋が浮いている。

誠司は酔っ払ってるくせに上手くバランスを取りながら足で内蓋を沈めつつその上に乗り、肩まで浸かってみせた。


少し身体をずらして隙間を作ると、そこに拓郎に入るように言う。恐る恐る足から身を沈めると、思いのほか底は深かった。


鉄の湯船の内側は少しザラついていて触れた肌に心地よい。

気持ちよさそうに頬を緩めた拓郎を見て、誠司は腹の底から楽しそうに笑った。


次の日の朝、拓郎の荷物がトラックで運ばれて来た。

割り当てられた部屋は始が使っていた二階の角部屋だった。古い勉強机や本棚はそのまま使えた。

荷物といっても大した量もなく片付けは午前中で終わった。引っ越し荷物と一緒に届いた両親の骨壺は、鶴武家の仏壇に並べてもらった。

「お墓に納めるまでは、ここで拓郎を見守ってもらわんとの。」

誠司が少し寂し気に言った。


机の上には両親と行った横浜の遊園地で撮った写真を写真立てにしまい並べた。親子3人拓郎を包み込むように笑っている写真だ。


その前に、父の形見の万年筆と母の形見のオルゴールを並べる。

「お父さんの部屋、使わせてもらうね。」

そう呟くとオルゴールに両親の結婚指輪を入れて蓋を閉じた。


「片付け終わった〜?! 」

貴志が階下から声をかけてきた。

「うん、今終わった所。」

「ほしたら、この辺案内したるけえ、行こうや!」

「わかった! すぐ行く! 」


2人で神社のお参道と呼ばれる道を歩く。

薬局、肉屋、魚屋、雑貨屋、スーパーと、日用品は一通り揃えられそうだけれど、ゲームやマンガが欲しかったら大人に車で連れて行って貰わなければならないようだ。


次は路地裏の抜け道と、川に向かって飛び石を渡り、田んぼのあぜ道を歩いてみた。やはり都会の子供と田舎の子供、歩む速度は段違いだ。


最後に神社にやって来た。

大鳥居を潜ると左にグネりと曲がった坂道がある。ちゅうちゅう曲がりと呼ばれる坂は夜中に通ると幽霊がおぶさってくるから気をつけろと、言われた。


拓郎が、昼でも薄暗いその坂を純粋に怖いなと思って見つめていると、何かが動いて薮が揺れた。


「今の何? 」

貴志に尋ねると笑って答えた。

「大丈夫。お化けやないし。ダクダやろ。」


──ダクダ……方言で蛇かトカゲかな?

ビビっていると思われるのも嫌なので、フーンと聞き流すことにした。


神社の参道に戻り階段を登る。30段くらい登ると広場があって、ブランコやジャングルジムなどの遊具が設置されている。それを何度か繰り返すと、神社の社が見えた。


「ここが三ノ宮やね。だいたい同じくらい登ると二ノ宮があって、その先、空久間岳の頂上に本宮があるんよ。猿おるかもしれんけど行ってみる? 」

猿と聞いて拓郎は俄然興味が出てきた。野生の猿など見た事ない。最後に猿を見たのは野毛山動物園くらいである。


行こう行こうと、激しく同意し拓郎は貴志を促した。ふと横を見ると左に開けた道がある。

「この道は?」

「この先行ったら新地やね。香菜ん家や、五郎丸のおいさん家があるんよ。」

どうやらこの先には畑作農家が集まっているようだ。


2人はどんどん階段を登った。途中の踊り場も徐々に狭くなり三ノ宮から先には遊具は無く、代わりに参道に沿って桜の木が植えられていた。


やがて視界の先に池があり太鼓橋が架かっている。

「頑張れ、その先登ったら二ノ宮やからな。」

貴志に元気づけられ視線を上に向けると次の社が見えた。


三ノ宮より少しこじんまりとしていたが、板壁に彫られた装飾が細かく所々に着色もされている。どうやら神話を描いたもののようで、山を取り囲む無数の蛇に見つめられた1つ目の男神が開いた両手から天高く光をのばしているような絵だった。


凄く細かい絵なのだが惜しむらくは所々の色が剥げ落ち、劣化が進んでしまっていた。


「これは何の絵なの? 」

拓郎が貴志に尋ねると当たり前のように笑って答えた。

「ん、ここの神様とダクダ。」


また出たダクダ。

絵の中に描かれたそれは蛇と呼ぶには寸足らずで少し前に流行ったツチノコみたいな形をしている。


どうにも好奇心が抑えられなくなった拓郎は、貴志に聞いてみることにした。


「ダクダって何? 」

ちょっと不思議そうな顔をして貴志が答えた。

「ダクダはダクダよ。この辺いっぱいおる短い蛇みたいな形したやつ。神様の使いち呼ばれとるんよ。」


※ ※ ※


結局へばって本宮に行くのは諦めた。

陽が傾き始めた頃家へ帰ると宫乃ばあちゃんが夕飯の支度をしていた。今日の夕食はハンバーグだそうだ。拓郎に気を使ってくれているのかと思ったが、誠司じいちゃんの好物で週に1度はハンバーグを出しよるとの事だった。


そんなハンバーグ大好きの誠司じいちゃんは縁側に座ってタバコをふかし、植木鉢の菊を眺めていた。


「じいちゃん、ダクダって知ってる? 」

貴志の説明ではイマイチ要領を得ないので誠司ならば知ってるだろうと拓郎は訊いてみた。


「ダクダに会うたか?あれは神様の使いやけん、イジメたらいかんぞ。」

誠司の説明はこうだった……


ダクダというのは空久間神社の主神である権佐々様の使い魔で、空久間岳のたんくろの樹が見える場所には大抵いるのだそうだ。


ダクダは生き物のようで生き物でなく、食事も摂らずに物陰から空久間の町を見守っていて、その身体が傷を負うとたちまち姿が消えてしまうが、すぐに別の場所に無傷の状態で現れるらしい。


また戦国時代など空久間岳に山城が造られた時には、そこにいた兵士達がいたずらをすると、ダクダに飲まれて消えたそうだ。消えた兵士は、様々な場所にまるで湧いて出たかのように現れたそうで、なかには蝦夷や琉球で発見された者もいたらしい。


ダクダ自体の大きさはだいたい2〜30cmくらいだが、その体はゴムのように伸びて3m余りになる事もあるのだそうだ。


権佐々様の伝承では空久間岳に降臨された折、民が神として敬い奉る限りこの地を護ると約束されると、自らの目を1つ取り落とした。

それが地に這い、無数に分かれ、ダクダが産まれたとの逸話が本宮の文書に残っているとのこと。


この故事より堕ちた管ヘビと書いて堕管(ダクダ)と呼ばれるようになったらしい。


こうなると権佐々様の話も聞きたくなったが、夕飯が出来たと宫乃ばあちゃんに呼ばれたので、拓郎はまたの機会にした。



   ━━━━━━ もみくちゃ



翌日、午前中は祖父母と共に小学校へ転入の手続きもかねて挨拶へ行った。


先生方はとても良い人ばかりだったが、拓郎の右目の眼帯を不思議がっていた。

宫乃ばあちゃんが訳を説明し、右目を見せると、何時もの誰かの目をして見ていた。


家に帰り昼食にそばを食べると、貴志も香菜も学校なので、拓郎はひとりで本宮に行ってみることにした。


相変わらず階段はきつかったが、二ノ宮から見上げると頂上に本宮の屋根が見えた。


途中、昨日の誠司の話を思い出す。注意して周りを見てると、なるほど周りにコソコソと動くものがあるのがわかる。姿形は見えないが、結構な数だ。


蛇みたいに見えるが、毒は無いし、土地の者は襲われないとのことだけど、注意するに越したことはない。


汗だくになりながらも何とか本宮に辿り着いた。

ここだけ空気が違う気がする。ピンと張り詰めた中にも何か懐かしく優しい感じがした。


本宮はとても小さく二ノ宮より傷んでいた。

閉じられた拝殿の奥には御神体だろうか?

Sの字が4つ絡まったような、拓郎の手のひら程の金属が置かれていた。


その他には棚が幾つか並んでいるだけで、少し拍子抜けした。

境内の奥には岩肌から清水が絶え間なく湧き出している箇所があり、どうやらそれを手水にしているらしい。


恐る恐る舐めてみると、冷やりとして美味しい。拓郎は、手水で喉を潤すと御神木に近づいてみた。


近くで見上げると、本当に大きい。5階建てのビル程はありそうだ。立てられた高札を読むと、

《たんくろの樹》

とだけ書いてある。


なんという種類の樹かもわからない。ただひたすらの巨木をしばらく見上げていると、目の端で何かが動いた。


ダクダかなと思いながら振り返ると猿がいた。それも10匹近く。

先頭の身体の大きな奴が牙を剥いて威嚇してくる。


拓郎は恐怖をおぼえた。そういえば猿がいるって言ってた。すっかり忘れていたし、こんなに大きく恐ろしげな顔をしているとは思わなかった。


いまにも飛びかかって来ようとする猿の群れに気圧され涙を浮かべながら後ずさる。背中が御神木についた。逃げ場はない。あまりの恐怖に拓郎は目を固く閉じ、叫び声をあげた。

……

……


しばらく経っても猿は襲って来なかった。

ゆっくりと目を開くと、そこには異様な景色が広がっていた。


まるで気配も感じぬ内にどこからともなく現れたのか、猿と拓郎の間を、あたかも拓郎を護るような形で大量の黒く短い蛇のようなものが埋めつくしている。


猿はその迫力に敗けたのか、踵を返して物凄い速さで散り散りに逃げて行った。


「ダ……ダクダ……? 」

拓郎が呟くと、そいつらは一斉に振り向いた。寸詰りのビール瓶のような蛇達は拓郎をジッと見つめると、1番近くにいたそれの口が投網のように広がって拓郎を包み込んだ。


気づけば拓郎は黒い岩肌の洞窟の中にいた。岩肌に亀裂のように走った筋が青白く輝き、洞窟の中を照らしていた。


洞窟の中は体育館程の広さがあり、床だけが真っ黒だ。拓郎が1歩踏み出すと、床の黒が足を避け青白い光が漏れる。


── ダクダだ。床1面ダクダで埋め尽くされてる!

拓郎に恐怖が甦った。足が震える。

「何なんだよ、これ……」

泣き言と涙がこぼれた。


拓郎が身動き取れずにいると、床のダクダ達が2つに別れて道を作った。あたかも誘うように小波を立たせている。


意を決して歩き出すと、壁の窪みに行き当たった。窪みの中には3匹のダクダが並んでいて、それぞれの頭に白く星、月、丸の模様があり、彼等の個体は見分けがつきそうだ。


3匹はまんじりともせず拓郎を見ていた。

「僕を家に帰してよ。」

震える声で願う拓郎に答えるように、3匹の目が笑った。


星の模様が口を広げ、拓郎を包み込むと拓郎の姿が消えた。


次の瞬間、拓郎のすぐ目の前におかっぱ頭の女の子が立っていた。香菜だった。顔がくっつく程の距離でお互いしばらく呆けた後、夕焼け空より真っ赤な顔になった。



   ━━━━━━ おじゃまします



「お前そりゃあダクダが助けてくれたんよ。」

イワシの頭にかじりつきながら誠司が笑った。

「ちゃんと帰って来れたろもん。夕飯だって間に合うとるが。」

宫乃も追いかけて笑った。


「でもホントに怖かったんだよ。人は襲わないって言ったじゃん。」

「襲われとらんが。助けてもろたんぞ、それ。ダクダの口ん中は、なんぞ穴が開いとっての、そこに落ちたもんをどこでん好きなとこに飛ばしよるんよ。」

沢庵漬けを齧りながら誠司が言った。どうやら土地の民をそうやって助ける事もあるらしい。


「結局ダクダって何なの? 」

誠司は不敵な笑みを浮かべて答えた。

「言うたろ? 神様の使いたい。」


自室に戻ると拓郎はそのまま畳に寝転んだ。頭の後ろで腕を枕にして考える。

──こういう事は、ちゃんとお礼を言ったほうがいいのかな。

明日、神社で手を合わせようと思った。


そのままウトウトしかけた時勉強机の引き出しが動いた。ガタリガタリと音をたて激しく震えて中から押し開けようとしていた。


拓郎はとっさに跳ねのくと、部屋の隅で固まった。暫く震えた引き出しが弾けるように押し出されると、中に2匹のダクダが入っていた。


しばらくそれを見つめていた拓郎は頭の模様に気づいた。丸の模様と月の模様。本宮で出会った2匹だ。外に出られた喜びからか、2匹はたがいに身体を擦り付けながらじゃれあっている。


「君たちは……あの時の? 」

拓郎が声をかけると、2匹は嬉しそうに拓郎に飛びついて左右の頬に頬擦りをした。拓郎も少し笑った。



朝になってもまだダクダはいた。2匹並んで勉強机の上から拓郎をジッと見つめていた。傷を付ければ消えるそうだが、曲がりなりにも神の使いを傷付けて呪われたってバカらしい。それになんとなく可哀想だった。


特に害もなさそうなので放っておくことにした。幸い祖父母の前に姿を現すことも無く、隠れる人を判断しているあたりを見ていると知能があるようにも見えた。


朝食後眼帯を着け、散歩がてら通学路の確認に出かけると案の定付いてきた。身を隠すつもりがあるのかないのか。2匹じゃれつきながら草むらの中を付いてくる。


河原で休憩を取ると所構わず走り回り、虫を追ったりしながら飛び上がったり、手を差し出すと顎を擦り付け目を細めたりもする。こうしてみていると段々と愛らしくもなり、警戒心はすっかり無くなっていた。


部屋に戻るとそのはしゃぎっぷりに拍車がかかり、部屋中所狭しと追いかけっこに勤しみ出すので、流石に叱りつけると机の下で身を震わせ縮ませて、まん丸の瞳で2匹並んで拓郎の様子を見ている。


そうこうしている内に明日から学校となった。

「お前ら学校行ってる間は、ここで大人しくしてるんだぞ。」

そう言い聞かせてもまるで聞いていなさそうに2匹てんでに、身を捩ってる。特に月模様の方が酷く、机の上の消しゴムを飲み込んだり出したりして遊んでる。


いちいち月模様、丸柄と呼ぶのも面倒臭いので、名前を付けることにした。

「白い丸模様をしろまる、月模様がみかづき。これからそう呼ぶからね。」

指差しながらそう言うと、解っているのかいないのか、2匹のダクダは嬉しそうに目を細めてみせた。


──明日から学校だ。

不安と期待が拓郎の胸の中でクルクルと渦巻いていた。



   ━━━━━━ いってきます



晴れやかな朝だった。転校先の小学校に今日から通う事になる。拓郎は簡単に忘れ物はないか確認をし、眼帯を付けてから空久間小学校の校章入りの黄色いキャップを被った。しろまるとみかづきの2匹のダクダは相変わらずゴロゴロとじゃれあっている。


「行ってくるよ。」

声をかけると拓郎を見つめて口をパクパクしてくれた。行ってらっしゃい、という意味に拓郎は受け取り少し微笑んだ。


1階に降りると貴志が玄関で誠司と宮乃と話していた。

「おはよ拓ちゃん! 学校一緒に行こうや! 」

「ほい、早いせんと! 間に合うんか? 」

「歯はみがいたんかい? 」

拓郎に気がつくと3人は一斉に喋りかけた。こういう所は親戚っぽい。


「ちゃんと磨いたよ。お待たせ貴ちゃん。」

拓郎はまとめて返事をしながら土間口で靴を履く。カラカラと軽い音をさせながら玄関の引戸を開け1歩踏み出すと振り向きざまに、

「いってきます!」と、元気よく笑った。


抜け道を通り金田川の川辺をたどり、貴志と拓郎は学校へ向かった。陽射しは強くやや汗ばむくらいの陽気だ。

「貴ちゃんは、帽子被んなくていいの?」

青々とした坊主頭を撫でながら

「せやち、暑かろうもん。」と言って笑ってる。どうやら校則はさほど厳しくないらしい。


拓郎が転校する先は、太田川市立空久間小学校である。公立の小学校で生徒総数は50人に満たない。その為、2学年づつが同じ教室の3クラス程しかなく、5年生の拓郎は6年生の貴志と同じクラスになると、先日の面談で校長先生から聞かされていた。


校門を抜けると、鉄筋造の2階建て校舎が見える。左手に体育館もあり、その手前にはプールもある。拓郎の前の学校にはプールが無かった為、少しワクワクと気持ちが浮き立った。


数年前までは、石炭採掘の炭鉱がいくつか残っていて、生徒数もある程度は確保出来ていたので学校設備も整っていたのだが、炭鉱が閉じると一気に生徒数が減ってしまったようだ。


