05 花嫁にしてください!
「そういうわけだ。暗黒期が来るまで一年あるのならば一度帰ってくれ。まだ俺はお前を花嫁だと認める事もできない」
「いいえ、困ります!」
返されたら困るのだ。これなら一年国が自由にしてくれるわけがない。また二十四時間サンドラセットコースだ。絶対に嫌だ。
「お前は国に戻れないのか」
「ええ、片道切符です。帰ったらどうなるかわかりません」
「そうか……白の花嫁に選ばれるのは平民だったな。国が決めたことに拒否権などないか」
また違和感を感じる。魔力があるのは貴族だけだ。ゲームではたまたま平民のリイラがいたから選ばれただけに過ぎない。
「あの私平民じゃないんです。申し遅れました、アイノ・プリンシラと言います。プリンシラ侯爵家の次女です」
「侯爵家? なんでそんな家の者が」
アルト様も一応人間社会については理解はあるらしい。
「侯爵令嬢なのにすんなりここに送られている意味がわかりませんか。この傷、アザ! 髪の毛! 虐げられていたんですよ、家族に!」
私は白い手袋を外すと傷とアザを見せつけた。何の自慢にもならないが。一カ月ろくなものを食べていなかったから鶏ガラ腕になっているし、貴族にはあるまじき髪の毛の短さだ。
自分で虐げられアピールをするのもどうかと思うが、今回は仕方ない。
「虐げられてる……?」
「はい。ですので、戻る家などないのですよ。戻ったら家族にどんな目に遭わされるか! あの、迷惑をかけないようにしますのでここに置いてもらえませんか」
私は深く礼をした。本当に絶対にもう戻りたくないのだ。
「どんな部屋でも構いません。実家では物置に住んでいましたし、どんな暮らしでも文句は言いません!それに……」
それに、私は不安なことがある。
「暗黒期に入って、一番最初に目にした人間の女を花嫁認定するんですよね? 私以外の人を先に目に入れてしまったら困ります。私、花嫁になりたいんです!」
先にリイラを見てしまったらどうするんだ、悲劇が始まってしまう! 絶対に一番に私を見てもらわないと。
「あははっ。アルト、一年後には彼女の力を借りるんだから。協力してあげなさいよ」
どこからかまた笑い声と……女の人の声が聞こえて、私は顔を上げた。しかしこの部屋に女性はいない。私に都合のいい幻聴?
「ふん……アイノと言ったか。本当に一年後だと予言があったのだな」
「はい、そうです」
「はあ、わかった。では一年お前をこの家に住まわせよう。もし一年たっても暗黒期が訪れなければ帰ってもらうぞ」
「あ、ありがとうございます! もちろんです! あの、もし私のことを少しでも気に入ってもらえたら、暗黒期が終わってもここに住ませてもらうこと――――本当の花嫁にすることを前向きにご検討ください!」
慌てて自分を売り込むと一瞬の間を置いて、アルト様は初めて口角をあげた。
「とても生贄とは思えんな」
「そうね。私はこの子嫌いじゃないわよ。本当に奥さんにしてあげたら?」
「え?」
また声が聞こえた。きょろきょろと見渡すが誰もいない。ホラーはそんな得意じゃないしやめてほしい。
「ここよ、アイノ」
声はアルト様の方から聞こえてきて、じっと私を見ているわんちゃんがいる。もしかして、この子が?
「私はショコラ。よろしくね」
ミニチュアダックスが喋ったあとにウィンクする。私の知っているわんちゃんとは違うみたい。
「――俺の使い魔だ」
「よろしくお願いします、アルト様!ショコラ!」
こうして、私とアルト様とショコラの生活が始まることになったのでした。
暗黒期まで、あと一年!
暗黒期が終わっても、ここにいさせてもらえるように。アルト様の花嫁になれるように、好きになってもらえるように、がんばるぞー!
