冷凍庫の隅から
ある暑い夏の日の昼、昼食の算段を付けていたとき、ふと冷凍庫の隅にほったらかしにしていた氷の事を思い出した。その氷は四年ほど前に透明な氷を作ろうと考えて、発泡スチロール製の小ぶりなクーラーボックスで試しに作ったもので、透明で大きく大変綺麗にできたはいいが使い道が無くそのままほぼ四年間冷凍庫の隅に鎮座していた。
永遠にこのままという訳にもいかない。氷なので賞味期限などないだろうが、年数が経てば経つほど使いにくくなる。あればあるだけその期間中ずっと冷凍庫を占拠し続ける。ちょうど、片付けをしていた途中ということもあり、勢いに任せて冷凍庫の整理の為に氷を消費することにした。
一部は四年間の間に使ったものの半分以上は四つに切った後そのまま置いてあった。チャック付きのビニールパックに入れては入れていたが、それでも四年の間に透明だった氷は無残にも周りに霜がついて白くなっていた。このまま、飲み物に使うと変な味がしそうだし、なにより折角の透明な氷が霜で覆われていてはあまりに残念だ。
そこで、包丁で余計な部分を削り落とすことにした。ただ削り落とすだけでは味気ないので、綺麗な形に氷をカットしよう。ネットの動画で見たことがあるだけだが、それなりに良いバーでは氷に細工をしているらしく、私が見たものでは宝石のエメラルドのような直方体の角を落としたような形に切っていた。この氷を作った時もその真似をして二つほど切ったことがあったので今日もそうすることにした。
霜のついた氷はザクザクとした軽い手ごたえで切れていき、表面の霜は簡単に落ちていく。これで数度目だが何度やっても不思議な感触だ。だんだん霜が取れて本来の透明な氷にたどり着く、ここまでくるとザクザクとしていた手ごたえにシャリシャリとした氷を削る感触の割合が増えていき氷の切りくずはそれまでのガサガサとしたものからまさにかき氷といった感じの薄く細長い氷の板が並んだ綺麗なものになっていった。
しかし、角はだんだん鋭くなってもなかなか四角にはならない。上の方を削り過ぎたり下の方を削り過ぎたりと直方体の辺がへなへなと曲がりお互いに好きな方向を向いて、全く直線直角平行垂直とならない。一つ目は練習だと思い切り続けて、何とか見れる形になった時にはかなり小さくなっていた。元の氷が少し歪だったとはいえもったいない。折角なのでエメラルドの様に角を落とした時に削った分の氷は冷蔵庫から出したペットボトルのお茶とガラスポットに入れて、氷が溶けてしまう前にもう一つに取り掛かった。
今度の氷は先ほどより明らかに小さく、更にそこにあれこれと手を尽くしているうちにサイコロのような大きさになってしまった。しかし、二つ切ったことで少し方策が立った。包丁の先をまな板に当てて、裁断機の様に切れば私のような初心者でも少しは真っ直ぐに切れるようだ。前回どうしたか全く忘れてしまったがたぶん同じようなやり方をしたのではなかったか。とりあえず切れた二つはお茶と一緒にさっきのガラスポットに入れておいて、残りの二つに取り掛かろう。その前に折角こんな面倒なことをしているのだからネットに投稿でもしておこうと、写真を撮りついでに氷で冷えたお茶を飲みつつ、SNSに今切った氷の写真を上げておく。氷がガラスに当たるカランという音と見た目の涼しさもあって何の変哲もないペットボトルのお茶を美味しく感じる。
残りの二つは大きいので、先の二つより恰好が付くだろうと思って先ほど考えついた方法で切りだした。ザクザクとした食感がシャリシャリとしてくる頃にはかなり綺麗な形になっていた。が思えば当たり前のことで、手がだんだん冷えて痛くなってきた。これは困ったと、白い霜は流しに捨てて綺麗な氷の切りくずだけお茶のポットの中に入れた後、手を洗うついでに水道水で手を温めた。今だけは夏のぬるい水道水がありがたい。
最後の四つ目はそれまでの中で一番歪で、大きさは四つの内二番目だが切ったらかなり小さくなりそうだった。霜の割合が多く、一番長くザクザクとしていたような気がする。それでも、また手が痛くなってくる頃にはシャリシャリとした感触になり、それなりに綺麗な直方体になるころには大きさは最初に切った一つ目と同じくらいになった。正直、氷を切るのも飽きてきていたところだったので、角は適当に落として、先ほどの二つと同じようにお茶に放り込んだ。
氷が増えてガラスに当たるカランという音がカラカラと重なり合って、涼し気な雰囲気も増した気がする。