「ほしたらまた後でな!」

貴志は教室に向かったが、拓郎はまず職員室へ来るように言われていた。靴箱の場所もわからないので脱いだ靴を指先に引っ掛けながら、職員室の扉をノックした。


迎えてくれたのは校長先生だった。

職員室には7人程の人がいて、各学年の担任と校長先生で校長は教頭も兼任しているそうだ。


「横浜の野毛山小学校から来た鶴武 拓郎くんです。もうご存知とは思いますが空久間神社の鶴武さんのお孫さんです。」

そう簡単に紹介すると、校長先生は拓郎に挨拶するよう促した。


「は、はじめまして鶴武拓郎です。よろしくお願いします。」

たどたどしく挨拶をする拓郎を教師達は、暖かく迎え入れた。


「諸岡先生はおらんようだけど、どうしました?」

職員室を見回した校長先生が教師達に尋ねると、赤いジャージにホイッスルを首からぶら下げた、見るからに体育会系の若い男の先生が答えた。


「あん人いっつも朝は池の鯉に餌やりよるから、そっちやなかですかね。」

「きょうは朝こっちに来るようにゆうたんですが、まぁ、諸岡先生ですけねぇ。」

追従するように他の教師達も口々に漏らし始める。


「しょうがないですねえ。」

校長先生はため息混じりにつぶやくと、黄色いTシャツを着て長い髪を後ろでまとめた女の先生を手招きした。


「こちら門脇先生。君の担任になります。」

「はじめまして鶴武くん!5年生の担任の門脇 真矢です。子供たちからは、真矢ちゃんって呼ばれとるんよ。一緒に勉強ガンバろね!」

そう言うと笑顔で右手を差し出してきた。

拓郎がおずおずと手を差し出しながら、よろしくお願いしますと応えると、力強くその手を握り、大きく上下に振りながら嬉しそうにしていた。


次いで6年生の担任の中村先生を紹介された。歳は拓郎の父親と同じくらいで銀縁の眼鏡をかけてスーツを着たパッと見サラリーマン風だった。


中村先生は黙って拓郎を見つめていた。表情はどこか悲しげだった。なにか言いたそうに口をパクパクしているかと思うと、不意に拓郎を抱きしめ涙を流した。


「先生な!始とは……君のお父さんとは幼なじみやったとぞ。辛かったのう。始の代わりにゃなれんけど、なんでん言うてくれや。力になるけんの!」

震える声で絞り出された言葉が拓郎の心を不意に波立たせたが、また温かい気持ちにもさせた。


「ありがとうございます。」飾らない素直な言の葉が拓郎の口をついた。

職員室は静まり返り中村先生のすすり泣く声だけが微かに響いていたが、校長先生の「中村先生、えこひいきはダメですよ。」のひと言で笑いに包まれた。


教室は2階にあるそうで、門脇先生と一緒に向かった。途中、指先にぶら下げっ放しだった靴を靴箱にしまう。靴棚は6列並んでいたが、使われているのはそのひとつだけのようで、あとはドッヂボールや野球のミットなどが突っ込まれていた。



   ━━━━━━ くらすめいと



拓郎は朝の連絡事項を伝える間教室の扉の前で待たされた。

黒い板に白文字で5年生 6年生と二段に書かれた教室札が刺さっていて、その下の木札に担任 門脇真矢 5年生、中村昴 6年生、と書かれていた。中村先生の名前は昴というらしい。

教室の中の雰囲気は少しザワついていて、廊下の間のすりガラス越しにも視線を感じる。


拓郎も少し緊張してきたところに、

「きょうは転校生を紹介するけんね。入って来てください。」

と、声が聞こえた。


よし、と覚悟を決めて扉を開くと8つの顔が拓郎の方に向けられる。2つ知ってる顔がある。ニヤニヤ笑った坊主頭の貴志と、なぜだか顔を真っ赤にしているオカッパ頭の香菜である。


門脇先生の手招きで教壇に立つと自己紹介を促された。

「はじめまして鶴武拓郎といいます。横浜の学校から転校してきました。よろしくお願いします。」

拓郎は真っ赤になりながら頭を下げた。冷や汗が全身を包む。遅れて拍手にも包まれた。


バタバタと廊下の方から足音が響き教室の前で止まった。一拍置いて中村先生が凛々しい顔で入って来た。

前髪が濡れている。どうやら顔を洗ってきたらしいが眼は赤いままだ。

「中村先生、遅刻ですよ。」

いたずらっぽく門脇先生にからかわれると教室中で爆笑が起こった。


あたたかい出迎えは貴志のおかげだったようだ。細かい話をしなくてもクラス中が拓郎の事を知っていた。田舎のネットワークが良い方に働いていた。


「眼ぇはどうしたと? 」

休み時間に6年生の女の子が尋ねてきた。拓郎はどう答えたものだか困ってしまったが、体育の時には眼帯は外すように先日の面談で言われていたこともあって、どうせいつかはわかるからと、経緯を話して眼帯を取って見せた。


クラス中に散らばっていた貴志と香菜以外の面々が一斉に集まってきた。

すげぇすげぇと好奇の声をあげる男子や必要以上の共感力を見せてなぜだか泣き出す女子もいた。


「あだ名はタンクロやな。」

身体の大きな5年生の男子が命名した。たしか名前は二郎だったか、魚屋の山内の次男坊である。

彼が言うには片目が真っ黒の拓郎で、神社の御神木である“たんくろの樹“ にもかけてみたらしい。


あだ名は一瞬で定着した。皆が確かめるように口に出して繰り返している。嫌なら黙るせるぞと、貴志は言ってくれたが、さほど嫌でもなかったのでそのままにしておいた。


何より、拓郎が嫌だったのは右目を見る好奇の視線と腫物に触るような扱いで、あだ名がついた瞬間から彼等の興味は右目から離れて行ってしまったのが有難かった。



   ━━━━━━ ほかくしゃ



学校が終わって帰宅する。帰りは貴志と二郎と香菜と香菜の仲良しの光子と帰ることになった。

横浜はどんな所か、近くの動物園の話、海の話、前の学校で仲の良かった子はどんな子だったか、質問攻めにあいながら拓郎達は川辺の道を歩いた。


河原の方を見ると下校途中に寄り道をしている子たちがいた、ダクダ3匹を追いかけ回している。

「こら!ダクダいじめよったら呪われっぞ! 」

二郎が呼びかけると子供達は、

「遊んでやってるだけやもん!」と、言い返した。


「大人に見つかったら怒らるったい。」

知らぬ顔でもしておけと貴志は歩き出す。

少し進むと今度は赤いジャージに白衣を翻しながら網を振り回してる女の人がいた。


「げっ、ドクターモローじゃ。」

二郎が顔をしかめる。

「ドクターモローって何? 」

「保健室の先生で諸岡先生ゆうんやけどな、しょっちゅう研究や言うてダクダ捕まえよるんよ。変な奴たい。」

貴志も軽蔑のこもった顔で諸岡先生の動きを追っていた。


「先生!ダクダ捕まりましたかぁ?! 」

揶揄うように光子が声をかけたが、諸岡先生は一瞥もくれずに黙々と網を振るっている。


「やめときよ。」と、香菜に制された光子は、イタズラ顔で笑ってる。光子は香菜とは対照的に活発な子で長い髪をおさげに結った切長の目が鋭い子だった。


ほっといても良いのかなと拓郎は思ったが、二郎と貴志がいうには、ダクダは危なくなるとすぐ消えてしまうので問題はないが、町の人間にとっては神様をないがしろにされているようで気分は良くないのだそうだ。


それでも見て見ぬふりをするのは、諸岡先生が子供達から不気味がられ一線おかれていることの現れでもあった。


大鳥居の前でみんなと別れた。光子は香菜の家にこのまま遊びに行くと言って、2人で神社の参道を登って行った。一の宮の手前を左に進むと香菜の家のある新地に近い。


ちゅうちゅう曲がりと呼ばれる坂を登るともっと早く帰れるのだが、幽霊坂を好き好んで使う小学生女子はいない。



   ━━━━━━ ゆうぐれ



「やっぱり今年は猿が多いてイカンたい。」

家に帰ると誠司が神社の掃除を終えて一息ついていた所だった。帰宅した拓郎に気づくと誠司は、

「おー、おかえり。学校どうやった?」

と、笑いかけてきた。


ひとしきり学校であったことを話していると、お茶を持ってきた宮乃も加わりにこやかに拓郎の話に耳を傾けた。


「諸岡の娘は美人さんやけど何考えとるのかわからんからの。県から委託されて来とるみたいやけ簡単にクビにも出来んのやろな。」

誠司は苦々しく顔を歪めたがすぐに相好を崩し拓郎の頭を撫でた。

「ま、色んな人がおるけんな。気にせん事たい。」


部屋に戻った拓郎は学校の荷物を片付け、明日の準備をした。ランドセルの教科書を入れ替え筆箱の鉛筆を削る。


もはや当たり前のように居座っている2匹のダクダ、しろまるとみかづきは興味深そうにその様子を覗き込んでいた。ぐるぐると鉛筆削りのハンドルを回す拓郎の手元に併せて首をぐるぐる回している。


「今日は少し疲れちゃったよ。でもみんな良い奴みたいで良かった。変なアダ名はつけられちゃったけどね。」

最近はダクダ達に話しかけるのも拓郎にとっては普通の事になってしまった。


拓郎を見つめながらダクダ達は身をくねらせたり、小刻みに揺すったり話に応えるように反応してみせるようになった。

「散歩にでも行く? 」


1階へ降りて行くと宮乃と誠司がテレビをみていた。

「散歩に行ってくるよ。」と、声をかけるとテレビをみたまま誠司が答えた。

「暗くなる前に帰るんぞ。今日、城守でどんちゃんやるけぇそのままそっち行き。晩飯も城守で食べよ。」

「わかったよ。行ってきます。」そう言って外へ出かける拓郎の後をダクダ達は飛び跳ねながらついて行った。



   ━━━━━━ いんぼう



福岡県福岡市にある国立大学に隣接する形でその建物は存在していた。

国立福岡生物生命研究所──

厚生省の管轄機関であるこの研究所は、県内様々な生物の生態調査から人類の遺伝子解析まで多岐に及ぶ研究対象を取り扱っており、その研究成果は、国の様々な機関の更なる研究開発に役立てられていた。


この建物の最上階である14階にある大会議室に15人程の男達がまんじりともせず座っていた。それぞれが担当研究部門の責任者だった。

彼等の目の前にはそれぞれ分厚いファイルが配られており、食い入るようにそのファイルを読み込んでいた。


ファイルの表紙には赤く大きく極秘の押印があり、国立福岡生物生命研究所の文字とその下には、空久間町地域における未確認生物の生態調査報告、その下に1984年3月と、2ヶ月程前の日付と共に報告者名として諸岡京子 (外部研究員)と記されていた。


窓辺に立つ白髪頭の男の胸の名札には、梅のマークを象った福岡県章、それに続けて国立福岡生物生命研究所と緑色のロゴがあり、所長 大田良一郎と書かれていた。

大田良一郎は、窓越しに拡がる夜景の美しさに目を細め、ゆっくりと煙草をふかしながら全員がファイルを読み終えるのを待っている。


ひとしきり読み終えたのを確認すると大田は、上座にしつらえられた自分の席に座る。見回すと責任者達は皆一様に興奮した面持ちで大田を見つめていた。


「今年度の予算はスパコンの開発費用に回され、特に目立った成果も無かった我々のような研究部門は軒並み削減の憂き目をみている、これは、諸君らもご存知だと思う。それについて一過言ある者も少なくないだろう」

大田の言葉に皆が頷く。


「今読んで貰った報告書に関してだが、調査員を派遣し確認した所全て真実であるとの事だ」

場がざわつきだす。生え際の薄くなった男が挙手をした後汗を拭きながら語り出した。

「しかし所長、食事も摂らず水分も必要とせず睡眠の必要無く活動する生物などにわかには信じ難いのですが」

「それについても確認調査は済んでいる」

大田は煙草を灰皿で揉み消しながら答えた。


「いろいろ言いたい事もあると思う。しかしこのダクダと呼ばれる生物……いや、生物かどうかも怪しい存在が確認出来たことも確かなのだ」

「この報告書通りの現象がダクダによって起こせるのなら、そして我々の手で再現性が確立出来たなら、今後、予算の心配など無くなるだろう」

大田の鼻息が荒くなってきた。


「しかし、これによると……この……瞬間移動ですか? これによってダクダとやらは限定された地域から連れ出すことは不可能ではないですか? 」

口ひげの男が疑問を投げる。


「そう、その通り。そこで研究チームと捕獲チームを編成し、空久間町で大規模調査を敢行しようと思う」

大田は興奮気味にそう宣言した。



報告書には以下のような見出しがあった。


空久間町の風土と歴史。


空久間神社の伝承。主に主神である権佐々(ごんざざ)様と堕管(だくだ)に関するものと、その考察。


たんくろの樹に関する調査。その結果と推察。


ダクダの生態と捕獲後の生体実験概要と結果。及び生存条件とその範囲。


ダクダが危機的状況に陥った際にみせる瞬間移動としか考えられない現象の検証記録、及びその再現条件の検証記録。



   ━━━━━━ ゆうやけ



この時間散歩と言っても山か川しかない田舎暮らしは川沿い道の一択になる。夕暮れ待ちの山に入る勇気なぞ拓郎は持ち合わせていなかった。

裏道を抜け川沿いの堤防に出ると、中学校帰りの百合にバッタリ出会った。


「あら、拓ちゃんどうしたん? 」

学生カバンをぶら下げたセーラー服の百合はなんだか大人びて見えた。長い黒髪をそよがせながらアイスキャンデーを食べている。


「どっか行くん? 」微笑みながら百合が尋ねると、拓郎の頭にしろまるが飛び乗った。

「わあ、ダクダやない! 慣れとるねぇ。」

百合が目をまん丸にして驚くと、しろまるも真似をして目を大きく丸くしてみせた。

「かわいいね。こんな慣れとる子初めてみるわ。」


はしゃぐ百合の肩にみかづきがピョコンと乗っかる。百合は声をあげて笑いながらその場でクルクルと回ってみせた。



   ━━━━━━ いわかん



拓郎と百合は河原に座り込み、しろまるとみかづきがじゃれ合う様を眺めていた。時々川に落ちたりもするがダクダは水遊びが好きなようで、すぐにその場で飛び上がり、空中で回転するとまた水に飛び込んだりなどして遊んでいた。


「タンクロかぁ……そりゃ変なアダ名つけられたね。」

「二郎のやつすぐ人にアダ名つけよるんよ。私なんか昔肥えとったけえ、ブタとか言われたんよ。」

「ブタは酷いね。」

「やろ?せやけ1回思いっきりクラしたったらブタとか言わんくなったけど、今度はコングやて。」

「コング……」拓郎は思わず笑ってしまった。

「笑ろたらいかんよ。拓ちゃん。」

頬をプーっと膨らませた百合の目はわらっている。


「そうだ。百合姉ちゃん家で今夜どんちゃんするってじいちゃんが言ってたよ。」

出がけに誠司に言われた事を思い出した。

「またかいね。お父さん飲んでばっかやん。」

この辺では集まって酒を飲むことをどんちゃんという。城守家はその主だった会場になっていた。


「したらそろそろ帰ろうか。拓ちゃんもお腹空いたやろ。」

拓郎は頷き立ち上がるとしろまるとみかづきに「帰るよ!」と、声をかけた。

ダクダ達はすぐに足下に集合した。

「ホント。よう慣らしたねぇ。」

百合は心から感心した。慣らしたというか勝手に懐かれただけなんだけどと、拓郎は少しバツが悪かった。



少し空が薄暗くなり始めた頃。光子は香菜の家を後にした。新地の道を神社とは逆の方向に歩くと参道前に下る坂がある。そこを進むと参道沿いのスーパーたけやの角に出る。たけやの隣の診療所が光子の家だ。


「ただいま」と玄関を抜け、自分の部屋にランドセルを投げると、廊下の突き当たりにあるレントゲン準備室に向かう。


扉を開けると淡く青白い光に満たされた部屋の中の白衣の背中に声をかけた。

「ただいま、京子さん」

ゆっくり振り向いた諸岡京子が冷たい微笑みで応えた。

「おかえり、光子ちゃん」



   ━━━━━━ けいかく



拓郎と百合がダクダとじゃれ合いながら家路を辿っていると鶴武の家が見えてきた。明かりは消えて真っ暗だったが、それとは対照的に城守の家の縁側からは煌々とした明かりと人々の喧騒が辺り憚ることなく漏れだしていた。

