幕間
突然現れた暗闇は王都を不安に包みこんだ。人々は終わりの見えない暗黒期に、原因と理由を求めてしまう。
魔法学園アロバシルアの生徒たちも例外ではなく、生徒たちの話題は暗黒期の話でもちきりだった。
「いつになったら終わるのかしら」
「暗黒期を終わらせるには、贄が必要らしい」
「今回は生贄を捧げないから暗黒期が終わらないんだって聞いた」
「贄って……?」
「魔力を持った少女が選ばれるみたいですわ」
「それじゃあまさかこの学園から……」
生徒たちの不安は主に誰が生贄に選ばれるかということだった。魔力を持った少女というのなら、それはアロバシルアの生徒ということになるからだ。
「そうだわ、特待生に平民の子がいるじゃない」
「きっとあの子が選ばれるわよ」
彼女たちは、贄に選ばれるのは平民だとすぐに思い当たった。平民は貴族のために差し出されるものだと誰もが信じているからだ。
そんな噂が駆け巡る中。不安げな生徒の中でひとり、サンドラ・プリンシラは笑みを隠すのに苦労していた。
(暗黒期が終わらずに贄はこれから選ばれる。それじゃああの子は花嫁になれなかったのね)
サンドラはこの半年、悪夢に悩まされていた。いつだって見る夢は同じ。魔物の鋭い牙で首を貫かれたり、鋭い爪で胸を突き刺される夢だ。
そんな彼女にとって暗黒期はありがたい知らせだった。
(きっとあのグズは魔王の城に向かう中で、魔物に殺されたんだわ)
「そういえば特待生、最近見ていないわね」
「もしかしてもう選ばれたんじゃない?」
「いい気味だわ」
そんな風にリイラについて噂話ができるのも、呪縛から解けたからだ。
アイノの忠告に怯えて、リイラに関わることができずにいた。マティアス王子を始め、学園の中心人物である憧れの生徒たちと親し気に話す彼女を、憎々しく影から睨むしかできなかったのだ。
だけど、そんな彼女も贄になる。
魔人など野蛮だ。自分から立候補した花嫁を見殺しにしたのだ。であれば、リイラに待っている未来も悲惨なものに違いない。そう思うとサンドラはおかしくて仕方なかった。
・・
今日は王城で国民へ演説があるらしい、と生徒たちが噂をしていた。普段なら民への演説など気にも留めないことだが、今回は内容が内容なので事前に親から話を聞いている生徒がほとんどだった。
「あんな場所でぎゅうぎゅうになって話を聞くなんて耐えられないよな」
「仕方ないわよ、平民なんだから」
「でもこれで安心ですわね」
そんな会話ができるのは、今日の演説の内容を知り穏やかな心持ちになったからだ。
偽物の白の花嫁が処刑され、真の花嫁がいる。じきに魔の森に軍突入がある。暗黒期の終わりはまもなく訪れ、自分が花嫁に選ばれることもなかったと安堵しているからだ。
サンドラは噂話に相槌を打ちながら、内心面白くない。
サンドラは貴族の情報には疎かった。彼女は父親とはほとんど話したことがなく、父親経由の連絡など来ない。クラスメイトは自慢げに政治についても語ったりするけれど、サンドラはそういった話に今までも入れたことはなかった。
元々サンドラの母は娼婦だ。その事実は学園でひた隠しにしていて、母の実家を聞かれるとアイノの母親の生家を答えていた。
更に胸をざわつかせることは、白の花嫁のことだ。
既に白の花嫁は、魔の森に嫁いでいる。――それは……認めたくない事実だった。
そして穏やかなランチの時間を過ごしていた彼らに、突然大きな知らせが入る。教師が息を切らしてランチルームに飛び込んできたのだ。
「大変だ! 皆落ち着いて聞きなさい」
国王、中心貴族の投獄。それはアロバシルアの生徒たちには大打撃を与えた。
自分の父親が投獄されたのではないかと泣き出す生徒も多く、サンドラもそのうちの一人だった。
「どうしたらいいの」
「僕はきっと大丈夫だ。父は国王派だったが、母方は王弟派だったんだよ」
「そうね。私もおじい様の元にいけば」
彼らは親戚を思い浮かべながら、なんとか気持ちを落ち着かせているようだったが、彼らが自分たちを落ち着かせるために呟いた言葉たちは、サンドラの心を震わせた。
彼女には頼れる親族というものはいない。今まで父の権力と財のみで生活してきたが、それをなくしてしまえば頼れるものなど何一つなかった。
そして、貴族と平民の垣根がない世界を――というマティアスの考えは、貴族の子供たちには何も伝わっていなかった。彼らは今もまだ家に縋ろうとしている。
・・
数日後、生徒たちはそれぞれの家に帰ることとなった。国が大きく揺らぎ、中心貴族の子供たちばかりのアロバシルアは一時閉鎖の形を取ることになり、サンドラもプリンシラ領へ戻るしかなかった。
久々に戻ってきたプリンシラ家を見て、サンドラは本当に我が家なのかと目を疑った。玄関ホールは暗く、飾られていた花瓶は割れて床に破片は散らばっているのに片付けられることなくそのままにされている。人の気配が感じられず、まるで物取りが入ったような有り様だった。呆然とサンドラがその様子を見ていると、サンドラの弟が現れた。彼が丸々と太っているのは変わらないが、顔だけげっそりと痩けていて覇気はない。
「どうしたの、これは……」
「お父様が投獄されたと知らせを聞いてからお母様がおかしくなってしまったんだ」
弟の話によると、プリンシラ婦人は報せを受けてからヒステリックになり、手当たり次第にいろんなものを投げては泣いているのだという。
使用人たちはプリンシラ侯爵の投獄を知らなかったが、叫んでいる内容から大体を把握して半分近くが立ち去った。侯爵が没落するのであればここに仕える必要を見いだせないからだ。プリンシラ家は使用人に対しても横柄な態度を取っていたし、アイノがいなくなった後は苛立ちを矛先を彼らに変えていたのだから、彼らが去るのも当然のことであった。
「戻らない、あの生活には戻らないわよ!」
二階から叫び声と、何かを投げて割れる音が聞こえてくる。この調子であれば使用人が皆、姿を消すのは時間の問題に思えた。
「お母様があの調子で次々と荒らすから片付けも追いつかないんだ」
「そう……なのね」
サンドラは力が抜けて、手からボストンバッグが滑り落ちた。
そしてそのままへたりこむ。サンドラの弟も呆けた顔をして隣に座りこんだ。これからどうしていくのかは、もう考えたくはなかった。