変なことに時間を取ってしまったので、もともと考えていたはずの昼食はありもののサンドイッチでさっさと済ませることにして、冷蔵庫にあったキャベツとハムを挟んで皿にのせ机に運んだ。作り出してから食べ終だすまでに十分もかからなかった。サンドイッチに水分を取られた喉に氷で冷えたお茶を流し込むころには一番小さかった二番目に切った氷はなくなっていた。しかし、残りの三つはそれなりの大きさがあるおかげでまだまだ溶けそうになかった。今日は外に出る用事もなかったので、この氷がいつ無くなるのか眺めることにした。食器を片付けお茶を飲みしばらくしても氷にそこまで変化はなかったが、お茶を追加すると氷が一気に小さくなった。
元々氷を消費する為に始めたことなのだから、これは幸いとお茶を飲みお茶が減れば追加して、お茶に氷を入れてから一時間が経つ頃には一番最初に切ったはずの氷が消えて、氷は残り二つになった。それまで、何かの時に使えないかと写真を撮ったりSNSにあげたり氷の音を録音したりしながら気楽に見ていたが、氷が小さな二つのかけらになったのを見た時、なぜだかそれまでの一時間前後の時間がもっと長い時間と期間であったような気がして、なんだかとても惜しいものを無くした気になっていた。四つが三つになり三つが二つになるまでは、なんだまだ解けないのか早く解けてしまえと思っていた物が、二つになった途端になんだか宝物か何かの様に見えるのだ。冷凍庫の片隅を四年占拠し時たま脳裏にさえも入り込む邪魔なだけの氷塊四つが、思い返す私には何故だが友達だったかのような気さえしていた。
次、お茶を注ぐと残り一つになるだろうと思った時、この氷二つは何を思っているのだろうもし声が出るなら何を考えて何を話し合い何をこちらに伝えてくるのだろう、先に溶け消えた二つはどんな気持ちだっただろうこの二つと何を語り合い何を見ていただろうと考えていた。ただの氷にと笑ってしまいそうな馬鹿らしさだが、いったい自分とこの氷にどれほどの違いがあるのだろうかと思い始めていた私にはもうこの二つの氷と人間の間にある差などどうでもよい気がしてきていた。知能や心や命の有無などこの際どうでもいいことだ、この時の私は氷で氷は私だった。
もう氷から目が離せなくなった私に、このまま溶けていく氷を眺めているのはあまりに儚く見ていられない気持ちがおこり始めたが、冷凍庫に戻して何になるわけでもなし。きっと、また邪魔になってお茶に放り込むか最悪邪魔だと流しに捨ててしまうだけで、その時には今の気持ちを忘れてしまっているだろう。この気持ちに反せずにあまり辛くなる前に事を終わらせるには、かみ砕くしかないと思い立ち、残りのお茶と共にコップに移して口に入れた。包丁で切った時はシャリシャリと小気味の良い音と感触だったものが、包丁ほど鋭くない鈍い歯ではゴリゴリと固く鈍い音と感触で、昔時代劇で見た娘の遺骨をボリボリと噛む父親の役者の演技を思い出し、あれが現実であればどれほどの思い感情言い切れぬ何かがあったのかと私の想像を超える時代の習慣に思いをはせた。
空になったコップとガラスのポットを私は写真に撮った。これはもう、どうなるかを観察している穏やかで楽しい気分などではなく何かそうしなければ、既に失われた何かが更に失われるそんな脅迫的な感情で撮っていた。どこにもないのだと思った。冷凍庫の片隅にあり続けた氷も、カラリと軽く鳴る氷とガラスのポットの音色も、素人に切られて歪な角も面も辺も、もしどんなにそっくりに作れても違うのだと思った。文字通り数えられない量の氷がこの世にはあって、今まで私もそれらいくらかを使って捨ててかみ砕いて溶かしてきたし、それらの氷とさっきまでここにあった氷とこれから凍る氷の本質的な違いなどはどう考えても分からないしこれからも分からないだろうが、それでもあの氷はあの瞬間確かに他とは違う氷だった気が私はした。
この宇宙の永劫のような時間を考えれば、私もこの世の中もあの氷のようにちっぽけで気が付けば無くなっている程度のものなのかと大袈裟に考えてみたりしたが、何故あの時氷を眺めていたのかもよくわからない私に、世界の事が分かるはずもない。しかし、どんなに世界が不確かで自分さえよくわからないとしても、あの氷への謎の感情だけはあの時の私にあったはずで、それだけは確かだと信じたい。
もう耳に残っていたはずのあの軽やかな音色の残響も、それを必死に逃さまいと書いていたはずの氷をお茶に浮かべて溶けるのを眺めていただけの話をここに書いている間にどこかにいってしまった。まさに今もあの感情の輪郭がぼんやりとしてきていて、あの時思ったことと今の私が考える想像とが混ざり合ってどちらがどちらだったのか分からなくなっている。あの冷たいだけの四つの塊になぜここまで取り憑かれたのか、不思議さが勝ってきている。
ここに何か残っていてほしい。今はただそれだけだ。