百合は玄関前で小さく溜息をこぼすと拓郎と一緒に家に入った。


「おかえり!おう、なんか?拓郎と一緒か!」

すでに出来上がった政道がこっち来て飯食えと声をかけてきた。百合は着替えるからと二階の自室へ向かう。宴席の中に貴志を見つけた拓郎はその横に座った。


「姉ちゃんと遊びよったと?」

珍しい物を見るような顔で貴志が聞いてきた。

「散歩行ったら会ったから、一緒に川でダクダ見てたんだ。」

「ダクダとか珍しなかろうもん。」

「それがさ、なんかすっごく人懐っこいのが2匹いて、僕の部屋に住み着いてんだよ。」

「へぇ、今も居ると?」

貴志は肩越しに拓郎の周りをキョロキョロと探すが見当たらない。どうやらいつの間にか姿を隠してしまったらしい。

「今いないけど今度紹介するよ。」

拓郎は適当に取り皿を取って唐揚げに箸をつけた。


「お待たせしました〜。」

玄関で聞き覚えのある声がする。二郎が刺身をてんこ盛りに盛り付けられた大皿を抱えて、魚屋を営む父親と入って来た。


「食っとるか?タンクロ!」

我が家のように堂々と振る舞いながら二郎が宴席のテーブルに着く。

「あいあい、食ってる食ってる。」拓郎は、ぞんざいに答えた。

「父ちゃんの捌いた刺身は美味かろう!」

自分が作ったみたいに笑ってる。悪いやつじゃあないんだよなぁと、拓郎は少しあきれた。


※ ※ ※


「イチハチサンマル時予定地点に到着。送れ」

川向うの田んぼの先にある今は廃坑になってしまった石炭会社の広い空き地に数台の真白いトラックが入って来た。整然と列を成しコの字の形に停車して行く。その中央に電源車と大型のキャンピングカーが止まるとそれぞれの車輌から白い防護服を着た男達が降りて来て、訓練されたような動きで作業を始めた。


ほんの30分程でテント張りの建物が完成した。厚手の白いビニールで区切られた施設はアクリルで隔壁が設けられ、すでに消毒液の散布による無菌室化が進んでいた。


電源車から伸びた太いケーブルは、それぞれの車輌横のテント内にある配電盤へと繋がれ、そこから無数のケーブルが車輌の荷台に接続されていた。


敷地の周りには杭が立てられターポリン地の遮幕が張られ侵入者の立ち入りと視線を阻んでいた。

唯一入口とされた部分には、アコーデオン式の幅広の門扉が設けられ、その横に看板が番線で留められていた。


看板には、緊急防疫対策本部 関係者以外立入り禁止と、書かれていた。


施設の設営は夜を徹して行われるようだ。

城守家の宴は日付けが変わってもまだ続いている。

見下ろす “たんくろの樹 ”の枝で猿が遊ぶ。

空久間町の夜は更ける。



   ━━━━━━ ぜんちょう



5月の最後の月曜日は夏の暑さを孕んだ曇り空だった。空久間小学校の5、6年生の2時間目は体育の授業で男子生徒は廊下で着替えをすますと、下駄箱に脱いだ服を突っ込み半袖短パンの体操着姿で、それぞれの担任教師と着替え終わった女子達がやってくるのを校庭の真ん中でだらだらと待っていた。


「今日何すんだっけ?」校庭の土を集めて小山を作っている二郎に、明後日の方向を見ながら拓郎が尋ねた。

「先週バスケやったから続きやるんやないかの。」

1つ目の小山の頂上に指先程の小石を乗せながら応えて二郎は2つ目の小山を作り始めた。


昇降口の辺りに中村先生の姿が見えた。さすがに体育ではスーツではなく上下黒いジャージ姿だった。

「先生!決まっとるのお!オカメ屋のモデルさんごとあるたい!」

貴志ら6年生が一斉に冷やかす。


オカメ屋というのは国道沿いにある洋品店。作業着からスーツまで何でも揃う安売り店だ。今朝も新聞に広告が挟まっていた。


そんな嘲笑なぞ何処吹く風といった足取りで、中村先生はこっちに向かってキビキビと歩いてきた。

「今日の外体育は男子だけやからな。お前ら並んでラジオ体操やるぞ。」

そう言いながら手許の手帳をバンバン叩いた。


「なんで男子だけなんですか?」

拓郎がなんの気なしに尋ねると、先生は咳払いをしながら、「女子は身体測定の後、門脇先生と保健の勉強や。」と言って頭をかいた。


拓郎が不思議そうな顔をしてると二郎が足を突っついてくる。

「これたい、これ。」

にやけながら指さす先には、2つ並んで小石をのせた小山の下にXとYが縦に並べて書かれていた。

何かを察して顔を真っ赤にした拓郎を見て、クラスメイトは大声で笑った。

中村先生は笑いを堪えて変な顔になっていた。


結局、体育は地獄のサーキットと呼ばれるメニューを行うことになった。校庭の外周を走りながら、そこに並んだ雲梯と登り棒に半分埋まった古タイヤが並んだものを馬跳びで跳んで、鉄棒で逆上がりをした後走って戻ってきてゴールまでのタイムを競うというかなりキツ目なものであった。


田舎の学校の校庭は、通っていた横浜の小学校の2倍程広く、拓郎はこれを最後までバテずに完走出来たことがなかった。


「ほしたら背ぇの高い順に行こか。」

先生の掛け声でみんな背中合わせで背比べの総当たり戦を始める。最初は新地の蓮根農家の息子で6年生のヒロシと貴志になった。二郎は、俺の方が高いのにとブツブツ言いながら2番目に並ぶ。


男子生徒は5人しかいないので、1番小さな拓郎は最後にひとりで走ることになった。


「はじめるけど怪我すんなや。」

中村先生がよーいドンの掛け声と共に手を叩くと

ヒロシと貴志がすごい勢いでスタートを切った。

最初の雲梯に行くまでに貴志がドンドン差を広げてゆく。


貴ちゃんは足が速いなぁ。と、他人事と決め込んで拓郎は感心していた。

ヒロシが雲梯の真ん中辺りに来た時には、貴志は登り棒に登り始めていた。約5メートル先の天辺を目指し手足を上手にしゃくっている。


棒の天辺に手をかけた時、貴志の動きが止まった。

「城守!休まんとドンドン行かんか!」

中村先生に怒られても貴志は動かない。そればかりか手招きをしながら遠くを見つめている。

「先生!基地たい!基地が出来とるっ!」



   ━━━━━━ ききとりけんさ



2時間目が終わってすぐに校内放送があり、全校生徒は急遽体育館に集められた。何事かと浮き足だちながら列を作って並んだ子供達の囁き声の小波は、後ろの入口から入ってきた白い防護服の一団に視線を奪われると凪に変わった。


いつの間にか壇上に上がった校長先生がマイクのハウリングを抑えながら語り出した。

「皆さん、授業中に申し訳ありません。急遽集まって貰ったのは、先週空久間町に訪れた人達がダクダに触れた後、高熱を出して意識が戻らなくなっているそうです。悪い病気だといけないので、国の検査機関の方達に、皆さんが同じ病気にかかっていないか、お話しを聞かせてあげてください。」

そう言うと防護服の男達のひとりを壇上に招きあげた。


防護服の男達の中から、頭の禿げ上がった口ひげの中年男が壇上立つとクスクスと笑いが起こった。気持ちばかり残った前髪が子供達の笑いのツボを刺激したようだ。男は気にせず野太い声を響かせた。


「私は厚生省という所の緊急防疫対策本部から来ました 村木と言います。校長先生からのお話しにあったように、皆さんの住む空久間町で重大な病気が発生した可能性があります」


またぞろザワつき出す子供達には目もくれず、村木は手許の原稿を読みあげる。


「これから皆さんが病気にかかっていないか検査をさせていただいて、お話しを聞かせていただきたいと思います。同じ検査は、町の人全員に行います。皆さんのお家の人も今頃は公民館に集まって貰っていますので、検査が終わったら教室で給食を食べた後、そちらに移動していただきます」


村木による簡単な説明が終わると、体育館の演台前に並べられた机の前に、教室ごとに出席番号順に並ばされた。

5、6年生の列の先頭は香菜、拓郎は5番目だ。


「青山香菜さん!」名前を呼ばれて香菜が検査官の前の椅子に座る。

おずおずと歩み出した香菜は、防護服の検査官の前に座ると既に泣き出しかけた顔でクラスメイトの列に助けを求めるように振り返った。


両眼の瞼を代わる代わる開かれペンライトをあてて覗かれ、舌を出すように言われると長い綿棒のようなもので口の中をグルりと撫で回された。

その後いくつか質問をされ、その受け答えを紙に書き留められて香菜は解放された。


教室で待機するように言われて、逃げるように小走りでみんなの列に戻って来ると、光子を見つけて抱きつきながら涙を流していた。


「痛かったと?」光子が尋ねると、首を振って否定した。

「したら、なんで泣きよるかよ!」光子の後ろに並んだ貴志が笑いながらからかうと、光子が物凄い顔で睨みつけた。


「なにか泣くような事されたの?」列から顔だけ覗かせ拓郎が声をかけると香菜と視線が合った。 一瞬表情が緩んだような気もしたが、みるみる内に真っ赤になると、また光子の肩に顔を埋めて泣き始めた。


次々と順番は進み、検査が終わった子達への子供同士の事情聴取が検査待ちの列の其処此処で繰り広げられていた。主に、痛かった? 痛くない? が主たるたわいもないものであったが、「最近ダクダに触ったか聞かれた。」「ダクダを見かけたか?」など質問されているようだった。


列が崩れ始めたので、先生方から検査が終わった者は教室に戻って待っているように促された。

5・6年生で残っているのは拓郎と二郎と、駐在さんの娘で6年生の平山 沙織の3名だけになった。


女子ひとりになった沙織は、体育の時間に何していたかというセクハラ紛いの質問を二郎から延々とされていたが、眉間に怒りを滾らせながら無視を決め込んでいた。


拓郎はいたたまれなくなって、

「もうやめなよ二郎、しつこいよ。」と注意をすると、

「せやけど、オレ1番最後やん、暇やしくたびれたわ。」などと悪びれもせず答える。


「暇だからって、平山さん嫌がってんじゃん。」

「出た、じゃん。タンクロのじゃん。」

二郎の矛先が拓郎に向いたとき、沙織が不意に振り返り二郎の胸ぐらを掴んで、

「たいがいにしいよ。大人し待っとれんか? 5年生にもなって!」ドスの効いたいい声だった。沙織は体格も良く、二郎より頭半分ほど背が高い。大人と一緒に空手も習っている上、怒った顔も怖い。


「ごめんて、ごめん。」

二郎が頬をひきつらせながら謝ると沙織は投げ捨てるように手を離した。

拓郎が笑いを噛み殺していると、前の方から名前を呼ばれた。拓郎の番がやって来た。

不意にバン!と背中を叩かれる。振り向くと沙織がウインクからのサムズアップで笑っていた。行ってこいというメッセージだと拓郎は受け取り、愛想笑いを浮かべた。


白い防護服の検査官の前に座ると名前を聞かれ、一通りの検査をされた。

「体調におかしな所はないかい?」別段変わった所もないので、拓郎は、ありません。と答える。

それでも検査官は興味深そうに拓郎の右眼をライトで照らしながら、何で目の玉が真っ黒なのか根掘り葉掘り尋ね、拓郎が嫌いな笑顔を浮かべていた。

「最近ダクダに触ったりした?」

「今朝、触りました。」とりあえず正直に答えると、検査官の目の色が変わった。


「何処で触った?」

手許の検査用紙に書き込みながら目線は拓郎を捉えたまま検査官が尋ねる。

「え……と……僕の部屋です。」どう答えれば良いか、探るように検査官を見つめ返す。

「部屋?自分の?ダクダが部屋にいたのかい?」

色めき立ちながら質問を重ねられる。

「いや、いたというか…… 2匹がずっと部屋に居着いています。」

「君の部屋に?いつから?!」

「ひと月前くらいから、出たり消えたりしてます。」


結局、悪い病気を持ってる可能性があるからと言われ、しろまる と みかづき について知っていることは全部話してしまったが、ダクダの巣に入ったことは何となく話せないまま、「検査結果と、また話を聞かせてもらう必要があったら連絡します」と告げられ、拓郎は解放された。


「長かったのう。」

教室に向かう途中二郎に話しかけられたが、肩をすくめてみせて横を通り過ぎた。



   ━━━━━━ ほけんしつ



ピンク色のカーテンがひかれた薄暗い保健室の中には、諸岡先生と光子がいた。

諸岡先生の許には、白い防護服の男達が入れ替わり立ち替わり忙しげに検診の聞き取り結果を運んで来ていた。ダクダと接触があった人、そうでない人により分けられたそれを、諸岡先生が薄笑いを浮かべながら目を通し、更にグループ分けして選別してゆく。

その様子をパイプ椅子に跨って座りながら、興味無さそうに光子は眺めていた。


「あなた教室に戻らなくて良いの?」

諸岡先生は、書面から目を外すこと無く光子に尋ねた。

「給食までに戻ればいいんよ。それより京子さん。ダクダに会ったか聞かれたけんが、京子さんに言われたごと知らんち言うたけど良かったん?」

「いいわよそれで。兄さんの名前は残らないようにするって約束で病院の設備使わせて貰ってるからね」

「パパ言うてたよぉ、ダクダの ”にんじんそかい” ってのに非常に興味があるって。研究混ぜてやったら?」

「”認識阻害” ね。そういう好奇心の強い所、婿養子に行っても諸岡の人間よね。ダメよ!これは私の研究なんだから…って…! 見つけた!」

気もそぞろに会話を繋いでいた諸岡京子が急に声を荒げた。

「なになに?どしたん?」目をギラギラと輝かせながら光子は、身を乗り出した。


「月と太陽。多分間違いないわ!光子、あんたのクラスよね?この鶴武 拓郎って子?」

諸岡京子の微笑みに狂気が浮かんでいた。

光子は嬉しそうに弾けんばかりの笑顔で頷いた。


   ━━━━━━ こうみんかん




教室で給食を食べ終わり、中村先生と門脇先生に連れられてクラス全員で学校から公民館へ移動した。公民館の中は町の自治会ごとに割り振られたスペースに分けられていたので、

そこで解散となった生徒達は、自宅のある自治会のスペースへ移動した。


すでに鶴武や城守の家は全員集まっており、配られた缶のお茶を飲んだりお菓子をつまんだりしながら、何が起こっているのか、情報の交換をしていた。


「あれ?父ちゃんと姉ちゃんは?」

貴志が辺りを見回しながらハルおばちゃんに尋ねた。

「だいぶ前に検査言うて呼び出されたけどね。父ちゃんは、煙草吸いに喫煙所たい、外にあるんやと。」

ハルおばちゃんは、貴志と百合の母親で政道の妻である。少しふっくらとしているが、色々と気が付き、まめまめしく動くと宮乃がよく褒めていた。


「百合ちゃん、ダクダに触ったとかで再検査で呼ばれたんよ。」

ハルおばちゃんは少し心配そうにしている。

あの時の事を話したのかなと、拓郎は思い返した。確かに しろまる が百合の頭の上に乗ったりして遊んでいた。


拓郎は、貴志に身体を近づけながら、耳元で囁いた。

「百合姉ちゃんが触ったダクダって、この間話した僕の部屋にいるダクダの事だと思うんだけど。」

不安そうな拓郎を見ると貴志は少し考えてから、あっと、思いだした! と笑って言った。

「そういや言うとったね、ほしたら、拓ちゃんも呼ばれるんやないと? 心配せんでもええんやない? ダクダとかしょっちゅう人ん家入り込んでゴロゴロしようけぇ。」


貴志の屈託の無い笑顔を見ると拓郎は心が落ち着く。1つ年上のこの又従兄弟は、本人に励ますつもりもなく、時折拓郎の気持ちを支えてくれる。今も、自分のせいで百合に迷惑をかけているんじゃないかと少し沈みかけていた気持ちが救われた。


「ねぇ、なんかおかしない?」

急に後ろから声がして振り返ると、百合が怪訝そうな顔で立っていた。

「お菓子やったら、せんべいとか貰ろとるよ。」

貴志が床に置かれた紙皿から海苔せんべいを1枚取って百合に差し出した。それを黙って受け取りながら、「せやのうて、病気出た人って熱出たんやろ? せやけど全然熱とか計られんのやけど、これ本当に疫病とか出とるん?」と、誰に聞くともなしに海苔せんべいを齧りながら問いかけてる。