「そういえば、ひとつ質問いいですか?」
私はこの屋敷に入ってからずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「なんだ」
「このお屋敷にはアルト様しか住んでいらっしゃらないでしょうか?」
屋敷に入ってから一度も誰かの気配がしない。
魔王城には、魔物もそこらへんをウロウロしていて、魔人の家来たちもたくさんいた。魔人が住む街もあった気がする。ここは城ではなくただの屋敷だ。
「そうだ、俺とショコラだけで住んでいる」
「他の方は別の場所に暮らしているのですか?」
「それを人間が言うか」
私の素朴な質問にアルト様の目が鋭くなったのを感じる。
「え?」
「アルト」
ショコラがたしなめるように、まるで猫のようなひらりとした動きでアルト様の肩に乗る。そして私の方を向いて代わりに説明してくれる。
「魔人はアルトしかいないのよ。他の魔人はこの世界に一人もいない。魔物は森にたくさんいるけどね」
「えっ、そうなんですか」
素直に驚いてアルト様を見ると、彼は立ち上がり冷たい目で私を見下ろしていた。目が合うとすっと逸らされた。
「ショコラ、屋敷を案内してくれ。俺は休む」
そう言って振り返ることなく部屋から出ていった。
「ごめんね、あの子繊細なとこがあるから」
短い足をトコトコと動かしてショコラが私の足元にやってきた。
「私が屋敷を案内するわ」
小さな彼女はついてきて、と部屋から出ていくので私も後からついていった。
廊下はやはり暗い。今はお昼時のはずなのに、夜だとしか思えない。
「今いた場所はリビングルーム兼応接間。こっちはダイニング」
リビングルームの前にある扉を小さな前足で押すと、扉はギギと開いた。
「ゴホッゴホッ……」
扉が開いた瞬間、目に見えるほどの埃が舞い立つ。
「ここはダイニングなんだけど、開いたのはもう二十年ぶりかも」
ショコラが苦笑した、ように見えた。わんちゃんだというのになぜか表情がよくわかる。二十年の埃を吸ってしまった私は思いっきりむせる。
「大丈夫?」
「う、うん……」
目も痒くなるので薄目でダイニングを見てみたけれど、十人ほど座れそうな長机と椅子がちらりと見えた。
「奥にはキッチンもあるけど。そうね、見なくてもいいわね」
涙目で咳き込む私を見ながら、ショコラは扉を閉めた。彼女は魔法を使えるのかもしれない。この小さなお手々で扉を閉められるとは思わなかった。
「こっちはバスルームよ」
廊下の突き当りまで行くと「ここは毎日使ってるからきれいよ。アルトは綺麗好きだし」とバスルームを開いてくれた。
かわいい猫足のバスタブなのに、ホラー映画でゾンビが出てきそうな雰囲気しかない。もしくは血に染まったお湯とか。屋敷の一番奥まったところにあるから今まで見た中で一番暗かった。
「そして二階に続く階段がこちら」
短いあんよなのに軽やかに階段を登っていくから、慌てて後をついていった。長い廊下と同じような扉が六つ。扉を前足で示しながらショコラは説明してくれた。
「ここが書斎。そして奥がアルトの部屋。きっと怒るからアルトの部屋は入らないでね。それでアルトの隣の部屋が私の部屋。あとは全部空き部屋なんだけど」
三つ空き部屋があるようでショコラは少し考えてから真ん中の部屋を前足で指した。
「あの部屋がいいと思うけど、あの部屋も二十年開けていないのよね」
「大丈夫。今日は掃除の一日にするわ」
「そうね。そういえばあなた荷物は?」
「このドレスとジャラジャラした宝石くらいであとはほとんどないわ」
「あなた本当に生贄として送られたのね……じゃあ掃除しちゃいましょうか」
「はい!」
さっき埃を吸ってしまったから、喉がイガイガする。コホコホともう一度息を吐く。
「ショコラごめんなさい。お茶を淹れてもらえないかしら。喉が気持ち悪くて」
そう言うとショコラは不思議な顔をしてこちらを見た。
「ごめんなさい、図々しかった。自分で淹れるわ。お水でもなんでもいいんだけど」
「あっ、そうね……!? そうよね? あなた人間だものね。飲み物が必要だし、もしかして食べ物も必要なのかしら?」
ショコラは思いついたように言った。
至極当たり前の質問をされて、戸惑いながら頷いてみる。
「大変。ここには今食べ物も飲み物もないわ。とりあえずキッチンでお水を――いや、バスルームで水を汲んでくるわ」