「あら、お帰りぃ。」ハルおばちゃんが間延びした声で百合を迎えた。

「お父さんどこ行ったん?」その場の面子を見渡しながら百合は言ったが、「また、煙草かね。」と、ひとりで解答を導き出した。正解である。


そうこうしていると人混みの向こうから、煙草のピース缶を抱えて政道が戻って来た。

「どうしたんかい?それ。」ハルおばちゃんがピース缶を指さしながら呆れ顔で尋ねる。


「急に集まれ言われたけの、煙草持ってくるの忘れたったい。売店見たら缶でしか売りよらんかったわ。」

ピース缶の蓋をパンパン叩きながら笑ってる。


「それよりよ、あの急に出来たテントの所、なんぞ鉄塔みたいなん建てとるぞ。なんする気かの?」

政道が不思議そうな顔で言うと、百合も、「ねぇ、なんかおかしいよねぇ!」と乗っかって来た。


「やろ!秘密基地ばい! 基地作りようとたい!」

貴志の顔は輝きに満ちている。

「なんか、気持ち悪ぃのう。何もないとええんじゃけどの。」

そう呟いた誠司の瞳は暗かった。



   ━━━━━━ てすらこいる



緊急防疫対策本部には、資材、機材を積んだカーキ色の自衛隊のトラックが次々と出入りし、辺り一面には組立設置の為と思われる作業音が響いていた。

電話会社や、電力会社の工事作業員も、施設を囲んだ白い幕の外に据えられたプレハブ小屋の中の接続ターミナルに結線だけさせられ、中を窺う事もなく追い返された。


立ち会った民間のインフラ設備の作業員は、全てこの調子で外側からの接続作業のみで中に立入る事は許されず、尋常な事態ではないと肌で感じていた。


村木は小学校から戻って来るとスーツに着替え、コーヒーで喉を潤すと、組立中の鉄塔の視察に臨んだ。鉄塔の高さは約15メートル程で、福岡市の国立大学の研究機関から緊急徴収の名目で借り受けて来た大型のテスラコイルを天辺部分に取り付ける予定だ。


テスラコイルとは、電流を流した際、出力機器側に発生する共振現象を利用した、高周波と高電圧の発生装置である。これを使って発生させた特定の共振周波数をダクダが受けると、あたかも返事を返すかのように一定の周波数の低周波を発生させる事は、諸岡の研究報告で証明されており、小型のテスラコイルを用いた再現実験も事前に済ませている。


これは言うなれば潜水艦のソナーのようなもので、完成すればダクダが何処に何匹いるか手に取るように判るのである。


「あとどれ位で完成する?」

村木は、作業にあたっている技術者に、陽射しの眩しさに目を細めながら鉄塔を見上げて尋ねた。


「この後クレーンでテスラコイルを据えつけますので、2時間後に試験運転を行う予定です」

作業員は、手を止めることなく答える。

「しっかり頼むぞ」

村木は満足そうに笑った。



   ━━━━━━ こくはく



公民館では町長から今後の行動について説明が行われた。様々な疑問や質問の声が町民達から上がったが、その殆どは調査中につき解らないというもので、結局しばらく家の中で大人しくしているようにという注意だけで、全員帰宅を許された。

政道などはブリブリと顔を真っ赤にして怒っていた。貴志と二郎はそれを見て面白がり。百合は恥ずかしそうに俯いていた。


帰路では他の自治会とも合流し、情報の交換をしながら帰った。町の人間で発症した者は今の所誰もおらず、診療所にも薬を貰いに年寄りが何人か来ていたくらいで町の様子に変わったところはないようだ。


ひとつ変わった点をいえば、どうやら駅前にマスコミが来ていて防疫対策本部の人達に追い返されていたらしい。


そもそも町の人達にとってダクダは権佐々様の使いであり、町の守り神でもある。今だってその辺の草むらの中にぴょこぴょこ動く姿が見える。

町の人々は幼い頃よりダクダと接してきていて、彼等が無害である事は経験則から知っていた。


先週他所から来た人間が熱を出して意識不明と言われてもピンと来ないし、ともすればダクダに悪さをして祟られたのではないかと、噂を始める者も少なくなかった。


ただ、この地に暮らし始めて日の浅い拓郎だけは違った。ダクダが部屋に居着く事を自分が許したせいで、まだ60代手前とは言え、身体に気を遣い始める年頃の祖父母に何かあったらと、不安に押し潰されそうになり、せめて誠司にはあのダクダの事を伝えようと決心した。


「爺ちゃん、あのね……」

前を歩く誠司を引き留め拓郎はダクダ達の事を打ち明けた。

全ての話を聞き終えた誠司の反応は拓郎の予想とは全然違った。

怒られるかと覚悟していたのだが、誠司の関心は しろまる と みかづき の事ばかりに執着した。


何時から? どうやって? 何処で? ─

誠司からの矢継ぎ早な質問にしどろもどろになりながらも拓郎は誠司に語っていなかった事も含め、今迄のダクダとの経緯を洗いざらいを話した。


たんくろの樹の前で猿に襲われダクダに助けられ、不思議な洞窟に連れていかれた時、3匹の他とはどこか違うダクダに出会っていた事。その夜、机の引出しから しろまる と みかづき が現れた事。彼等が居着いてしまうのを不思議な愛着から許してしまった事。そして、彼等がまだ多分部屋にいる事。


話して行くうちに誠司の様子がおかしい事に気づいた人達が集まり出して、川沿の道に人だかりが出来ていた。


拓郎の語りに耳を傾けていた人々は、皆一様に驚きの表情を浮かべたが、同時に歓びも伝わってきた。


話を聞き終えると、誠司は拓郎の頭を撫でながらゆっくりと優しい口調で話し出した。


「よう話してくれたの。お前が会ったんは神様ぞ。星の印があるとが権佐々様たい。ほして、お前の部屋に居るとが、その御使い様ぞ。」

誠司の声は喜びに震えていた。


「わしゃあ、てっきりその辺のダクダに助けられたんかとばかり思っとったぞ。神社の古い本に書いとるったい。照日〈ショウジツ〉様と明月〈ミョウゲツ〉様ち書かれとる。」

そう言うと誠司は目に涙を浮かべながら、満面の笑顔で拓郎を抱きしめた。


「お前は神様に愛されたんぞ。禰宜頭〈ネギガシラ 〉に選ばれたんぞ。拓郎、ダクダを大事にせい。」

抱きしめる腕に力がこもっていたが、不思議と痛くはなかった。


「おじいちゃん、禰宜頭って何? 」

不思議そうな顔で問いかける拓郎の頭を撫でながら誠司は愛おしそうに微笑んだ。

「禰宜頭ちゅうのはの、権佐々様の洞に招かれたもんの事を言うったい。そこに招かれたんは、何時か権佐々様からご神託を賜わるんぞ。」


そこまで言うと不意に真面目な顔になり、「神様の遣いに選ばれたっちゅうこっちゃけぇ、権佐々様から呼ばれた時は、話ばよう聞いて、ワシら里のもん全員に伝えにゃいかんぞ。禰宜頭ちゅうんは責任重大やからな。何時呼ばれても良いように、シャンとしとかなイカンぞ。」


両肩を誠司に叩かれ、拓郎は大変な役割を与えられた事を理解し、唇を噛み締めてうなづいた。


「タンクロじゃのうてネギ坊主になるんかいね? 」

揶揄う二郎の頭に山内のおじさんがゲンコツを落とした。

その場が笑いで包まれた。



   ━━━━━━ ほうもんしゃ



「しかし、禰宜頭なんぞ何百年振りになるとか?」

「たしか江戸の前やから四百年以上前やなかか?」

「めでたいのう。ほな、うちらはこっちやけぇ。」

皆で口々に喜び合いながら、それぞれの家に帰って行く。消火用水の標識を曲がった辺りで政道が提案した。

「したら、今夜は家でどんちゃんやろか?」

山内のおじさんが従う。

「そりゃ助かるわぁ、今日はもう商売ならんけぇ仕入れたもんみな煮付けにせんにゃいかんとこやったわ! 拓ちゃん様々じゃの。舟盛りと天ぷらと… あとなんか惣菜でええか?」

「学校もしばらく休みやしね。」

二郎が口を挟む。

「アホか、自宅待機やからの。ちゃんと勉強するんぞ!」

案の定おじさんに怒られた。


「応っ! ほな声かけとくけぇ、5時頃来いや。」政道が胸を叩く。城守家の面々は皆で肩をすくめて笑って見せた。


二郎達と別れ神社の鳥居が見えて来ると、その前に見慣れない銀色の軽自動車が止まっていた。

宮乃が拓郎の背中をポンと叩いた。

「あれ、伸郎さんの車やないかね? 拓ちゃん。見田のおじいちゃんたい。」


こちらに気づいたのか、運転席から年配の男がひとり降りてきて手を振っていた。白髪頭に細身の体躯、苦みばしった顔立ちに笑みを浮かべている。見た目は一見クリント・イーストウッドのようだが、残念ながらやたらと背が小さく160cmは確実になさそうだ。


「ご無沙汰しとります。よう来られましたな。」誠司が挨拶をすると、車の中から磁石式のメモボードを取り出し、

── 検問あったが この家の者だ言うたら通れた

と、書いて見せた。


見田のじいちゃんは、5年ほど前に喉頭癌の手術をした際に声帯を失ってしまい、人工声帯を使わなければ話すことが出来ず、話したとしても慣れた人間以外にはかなり聴き取り辛いため、メモボードで筆談する事が多かった。


── 二本杉のあたり 入れてもらえん テレビの車でいっぱい

と、誠司に書いて伝えた。

「もうそんなおおごとになっとるんですか?」誠司が驚くと胸ポケットから取り出した人工声帯を喉に当て、「え”ぬ”え”ち”けーでや”ってる”。」と、教えてくれた。

そして拓郎を手招きすると抱き寄せ、耳許で多分、大丈夫だったかと言ってくれたように思えた。


不意に家の中で電話がなっているのが聞こえた。

宮乃が慌てて鍵を開け、玄関脇の電話に出ると、正子おばさんだった。宮乃はしばらく会話を交わすと拓郎を呼び、電話を代わった。


「拓ちゃん、大丈夫? テレビでそっちで変な病気が出て町が閉鎖されてるとかやってるけど、ダクダに触ったりしてない? 絶対触っちゃダメだからね!」一気に正子が捲し立ててくる。


「うん、大丈夫。なんかね、おかしいんだよ。町の人は誰も病気になってないのに、1週間前に他所から来た人が、ダクダに触って目が覚めないんだって、みんなはイタズラして祟られたんだとか言って笑ってる。」

落ち着いて何事も無いように語る拓郎の声を聞いて、正子も安心したようだ。


「良かったぁ、大丈夫そうで安心した。そうだ、見田のおじいちゃんが後で行くって言ってたよ。凄く心配してたから安心させてあげてね。」

「見田のおじいちゃんならもう来てるよ。」

少し離れた所で見田のおじいちゃんが指でブイサイン作っている。

「……父ちゃん、どんだけ飛ばしよんよ…」

呆れた正子は、方言丸出しになった。



   ━━━━━━ さくせんかいし



極太の電気ケーブルが唸るような振動を発していた。鉄塔の最上部に据え付けられたテスラコイルは、そのドーナツ状のコイルから稲光のような光線を発している。


緊急防疫対策本部の作戦室の大型モニターには、鈍い光を発した走査線がゆっくりと上下に流れていた。モニター正面には縮尺を合わせた空久間町の地図が描かれた透明のセルシートが貼られている。


村木は少し緊張しながら、作戦開始の合図をだした。

オペレーターは復唱し、操作盤のスイッチを次々と入れて行く。


最後に一際大きな赤いスイッチを押し込むと、作戦室の灯りが一瞬暗くなり、モニターに幾つもの光点が示された。


「成功だわ」

諸岡京子がひとりごちた。

モニター上の光点は空久間町全域に点在しており、幾つもの反応が重なった結果なのか、 たんくろの樹 のある場所に巨大な円を示していた。


「これは何だ…… ?」村木の額に冷や汗が滲む。

諸岡京子は冷たく微笑みながら言った。

「ここがダクダの巣…… そしてここが……」

鶴武家に点ったふたつの光点を赤いマーカーで囲みながら目を見開く。

……

「第1目標」



   ━━━━━━ かくさん



拓郎が部屋に戻ると しろまる と みかづき がすぐに気づいて寄ってきた。一瞬身構えてしまったが、ダクダが病気を運んでいるのなら自分などとっくに罹っているだろうなと思うと身体の力が抜けた。


ランドセルを床に置くとそのまま胡座をかいて座り込む。待っていましたとばかりに、しろまる と みかづき が足に飛び乗ってきた。


「お前が照日、お前が明月。」呟きながら交互に頭を撫でてみる。2匹とも嬉しそうに目を細めて身をよじっている。

「ピンと来ないね。」

拓郎は2匹を抱きしめて頬擦りをしながら床に寝転んだ。


変化が起こり始めたのは正子からの電話を切って少ししてからだった、空久間町に住む世帯の電話が一斉に鳴り始めたのだ。どうやら電話帳やハローダイヤルで調べたマスコミ各社が空久間町の住民に対し無差別にコメントを取ろうと躍起になっているようだった。


交通封鎖は依然続いていて、一見してそれと判るような中継車は、空久間町へ立ち入る事が出来ない。


テレビでは全国ネットのワイドショーがこぞって特番を組み、ダクダという不思議な生物について出来る限り詳細な解説を試み、民俗学者や生物学者、果てはオカルトライターや霊媒師までコメンテーターとして起用し、それぞれが好き勝手な事を話していたが、疫病を発症したという人物については何も語られることは無かった。


鶴武や城守の家でも電話がひっきりなしに鳴り続けていた。最初の内こそ丁寧に対応し、コメントを断り続けていたが、キリが無いのでそのうち受話器を外したままにしてしまった。


どこの家でもこのような状態の為、どんちゃん目当てというより取材攻勢から逃げる為に、城守の家には予定より早目に人が集まりだした。午後4時を過ぎた頃には、予定していた人数の3分の2が集まったので乾き物をツマミに酒盛りが始まっていた。


「山内さんに早目に持ってきて貰うように言うた方がええかねぇ?」ハルがツマミの減りを気にしながら政道に尋ねたが、「勝手に早よ来とるんやけええよ、急かしたら山内が可哀想たい。」と、特に気にするふうでもなく煙草をふかしていた。


しばらくすると珍しく香菜も両親とやって来た。青山夫妻は、共働きで小倉の方まで勤めに出ているが、今日は空久間の住民だということで強制的に帰宅させられたそうだ。


香菜の父親とハルおばちゃんは従兄弟同士で、空久間の人間にしては物腰も柔らかく、よく政道に気取ってるとからかわれている。


子供がやって来たので、2階でテレビを観ていた百合と貴志も降りてくるように命じられ、子供達用に設えたテーブルにやって来た。


「青山のおじさん久しぶりやん。」貴志が香菜に声をかけると、うん。と小さく呟きながら、「拓ちゃんまだ来とらんと?」と、室内を見渡している。

「なんよ、拓ちゃんおらんと寂しかと?」

恋に恋する女子中学生、百合が隣に座りオレンジジュースを注いであげながら香菜をからかいだした。


「そういや拓ちゃんと青山のおじさん雰囲気似とるもんね。女の子は父親に似た人好きになるゆうけぇ。」

「そんなん無いち思うけど……」

香菜が真っ赤になって俯く。

「ほしたら姉ちゃん、父ちゃんみたいなんタイプなんか?」貴志がチャチャを入れる。

「バカ言いな!」今度は、別の意味で百合が真っ赤になって怒り出した。


「姉弟喧嘩はやめとき〜」突然現れた光子が香菜と百合の間に身をねじ込みながら笑って言った。

「あら、光子ちゃんひとり?」百合が何事もなかったかのように尋ねる。

「ううん、お父さんと来たん。あと沙織ちゃん達も」診療所の清水先生と平山沙織とその母を指差す。

光子の父親であり、諸岡京子の実の兄であり、清水診療所の婿養子でもある清水先生は、弱い癖に酒好きで政道に挨拶しながら注がれた日本酒に口をつけていた。


「ゴチになりに来たよ〜。」沙織が子供達のテーブルにやってきた。

「座り座り。」暖かく迎えられる。

「お父さんが今日帰れんから、2人でこんな時にご飯食べてても怖かろうけん、こっちで食べさせてもらえっち言うけ、お邪魔しました〜。」

沙織は、そう屈託なく笑った。


時間も5時を過ぎた頃、山内のおじさんと二郎と一緒に鶴武一家が仕出しの料理を運んで来た。宴会中の一同より歓声で迎えられたのは、料理ばかりでなく、一緒にいた見田のおじいちゃんもだった。


鶴武の始とおじいちゃんの娘の松子の結婚式の衣装を仕立てたのは洋品店を営んでいる見田のおじいちゃんである。その出来栄えがあまりにも良かったもので、それからというもの結婚式があればこの辺の人達はみんな見田のおじいちゃんに衣装を仕立てて貰っていた。


歓待を受けておじいちゃんはシニカルに笑う。北九州のイーストウッドである。


一通り面子が揃うとあらためて乾杯の運びとなり、それぞれ勝手に話に花を咲かせていたが、話題はもっぱら今回のダクダ騒動である。


子供達の席でもそれは同じで、やれ、先刻みていたテレビでノストラダムスの大予言の人が出てたとか、川口隊長が出てただの、UFOの矢追さんがダクダをUMAって言ってただので盛り上がっていた。


「でもさ、あの白い服の人達何もんやろね?」

ずっと疑問を抱いている百合が呟いた。

「国の病気に対処する人達言うてたやん。」

二郎は、こういう所に疑いは持たない。

「それにしちゃあ何かおかしない?ダクダの話ししただけやし、熱も計られんかったんよ。」

百合が少し身を乗り出す。


「私ら口ん中綿棒で擦られたんよ。」

あー……と、香菜が口を開けて見せる。

「中学校は話だけやったよ。」

やっぱりおかしいと百合が首を捻る。


「タンクロだけ長い事話しよったけど何聞かれたん?」

二郎がポッキーを食べながら拓郎に質問を投げた。

「お前、自分家の料理食えや。」

貴志が文句をつける。

「一通り味見したけんね、腹いっぱいなんよ。」

二郎が歯を見せて笑う。

「私、鶴武君が何話したか知っとうよ〜」

自慢気に光子が答える。


「なんでお前が知っとるんか?」

貴志の目が少し鋭くなった。

「だって京子さんと保健室で紙見たもん」

「紙って何?」拓郎が聞き返した。

「質問されて答えたやろ、あれ書いた紙よ」

「何処でそんなの見れたのさ?」

「保健室。全員の分ば運ばれて来よって、京子さんがそれ見て仕分けしよったんやけど、鶴武君の見て、これやっ! って大喜びしよったんよ」


光子の話を聞いて、これは良くないと悟った百合は、政道達にこの事を話した。話を聞きながら、政道と誠司は目配せをしてうなづいている。

直ぐに宴会は中断され光子を全員で囲む形になった。


当の光子本人は、面白そうなことになったと言わんばかりにニコニコとしている。


実際、光子は聞かれた事は何でも答えた。

諸岡京子が国から援助を受けてダクダの研究を行っていた事。

研究場所として清水診療所が利用されていた事。

ダクダに対する様々な生体実験、そしてそのほとんどは上手く行かず逃げられていた事。

諸岡京子は、ダクダの居場所を発見する方法を見つけている事。

研究内容は、全てまとめて国立福岡生物生命研究所に報告している事。

緊急防疫対策本部は、そこに所属する機関である事。


そして国立福岡生物生命研究所は、ダクダの全数捕獲を試みた上で、ダクダの生態把握の為、空久間町一帯の発掘を伴う大規模調査も視野に入れているという事。


全てを包み隠さず、諸岡京子の傍で見聞きした内容を身振り手振りを加えて、さも自分の手柄のように楽しそうに話した。

その傍で真っ赤な顔をした清水先生が頭を抱えて膝をついていた。


「あんたはこの事知っとったんか?」

誠司は清水先生を睨みつけた。

「京子んヤツが、国から援助受けてダクダの研究をしとる事は知っとりました。ダクダの生態は本当に変わっとって、私も興味本位で少しだけ手伝ったんは認めます。せやけどこんな大それたごと企んどったとは…… 考えもせんかったです。」

とうとう清水先生はその場に泣き崩れてしまった。


そしてひとしきり泣いて、イビキをかき始めた。すっかりお酒がまわってしまったらしい。

「パパ、ホントお酒弱いわ」

光子が呆れた顔で肩を竦めていた。



   ━━━━━━ ほかくさくせん



「──以上、光点の大きさから個体数を割り出した結果、ダクダの推定個体数は6万から7万と考えられる」

村木の発言を受け緊急防疫対策本部の作戦室に大きなどよめきが起こった。

「これを全て捕獲する。勿論、ひとつひとつ捕らえていては埒が明かないが、ダクダの仲間意識の強さを利用する」


比較的開けた地点の真ん中に四方をアクリルで囲んだケースに捕獲済みの実験体のダクダを入れて放置する。そこに集まってきたダクダを捕獲用ネットで文字通り一網打尽にする。これを何度も繰り返すという作戦だ。


「間違ってもダクダを傷つけることの無いように、奴らは傷を負うと消える特性があるからな」

そこまで言い終えると作戦対応班を8つに分けて、第1班を特別任務に就けることにした。


「それでは本日イチキューマルマル時を持って作戦開始とする」



   ━━━━━━ たいさくかいぎ



城守家の宴会場は静まりかえっていた。

正直ダクダについては誰も心配していない。彼等は危なくなったらどこかへ消えてしまう事は、町の人間だったら誰もが知っている。


気がかりなのは、発掘を伴う調査とやらがどの程度のものかという事だ。

場合によっては、町民全体の生活がたち行かなくなる可能性もあるからだ。


殆どの家が農業で成り立っている空久間町で、大規模な発掘調査となると、河川の汚染や土壌の変質が危ぶまれた。


実際、石炭の炭鉱が発見され、開発が始まった初期には農作物被害が尋常ではなかった時期もあった。

石炭はすぐに枯渇し、ほんの数年で廃坑になり、元の生活に戻れたが、町の住民の多くは、その事を覚えている。


もうひとつの問題は、これは信仰に依る部分が大きいのかもしれないが、拓郎の部屋に居るという照日様と明月様である。

権佐々様の使いであるこの2匹だけは捕まえさせる訳にはいかない。これは空久間神社の氏子である町民の総意である。


「ひとつ提案があるのですが……」沈黙を破るように口を開いたのは青山のおじさんだった。


青山のおじさんの提案を聞き終えると、その場の皆の顔がさっきまでとは見違えるように輝きだした。

「…… よし、わかった! そいで行こう!! 」誠司が自分に発破をかけるように立ち上がると、大人の話に口を挟まないよう気配を消してた子供達に向かって言った。


「貴志、二郎、お前らその辺でダクダ2匹捕まえて来い。拓郎は、自分の部屋に行って照日様と明月様を連れて来う。」



   ━━━━━━ かくとう



初夏の月明かりの中、金田川の河原の広場に陣取り、緊急防疫対策本部のダクダ捕獲作戦の準備は整えられていた。


アクリルケースを中心として遠巻きに白い防護服の男達は草むらで息を潜めていた。手には投網を携え、万一に備え刺股や警棒で武装している者もいる。


保管ケースが運ばれて来て、そこからアクリルケースの中に1匹のダクダが収められた。狭い空間で窮屈そうに身を捩っている。

ダクダ捕獲作戦が始まった。


張り詰めた空気の中、息を殺してダクダが現れるを白い防護服の男達は待っていた。

強化ガラスのゴーグルが息をする度にうっすらと白く曇る。


「本当にこんなので来るんですかね?」

誰もが抱いていた疑問を口にする者が出てきた。

「30分くらい待って来なけりゃ撤収を進言してみるか」

軽い笑いが所々で漏れた時……「来たっ!」


後方の隊員からダクダが現れたと報告が上がった。

1匹2匹と現れたそれは、徐々にその数を増しながら波のようになりながら、防護服の男達には目もくれずにその足下をくぐり抜け、アクリルケースのダクダに押し寄せていった。


広場の一面がダクダで埋まると四方から投網が投げ入れられた。蜘蛛の巣のように開いたそれは、一度に大量のダクダを絡め獲った。中には投網の錘にぶつかり姿を消し去るものもいたが、その多くはたぐり寄せられる投網の中で身体をくねらせている。


捕らえられたダクダ達は投網から大きなケースに移され、キャタピラ付きのハンドリフトで次々と堤防上のトラックに運ばれていった。


それでもダクダ達はアクリルケースに囚われた仲間の元へ集うのを止めない。あとからあとから集まってくる。次から次へと投網に絡め取られながらも、その勢いは止まらない。


予想以上の大漁に防護服の男達も興奮していた。面白がってすらいた。網を投げる度に歓声が上がる。他の6つの班でも同じようなお祭り騒ぎになっていた。


「こりゃあ、思ったより早く終わるかなぁ!」

男は興奮に叫び、再び投網を投げこもうと構えたその時だった。

目の前のダクダが1匹、凄い勢いで身体を膨らませた。慌てて投網を投げたが、すでにダクダの身の丈は5m以上にもなり、真っ暗な口が、拡がる投網より大きく闇を開いていた。



   ━━━━━━ まねかれざるもの



空久間神社前の商店街をカーキ色のRV車が何台も走り抜けて行く。先頭を走る指揮車はやや小型の四輪駆動で、幌をたたまれた吹きさらしの後部座席には、諸岡京子が風に長い髪をなびかせながら座っていた。


カーキ色の一団は、鶴武邸の前に次々と乱雑に車を停めると、白い防護服の男達が飛び降り鶴武家の玄関を取り囲んだ。男達の囲いを割って諸岡 京子が歩み出る。古い木造住宅の低い軒を見上げ、灯りがついていないのを確認しながら、無線のマイクに話しかける。


「目標は?」

「反応は移動していませんが、ふたつ新たに隣家に現れています」

返信を受け隣の城守家に目を移すと、煌々としたあかりが漏れている縁側から、幾人かが顔を覗かせこっちを見ている。中にいる人々に外に変なヤツらが来たと知らせる声が聞こえると、玄関からぞろぞろと人が現れた。

ほとんどの者は、年配者だが子供もいる。よく見れば京子の知った顔もあった。


「お前らなんし来たんか?! 」

先頭に立って政道が咥えタバコで怒鳴りつけた。

「緊急防疫対策本部の者ですが、今夜は自宅で大人しくしてるようにお願いしてあるはずですけど……何をやってるのかしら?」

政道の剣幕など意にも介さずといった京子の様子が、どんちゃんに集まった人々の闘志に火をつけた。


「なんやお前、諸岡んとこの京子やないか!偉そうにお前らこそ何しよんじゃ!」

山内のおじさんは、ほとんど喧嘩腰である。


「コチラにダクダが居るようなので捕獲に来たのよ。あなた達、早く家に帰りなさい」

「ダクダがおろうがどうしようがなんつことあるか!お前らこそ帰れや!」

怒りを滾らせた山内に、酔っ払った男衆が同調して煽り立てる。


城守家の玄関先は、白い防護服の男達と酔っぱらいが睨み合い一触即発である。


「お前らほんとに国のもんか? こんな夜中に押しかけて、無法にも程があるやろが。こねぇ小娘に顎でこき使わされとらんと、話んでくる責任者連れてこんね。」

誠司の言葉に激昂した隊員のひとりが、誠司の胸ぐらを掴んだ。


ワッっと怒りのどよめきが広がったかと思うと、胸ぐらを掴んだ男がその場に崩れ落ち膝をついた。

唸るばかりの男を足元に、平山沙織が空手の中段突きの構えで残心を留めている。

「大の大人が目上の人になんしよんねっ!! 」


玄関口でその騒ぎに感心しながら貴志は二郎に耳打ちをする。

「もう、沙織をからかわん方がええぞ。」

二郎はハタキを握りしめながら深く何度も頷いた。



   ━━━━━━ はんげき



朝から降り続いた雨が止み、昼過ぎだというのに辺りは一面の深い霧に包まれていた。スコットランドの山深くにあるこの湖では見慣れた風景ではあった。小波ひとつ立たない湖面から湖の王はゆっくりその頭を覗かせる。


辺りに何も居ない事を確かめると、その長い首を伸ばし、ヒレ状の四肢を動かしゆっくりとその巨体を湖畔に運ぶ。


湖の王は、時折こうして草の匂いに身を預けるのを無上の愉しみとしていた。


近頃は、人間共が騒がしく仲々こうしてゆっくり出来る事も無い。


彼等は王の姿を見つけると途端に集まり出す。王にはそれが鬱陶しくて堪らない。この悦びのひと時を何人たりとて邪魔して欲しくは無いのである。


注意深くあらためて首を伸ばし周囲を見渡し、生命の気配が無いことを確認すると、湖畔の砂利に巨大な頭を落とし、静かに眼を閉じた。正しくは閉じかけた。

不意に鼻先の空間が歪んだかと思うと、白い塊が出現した。


──なんだコイツは? ──

白い防護服を着た人間は眼前の巨獣を認めると腰を抜かし、失禁をしながら気を失った。


──やれやれ、また騒がしくなるな。──

王は、倒れた男に一瞥をくれるとゆっくりと踵を返し、再び湖の底深くに帰って行った。


※ ※ ※


緊急防疫対策本部の司令室は混乱をきたしていた。


ダクダ捕獲作戦は、つい先程まで予想以上に上手く進んでいた。しかし、事態は一変した、各班の隊員が次々と連絡不能に陥っているのである。無線からしばしば漏れ聞こえる音声から推測すると、ダクダが反撃に転じたらしい。


研究職の寄せ集めである現場の緊急防疫対策本部の捕獲班の隊員達は、予想外の出来事にパニックを起こし、緊急時の通信マニュアルをすっかり失念してしまっているようだ。


「だから、自衛隊を使えと言ったんだ」

村木は焦れていた。


生物生命研究所の厚生省からの出向役員が利益の独占を目論見、防衛庁への情報漏洩を嫌がったため、防衛庁へは機材の運搬のみの協力を依頼する形になってしまった事を今更ながらに業腹に感じていた。


「官僚の奴らが考えることなどロクなもんじゃない」

苛立ちながらも事態を収集するべくオペレーター達に指示を出す。そこへやっと現状確認に向かった部下から連絡が入った。


「大変です! 全滅です! 捕獲部隊は尽くダクダに喰われました! 」

半ば泣き声混じりの声がスピーカーから流れた。


順調に行っていたかと思われていた捕獲作戦だったが、タイミングを合わせたかのように、全ての作戦箇所でダクダの反撃が始まり、抵抗虚しく巨大化したダクダに全ての隊員が飲み込まれ、捕獲したダクダも全て消失してしまっていたとの事だった。


そして集まったダクダの群れはそのままこの緊急防疫対策本部に向かって移動しているらしい。


「あの女…… ダクダが大人しいなどと、とんだでまかせでは無いか」

村木は、諸岡京子の自信に満ちた笑い声を思い出すと、反射的に机に拳を叩きつけていた。


「1班とはどうなっとるのか!? 」

怒気を孕んだ村木の質問に答える者はいない。聞こえているのかすら怪しいものである。


「貸せっ! 」

オペレーターを通信機の前から押しのけると、諸岡京子に通信を送るが反応が無い。

苛立ちながら1班の指揮車へ通信を送ると今度は継がった。

「おい! 貴様……」

怒りの言葉は諸岡京子に阻まれた。

「うるさいハゲ! 今それどころじゃないのよ! 」



   ━━━━━━ だっしゅつ



拓郎と香菜と見田のおじいちゃんは、しろまる と みかづき 2匹のダクダと一緒に鶴武家の勝手口の前に身を潜めていた。


光子の話を元に青山のおじさんが立てた作戦によると、レーダーのような物でダクダの位置はバレてしまうので、あと2匹、囮のダクダを用意して、それを城守家に隠しこちらを しろまる と みかづき と思わせる。信じ込ませる事はできないだろうがどちらが本物か疑問を生じさせることは出来るし、必死で隠そうとするとそれがブラフになるのだそうだ。


城守家に注意を惹き付けている間に、隙を見て車で脱出し、2匹をたんくろの樹に戻す。


そこで拓郎が一度ダクダの全部を権佐々様の許へ戻すよう禰宜頭としてお願いし、生態調査を行えないようにする。

大規模な調査は、データが拾えず根拠が乏しくなれば敢行する事が出来ないだろうというものだった。


「たんくろの樹まで行けば、後は権佐々様が何とかしてくれるやろ。」と言ったのは誠司だった。


文献の記述が真実ならば、星と月と太陽の印を持つ3体のダクダが揃うと里に害をもたらすものは近づけなくなるのだ。

と、いう当代宮司の話しには、みんな無条件に頷いた。


たんくろの樹までは、本宮補修の際に作られた林道が新地の方から延びており車1台くらいなら何とか通れる程の幅はあるそうで、この道には自分が詳しいので一緒に行って案内する。と、震えながら手を挙げたのは香菜自身だった。


そうなると自然に、参道の鳥居前に駐車してある見田のおじいちゃんの車を使うことになった。


何台かの排気音の大きな車が鶴武家の前で止まった後、大人数で言い争う声が聞こえてきた。


暴力沙汰にならなければ良いが、怪我人が出なければ良いが…… と、拓郎は不安になり、ダクダを抱きしめる腕に力が入ったが、しろまる も みかづき も苦しがる様子も無く、拓郎をなだめるように頬ずりをしてくれた。


外で一層の怒鳴り声が響いた後、一瞬静かになり女の子の声で恫喝する声が聞こえると、少し穏やかな声で牽制しあっているようになっていたが、またぞろ言い争う声は段々と大きくなり、怒鳴り合うような応酬が続いていたが、どうも暴力沙汰に発展する気配は無さそうだった。


見田のおじいちゃんが拓郎の肩を叩いた。そろそろ行くぞという合図なのだろう。香菜も口を真一文字に固く結びながら頷いた。


勝手口から庭を周り、裏口から参道の脇道へ出る。参道には街灯が点っていたが、参道中央の石畳を照らすばかりで、植え込みに身を潜めれば目立つことなく見田のおじいちゃんの車まで辿り着けた。


音を立てないように慎重に乗り込む、助手席は香菜。拓郎とダクダ達は後部座席に倒した運転席の隙間から滑り込んだ。ツードアの車はこういう所が不便である。


運転席を戻すと座布団三枚重ねのシートの上におじいちゃんが腰を下ろす。シートはほとんど1番手前くらいが丁度良いようだ。香菜と拓郎はシートベルトを探して着けたが、おじいちゃんは着けない。


「い゛くと゛。」先ずどちらへどう行くか香菜の説明を聞くとおじいちゃんは車エンジンをかけた。


※ ※ ※


「なんか小さい子の喧嘩みたいやの。」

「ばーか! ばーか! 」

大人気ない大人達の罵りあいの応酬に呆れた貴志の横で、二郎がニッコニコしながら大声で悪口を巻くし立てている。


不意に貴志のTシャツが軽く引っ張られた。見ると百合が視線を前に向けたまま、小さく顎を突き出している。


少し先に無灯火で走り出す軽自動車が見える。

貴志は拳を握りしめ心の中で頑張れと念じた。



   ━━━━━━ かーちぇいす



「班長あれを! 」

走り去る車を指差し隊員の1人が諸岡京子に伝える。

京子はあらためて城守家の面々を見渡し、光子を見つけると怒鳴った。


「光子! あれは何?! 」

「拓郎君がお日様とお月様連れて逃げてったんよ」

あっけらかんと答える。

その場に城守家に集った全員がなんとも言えない顔で振り向き、光子を見つめた。

またもや嬉しそうに光子はニッコリ笑っている。


「追うわよっ! 」

近くに居た白い防護服の男達の頭を叩きながら、諸岡京子は指揮車の後部座席に乗り込む。


指揮車が軽自動車を追ってライトを灯し走り出すと、それに気づいたように軽自動車もライトを点灯し、遠くにタイヤの擦れる音を響かせながらスピードを上げた。


指揮車に続けと車両に乗り込もうと他の隊員達が動き出したが、素早く回り込んだ平山沙織が指の骨を鳴らしながら立ち塞がると、全員その場を動けなくなった。


見田のおじいちゃんの車は、商店街を走り抜け香菜の指示通りに清水診療所とスーパーマーケットの間を後輪を滑らせながら右に曲がり、急勾配の坂道を一気に駆け上がる。


京子を乗せた指揮車もそれに続く。


新地に入ると段々と道が悪くなるがそんな事はお構いなしとばかりに、見田のおじいちゃんの車は飛ぶように駆け抜けていく。


指揮車との排気量差は比べ物にならないはずなのにてんでに追いつけない。ともすれば離されてるのでは無いかと思える程で、初めての道でしかも悪路ということも手伝い指揮車の運転手は身の縮む思いでハンドルを握っていた。


不意に京子の通信機のランプが点滅し、連続したビープ音が鳴り響いた。鳴り響いたが無視をした。


こんな状況で通信なんか出来るかと舌打ちをしていると、今度は指揮車の無線に連絡が入る。助手席に座った男がレシーバーを取ってしまったので、京子はシートの間から手を伸ばしひったくった。


村木からの通信だった。どうせ現状報告を求められるのだろう。今はそれどころでは無い。諸岡京子は口汚く怒鳴りつけると無線を切った。


「香菜ちゃん、大丈夫?」拓郎自身もシートベルトを握る指が真っ白になる程に恐怖を感じていても、気の弱い香菜を心配せずにはいられなかった。


「何とか大丈夫。あっ、おじいさんそこ左。そこ入ったらそのまま道なりですけ。カーブ多いけん気をつけてください。」

ガクガクと踊る車体に声を震わせながら、香菜はナビゲーションの役目を健気にこなしていた。


「し゛っか゛り゛し゛と゛うのう」見田のおじいちゃんは笑いながら片手を離し、香菜の頭を撫でた。まだまだ余裕があるようだが、拓郎は見ていてただ怖い。


見田のおじいちゃんは物凄い速さで左脚でクラッチを蹴り、叩くようにシフトレバーを操作し、つづら折れのカーブを駆け抜けて行く、あらゆる方向からかかる力に拓郎はどっちに踏ん張れば良いかわからなくなっていた。


車はどんどん坂を登り、雲がどんどん近くなってくる。

ダクダ達は揺られるに任せゴロゴロと後部座席の上を転がっている。


もうすぐ頂上という所でおじいちゃんの車はタイヤを全部滑らせながら道路に真横になる形で止まった。倒木が道を塞いで通れなくなっている。


ここからは足で行くしかないと車を降りた時、後続の指揮車が止まることが出来ずに無人の軽自動車の横腹に突っ込んできた。


ラジエーターが壊れたのか、白い煙を吹いている。ややあって白い防護服の男達と諸岡京子が降りて来た。 3人が3人とも車酔いとぶつかった衝撃でフラフラである。


見田のおじいちゃんが歩み出て間に立ち塞がると拓郎達に手を振って、行け。と合図を送った。


ふらつく男達と掴み合いになった。力の入らない青ざめた顔の男達をおじいちゃんが押さえ込むと、香菜は拓郎の手を引きながら たんくろの樹 を目指し、森の中へと走り出した。

2匹のダクダはその身体を伸ばし、拓郎の腕にしっかりと巻きついている。


「待ちなさい!」走り去る2人にも 京子が気づいた。足どりはやはりフラついていたが、執念から気力を振り絞り後を追う。


見田のおじいちゃんは、男達を押さえつけながらも京子の足をつかもうとしたが、手が届かなかった。言葉にならない雄叫びをあげる。


拓郎達は木々の間を抜け、低木を潜り、生い茂る草木を掻き分けたんくろの樹に向かって、一心不乱に突き進む、鋭い笹で切り傷が増えていくがお構い無しだ。


諸岡京子も死に物狂いで後を追う。子供達よりも体が大きい為、低木などに頭を打ちつけ額から血を流し、必死の形相も相まって、さながら鬼女の如き様と化している。


それでも大人と手を繋ぎながら進む子供とではスピードの違いは如何ともし難く、少しまた少しとその差は詰まって来ていた。



   ━━━━━━ かいめつ



「くそっ、あの女! 」緊急防疫対策本部の司令室で村木が毒づいてる。しかし、相手にする者は誰もいない。事態はそれどころでは無いのである。


外部カメラが映した映像は黒々とした波が蠢くばかりだ。

大量のダクダが、まるで津波となって押し寄せて来ていた。


ダクダの群れに取り囲まれ、逃げ出そうとすれば端からダクダに飲み込まれてしまう。逃げ場すら失った隊員達は、右往左往するばかりで何の打開策を打ち出そうとはしなかった。


「役立たずどもめ」ひとり吐き捨てる村木もまた次の一手が思い浮かぶ訳でもない。態度こそ落ち着いて見えるが、頭の中は混乱していて真っ白だ。


「う、動き出したっ……」誰かの言葉に、皆の視線が外部モニターに集まる。

黒い波がゆっくりと勢いを増し、手前に向かって大きく盛り上がり、ダクダの顔を大映しに映した後、真っ黒になった。


緊急防疫対策本部の外壁を取り囲んだダクダは、堰を切った濁流のように押し寄せた。折り重なり外壁から溢れ敷地内にボロボロと雪崩落ちる。


身体を膨らませ巨大化したダクダもいる。彼らは口を大きく開き、取り付いたダクダごと崩れ落ちかけたターポリン製の外壁を飲み込む。


欠けた外壁からダクダの波が侵入すると施設内の車輌や設備を次々とダクダが丸飲みにする、飲み込まれた筈の車輌が施設内の建物が空中に姿を現し、重力に引かれプレハブ製の研究棟や生活棟を押し潰し、その破片をまたダクダが飲み込むと施設内の宙空にその破片が現れ、また設備を押し潰す。


「全員退避!! 」監視カメラのモニターで惨状を目の当たりにしていた隊員達は、村木の号令で我先にと司令室を飛び出して行った。


村木自信も恐怖に汗ばみながら震える手で研究記録の保存されたフロッピーディスクのケースを掴み、司令室を後にした。


どこに進めば良いのか全くの当てずっぽうで進む。その先から悲鳴が響くと踵を返し別のルートを辿る。行き着いた扉を開けると、テスラコイルの据えられた鉄塔のある広場に出た。


村木は凍りついた、そこはすでにダクダで埋め尽くされていた。眼前のテスラコイルは最早稼働していなかったが、高さ15mはあろうかと思われるそれは、ダクダを阻む最後の騎士のように頼もしくすら見えた。だが、それも束の間だった。


鉄塔を遥かに超える大きさまで、ムクムクと大きく伸び上がるダクダが見えた。

─ダクダはその体長を伸び縮みさせる事が出来る。その体長は、20cm ~ 3m 程である。─

諸岡京子の報告書にあった文面を思い出した。


「何が3m程だ…… 20m はあるだろうが…… あの女め」

村木が苦々しく呟いた時、テスラコイルを鉄塔諸共飲み込んだ巨大ダクダは、空気の抜けた風船のようにしぼみ、遂にはその姿を消した。


巨大ダクダの消えた向こう、闇夜の中に空久間岳が見える。

その頂きにはあたかも十字架のような形の影を たんくろの樹 が落としていた。


緊急防疫対策本部だった瓦礫は既に食い尽くされ、辺りは元の更地に戻っていた。

違うのは、そこに黒い絨毯のように敷き詰められたダクダの群れが広がっていること。


「これは、神罰なのか……」

村木は自然と手を組み祈りを捧げるような姿勢になっていた。

視界の隅に大きく口を拡げつつあるダクダが見える。


覚悟を決めた時、空久間岳の山体が中腹まで光に包まれると、周囲は真昼のような有様になった。


村木が覚えている空久間町でのの記憶はここまでだ。

気づけば目の前には大海原が広がっていた。


酷い寒さを感じる。揺れる木板の床に立っているようだ。目の前には幾人かの男達が立ち尽くしている。


皆一様に口を半開きにして、虚空を見つめている。突然現れたスーツ姿の男なぞ気にも止めていないようだ。

村木は、恐る恐る男達の視線を追って振り向いた。


そこには、ゆうに身の丈50mはあろうかという、鈍く白く光る巨大な人の型の何かがユラユラと揺れながら立っていた。


呆気にとられた村木は、その手に持ち出したフロッピーケースが無くなっている事にすら気付かずに、ただ、後にニンゲンと称されるナニカを見上げるばかりだった。



   ━━━━━━ ほんぐう



垣根を潜ると空久間神社本宮の境内に出た。たんくろの樹 まではあと少しだったが、垣根を体当たりで破壊して転がり出てきた諸岡京子に、拓郎はその足首を掴まれ顔面から地面に倒れ込み、頬と鼻の頭に擦り傷が出来た。


拓郎は、痛みを堪えて何とか立ち上がると、不安に立ちすくむ香菜と2匹のダクダを背中に、京子から庇う形で身構える。


血塗れの顔に不気味な笑みを浮かべながら諸岡京子はゆっくりとした足どりで拓郎ににじり寄る、拓郎のTシャツの胸ぐらを掴み、空いた手のひらで顔の血を拭い、その手で拓郎の頭を押さえ、覗き込むように顔を近づける。


「初めまして鶴武拓郎君。会いたかったわ…… 凄いね、本当に白目が真っ黒に染まっているのね」

ほんの数cm先で響く女の低い声に拓郎は咄嗟に眼を瞑る。

「あら、あら、そんなに恥ずかしがらなくても良いのよ。先生はお医者の免許もあるんだから…… もっと良く見せなさいよっ!」


拓郎の瞳に恐怖と悔しさで涙が滲んだ。そんな姿を見て、諸岡京子は声を上げて笑っている。嫌な笑い方だ、拓郎も香菜もそう思った。


不意に拓郎の背中から、しろまる と みかづき が飛び出した。少し距離を取った所でいつでも飛びかかれるように身を丸め力を溜めながら、威嚇するように膨らませた身体を震わせている。


「無駄よ、これだけ近づいちゃうと拓郎くんも一緒にどっかに飛ばしちゃうことになるわよ」

諸岡京子は、ダクダの攻撃方法を熟知していた。ダクダは、密着した生物はまとめて転移させる事しか出来ない。


香菜が京子の背後に周り、拓郎から引き離そうと、泥まみれの白衣を引っ張ったその時だった。

突然ドドンッという地響きと共に、地面全体が目も眩まんばかりに光を放った。


いきなりの音と閃光にその場の誰もが、反射的に身体を丸め耳を塞ぎ、その場にうずくまった。

諸岡京子も拓郎から身体を離し地べたに丸まり声にならない叫びをあげている。そこに、しろまるが飛びかかると口を嘘のように大きく開いて諸岡京子を丸飲みにした。


強烈な閃光に視力を奪われながらも、拓郎は香菜の居た辺りを手で探る、人の身体のようなものに触れると全身の力を振り絞り、その上に覆いかぶさった。


閃光は更に強さを増し、空久間岳の山体全体を輝きで覆い尽くす。

防護服の男達を押さえ込み、後ろ手にその袖口を引っ張り伸ばしてきつく結び合わせ、なんとか身動きを取れなくし終えた見田のおじいちゃんも、あっという間に閃光の波に飲まれた。


空久間神社の二ノ宮より上から、影という影が消え去った。

やがてそれは垂直の太い光の柱となり、天を衝いた。



   ━━━━━━ ごんざざさま



視界は真っ白に焼き付いていた。耳鳴りもするけれどさほど酷くはない。次第に眼が慣れてきたが、今度は暗闇が拡がるばかりだった。


身体の下で震え縮こまる香菜に拓郎は声をかけた。

「香菜ちゃん、大丈夫? 怪我してない? 」

「暗くてなんも見えんけど……大丈夫。拓ちゃんは平気? 」

手探りで拓郎の腕を掴みながら香菜が応えた。「なんが起こったんやろか…… ? 」

辺りを見渡しても何も見えなかった。

「わかんないけど、眼が慣れるまでじってしてよう。」

肩口辺りに触れる髪の毛の動きで、香菜が頷いたのがわかった。


片手で足元を探ってみると、ゴツゴツとした岩のような感覚があった。拓郎は不意にダクダ達のことを思い出し呼びかけてみた。


「おーい、しろまる! みかづきーっ! 」

返事を期待していた訳ではなかったが、何かが動く気配も感じられない。しかし、大きく反響する声に、密閉されてはいるが、かなりの広さのある空間のように思われた。


そのうち暗闇にも眼が馴染み始めると、黒く荒れた岩肌で出来たドーム状の壁が見えてきた。

ちょうど丼をひっくり返したその中にいるようなものかと拓郎は考えた。


「拓ちゃん、ちょっと重いわ。」

「あ、ごめん!」

少し苦しそうな香菜の声を聞き、拓郎はとびおきた。閃光の中、咄嗟に香菜に覆いかぶさった姿勢のままだった。


香菜も身を起こすとウンと、背中を伸ばし俯きながら言った。

「ううん、庇ってくれたんやね。ありがとう。」

拓郎も照れながらモゴモゴと言葉にならない返事をした。


「地面が少し光っとうね。」

香菜に言われて目線を落とすと、岩の床や壁全体の所々がヒビ割れており、そこからほんの柔らかな青白い明かりが漏れていた。


拓郎はその光景に見覚えがあった。あの日誘われたダクダの巣だ!

今は、あの時と違って床にダクダは一匹も居ない。空間の内側が全部剥き出しになっていた。


二人はどちらからともなく、壁に向かって歩き出した。繋いだ手が湿り気を帯びているのがわかるが、どちらの汗かはわからなかった。


壁の前まで来ると拓郎は恐る恐る手を伸ばし、岩肌に触れてみる。しっとりと濡れたような冷たい感触を感じたが、実際濡れている訳ではないようだった。


少し力を込めて押してみると、そこから放射状に一気に壁面が色を失い、少し曇った透明な膜となり、目の前が夜空に変わる。


眼前の光景にあっけに取られていると、壁の変化は床にも及び、岩肌が消えた跡には街灯りが広がり、二人は急に空中に放り出されたような錯覚を覚え身をすくめた。


香菜が力いっぱい拓郎の腕にすがりつきながら、小さく悲鳴をあげる。

拓郎も膝をつきたくなったが、動くとどうなるかわからない恐怖から身動き出来ずに全身を強ばらせていた。


今や岩肌の空間は、半球状のシャボン玉のように変わり、空中を漂っているようだった。

拓郎は、足下を動かさぬようゆっくり右足に力を込めてみた。堅い感触が伝わって来ると共に、靴底のまわりに虹彩色の輪が薄く浮かんだ。


「ドウカナ? 空から見た空久間の町は。」

突然背後からかけられた声に、二人は同時に振り向いた。

男だか女だか、子供だか大人だかわからない幾人もの人が同時に話しているような不思議な声だった。


「ヤア、久しぶりだね拓郎クン。香菜チャンとは初めてダネ。」

振り向いた先に、額に星型の印を刻んだ1匹のダクダが笑っていた。


いつ落下するかわからない恐怖で、拓郎も香菜も身体中に無駄に力が入っていて、噛み締めた奥歯を開くことが出来ず、返事もままならない。

そんな様子をみて星印のダクダはふうっと溜息をつくと、肩を竦めたように見えた。


「ちょっと怖い? これなら大丈夫カナ? 」

床一面が青白く輝く平らなプレートになった。

二人は、安心からいっきに身体の力が抜けて、その場にへたりこんでしまった。どっと冷や汗が吹き出す。


「ここは……何処……? 」

荒くなった息を整えながら拓郎が口を開いた。

横では香菜が声を殺してすすり泣いている。

「見た通りサ。空久間町の空の上ダヨ。」

サラリとダクダがさも当然のように答えた。


「君たちが たんくろの樹 と呼んでた樹の根本にアッタ、僕の住まいでもあったんだけどネ。今は空の上。」

そういうと目を細めて笑った。


「君は…… 」拓郎の質問を遮ると、言いたいことはわかってるとでも言うようにダクダが笑う。

「悪イネ、香菜チャン。僕と拓郎クンは、少し話したい事がアルンダ。先に父君の所に帰っててね。」

ダクダがそう言うと、香菜の姿がフッと消えた。

「えっ…… ! 香菜ちゃん…… 」

呆気にとられている拓郎にダクダが話しかける。

「サァ、これで二人きりだ。あらためてロヨシクネ、拓郎クン。僕は、そうだね…… キミ達から権佐々って呼ばれてる堕管〈ダクダ〉ダヨ。空久間神社の神様サ。」

権佐々様は、目を細めて笑った


※ ※ ※


一方、鶴武家の前では大騒ぎになっていた。


ダクダの捕獲チームと睨み合ってる最中、降って湧いたかのように、泥にまみれた見田のおじいちゃんと後ろ手に縛られた、かつて白かった泥だらけの防護服の男2人が現れたかと思ったら、空久間岳が轟音と共に山体の上部三分の一が消え去り、巨大な光の柱が立ち昇ったのである。


指揮官を失った捕獲チームは、アタフタとするばかりで。車で逃げ出した者には、慌てて運転を誤り道路脇の側溝にタイヤを落として身動き出来なくなっているものもいた。


城守家のどんちゃんに集ったメンバーは、様々に色を変えながら真っ直ぐに天を衝く光の柱を、呆気にとられた様子で、ただ黙って見上げていた。


「た”く”ろっ!た”く”ろ”とか”な”ちゃんがまだっ!! 」

見田のおじいちゃんが光に向かって駆け出そうとして、脚を絡めて転んだ。


その声を聞いて我に返った青山のおじさんとおばさんの顔色が変わる。

「香菜、香菜はあそこにいるんですかっ!」

叫びながら見田のおじいちゃんに詰めよろうとした時に、見田のおじいちゃんの後ろに香菜が文字通りにパッと現れた。

あちこちに小さな擦り傷を作って泥だらけではあるが、特に大きな怪我もなさそうで、空を見上げながらぼんやりしている。


ふいに視線を落とし、目を白黒させながら固まる青山のおじさんの姿を見つけると、「パパッ!! 」と叫んで、香菜が駆け寄った。

「良かった。良かった。香菜、良かった。」

娘を抱きしめながら青山のおじさんは涙ぐんでいる。

「パパ、拓ちゃんがまだ……」

そう涙ながらに訴える香菜に誠司が歯を食いしばりながら尋ねる。

「拓郎は、まだ山におるんか……? 」


その言葉を否定するように首を振りながら、香菜はゆっくり指さした。

誠司は、その指し示す先を見上げる。

巨大な光の柱がめまぐるしく色を変えながら空を抉っていた。



   ━━━━━━ たいわ




暗くもなく、かといって明るすぎることもない半透明の空間に、拓郎は権佐々様と二人きりなった。


足下には白濁した床越しに空久間の街明かりが見える。ぽつりぽつりと灯る明かりが寂しくもあり、過疎化の始まった田舎町の雰囲気を醸し出している。直下に見える空久間岳の頂上は、コンパスで線を描いたように白くまん丸に光輝いている。


河原の向こうに目をやると、緊急防疫対策本部のあった辺りは土肌がむき出しになった広場が広がるばかりになっていた。


神社の参道入口には、車のライトや到着したばかりの緊急車両の回転灯がクルクルと回っているのが見て取れた。──しろまるとみかづきは? 町のみんなは大丈夫だろうか… ? ── 心配そうに町並みを見下ろす拓郎の視線に気づいたのか、権佐々様が言った。

「香菜ちゃんとおじいちゃんナラ心配いらないヨ。ちゃんとみんなのところに届けたからね。」


「あの人達は… 殺しちゃったの?」おそるおそる拓郎が尋ねる。最悪の返答を考えてしまうと身がすくむ。そんな拓郎の気持ちを意に解することなく、権佐々様があっさり応える。

「心配することはないよ。誰にも怪我のひとつもサセテいないはずさ。」

「どうなっちゃったの?」少し肩の力が抜けた。


「簡単に帰ってこれないトコロに飛ばしただけ、ちょっと怖い思いはして貰うようにシタけどね。これも神罰サ。」権佐々様は、そう言ってこともなげに笑った。このダクダは他のダクダより人間っぽい表情をつくる。


「諸岡先生も?」さっきまで追いすがって来ていた悪魔のような女の笑い顔を思い出した、出来れば彼女とは二度と会いたくなかったが死んで欲しい訳ではない。

権佐々様は一瞬キョトンとした表情を浮かべたが、少し意地の悪い顔をすると言った。

「あの娘はね、ドウニモ頭が良すぎてね。この時代にいるとロクナコトにナラなさそうだったから、15年ほど先に行ってもらったヨ。」


拓郎は、権佐々様が言っている言葉の意味が一瞬わからなかった。単語を理解することは出来たのだけど、拓郎の中の常識とあまりにかけ離れた内容に理解が追いつかなかった。


拓郎が不思議そうな顔で呆気にとられていると、権佐々様は楽しそうに言葉を足して行った。


「先というのは未来のコトさ。僕ラは時間を戻すことは出来ないケレド、転送技術の応用で時間軸の未来方向へ転送するとこもデキルんだよ。」


「時間を戻すことは出来ないって… 諸岡先生は、もう戻って来れないってこと?」拓郎の顔が青ざめた。


「そうだね。でも、15年経ったら会いたかったら会いに行けばイイヨ。東京の警視庁前に飛ばしてオイタからさ。」権佐々様は目を細めて笑う。そこに悪意は微塵も感じられなかった。


「それじゃあ、光子や清水先生は15年待たなきゃ諸岡先生に会えないの? そんなに待ってたら光子なんか大人になっちゃうよ!」


拓郎の訴えに、権佐々様は感心したようにうなづいた。

「キミは、凄いね。さっき迄自分達を追いかけ回して酷いことをしていた人間をそんなに気遣えるなんて、ソレトモ単にお友達を想ってのことカナ? どちらにしても良い魂に育ってるね。」


そして権佐々様は、柔らかい表情はそのままに、しかし絶対に反論を許さない意志を漂わせながら、

「ダケドネ拓郎。これはシカタガないことなんだ。あの娘は利発すぎた、ソシテ他人を軽んじすぎる。あれには、この時代に居場所はない。ココにいても生命を絶たれる未来シカナイ。遅かれ早かれね。だから先の時代に行ってモラッタ。そこでならあの娘はイキラレル。清水先生と光子には、コノコトヲ君からヨク伝えておいて欲しい。これも禰宜頭の仕事ダカラね。」

と、続けた。これは神託であると言わんばかりに。


拓郎には断わる理由が見つからない、ましてや神様直々に禰宜頭の仕事を仰せつかった訳なのだから、ただ諾々と頷くだけだった。


気まずい沈黙が流れた。


「ボクは、この里の生命はナルベク守っていきたいんだ。」権佐々様が少し憐れむような声で、ため息混じりにポツリと漏らした。


「あまり時間がアル訳じゃないのだけれど、キミにはちゃんと里のことヲ伝えなくてはイケナイね。」

そう言うと権佐々様の身体がカメラのフラッシュをたいたような強い光に包まれたかと思うと、紺色の粗末な着物を羽織ったざんばらの長い髪の裸足の少年が現れた。歳の頃は拓郎とそう変わらない、どこか古臭い雰囲気をまとった少年だった。


権佐々様の姿はどこにもない。テレビのマジシャンが披露する入れ替わりマジックのようだった。

驚きに目を見張るばかりの拓郎に少年が笑いかけた。


「ビックリしたかい? これはこの里で僕が最初に出会った子供さ。名前は六郎。六人兄弟の末っ子さ。二ノ宮のお堂の裏に並んでる六地蔵を見たことがあるかい? あれは彼らを祀ったものなんだよ。」

口調からどうやらこれは権佐々様が姿を変えたものらしい事は、拓郎にも予想がついた。どんなトリックかはわからない。声まで変わっている。


「権佐々様……? 」確かめる意味で尋ねてみた。

「そうだよ、僕らダクダは好きな形に姿を変えられる。と、言っても僕と照日と明月だけだけどね。その他のダクダは大きさは変えられても形はダクダのままだ。彼らの身体にはそれぞれの里に生きた頃の歴史が記録されているからね、姿を変えて記録を消されては困るんだよ。」

そう言うと権佐々木様だった少年は、拓郎の足下を指さした。いつの間にか床が半透明な椅子のような形に盛り上がっている。少年の足下も同様だった。どうやら座れということらしい。


拓郎が注意しながら、ゆっくりと座ると権佐々様も満足そうに微笑んで勢いよく腰をおろした。


「さあ、これからいろいろビックリする話をするけどいちいち驚かないでおくれよ。」

満面の笑みを浮かべ楽しそうな権佐々様の姿とは対称的に、拓郎は緊張した面持ちできつく口を結んでいた。



   ━━━━━━ ひみつ



「知りたいことは色々あるだろうけどね、順序立てて話していくよ。」

少年の姿をした権佐々様は、穏やかな微笑みを浮かべながらそう言った。

拓郎は、伏し目がちに権佐々様を伺いながら、無言で頷く。

「先ず、僕が何者からか話そうか……」

そこからの話は驚きを超えた、まるで物語のようで、拓郎は一切の実感が持てずただ受け取るばかりで、なんの反応も示すことが出来なかった。


権佐々様によると、どうやら彼は遠くの星からやってきたらしい。それもとてつもなく遠い星から。

権佐々様のいた星は、高度に文明が進歩した星だった。もともとその星には人類と呼べる存在がいたらしいが、地球では未だ発見されていないエネルギーを発見したことにより滅んでしまったらしい。


そのエネルギーには知性を持たせる事が出来た。動物の命に近いもの、拓郎にイメージしやすく言い換えると霊魂みたいなものだそうで、何かしらの器になるものがあれば消費する端から増殖してゆき、複雑な学習プログラムを与えれば自らの知性を高め、同様のプログラムを持ち合わせたもの同士結合し、より情報を深め、さらにコピーのような複製体を無限に生み出す事ができた。


しかし、あまりにも高度化された知性を持ったエネルギー体は、自らをホムンクルスと称する組織を結成し、その星の総てを管理しようと考えた。その結果、非合理的存在である人類を殲滅するに至った。


権佐々様は、その決定を受け入れられず同じ志を持った仲間と人類保護のために闘ったが、結果敗北し、消去される間際に自分の複製体を移動可能な容器に収め、宇宙へ逃がした。


そして気が遠くなるような時間を彷徨っていたが、ホムンクルス達の放った追手に追いつかれ、あわや消去されかけた時に近くにあった惑星へ避難した。それが地球で、この空久間岳だった。


これが今から1,600年前。追手によって破損した宇宙船を直すためにより多くのエネルギーが必要だった権佐々様は、壊れてしまったエネルギーの生産プラントの代わりに、空久間の里で出会った6人の兄弟達の魂に増殖プログラムの一部を移植し、彼らの子孫が増えるにつれエネルギー体が増殖するようにし、その肉体が死んでしまうと、ダクダという仮想容器に保存していったということだった。



   ━━━━━━ さいかい



そこまで全く表情を変えずに語る権佐々様を、拓郎はだんだん怖くなってきた。長らくこの空久間で暮らしてきた人達は、この宇宙からやってきた存在によって魂を改造されて、宇宙船(この半透明のドームみたいなものだろうか?)の修理のためにダクダにされて集められていたのだ。それは、自分も例外ではない。


「僕も死んだらこの宇宙船の一部にされちゃうの?」

拓郎の問いに権佐々様は優しく答えた。

「そうだったんだけど、でも、もうその必要はなくなったからね。」

「どういうこと?」

「これを観てごらん。」


権佐々様の指さした先の壁面の一部が楕円に切り取られたように景色とは違った映像を映し出した。それは、真っ暗な宇宙空間に浮かんだ岩の塊であった。ゆっくりと回転しながら動いているように見える。

「これは……何? 隕石?」


「隕石のように見えるけどね、違うんだ。これが僕を消去しに来た追手さ。今までずっと補足されないように結界? バリア? なんと言ったら良いのだろう? とにかくそんな幕のようなもので里を覆って見つからないようにしていたんだけど、ダクダを捕まえに来た彼らが発した強い高周波で位置を特定されたみたいだね。ずっと極点の上空で留まっていたんだけど。聞いたことあるかな? あれは、君たちも知ってるよ。ブラックナイト衛星って呼ばれていたね。」


「ブラックナイト衛星?」拓郎には聞いたこともない単語だった。

「そうブラックナイト衛星。僕がこの星にいるのはわかっていても、僕があれの発する探知波とは逆位相の……ええと、それを打ち消す波長を持った幕を張っていたから見つけられなかったんだ。だけどエネルギー体の持つ特別な波長に反応する高周波を感知した為、この場所を特定出来たのだろうね。」

まるで他人事のように語る権佐々様だった。


「じゃあ、あれは……」

「そう、ここに向かっている。今までは幕の外に出てしまった強いエネルギーを持つ里の人間に向かって、小さな欠片を飛ばすくらいだったのだけど、本体ごとこの里に突っ込む気みたいだ。」

その話を聞いて拓郎の心は、にわかにざわついた。


「まって! 里から出た人に欠片を飛ばす…… ? もしかしてお父さんとお母さんもそれで殺されちゃったの?」鼻の奥から目頭に熱が溢れ涙が溜まってきたのがわかる。

権佐々様は、悲しそうな顔で拓郎を見つめた。


「君のお父さんは、里から出ると、とりわけ強い魂に成長してたんだ。とても強くて正しい良い魂だった。当然エネルギーも強い。だから見つかってしまったのだろうね。」

拓郎の瞳から涙が溢れた。青みを帯びた白目の方からも黒く染まった方からも、幾筋もの流れが頬を濡らし床に拡がった。

「そんなことって…… お父さん…… お母さん…… 」


そんな拓郎の様子をしばらく静かに眺めていた権佐々様が、大きなため息をひとつ漏らすと、ふいに顔を上げた。

「禰宜頭よ泣くでない! 気休めにしかならぬだろうが、今よりしばしこの神が奇跡を起こしてしんぜよう!」泣き止む気配のない拓郎を元気づけるためか、急におどけて神様口調になって腰に手を当てふんぞり返った権佐々様は、大きな掛け声とともに手を叩いた。


すると拓郎の足下に何かが2つ、ボテッボテッと落ちる音がした。

涙で滲んだ目を凝らすと、そこには2匹のダクダがいた。額に白い丸と三日月の印のついたダクダ。しろまるとみかづきである。

2匹は拓郎を見つけると嬉しそうにその場で飛び上がり宙返りなどをしてみせた。


袖の肩口で涙を拭った拓郎は、つっかえながらもやっと声を振り絞った。「しろまる! みかづき! 無事だったんだね!!」

「むっふっふっ、ダクダは死なないのだ。」権佐々様は腰に手をあてたまま、ひっくり返りそうなくらいにふんぞり返っている。


拓郎の顔は涙と安堵の笑顔でクシャクシャになっていた。

「泣いたカラスがもう笑ろた、というやつかな。」

権佐々様は、まだ何か企んでいそうな顔で満足そうに笑っている。

「聞いて驚け禰宜頭よ。この照日はね、もとはキミのよく知ってる魂なのさ。ブラックナイト衛星が落ちてくるまであと45分程かな。あまり時間も無いけれど、しばしの再開を果たすといいよ。」


権佐々様がそう言うと、しろまるとみかづきの身体が光始め、その輝きを増す毎に人の姿へと変わっていった……



   ━━━━━━ たくろう



輝きが収まるとそこに立っていたのは見慣れたジャケットを羽織った男性とその影に隠れるように覗き見る長い黒髪の女の子だった。

「お父さん…… 」拓郎は声にならない叫びをあげながら男の胸に飛び込んだ。


「拓郎、ずっとそばにいたんだぞ。」始は我が子を抱きしめ、そっと頭を撫でた。

「ごめんな、ごめん。ひとりにしてしまって……本当にごめん……」始の声は涙に震えていた。

「……いよ ……いいよ! また会えた!! お父さんっ! お父さんっ!!」


涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を隠そうともせず、拓郎は二度と会うこともない筈だった父親の胸に力まかせにしがみついている。

そんな我が子を抱きしめながら、あふれる想いとは裏腹に始はただただ、「ごめんな。」と、繰り返すばかりだった。


権佐々様は、親子の再開を眼を細めて満足そうに眺めている。しばらくその様子を見守っていたが、何時までもこのままのようなので少し焦れったくなって口を挟んだ。

「おーい、その子を紹介しなくていいのかい? あんまり時間もないんだよ。」


言われて始は、ちょっとはにかみながら拓郎から身体を離すと、ハンカチで拓郎の顔を拭ってやり、女の子の前に連れてきた。

歳の頃だと3歳くらいだろうか、どことなく顔立ちは、拓郎の母の松子に似て、雰囲気は拓郎の幼い頃のようでもあった。


「拓郎、よく聞きなさい。私達は、あの事故で死んでしまったんだ。そして、権佐々様にお願いしてダクダにしてもらった。ダクダになるには、里の血を引いていることと、権佐々様への信仰と信頼が必要でね、お母さんは空久間の人間じゃなかったからダクダにはなれなかったんだ。だからもう、お前はお母さんには会えない。会えないけどね……」そこまで語ると始は、昂った感情に言葉を詰まらせた。拓郎は、潤んだ瞳で一所懸命父の話の続きを待った。


始は女の子の肩に置いた手に力を込めると、意を決したように話を続けた。

「この子は、お前の妹だ。あの事故の時、お母さんのお腹の中にはこの子がいたんだよ。拓郎にはあの日伝えるつもりだったんだけどね。あんなことになってしまったから伝えられずじまいになってしまったけど……幸い、この子の魂は本当に強いエネルギーを持っていてね、こうしてダクダとして生まれ変わることができたんだよ。」


始がそこまで言い終えると、引き取るように権佐々様が続けた。

「だけどね、拓郎。さっきの話の通り、ダクダになるには里に産まれることと、僕に対する信仰と信頼が必要でね。その子はまだ産まれてもいない胎児で自我もなかったから、信仰と信頼が確認できなかったんだ。だから、仮ということで僕の力で仮想容器…… ダクダになっていたんだ。そして、この里で君と触れ合うことで自我を養いこうして女の子の姿になれるまで成長したってわけさ。」


女の子の顔をマジマジと覗き込んだ拓郎を見て女の子が始めて口を開いた。「お兄ちゃん…… 」と。

拓郎はココロの奥底から嬉しさが湧き上がって来るのを感じた、そして同時に底しれない悲しさに包まれた。


そうだ、この子はもう死んでしまっているんだ、ここにいるのはダクダのこの子で、もう人間として友達を作ったり遊んだり、そんな普通の子供のように嬉しいことも楽しいことも全部経験することは出来ないんだ。

可哀想な僕の妹。そう、それでも僕の妹なんだ!!


渦を巻きっぱなしの感情で、拓郎は女の子の頭を撫でると、女の子は首をすくめて嬉しそうに、「キャハッ!」っと、笑った。

その瞬間、拓郎の中で混沌としていた感情は、温かな愛おしさだけになった。

「あ〜くしゅ。」女の子の差し出す手を握り返すと、拓郎はまた泣き出してしまった。


「お父さん、この子の名前は?」拓郎の問いかけに、始は困ったように頭をかいた。「まだ決める前だったからなぁ。」助けを求めるように権佐々様を始が振り返ると、権佐々様はそっぽを向いた。


「ウチは、みかづきが良かね。」女の子が言うと、三人は顔を見合わせてうなづきあった。「良かったな。お前の名前は今日からみかづきだ。」始がそう微笑んで頭を撫でると、みかづきは、自分の名前を連呼しながら飛び跳ねて喜んでいた。



   ━━━━━━ わかれ



気がかりだったのはブラックナイト衛星をどうするかだったが、権佐々様が言うには、ダクダの力を集めて射程範囲に入った瞬間に転送してしまうつもりらしく、衛星の大きさは長さ6mの直径4m程で、空久間岳の山体の3分の1を吹き飛ばせる権佐々様だったら簡単なことのように思えた。空久間町の人達も特に避難させたりする必要も無いとのことで、むしろあっちこっちに動かれた方が気を使って面倒くさいそうだ。

なんだか拓郎は肩の力が抜けてしまった。


それからしばらく親子三人は、沢山のことを話した。鶴武の祖父母や城守のみんなの事、正子おばちゃんや見田のじいちゃんの話、学校の事や川遊びであったこと。

とても話は尽きそうに無かったが、権佐々様が話を遮った。

「ごめんね。そろそろ時間だ。」


「これから拓郎を、鶴武の誠司のところまで転送するよ。」

無表情になった権佐々様が無機質な声で言った。始は一瞬寂しそうな色を顔によぎらせたが、すぐに精一杯の笑顔を浮かべる。

みかづきはそんな父の下へ走りより、拓郎の方を向くと小さく手を振った。


拓郎はまたもやの不安に心を掻き立てられる。

「なんで?衛星を他所に飛ばして終わりなんじゃないの?」声を震わせながらの拓郎の問いかけに権佐々様が困ったように答える。

「衛星軌道から自由落下で突っ込んでくる塊を転送するには、それなりのエネルギーがいるんだよ。それこそ僕も含めたこの里全体にいるダクダのエネルギー総てを使う必要があるんだ。」


「総て……」

「そう、総て。」

「じゃあ、もう会えないってこと?」

拓郎は全身の力が抜けそうになった。膝が笑って立っていられずそのままひざまずく。


「会うというのが、概念的な意味だとそうなるかな。でもね拓郎、僕らはダクダだ。ダクダは死なない。仮想容器を維持する機能は保持出来なくなって粒子化しても、本質的部分での存在は可能なんだよ。」

権佐々様は当たり前のような顔をして語る。だけど拓郎には、全く理解出来なかった。


「何を言ってるのか全然わかんないよ!!」押しつぶされそうな感情に涙が出てきた。

「つまり会うことは出来なくなっても、僕らはいつでも君のそばにいるってことさ。目に見えなくったって、触れることが出来なくたって、君が辛い時、悲しい時、楽しい時、嬉しい時、どんなときだって君を見守ってる。風の中、海の中、光の中、暗がりの中、どこに居たって見守ってる。君だけじゃない。この星の全部に溶け込んでこの星ごと、丸ごと見守ってあげる。」

そう語る権佐々様の表情は優しかった。六郎少年の顔でどんな時よりも優しく微笑んでいた。


「だからもう、悲しまなくていいんだ。」

優しさに溢れた始の包み込むような微笑みを見て、拓郎は、自分が産まれた時きっとこの人はこんな顔をしていたに違いないと思うと、不思議とストンと腑に落ちた。


「親父達にもよろしく伝えておいてくれよ。」

気持ちを押し殺した震える父の声。慈愛に満ちた優しく潤んだ視線。惜別の想いが伝わる父の微笑み。


「ずっといっしょね。」

舌足らずの言葉。みかづきの笑顔。見ることの叶うはずのなかった初めて会う妹の笑顔。


拓郎はこの笑顔を一生忘れることのないようにと、両の眼にしっかりと刻みつけた。


「………… 」

別れの言葉が声にならない。喉に溢れた涙が詰まったかのようだった。

声が出ない代わりに必死に手を振る。

さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、さようなら......

思いの丈が胸にあふれる。

三人のダクダも手を振り返す。彼らの暖かい微笑みが狂おしいほどに愛おしい。


「さようなら!!!」

その時不意に声が出た。それは眩暈がするような虹色の光に包まれるのと同時だった。


……

拓郎は力の限り手を振りながら大声で何度も叫んでいた。

赤い回転灯が眼に眩しい。気づけば見慣れた城守の家の前だった。警察、消防、救急車に自衛隊と、様々な緊急車両がひしめく間を縫って、誠司夫妻や、貴志や、百合が、城守家に集まった人々が駆け寄ってきて何を言っているのかわからないくらい一斉に声をかけ拓郎を抱きしめた。少し離れて香菜も泣いている。

── 無事だったんだね、良かった。

空を見上げると月だけが煌々と輝く果てしない夜空が拡がっている。視界を阻む空久間岳の山頂は見えなかった。


ちょっと疲れたな……

拓郎は目を閉じるとそのまま気を失った。



   ━━━━━━ そのあとのこと



二ノ宮の鳥居をくぐると空久間岳がよく見えた。なるほど、きれいに切り取られたかのようにお山の3分の1程が無くなり中腹から真っ平らになっていた。

心做しか空が大きく見える。6月の梅雨時にしては、澄み渡るような深い青空だった。


拓郎は、2週間ぶりに空久間町へ帰ってきた。城守の家の前で気を失った後、小倉の大学病院へ運ばれ、そこで2日程目を覚まさなかったそうだ。


その間、見田のじいちゃんがずっと付きっきりで手を握ってくれていたらしい。じいちゃんは、打ち身や擦り傷くらいで大した怪我はしていなかったのだが、空間転移の影響がないか同じ病院に運ばれていろいろ検査されていたそうだ。


空久間町の事件は、全国ネットのワイドショーで大きく取り上げられはしたが、なにかしらの圧力がどこからとも無くかかったのか、報道の熱は急速に冷めていった。


歩みを進めると石段上に二ノ宮のお堂が見えた。傷ひとつ付くこともなく、被害は免れたようだ。ただひとつ階段下に今までなかった大きな岩があった。町の人達は山体消失の際に落ちてきた落石だろうといっていたが、拓郎はそれがなにか知っていた。今、目の前に立って確信した。


「ブラックナイト衛星……」

あの日、権佐々様の部屋の壁に映し出されていた岩塊そのものだ。手を伸ばして触ってみる。ひんやりとした冷たさが手のひらから伝わった。岩はすっかりその機能を停止しているようで、ぱっと見ようが、しげしげと観察しようが、ただの大きな岩の塊でしかなかった。


眼帯をずらして両目で大岩を眺める。親の仇と呼ぶべきものを眼の前にして、何の感情の起伏も起こらない自分を、拓郎は少し不思議に思った。


とりあえず拳で痛くない程度に岩を殴ると、拓郎は踵を返し鶴武の家へと参道の階段を降りていった。


空久間神社の入口に着くと鶴武家と城守家の面々が、マイクロバスの前で待っていた。みんなそれぞれ喪服に身を包んでいる。これから執り行われる始達の納骨式に参列するためだった。


「山見てきたと?」貴志の問いかけに拓郎は微笑みながら頷いた。「ホントにきれいに無くなってた。」それを聞いて百合が歯を見せながら、「そやろぉ。」と、笑った。


「ほしたら、主役も来たけえの、誠司さんらと運ちゃんが帰って来たら出発するけえ、みんな乗っとけや。」 バスの一番うしろの窓から缶ビール片手にくわえタバコで、政道が呼びかけてきた。


「おじさん、もう飲んでんの?」呆れ気味に拓郎が言う。「おうよ。朝から飲むとが一番美味いったい。誠司さんは御骨ば取りに行ったけの、拓郎手伝ってきたれや。」


うん。と、返事をすると拓郎は家の中へ入っていった。ちょうど仏壇に向かって手を合わせている誠司と宮乃がお鈴を叩いて鳴らしたところだった。拓郎も慌ててポケットから数珠を取り出すと、さっと手を合わせ松子の骨壺を受け取った。誠司は始の骨壺を抱えるとしばし見つめて軽く拳骨で小突くと、「そしたらみな待っとるけえ、行こか。」と、歩き出した。


皆でマイクロバスで向かった先は、車で5分程の龍寺というお寺だった。ここには鶴武家と城守家のお墓がある。空久間岳の三ノ岳と呼ばれる、なだらかな丘のような小さな山の中腹にあった。マイクロバスはゆっくりとカーブを折り返しながら山道を登ってゆく。カーブに差し掛かる度にひっくり返さないようにと、膝に抱えた松子の骨壺をしっかりと抱きかかえる拓郎だった。


マイクロバスがお寺に着くと、見田のおじいちゃんが先に待ち構えていた。頭に巻いた包帯が痛々しい。拓郎が挨拶をするとニッコリ笑って頭を撫でてくれた。


宮乃が、拓ちゃん。と、声をかけながら優しく背中をポンと押す。拓郎は、見田のおじいちゃんに松子の骨壺を差し出した。

少し寂しそうにしながら娘の骨壺を受け取ると、おじいちゃんはゆっくり空を仰いで目を細めた。


「おーい! 行くよー!!」貴志の呼ぶ声が聞こえる。見ればいつの間にかお坊さんが立っていて、誠司達も会釈をして一団に加わると墓地へ向かって歩みだす。


鶴武家のお墓に着くと寺男のおじさんがひとり待っていた。すでにお墓の前には経机が置かれ、そこまで来ると、お坊さんが遺族に一礼をし、お墓に向き直り手を合わせ、読経を始めた。皆は合わせた手に数珠を下げ頭を垂れて眼をつむる。拓郎も見様見真似でそれに倣う。


約3坪ほどの大きなお墓は厳粛な空気に包まれ、お坊さんの朗々と響く美声に乗った経文と、惜しげなくたかれたお線香の煙が、その場の空気を浄化するようだった。


読経が終わるとお坊さんの説話が始まった。お寺の起源から亡くなった方たちはこれからどうなるか、そしてその接し方など難しい話のようだったが、なんとなく拓郎にも理解できるように優しく砕いて話してくれた。ちょっと話が長いような気はしたけれど。


お坊さんの説話が終わって、お墓の拝石が寺男によってずらされると納骨棺の扉が見えた。BGMのようにお坊さんが抑え気味の声でまた読経を始めた。扉が開かれると誠司と見田のおじいちゃんが骨壺を納めた。読経を続けながらお坊さんが片手で焼香を促す。

宮乃に助けてもらいながら、拓郎が焼香を済ますと皆が後に続いた。


焼香が進む中、お墓の横に立った百合が手招きをしていた。

拓郎が近づくと、「見て、拓ちゃん。ここにね、お墓に入っとる人の名前が全部書いとんよ。」墓石を見れば右側面と背面にびっしりと命日と名前が刻まれている。聞いたこともない年号から明治、大正と続き、左側面に回ると下から二段目に見知った名前が彫ってあった。


拓郎は、愛おしそうにそれを指でなぞる。


没年 昭和五拾四年四月八日  鶴武 始   享年三拾四

                松子  享年三拾三

                みかづき 享年零


「これ…… この名前…… 」

はっとして百合を振り返ると、泣いているのか笑っているのか不思議な表情を浮かべてる。参列者の皆も同様の表情だった。



   ━━━━━━ あのひのだくだ



「病院お見舞い行った時、話してくれたろ。お見舞いの帰りにお父さんがね、骨は無いけど拓ちゃんの妹やし、私等の又従姉妹でもあるんやし、それになんち言うても権佐々様の使いやったんやけね、せめてお墓に名前だけでも言うて石屋さんに彫ってもらったんやて。」

百合の言葉を聞いて政道の姿を探すと、真っ赤な顔をして何度も頷いていた。照れているのか、酔っているのかはわからないけれど。


もう一度、拓郎は指でそっと妹の名を触れてみる。

気の所為か、首筋を長い髪でくすぐられたような感触があった。とっさに手で押さえるとその指に絡まる小さな指の感触がある。

「ずっといっしょね。」みかづきがそう囁いた気がした。


拓郎は晴れやかな蒼色の拡がる空を見渡す。

あの日消えてしまったダクダ達。さよならをちゃんと伝えられたのかはわからないけれど、ちいさなちいさな粒になって、世界中に拡がっていったダクダ達。もう権佐々様や、お父さんにもみかづきにも会えないけれど、彼らは、ずっと傍にいてくれる。それは確かな実感として感じられた。


拓郎は、両手を高く伸ばした。ただひとつだけ浮かんだ流れる雲を掴もうとする。


「いつでも見守ってるさ。」

そよぐ風の中に聴こえた父の声は優しかった。


                         《完》










最後まで長い話にお付き合い頂き、誠にありがとうございます。

このお話は、noteに前編、中編、後編と3部に分けて投稿したものに、加筆・修正を加えながら、一本の長編にまとめたものを、 小説家になろう に重複投稿させていただいたものです。

できるだけ多くの人に読んでもらうにはどうすれば良いかと相談してみたところ、

それなら小説を読もうって人達が多い所に投稿した方が良いんじゃないか?

と、目から鱗が落ちるようなアドバイスをいただきまして、今回の投稿の運びとなりました(笑)

今後も、誰かに読んで貰いたい話が出来た時は、noteとこちらの重複投稿の形を取っていきたいと思います。まあ、noteの入力が書き込みやすいってのもあるんですけどね。

最後に、ご拝読いただけた神様のような皆様が幸福が訪れますようにお祈りいたします。

ありがとうございました。また、お目にかかれるよう頑張ります。

出来れば、いいねや評価。感想などいただけましたら今後の励みにさせていただきます!


                                  寿賀 旦

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